君の喫茶店

とりあえず

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友達の虎

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「なんだかお前、最近気持ち悪いな」

 そう言ってきたのは目の前にいる虎の男だった。

「うるさいな。いいじゃないか別に」

 虎といっても虎豪さんじゃない。虎豪さん相手にこんな口を利こうものなら不機嫌そうな顔されるのは目に見えている。

 おれが通っている大学の学食は、まだ授業の時間とあって人がまばらにいるだけだった。次の授業まで待機しているおれは向かいに座っている奴にぞんざいな返事を返す。

「何かいいことでもあったのか?」

 同じく授業まで時間を持て余している猫柳(ねこやなぎ)はピンと張ったひげを触りながらこちらをうかがっている。虎豪さんとは違い人懐っこそうな目は興味に輝き、身を乗り出してきた。

「まあね」

 好きな人に今度の日曜デートに誘われたなんて言えるわけもなく。おれは適当に相槌を打つ。

 ばれたら根掘り葉掘り聞かれること請け合いだし、なによりあれはバイトの延長線上だ。面倒事は避けるに限る。

「ひょっとして、デートか?」

 うぐぅ。虎豪さんといい、なんで虎種族はこんなにも勘が鋭いんだ。

 でも、おれは平常心を装って苦笑いで返す。

「まさか。ただ臨時収入があっただけだよ」
「ああ、そういえばこの前バイトしたんだっけ。どうだ、かわいい子いたか?」

 かわいくはないが、最高にかっこいい人ならいたよ。内心でそう答えておく。

 肉厚な体をノースリーブのシャツで包んだ猫柳はおれの好みではあるんだけど、さすがに友達相手にそんな邪念を抱くほど飢えてるわけでもない。彼が素敵な恋人と出会えるように願うばかりだ。

「おれに紹介を期待するよりも、猫柳なら自分ですぐに見つけられると思うんだけどな」
「入るサークルを間違えたんだよ。柔道とかやめてテニスでもしとけばよかったぜ。女気一つ見当たらねえ」

 こういうところも虎豪さんに似てるんだよなあ。もっとも、虎豪さんより少し身長は低いし、毛皮の色は明るいし、尻尾も細いし。要するに全く違うってことだ。

 普通、他種族は見分けがつきにくいとされているけれど、おれは虎豪さんならすぐに見分けられる自信がある。目を閉じると鮮明に思い浮かべることだってできる。

 あー、会いたいな。早く次の日曜日にならないかな。

「おーい、聞いてるか?」
「ごめん、全く聞いてなかった。だからおれの頬を両手で挟むのはやめて」

 猫柳の分厚い手が遠慮なくおれをいじめてくるから、少しくぐもった声になってしまった。身を乗り出している猫柳の不機嫌そうな顔がドアップで表示される。

 異議を申し立てると、猫柳は快活に笑っておれから手を離す。こんなスキンシップ過剰なところもまた、虎豪さんとは違うところだ。猫柳は隙を見せるとすぐ触ってくるからな。将来痴漢で逮捕されないか不安だ。

「いやー、お前のほっぺって良い感触なんだよな。人間ってやつはどこもぷにぷにしててさわり心地がいいんだよ」

 おれが女の子だったらセクハラで怒られたことだろう。やはり、他種族の違いは新鮮味がでかいのかな。
 表情がころころ変わるおれの友人はしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべる。鍛えた肉体に加え毛皮のせいで余計に盛り上がった巨躯を誇る猫柳。彼は前かがみになっておれを覗き込んだ。

「もしかして、なにか悩み事か?」

 痛ましい顔も彼の百面相のうち。見ていて飽きない友人に余計な心配をかけさすまいと、おれは明るめの返事を返した。

「違うって。ただ、明日の小テストについて考えてただけだよ」

 眼前の猫科が目を見開き、おれは確信する。この反応は忘れてた時の顔だな。

 とたん、気持ちが悪いほど満面の笑みを浮かべた肉食獣はこびたような声を出し始めた。猫科の猫なで声なんてすでに聞き飽きていて、面白みを感じない。

「なあ辰瀬、実はお願いが……」
「ノートも過去問も今持って無い。家にならある」
「じゃあ……」
「夜には帰るからその時にでも来て。もちろん、晩御飯おごってくれるんだよね?」
「うっ、今金欠でさ、後ででいいなら……」

