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青い果実
しおりを挟む異国出身の母が常々食べたいと言っていた赤くて汁がしたたる果物。
甘酸っぱさの中に潜んだネクタルの芳醇な香りが口いっぱいに広がるらしい。
母の出身国と、この場所は400キール離れている。その果物を入手することは距離的に困難を伴った。
私は母がこの国に住まう経緯を知らない。母は銀色の髪と薄青灰色の瞳をしていた。ブルネットの髪ばかりのこの国で、母の外見は異端だった。角度によって色が変わるように見える瞳の光彩。いつまでも若いままの容貌。
母はとても静かな人なのに、その特殊な容姿から魔女扱いされ恐れられていた。母を恐れないのは父と私、そして世話係の数人だけだった。それ以外の人は遠巻きにして奇異の目をむけてくる。
あるとき母は倒れ、寝たきりになった。寝てしまったまま目を覚まさない。私は世話係のジーナと一緒に母の世話をする。
白くて細くなった母の体を二人で支えながら、マジナ花の精油を含ませたお湯で清拭する。
清拭の後の母は摩擦で体温が上昇するのか、頬がほんのり赤く色づいていた。
時折、母の元を父が訪れる。
そんな時は私とジーナはそっと部屋を離れていた。
この屋敷に私に関心を向ける者はいなかった。
私は母に似て髪の色素は薄く背が高かった。私自身も、私から何かされるのではないかと周りに引かれ気味悪がられていたような気がする。
父には妻が何人かいて子どもも沢山いた。母は父の妻達の中では一番、力がなかった。他の妻達は実家の財力で豊かに暮らしていた。
実家がこの国にはない母は、必要なものを自分で用意出来ないため、時折訪ねてくる父にお願いして入手していた。
そして母を頼れない今の私にはもっと力がなかった。家自体は裕福で立派な屋敷に住んでいるはずなのに、私達はとてもつましい暮らしていた。
*
誰かが噂をしていた。
屋敷の隅でひっそり暮らしていても耳に入るくらいのさわめき。
異国のキャラバンが街に来ていると。
西国のずっと向こうから来たらしいと。
母の国は西国だ。
もしかしたら母の欲しがっていた赤い果実を取り扱っているかもしれない。その赤い果実の汁を口に含ませたら、母は目覚めるかもしれない。
私はその考えにとりつかれた。
キャラバンの滞在は一時だ。
急がねば。
ジーナに相談するとキャラバンなんて荒くれた男ばかりで野蛮だという。彼女はキャラバンを非難するばかりで、代わりに買いに行ってくれる様子も一緒に行ってくれる気配も無かった。
年末に喜捨のイベントがあった。家長が家に住まうすべての者に日ごろの感謝と多幸をこめ贈り物をするイベントだ。妻達や大事にされている子ども達には名のある品が贈られてくるらしい。
母には父から鮮やかな蒼の貴石で染め上げられた豪華なストールが贈られてきていた。子どもの端くれの私も銀貨を与えられていた。
私はこの時の銀貨を手に街に出て買い出しに行くことにした。
屋敷の人間は、街は汚くて危ないという。
以前、母に連れられて何回か買い物に行った事があった。危ないというより人々が私たちにむける奇異の目が嫌だった。
髪を編み込む。頭に巻き付けてミーア教徒みたいに布でぐるぐる巻きにした。
私は背が高くひょろひょろと痩せていた。
女の子らしくないといつもジーナに言われていた。
少年風に短めのチュニックと長めのポンチョのフードを頭から被る。このフードと視線を下に向けていれば瞳のことはバレないだろう。
支度を終えると屋敷の庭の生け垣をすり抜け、塀をよじ登り外へ出た。
*
屋敷は高台にあり、街の向こうには薄黄緑色に染まった平原が広がっていた。
石畳の坂を下るとオレンジ色の屋根の家々が密集しているのがわかる。
