君の喫茶店

とりあえず

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虎豪さんの答え

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 その言葉が耳に入った瞬間、まるで体すべてに火がともったようだった。温かなぬくもりが体中に広がって、浮遊感に投げ出されてしまう。

 おれは首に回された虎豪さんの手に手を添えて、その毛並を確かめる。

 その言葉が夢でないのだと、確かめたかった。ふわりとした毛皮を何度も何度もなでて、そこに虎豪さんの存在を感じて、ようやくおれの喉は震えることを思いだした。

「それが、虎豪さんの選んだ好きな人、ですか……?」
「ああ。俺が選んだ、俺の好きな人だ」
「おれも……」

 唇が震えてしかたがない。あふれ出る歓喜に流されて言葉が掴めない。

 それでも、それでもおれの口はその言葉を掴み取る。

「虎豪さんが、好きです」

 好きだという言葉はまるで洪水のように、他の感情を全部洗い流していく。肩に感じる虎豪さんの重みを、これからもずっと感じていられる。それは、ああ、それはとても幸せだ。

「遅くなって悪かった」

 きっと、虎豪さんはずっと考えていたのだろう。陽さんの燕尾に寄り掛かっている自分が、誰かを好きになっていいのかなんて。依存する対象を変えるだけなんじゃないかって。陽さんに支えてもらっていた自覚があるからこそ、それは虎豪さんを苛んでいた。

 でも、そうじゃない。自分で決めて、自分で選ぶ。それは依存なんかじゃ決してない。

 おれは虎豪さんを一目ぼれで選んでしまったけど、虎豪さんはじっくり時間をかけておれを選んでくれた。おっさんだなんて自虐するけど、だからこそおれのことを考えてくれていた。

 それを受け入れて、告白を。虎豪さんからおれに、おれから虎豪さんに。

 そこで、虎豪さんは顔を上げ、獅子を見据えた。明確な答えを提示されたことで、彼の顔からは表情が抜け落ちている。

「それが君の答えなんだね?」

 虎豪さんはここでおれを離し、背筋を伸ばす。しっかりと受け止める大人の顔で、その人へと向かい合う。

「ああ。俺は店を続けるし、辰瀬の傍を離れない。でも、俺が陽に迷惑をかけ続けていたのは事実だ。この燕尾はあげてもいいし、お前の気の済むまで殴るといい」

 この人は自分が悪いと思ったら謝れる人だから、それで痛い目を見ても受け入れられる。あの決意に満ちた虎豪さんなら、たとえ何度殴られようとも折れることはないだろう。

 そう言って虎豪さんが体を差し出したところで、間ができる。間隙を縫うように訪れた沈黙を切り裂いたのは、牙縞さんのため息だった。

「はぁ。殴れるわけないよ」

 胸を張って自分を大きく見せていた獅子が急に肩を落とした。そのせいで猫背に戻り、ずいぶん委縮した印象を受ける。

「大体、別にお前は悪いことをしてたわけじゃない。それに、お前に迷惑をかけられることなんて、陽は何とも思ってないに決まってる。あいつはいつも、兄さんはしょうがないな、なんて言いながら世話を焼くんだから。辰瀬君みたいにね。僕はただ、お前が何も成長していないからむかついてただけで、陽のためだなんて大義名分をかざすつもりはこれっぽっちもないよ」

 まあ、とその人は言葉を続ける。橙色の毛が目にかかり、気弱な彼が帰ってきた。

「お前がそれを決めたのなら、僕はもう何も言わない。しっかりと立ち続けているかぎり」

 虎豪さんの殻が破られたことを察したのか、牙縞さんはしかたないと言わんばかりではあったが認めてくれた。前の晩さん会で弱気になっていた虎豪さんはそこにはいない。それは確かな、成長の兆しだ。

「僕も大人気ないことをした自覚はある。それに、辰瀬君が危ないなんて思いこんでたところがあるのは否定しない」
「あ、いえ、おれはそんなに気にしてないですから。そんなに気にやまないでください」
「ああ……いい人だなあ。こんなにいい人なのに、虎豪に取られちゃうんだもんなあ。人生は理不尽だ」
「うっせえな」
「虎豪が嫌になったらいつでも言ってね。兄さんは意外と独占欲が強いって、陽も言ってたし」
「うっせえな!」

 思いっきり虎豪さんが吠えるが、そこに害意は全く見られない。問題が収束していくことを感じて、おれに安堵が戻る。

 感謝の意味を込めてぺこりと頭を下げると、その人も笑みで応えてくれる。きっとこの人も陽さんの死を乗り越えている途中なのだろう。でも、虎豪さんより自覚が早かった分、先にいる人だ。なんだかそんな気がする。

