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ピンチかもしれない
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そんな焦燥に駆られたおれらの背中に、低い声がかけられた。このままなにもなく終わってくれればいいと、そんな希望的観測がその弾丸に打ち抜かれて崩れていく。
案の定その声の主は狼の男性だった。おれより長身で、おれより長い足でその狼はこっちに向かってくる。
その目は虎豪さんしか見ていない。冷静さを装ってはいるものの興奮を隠しきれない瞳がおれの意中の人に狙いを定めている。
「なんだ?」
虎豪さんが答えているそのすぐそばで、おれはすでにパニックに陥っていた。
一体狼は何の用なのか。もし……もし一目ぼれで告白だったらどうしよう。そして、そしてそして虎豪さんがそれを受けてしまったらどうしよう。どうしよう。どうしよう。
ありえないとわかってはいても。それでも、目の前の狼はおれよりずっとかっこいい。おれなんかただの人間だし、とりえなんて少し料理が得意なことぐらいだし。ひょっとしたらという可能性が捨てきれない。
「聞いてほしいことがある。いきなりだし、少し戸惑うかもしれないが――」
そこまで聞いたとき、おれは虎豪さんの手を握って走り出していた。
「お、おい!」
頭上から振る声にも対応できず、おれは無我夢中だった。路地を抜けて坂を上り、太陽に照らされながら足をがむしゃらに動かしていく。
虎豪さんはおれの手を振り払おうとはしなかった。おれより早い足でおれの後ろについて、速度を合わせてついてきてくれた。
そして、ようやく止まることができたのは『サンシャイン』の中だった。おれはもう疲労困ぱいの息も絶え絶えの死に体で、いつ倒れてもおかしくない状況。
「おまえ……急にどうしたんだよ……」
虎豪さんも疲労ここに極まれりといった風体だったが、それでも話す気力は残っているらしく、呼吸の合間に疑問を投げかけてきた。
でも、おれはそれに答えることができない。『虎豪さんを取られそうになったから』なんて絶対に言えるわけがない。だから、おれは息を切らしてしゃべることもできないふりをして必死にごまかすんだ。まあ、半分以上事実なんだけど。これは明日には筋肉痛がくるな。
「まあ……いいけどよ。あいつ、なんだったんだろうな。余裕がなくて目先のことしか見えてねえ。ああいう犯罪者をごまんと見てきた俺が言ってやる、お前の判断は正しかったのかもな」
ああ、違う。それはきっと告白だ。その感情には嫌というほど心当たりがあるんです虎豪さん。今だっていつだっておれがあなたに対して抱いている感情なんです。
「……気にするな。どんな話が分からねえ以上、お前が気に病むこともない。ほれ、水だ」
おれの深刻な雰囲気を察して虎豪さんが水を差し出してくれた。汗だくの体に冷たい水が癒しを注ぎ、ようやく少しの冷静さが戻ってきた。
虎豪さんはこういうところで気遣いができる優しい大人だ。自分が飲むより先に、こうやっておれに配慮してくれる。
でも、虎豪さんはとっても照れ屋だから。素直にお礼を言うよりも、もっといい方法をおれは知っている。だから、すこしふてくされたようにこう返すんだ。
「水道水じゃないですかこれ」
「ただでくれてやったんだ、文句言うな」
やっと、笑みを浮かべる余裕ができた。おれに余裕をくれた虎豪さんはおれ以上に暑苦しい格好と暑苦しい毛皮のせいでもう汗でびっしょりだ。シャツなんか透けてしまっていて、地肌に映える黄色い毛皮の色を写しこんでいるほど。そんな状態なのにおれのことにかまけてくれて、申し訳ないやらありがたいやら。
「あーあっちい」
毛皮に加えそんな厚着してたらさぞかし暑いことでしょう。虎豪さんはもう我慢できないと言わんばかりに蝶ネクタイを緩めジャケットに手をかける。
「…………っ!」
瞬間、鼻血が出そうになった。
虎豪さんっ! 乳首! 乳首浮かび上がってます! ジャケットの下にはそんな楽園が広がっていたんですね! あなたはどれだけおれを殺す最終兵器になれば気が済むんですか!
汗でへたった毛皮と窮屈なシャツが織りなすコラボレーションはおれの悩みなんて吹っ飛ばすほどの威力に満ちていた。しかも、左右に引っ張られている布地が胸筋の下に入り込み、あからさまなくらいそのおっぱいを強調しているではありませんか。
「くそ、これはさすがにだめだな」
なんて虎豪さんが脱いだジャケットの傷を確認している間、おれはその胸に目を奪われ続けている。ボタンが取れそうだ。はじけ飛びそうだ。普段はよく飛ぶのに、今日はまだ全部飛んでいないぞ。
真ん中ではボタンとボタンの間がいびつに開き、もっさりとした胸毛が顔を出してる。そして左右にははちきれんばかりに飛び出した虎豪さんのおっぱい!
