君の喫茶店

とりあえず

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 さっきもらったばかりの封筒から一枚のお札を出して、冷房の真下でシャツの胸元を大胆に開けて涼んでいる虎豪さんを呼ぶ。虎豪さんはものすごい嫌な顔をしたけれど、それでもカウンターに戻ってきてくれた。フェロモンを振りまくシャツ姿の虎豪さんがカウンターに居ると、いつもとは違う雰囲気を味わえる。

「それで、何を頼むんだ?」

 喫茶店というよりかはバーといったところか。頼んだらシェーカーでも振ってくれないかな。

「今日は臨時収入がありましたからね。どうしようか悩んでいる所です」
「おーそうかい。そりゃよかったな。じゃあとびきり高いのでも頼んでくれよ」

 なんとも白々しい会話だ。虎豪さんの口元にも苦笑が浮かんでる。

 ただ、こんな事言いながらおれの頼む物はもう決まっているんだ。ずうずうしすぎやしないだろうか、と内心気をもんでいるのだけれど、ぜひとも頼みたかった。だから、緊張で固く結ばれてしまった唇をほどき、うかがうように喉を震わせる。

 この日にバイトをお願いした理由を、虎豪さんに聞いてもらおう。

「ケーキを。バースデーケーキをお願いしたいんです」
「……なんで前もって言わなかった」
「さすがにずうずうしいかなと思いまして」
「っち。なんべん言えばわかるんだ。ガキが変な心配してんじゃねえよ」

 黒くまるい耳をせわしなく動かすのは虎豪さんがいら立っている時の癖だ。そんな所を見なくても眉間にしわを寄せてる顔さえ見れば一目瞭然なんだけど、今回はなんでそんなにご立腹なんだろうか。

「回りくどいんだよ。もっと普通に頼めばいいじゃねえか。俺が普通にお願いしたら断るような奴に見えるって言うのか」

 カウンターの下にある冷蔵庫を漁りながら不機嫌そうな声でそう吐きだした。身を乗り出して覗いてみると、広い背中が丸められ、シャツを引き延ばしているのが目に入った。やはり耳は動いたままだ。

 今日は店を開ける予定がなかっただろうから、冷蔵庫に入ってるケーキなんて売れ残り位しかないだろう。でも、それで充分だった。おれはただ虎豪さんに祝ってもらえればそれで満足だし、その為に今日まで言わなかったんだ。

「ガキはもっとずうずうしいくらいでいいんだよ。今更遠慮なんてしてんじゃねえ。普段、店に来るなって言ってもきやがる癖に、押しが弱いんだか強いんだかはっきりしない奴だ」

 小言の一つはもらう覚悟だったのだけど、まさかここまで怒らせてしまうとは思わなかった。ここで引こうものならさらに怒られそうだし、ここは虎豪さんの行動を見守るしかない。

 へそを曲げてしまった虎豪さんは冷蔵庫とにらめっこしたままだ。ひょっとしてもう冷蔵庫には何も残っていないのだろうか。それだと読みが外れてしまったことになるけど、欲しかったのは虎豪さんからの祝福の言葉なのでケーキなんておまけだからそこまで心は痛まない。

「おい、今度の日曜日空いてるか?」

 冷蔵庫の中から顔を上げることなく虎豪さんは聞いてきた。空いてるかと問われれば、虎豪さんのためなら何があっても空ける覚悟は持っています。とはもちろん言えないので、無難に返事をするだけにとどめておいた。

 ようやく立ち上がった虎豪さんはいまだに険しい顔のままおれをにらんでおり、破れたシャツがそれをいかめしく彩っている。その表情はまさに不機嫌そのものだったけど、でも、もう耳は動いていない。

「試作品を作るからここに来い。バイトのついでだ、文句言うなよ」

 ぽかんと口を開けたおれは虎豪さんの言わんとしてることを察すると、首が取れそうなほどの勢いで上下に振った。文句なんてでるはずもない。だってそれは、つまり、虎豪さんがおれのために時間を割いて祝ってくれるってことなんだから。

「バイト代はださねえからな。そのかわりケーキを食わせてやる」
「そ、それはいわゆるお誕生日会というものではないのでしょうか」
「あぁ? 勘違いしてんじゃねえよ。宣伝したんだから、備えるために新商品を作るのは当然だろうが」

 ぎりぎりと牙を鳴らしながら吐き捨てる虎豪さんが照れているんだってことはすぐに分かった。虎豪さんはいつだって素直じゃないんだ。

「虎豪さん」
「あんだよ?」
「おれ、生クリームがたくさんのったケーキが好きです」
「んなこと聞いてねえよ。お前はただ黙って試作品を食えばいいんだ」

 そして、虎豪さんの手がカウンターに置かれたお札をかっさらっていく。手袋をしている指の間で、おれのバイト代がひらひらと揺れた。

「ケーキはねえが、コーヒーでいいよな」

 サイフォンの前にカップを二つ。並べられた白亜の陶磁器はおれと虎豪さんの分だろう。片方の眉だけを器用に上げた非対称な不機嫌面を作ると、手慣れた手つきでコーヒーを沸かしていく。

 湯気と共に優しく広がっていく香りがおれは大好きだ。でも、喫茶店にしみわたっていくコーヒーの香ばしい香りでも今のおれを落ち着かせることなんてできない。頭の中は次の日曜のことでいっぱいなんだ。

 BGMがない店内には虎豪さんが作業する音だけが響いている。器具がぶつかり合うかちゃりとした音だけが耳を打ち、それがおれの心臓みたいだ。だって、虎豪さんのアクション一つでこんなに高鳴ってしまうんだから。

「あ、なんだそんな固まりやがって。嫌なら別にいいんだぞ?」
「別に、嫌なわけじゃないです」

 嫌なわけないじゃないか。でも、口が渇いて舌が張り付いているから、ワンテンポ遅れた返事になってしまった。体内に納まりきらない幸福によって神経が麻痺してしまったみたいだ。現実味がなくて、夢の中を浮かんでいるみたい。

「おい、疲れたのか。熱でも出す前にとっとと帰るんだな」

 心配の色を混ぜた眉間のしわがさらに溝を深くして、虎豪さんがおれをにらんだ。差し出されたきれいなカップにはもうなじみのあるものになったコーヒーがなみなみ注がれている。そこに映るおれの顔は、確かに熱に浮かされたようなものだった。

「汗かいた後に冷房はきつかったか。人間は毛皮ねえからな。すぐ寒くなったり暑くなったりで、めんどくせえ種族だ」

 まだ自分の汗がひいてもいないのに、虎豪さんは冷房を切ってくれた。そこまで気を回さなくてもいいんだけど、この感情を虎豪さんに伝えるのは難しいかな。

 暑さに辟易しながらも虎豪さんはおれに優しい。思わず勘違いしてしまうくらいには。

 別に風邪をひいているわけじゃないからなんだか申し訳ないと思うんだけど、もうちょっと、せめてこのコーヒーを飲むまでは虎豪さんを独占していたかった。熱いコーヒーに温まっていく店内。でも、おれの心が火照っているのは、絶対にそのせいなんかじゃない。

 黒色の液面に思い人を浮かべ、口づけを落とすように喉へと流し込む。

 おれの心が、また熱を上げた気がした。
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