 なんだかんだ言いつつがちでサークル活動をしてるこの友人に、金銭を無心するというのは酷なことだと知っている。バイト探しよりサークルを優先するあたり、根っからの脳筋だ。

 だから、妥協案で手を打とう。

「今晩何食べたい?」
「へ?」
「何が食べたいかって聞いてるんだけど」

 再度の確認後、猫柳の尻尾が思いっきり揺れた。顔もパァっと明るくなって、嬉しさが滲みだしている。本当にわかりやすい奴だ。

「材料費くらい出してよね」
「おうっ!」

 分厚い胸を張って誇らしげに答える猫柳。どうやら今日の予定は決まったようだ。猫柳が家に来るなんて別に珍しいことでもないし、喫茶店によってから帰れば時間もちょうどいいか。

 あ、とおれはあることを思いだした。これは念を押しておかないと。

「サークル終わったらきちんとシャワーを浴びてから来ること。これ絶対だから」
「えー、またかよ。お前と違って乾かすのめんどくさいんだぞ」

 猫柳がぶー垂れているが、これはおれにとって死活問題なんだ。

 友達をよこしまな目で見ないという自負があるにはあるが、汗だくな虎種族と密室に長時間いるなんておれが耐えられない。主に股間が。

「そんなに臭いもんかね。自分じゃ気づかないけど」

 毎度の事なのでめんどくさそうな顔をしながらも猫柳は了解してくれる。

 正直、臭いからシャワー浴びてから来いなんて暴言以外の何物でもない。だけど、それを面と向かって言ったところで今更ひびが入る関係でもない。猫柳は気のいい奴だし、相手は選んで喋っているつもりだ。

「思ったんだけど、だったらお前んちでシャワー浴びればよくないか?」

 おい馬鹿やめろ。どうしてそうなるんだ。

 めちゃくちゃ必死感あふれるツッコミに、猫柳はきょとんとした顔を返す。

「え、だって材料買ってきてから待ち時間暇だしよ。その間に浴びておけばいいじゃねえか」
「いや待て。君泊まるつもりか?」
「テスト勉強もかねてな。いいじゃねえか、どうせ一人暮らしだろ」

 冗談じゃない。さすがに下着姿とか刺激が強すぎる。ごめん今ちょっと妄想が飛躍した。

 そりゃ虎豪さんほどの破壊力はないだろうけど、おれの精神をどうにかするには十分だ。おれによこしまな目で見られたくなければ、その提案をすぐに却下しろ。

 おれには思い人がいるというのに、悲しいかなそれが男の性。でもまあ、こいつが泊まりに来たことなんて過去に何度も……あったっけか?

「いや、お前んちに泊まるの初めてだな。酔いつぶれて朝を迎えたことなら何度かあっけど」

 確かにシャワーシーンはこれまでに一度もないな。

「お前、酔っ払うと何かにつけてべたべたしてくるし、確かにシャワー浴びたほうがいいか」

 やばい記憶にない。
 冷や汗かきまくりのおれを見て、猫柳はとてもびっくりした顔をする。

「まじかよ。さすがにそれはまずいぞ」
「そ、そんなにかな……?」
「だってよ、あまりにべたべたするもんだから、『お前はおれの彼女か!』ってつっこんだら、『それでもいいかもねー』って返してきたぞ。おれが頷いたら完全に合意だった」

 それは駄目なやつだ。完全にアウトなやつだ。酔ってるからって本能がフルバーストしすぎだと思う。
 今日は猫柳の好きなものを作ろう。そして、金輪際彼の前で酔っ払うのはやめよう。おれはそう心に誓った。

「いや、でも、別に嫌じゃなかったし。お前と酒が飲めなかったらおれは誰と飲めばいいんだ」
「一人で飲んでた方が安全だと思うよ」
「大丈夫だって。お前ごときが何かしてきてもすぐ絞めて落とせるからさ!」
「それ喜んでいいのかわかりづらいよ!」

 まあ、猫柳がそこまで言うなら……。おれは今後気を付けることを誓い、また飲む約束を取り付けた。こいつに罪はないんだから、おれが煩悩を押さえればそれですべて解決するんだ。

 彼が部屋でシャワーを浴びるときは、できるだけ見ないようにしよう。そう心に決めて、おれは了承の合図を送った。
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