ありがとう夏! ありがとう汗! できればこれからもずっと虎豪さんを温めてください!
「おまえ……さっきまで深刻な顔してたじゃねえか。なんでそんなに立ち直りが早いんだ」
なんか不気味なものを見るような顔つきになってる虎豪さんがドン引きしてる。どうやらそうとう変な顔をしていたようだ。
「まあ、元気になったんならいいけどよ。ほれ、バイト代だ受け取れ」
窮屈なシャツで色気をふりまく虎豪さんがおれになにかくれた。もう今日見たいろんな虎豪さんを脳内で反芻するだけでおなかいっぱいなのに、この上さらにバイト代までくれるというのかこの人は。もう一生ついていきます。
元からそういう約束だったのにもかかわらず、過剰量摂取した幸福におれの脳内にはお花がいっぱい。でも、簡素な封筒に入った金額を確認して、本当にもらってもいいのだろうかと今更後悔の念がわいてきた。これでお客が入らなかったら、おれの空回りで終わってしまうというのに。
「別に成果がでなくても、それがお前の仕事に対する報酬なんだ。おとなしく受け取っとけ。ガキが変な心配してんじゃねえよ」
なんてあっさり言ってのける虎豪さんは本当に大人なんだなあと思う。汗でべたついたシャツを着崩す姿はいつもの燕尾とは全く違う魅力が出ていて。それがあまりにしっくりきているもんだから、ああ、これが素の虎豪さんなんだなって納得してしまう。
「お客さん、来るといいですね」
「だな」
来ますように。おれは内心祈りをささげてる。おれらの頑張りが無駄にならないように、そして虎豪さんともっと一緒にいれますように。
でも、結局あの狼は虎豪さんになにを伝えようとしたのだろう。おれが早とちりしただけで、全然関係ないこと伝えようとしてたとしたら、恥ずかしいなんてもんじゃない。
本当に大事な用件ならまた来るだろう。なんたってこっちは宣伝しに行ったんだ。場所なんてすぐわかるはず。
だからおれはこれ以上考えるのやめて、カウンターに座った。今日は閉店してるから、この場所にはおれたち二人だけ。やっと冷房が効き始めてきた店内とおれの思い人を独占できるんだ。このまま帰るなんてあるわけがない。
案の定その声の主は狼の男性だった。おれより長身で、おれより長い足でその狼はこっちに向かってくる。
その目は虎豪さんしか見ていない。冷静さを装ってはいるものの興奮を隠しきれない瞳がおれの意中の人に狙いを定めている。
「なんだ?」
虎豪さんが答えているそのすぐそばで、おれはすでにパニックに陥っていた。
一体狼は何の用なのか。もし……もし一目ぼれで告白だったらどうしよう。そして、そしてそして虎豪さんがそれを受けてしまったらどうしよう。どうしよう。どうしよう。
ありえないとわかってはいても。それでも、目の前の狼はおれよりずっとかっこいい。おれなんかただの人間だし、とりえなんて少し料理が得意なことぐらいだし。ひょっとしたらという可能性が捨てきれない。
「聞いてほしいことがある。いきなりだし、少し戸惑うかもしれないが――」
そこまで聞いたとき、おれは虎豪さんの手を握って走り出していた。
「お、おい!」
頭上から振る声にも対応できず、おれは無我夢中だった。路地を抜けて坂を上り、太陽に照らされながら足をがむしゃらに動かしていく。
虎豪さんはおれの手を振り払おうとはしなかった。おれより早い足でおれの後ろについて、速度を合わせてついてきてくれた。
そして、ようやく止まることができたのは『サンシャイン』の中だった。おれはもう疲労困ぱいの息も絶え絶えの死に体で、いつ倒れてもおかしくない状況。
「おまえ……急にどうしたんだよ……」
虎豪さんも疲労ここに極まれりといった風体だったが、それでも話す気力は残っているらしく、呼吸の合間に疑問を投げかけてきた。
でも、おれはそれに答えることができない。『虎豪さんを取られそうになったから』なんて絶対に言えるわけがない。だから、おれは息を切らしてしゃべることもできないふりをして必死にごまかすんだ。まあ、半分以上事実なんだけど。これは明日には筋肉痛がくるな。
「まあ……いいけどよ。あいつ、なんだったんだろうな。余裕がなくて目先のことしか見えてねえ。ああいう犯罪者をごまんと見てきた俺が言ってやる、お前の判断は正しかったのかもな」
ああ、違う。それはきっと告白だ。その感情には嫌というほど心当たりがあるんです虎豪さん。今だっていつだっておれがあなたに対して抱いている感情なんです。