遠目の広場に大きな亜麻色のテントが張られているのが見えた。大抵の街のイベントはこの広場で行われていた。
広場の周りは人でごった返していた。
キャラバンが到着して何日も経過しているはずなのに。確認をしてみると遅れてきた隊の荷物が今朝入荷したばかりで混みあっていた。
私は運がいい。果実が何日もあるとは思えなかった。今日入荷したばかりだったら果実が売られている可能性がある。
いくつかある商品毎のテントを確認する。
この隊商の取り扱い商品は西の国々の特産品である毛の織物、多様な貴石を利用した装飾品など。
他には動物の皮をなめして作られた頑丈な装丁の本などが並んでいた。提示価格はどれも高く、庶民が気軽に買える物ではない。
それでも領主や貴族達の前には、ここには陳列されていない高価で貴重な品が並べられているのじゃ無いかと思った。母のあの蒼いストールのような。
テント前には沢山の人が群がっていたが大半はひやかしのよう。品に触るだけで売買交渉を始めようともしない。
端のテントには手頃な価格の商品が並んでいた。
西の国の織物のスカーフやサッシュ、西の国の干し果実、干菓子、調味料など。
その中に果実らしきものを見かけた。
半分に割られた茶色の殻の中にびっちりと粒が詰まり、つややかに濡れて光る赤い実。
ばらけた粒が試食用に置かれていた。
群がる人をかき分け、手に入れた一粒を口に含む。
ぷにっとした果実の中に種が含まれており、種の周りの果肉をかみしめると口の中に甘酸っぱい果汁と花の匂いが口腔いっぱいに広がる。
母の言っていたネクタルというものは、このような感じのものかもしれない。
果実を二つ買うことにした。
お店の人に告げると丁寧に硬い殻から中身を取り出し、麻の袋に入れてくれた。
代金を払おうとすると、手元が滑って銀貨を転がしてしまった。
後ろにいた男が素早く拾って手渡してきた。
「おいおい、こんな高額コイン落とすんじゃない。俺じゃなきゃ盗られてるぞ」
深めな声、フードの下には深緑色のズボンと縫い目がしっかりとした上質なブーツが見えた。
太いタコだらけの手が銀貨を私の手のひらに載せる。
「あ、ありがとう」
受け渡しで顔を男に向けた瞬間、風をはらみ膨らんだフードが頭から外れた。
男と目があう。若くてがっちりした男があんぐりと顔を凝視してくる。あまりにもまっすぐに直視してくるので顔を隠す動作が遅れてしまった。
慌ててフードをかぶりお店の人に銀貨を手渡した。果物が入った袋と一緒に渡されたおつりがやけに重い。
おつりをごまかされないよう買い物をした後は必ずその場で確認するように言われている。だけれども男に目を見られてしまった今は、それどころではない。
「ちょっと」
さっきの男が近づきながら声を掛けてくる。おつりを確認している余裕は無かった。おつりでもらった大量の少額コインを袋に放り込み人混みに紛れその場から逃げ出した。
家々が立て込んだ界隈に潜り込んだ。
ごちゃごちゃとした家と家の間にはいろんな物が置かれていた。食べ物の匂いや呪いで使う香の匂い、家畜小屋が側にあるのか動物の糞尿の臭いがした。
瞳の光彩をあの男に見られてしまった。
この特長はとても珍しいらしく、人さらいの対象になりやすい。外出の際は気をつけなさいと母に言われていた。あの男も人さらいの一味なのかもしれない。
人の気配が濃厚に立ちこめる界隈をすり抜け、坂道を上り人通りの少ない屋敷のある高台に向かった。
屋敷の周りを見渡し人気が無いのを確認すると、壁にすがりついてよじ登ってみた。中側には足を引っかけるちょうど良い出っ張りがあったのに、外側にはそんな便利な物は存在しなかった。
なんとか壁に体を張り付かせて塀の上によじ登ろうとした時、下から声が聞こえた。
「見つけたぞ。カナル様の邸宅に忍びこもうなんて、なんて奴だ」