 牙縞さんの笑顔はどこか儚かったけど、喜色をたくさんちりばめたおかげで華やかなものとなっていた。この人が持つ本来の柔らかさが、丸っこい体型ととてもよく似合っていた。

「まあ、どうせ虎豪はまた何かやらかすだろうし。辰瀬君は頑張ってね」

 どうやらまだ虎豪さんとは打ち解けていない様子で、牙縞さんはぞんざいに突き放す。

 元より虎豪さんも我慢強い方ではないから、額に青筋が浮かぶのも時間の問題だった。

「おい、なんだその態度は。てめえ、下手にでてりゃ調子に乗りやがって」

 威嚇するように牙を剥き、尻尾をゆらりとくねらせる。これは完全に怒っていますね。

 だけど、牙縞さんは鼻息を鳴らして受け流すだけ。意外に肝が据わっているのかこの人。

「言っておくけど、僕はまだ君を認めたわけじゃない。また喫茶店の評判を落したり辰瀬君を泣かせたら、容赦しないからね」

 シャーと威嚇し合う猫科たち。これはなかなか壮絶な光景だ。少なくとも、おれに割って入る勇気はない。

「はい、そんなカリカリしない。怒りっぽいのはお腹が減ってるからだと思うんだよね」

 ドアベルを鳴らしながら入ってきた狗守さんはニコニコしながらそう言った。

 別に二人ともお腹が減ってたから威嚇してたわけじゃないと思うけど、涼やかな音に二人の虎も狗守さんの登場に気付いたようだ。

「うんうん、仲直りできたようでよかったよ。それじゃあ記念に夕食でも囲もうか。出前とかとろうかい?」

 あのいがみ合いのどこをどう見たら仲直りになったのかわからないけど、狗守さんにはそう見えたようだ。まあ、この人意外と天然だし。

 不承不承ながら虎豪さんもそれに同意して、ようやくこの場の空気がほんのちょっとだけ丸くなった。

「まあ、腹も減ったし、確かにちょうどいい頃合いだな。ここは一旦停戦だ。お前とは、まだ話すことがたくさんありそうだな」

「はあ? 僕がお前と話すことなんて全くもうないんだけど?」

 曲がったことが許せない虎豪さんと意地を張りたい牙縞さんの話し合いなんて、絶対に平行線をたどる未来しか見えない。放っておいたらそのうち取っ組み合いになったりしそうなので、誰か止めてほしい。

 唯一可能性を持っている狗守さんは心底嬉しそうな顔でスマホを取り出してどの店にしようか悩むのに夢中だ。確かにお腹は減っていますが、あの二人のいがみ合いを止める方向で動いていただきたい。

「うんうん、仲が良くて何より。やっぱり仲良きことは美しきかな、だね辰瀬君」

 そこでおれに話を振らないでほしいですし、全然仲良しに見えないです。このままだと喧嘩してても仲がいいとか言いそうだなこの人。喧嘩するほど仲がいいとは言ったが、できればやめていただきたい。

 もうしょうがないと虎豪さんが打診して、それで四人の夕食会をしようという話になった時、またもドアベルが鳴り響く。駆け込むように入ってきた黄色い猫科を視界に入れて、おれはすぐ自分の失態に思い至った。

「辰瀬ー、おれの飯がないぞ! お、やっぱり虎豪のところにいたな。ん、なんだこれ、また晩飯会か? おれもいれてくれよ」

 そういえば君の晩御飯を作るの忘れてた。

 やかましいことにかけては右に出るものがいない猫柳が、ここにいるメンツを見て少し疑問を提示した。でも、すぐさま晩御飯の方が大事だと切り替えして、おれに向き直っていろんな事を後回しにする。これまでの話をすべて無視する振る舞いに、お前はその食欲最優先の性格を何とかしろと言いたい。

 なんだかここまできて、出前というのもどうなんだろう。二人の仲直りを願う意味でも、新しく作った方がいい気がしてきた。

 この時間に開いてるスーパーはどこだったかな。何にせよ、まずは買い物をしないと。

 猫柳はまだかまだかと待っているが、おれを急かすことはない。どうやらおれが悩んでいるのを見て、メニューが増えると期待しているらしい。無駄に勘のいい奴だ。

 ほか二人は声こそ荒げていないけど、ぎろりとした眼光で主張を突きつけ合っている。折れない二人だから、和解には当分時間がかかりそうだ。狗守さんはなぜあの二人を見てあんなに微笑ましい顔ができるんだ。

 牙縞さんがどのくらい食べるのか知らないけど、大食いが最低二人もいるんだ。出前だけで足りるわけがない。そうなると、結構大量の買い物になるな。

 だから、おれは手を上げてこう言うしかない。

「今から買い物行きますけど、手伝ってくれる人!」

 おれにはない毛皮で覆われた四本の手が、同時に上がった。
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