「……気にするな。どんな話が分からねえ以上、お前が気に病むこともない。ほれ、水だ」
おれの深刻な雰囲気を察して虎豪さんが水を差し出してくれた。汗だくの体に冷たい水が癒しを注ぎ、ようやく少しの冷静さが戻ってきた。
虎豪さんはこういうところで気遣いができる優しい大人だ。自分が飲むより先に、こうやっておれに配慮してくれる。
でも、虎豪さんはとっても照れ屋だから。素直にお礼を言うよりも、もっといい方法をおれは知っている。だから、すこしふてくされたようにこう返すんだ。
「水道水じゃないですかこれ」
「ただでくれてやったんだ、文句言うな」
やっと、笑みを浮かべる余裕ができた。おれに余裕をくれた虎豪さんはおれ以上に暑苦しい格好と暑苦しい毛皮のせいでもう汗でびっしょりだ。シャツなんか透けてしまっていて、地肌に映える黄色い毛皮の色を写しこんでいるほど。そんな状態なのにおれのことにかまけてくれて、申し訳ないやらありがたいやら。
「あーあっちい」
毛皮に加えそんな厚着してたらさぞかし暑いことでしょう。虎豪さんはもう我慢できないと言わんばかりに蝶ネクタイを緩めジャケットに手をかける。
「…………っ!」
瞬間、鼻血が出そうになった。
虎豪さんっ! 乳首! 乳首浮かび上がってます! ジャケットの下にはそんな楽園が広がっていたんですね! あなたはどれだけおれを殺す最終兵器になれば気が済むんですか!
汗でへたった毛皮と窮屈なシャツが織りなすコラボレーションはおれの悩みなんて吹っ飛ばすほどの威力に満ちていた。しかも、左右に引っ張られている布地が胸筋の下に入り込み、あからさまなくらいそのおっぱいを強調しているではありませんか。
「くそ、これはさすがにだめだな」
なんて虎豪さんが脱いだジャケットの傷を確認している間、おれはその胸に目を奪われ続けている。ボタンが取れそうだ。はじけ飛びそうだ。普段はよく飛ぶのに、今日はまだ全部飛んでいないぞ。
真ん中ではボタンとボタンの間がいびつに開き、もっさりとした胸毛が顔を出してる。そして左右にははちきれんばかりに飛び出した虎豪さんのおっぱい!
ありがとう夏! ありがとう汗! できればこれからもずっと虎豪さんを温めてください!
「おまえ……さっきまで深刻な顔してたじゃねえか。なんでそんなに立ち直りが早いんだ」
なんか不気味なものを見るような顔つきになってる虎豪さんがドン引きしてる。どうやらそうとう変な顔をしていたようだ。
「まあ、元気になったんならいいけどよ。ほれ、バイト代だ受け取れ」
窮屈なシャツで色気をふりまく虎豪さんがおれになにかくれた。もう今日見たいろんな虎豪さんを脳内で反芻するだけでおなかいっぱいなのに、この上さらにバイト代までくれるというのかこの人は。もう一生ついていきます。
元からそういう約束だったのにもかかわらず、過剰量摂取した幸福におれの脳内にはお花がいっぱい。でも、簡素な封筒に入った金額を確認して、本当にもらってもいいのだろうかと今更後悔の念がわいてきた。これでお客が入らなかったら、おれの空回りで終わってしまうというのに。
「別に成果がでなくても、それがお前の仕事に対する報酬なんだ。おとなしく受け取っとけ。ガキが変な心配してんじゃねえよ」
なんてあっさり言ってのける虎豪さんは本当に大人なんだなあと思う。汗でべたついたシャツを着崩す姿はいつもの燕尾とは全く違う魅力が出ていて。それがあまりにしっくりきているもんだから、ああ、これが素の虎豪さんなんだなって納得してしまう。
「お客さん、来るといいですね」
「だな」
来ますように。おれは内心祈りをささげてる。おれらの頑張りが無駄にならないように、そして虎豪さんともっと一緒にいれますように。
でも、結局あの狼は虎豪さんになにを伝えようとしたのだろう。おれが早とちりしただけで、全然関係ないこと伝えようとしてたとしたら、恥ずかしいなんてもんじゃない。
本当に大事な用件ならまた来るだろう。なんたってこっちは宣伝しに行ったんだ。場所なんてすぐわかるはず。
だからおれはこれ以上考えるのやめて、カウンターに座った。今日は閉店してるから、この場所にはおれたち二人だけ。やっと冷房が効き始めてきた店内とおれの思い人を独占できるんだ。このまま帰るなんてあるわけがない。
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