振り返るとさっきの光彩を見られた男がいた。正義を振りかざせると思っているのか意気揚々としている。
あわてているので足を壁に引っかけられない。足が宙を舞い素通りしてしまう。
男に腰から足を抱えられた。
蹴っ飛ばそうにも足を捕まれ動けない。
そのまま引っ張り下ろされ、男の硬い身体を下敷きにして転倒した。苦痛のうめきを上げる男からは少し苦くて涼しげなグリンゴ草の匂いがした。
転倒した際にぐしゃっという衝撃があった。腰元からじわりと濡れ広がっていく感触。何が起きたのか状況を把握するにつれ目元が熱くなってくる。
男は立ち上がろうとして偶然私の胸元に手が触れた。肉が潰れるぐにっとした感触。
奥のしこりを押されギリッとした息がつまるような痛みが走る。
「…っ…たっ」
胸を押さえ痛みで涙がにじむ目で男をにらみつけた。何かを察したのか男はすぐに手を引っ込めた。
「ご、ごめん。おまえ、おん…な…」
男は動揺しているようだ。
不本意に体がからまってしまった男を押しのけ立ち上がった。視界は悔しさでぼやけてにじんでいる。
潰された果実から染みでた赤い汁が足を伝い、地面を濡らした。それを見た男は何かと誤解したのか唖然としていた。
せっかく苦労して手に入れたのに。
母に食べさせたかったのに。
外出も内緒にしたかったのに
この男に台無しにされた。
凝視し続ける男を潤む目でにらみつけ、私は屋敷の正門に向かって駆けだした。
*
広場で手に入れてきた果実は半分ほど潰れてしまっていた。まだ食べられそうなものを搾り母に含ませてみた。母の口元は果汁で赤くつややかに濡れていた。
母はいつもと変わらず無反応で果実に対する特別な反応は見られなかった。
余った果実はジーナや他の部屋付きの者達と分け合って食べた。珍しいものだったので皆に喜ばれた。
果実入手には変な男に追いかけられ、怖い思いもした。家令に無断外出が発覚して怒られたけれど、皆の笑顔が見れたからよしとした。
寝ている母には一日数回果汁のようなものを口に含ませる。たったそれだけなのに母は生きていた。触れれば低めだけれど体も温かく口の中は濡れていた。
排泄はほとんど無く時折、月経で服や寝具が赤く染まることがあった。
眠り込む以前の母は、時々故国の歌を歌ってくれることがあった。歌を歌い始めると母はここにはない場所を思うのか、目の前の私を透過してその先の遠い景色を見ていた。近しい母のぬくもりは消え、私との距離が広がっていくようで淋しさを覚えた。
淋しさの一方、母の口から溢れる異国の言葉は聞いているだけで背中がぞくぞくした。
聞き続けていると緩やかな悲しみと喜びに染められしまいには全身から無駄な力が抜け楽になっていくような気がした。
母の言葉には言葉自体に力があり、発した言葉によって現実がその言葉のようになってしまうんだとか。今回の歌には世話係へのいたわりの気持ちが込められていたんだとか。
母は普段からしゃべる人ではなかった。
自身の言葉の力を恐れていたのか。
この力ゆえに恐れられ誤解を受け、魔女扱いされていたと理解した。
ある日、私は自分が世話をしている花壇に生えている雑草に向かって、異母兄弟から私自身が投げつけられた言葉を口にしていた。
ぱしん。変な角度から音が走り頬に痛みが走った。気がつくと背後に立つぶるぶると震える母にはたかれていた。
言葉は祝福にも呪詛にもなる。
言葉の力が少ないこの国の言葉でも。
母はそれを咎めたのだった。
数日後に手入れに訪れた花壇、言葉をぶつけたあの雑草はしなびていた。
*
母の寝たきり状態は変わらずで、変わりのない生活が続いていた。変化があったとすれば私に婚姻の話が来たことだ。年上の未婚の姉たちを差し置いて、私にきた。それだけこの家で必要とされていない、口減らしのための婚姻に思えた。
異母兄弟は私を見かけると意地悪な言葉や呪いの言葉を投げつけてきていた。
そのほかに年上の兄弟に捕まり使っていない部屋に何回か連れ込まれた。
逃げようとするけれど強く掴まれ、熱い手から逃れられなかった。服を剥ぎ取られ下半身をいじられた。無理やり中に指を入れようとするので痛くてたまらなかった。
痛い痛いと泣きだすと指を入れる行為を諦めたのかそれ以降は入れられなくなった。
その代わり異母兄の下半身の硬くなったものを触らされた。熱く脈をうつそれは、手が触れるとより大きくなって、白くて変な臭いのする粘液を震えながら吐き出した。
それ以降も同じ兄には性器を触らせられた。白い液を自分に向けて吐き出される度に、自分の中の何かがすり減り汚されていく。
時折少しだけ膨らんだ胸を掴まれて痛かったり、ねちょねちょする唇で顔を舐められたり、口を吸われたり、それが凄く気持ち悪くてただ相手の性器を触るだけの行為がましに思えた。
繰り返される行為に慣れ、なにも感じなくなる。
私は鈍化し摩耗していく。
私に掛けられた体液は身体の奥底まで染み込み、汚濁で私を染めてゆく。
汚されて出来た染みは行為の度に面積を拡大し私を浸食していった。
また違う大きいくりくりした目の異母兄弟に、にやにやと舐めるように見られ、そのまま近くの部屋に連れ込まれそうになった。
その先が見えた私は手を強く振り払って逃げ出した。異母兄との事がほかの異母兄弟に広まっているのかもしれない。
母親のいる異母姉妹たちもこんなことをされているのだろうか。庭できれいな服をきて無邪気に笑いあっている彼女たちの姿を見かけた。
きらきら輝く彼女たちには私のような黒くて汚い染みや影は見当たらなかった。同じ父親を持ち、同じ屋敷にいても私と彼女たちは住む世界が違うのだ。
*
ある日気がついた。
清拭の最中、母の腹がふくらんでいることに。乳房もふっくらと丸みを帯び、乳輪も変化を見せていた。そういえば最近月のものの処理をした覚えはなかった。
ジーナは興奮して家令に伝えにいった。
家令が呼んだ医師の診断で母が妊娠していることが分かった。それを聞いたのか父がやってきて母の頬をなでていた。
その姿を見て昔見た光景を思い出した。
意識の無い母の足を広げ腰を打ち付けている父。父は興奮しているようだった。母は意識無く胸をはだけられ、ただ揺さぶられていた。だらりとベッドから落ちた手が行き場もなく揺れていた。
当時はその行為の意味をわかっていなかったけれど、後日理解をした。父が母に会いにくると部屋つきの者達がそっと席を外す意味も。
意識がないのに体を好きにされ揺さぶられる母。私は自分の意識がないのにあのように触られたらと考えただけで吐き気がした。
母のような丸みを帯びた体。
白くて柔らかそうな肌。
あんな目に遭うくらいならいらないと思った。
膨らみかけた胸を呪詛した。
出てくるな。
女という性の属性を調伏したいと思った。
消えろ。
入浴とともにあびせる自分への呪い。
胸の膨らみは止まった。
そのかわり背だけがすくすくと伸びてしまった。
母の妊娠と異母兄弟たちからの度重なる加害に耐えかね、度々申し出があった婚姻を受けることにした。
裕福な家の出の母を持つ姉たちではなく、なんの後ろ立てもないひょろひょろで痩せぽっちの私がいいという。
役に立つとしたら父の娘という血筋と、女いう属性だけ。それに女であっても未だ初潮もきていない。
相手は貴族であるとのこと。
ここから逃げ出すことが重要で特に知りたいとは思わなかった。
母や長年親しんでいたジーナやこの場所と別れるのは悲しかった。
生まれてくる母の赤子に会いたかった。
でも今の母では私を守れない。
私は自分を守るため、いくつか条件をつけ屋敷から出た。
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