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第二章:南北に見た景色
三話
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検分は陽暮れまで掛かった。
公室親衛隊が慌ただしく動く様子を、ジャックスは黙って見ていた。集いの後、気になって足を運んだだけで、そもそも管轄外だ。
黒く煤のこびり付いた独房には、原型を留めない何かの破片が、辺りに散らばっている。格子は内側から曲がり、強い衝撃を受けたことが見て取れる。しばらく前には遺体があったが、既に運ばれた後のようだった。
捕虜が自決した。
事実のみ聞けばそれだけだが、その光景は悲惨だった。
昨日の早朝、南ガラハン軍が捕らえられ、投獄された。その数五人。内二人が尋問を受ける前に、隠し持ったナイフで自ら、喉を掻き斬って死んだ。武器を取り上げたが、昨晩になってさらに一人、液状爆薬を用いて爆死した。そして、頑なに口を割らなかったもう一人が、見張り兵を巻き込んでこの有様だ。
残りは、治療中の少年兵ただ一人。
もともと、国境際の孤児施設への暴動で、多くが生命を堕とした。駆け付けた際に、ほとんどが即死状態だった。息があった彼らも重傷であり、手負いだからこそ甘く考えていたのだ。躊躇なく死を選ぶとは、誰が予期できただろう。──恐ろしい結末だ。
「悪魔のような連中だな」
新兵のアッシュが声を掛けた。
「これで生存しているのは、ガキだけだ。お前……」
「なんだよ」
「引き渡せ、と言われたんだろう?」
ジャックスは顔をしかめた。
当初の約束では、好きにしていいはずだった。何も知らされていない少年兵は、捕虜対象から外されていたからだ。見殺しにする予定のところ、ジャックスが引き取ったのだ。
しかし状況が変わった。
「いずれは、な」
「あまり大事にするなよ。……それと、ほら」
アッシュは人目を気にしながら、両手に収まるほどの包を渡した。
「周りの忠告には、耳を傾けるものだぞ。フュレだって、お前を心配してるんだ」
「……分かってる」
荷を受け取り、ジャックスは背を向けた。これ以上、話そうとすることはなかった。
私室に戻ると、部屋を後にした侍女とちょうど出くわした。
ジャックスの姿を見留めた侍女は、驚いて立ちすくむ。しかしすぐに半歩下がり、深く頭を垂れた。
「何しに来た」
「意識を戻されたようで……傷の具合を看て、包帯を取り替えさせていただきました」
彼女の手には、医療具が抱えられている。
「それと、お食事とお召し物を……」
「必要ねえって言ったろ」
「はい、申し訳ございません。ですが、傷口は時間が経つと……」
「医者には診せる、勝手な真似すんな。下がれ」
自然と態度は冷たくなり、ジャックスは吐き捨てた。
「出過ぎたことをいたしました。申し訳ございません」
萎縮する侍女を背に、室内へ入る。
窓が開いていたからか、そこら一帯が肌寒い。照明は消えたまま時間が経ち、すっかり薄暗さに包まれていた。
ベッドは空だ。患者を捜すと、部屋の隅に、毛布の塊のようになっていた。
歩み寄るジャックスに、ジュノーは警戒の眼を向ける。敵陣に捕らわれた身だが、瞳の強い光は失われていない。
「来るな」
「立場、分かってねえよな。捕虜だぜ、お前」
フュレと同じことを口にする自身に、ジャックスは気付いた。
「いつまで……」
「さあな。裁判にかけられるか、南との交渉の条件にされるか。運がよけりゃあ、傷が治れば解放されるかもな。お前一人をきっかけに、戦争が始まる可能性もある」
目線をそろえるために、傍にしゃがみ込む。少し誇張して言ったが、相手を試そうとしたのだ。
ジュノーは反応を見せず、しばらくの沈黙が間を流れる。──やがて、わずかに彼の肩から力が抜けた。
「まずは、着替えろ。女が運んできたろう」
ジャックスは毛布を掴み、剥がそうとした。その拍子に見えた素足に、驚きの色を浮かべる。
「脱いだのか?」
「放せよ」
ベッドの脇には、下衣が畳んで置かれてある。
「用意してもらって悪いが、あの衣服は無理だ」
「は? 合う物、持ってこさせたんだぜ」
「でも無理だ、俺には」
「分かんねえ奴だな。抵抗のつもりなら、今すぐ毛布、引っ剥がすぞ」
「……白いから」
毛布の端を握り締め、ジュノーは答えた。
「白いから、無理だ。俺は黒でないと、身に着けてはいけない」
ジャックスは眉をひそめた。言葉の意味は理解できるが、根底にあるものまでは知らない。
「それはお前が、黒猫だからか?」
「黒猫?」
ジュノーは問い返す。
二人の視線がまっすぐにぶつかり、言葉のない時間が過ぎる。
先に逸らしたのはジュノーだった。
ジャックスはなぜか苛立ち、ジュノーの短い黒髪を引っ張り、強引に顔を向かせた。
「お前みたいな奴、見たことあるぜ。奴隷市場で、だ。安い金で、どこぞの富豪に買われてた」
「う……ッ」
「道端で、くたばってたのもいたな。お前はどっちだろうな、なあ?」
ジュノーは、拳でジャックスの胸を叩いた。放たれた言葉の意味が、今になって分かる。──同時に、脳裏に影たちの顔が浮かんで消えた。
「俺は……生きて帰る。そうしなければいけないんだ……」
苦しげに吐いた返答に、ジャックスの表情が和らいだ。手を緩め、ジュノーを解放する。
所詮、彼らの住んだ国は違う。
徐々に闇が濃くなる室内で、侍女の準備した食卓が、かろうじてまだ温かかった。
公室親衛隊が慌ただしく動く様子を、ジャックスは黙って見ていた。集いの後、気になって足を運んだだけで、そもそも管轄外だ。
黒く煤のこびり付いた独房には、原型を留めない何かの破片が、辺りに散らばっている。格子は内側から曲がり、強い衝撃を受けたことが見て取れる。しばらく前には遺体があったが、既に運ばれた後のようだった。
捕虜が自決した。
事実のみ聞けばそれだけだが、その光景は悲惨だった。
昨日の早朝、南ガラハン軍が捕らえられ、投獄された。その数五人。内二人が尋問を受ける前に、隠し持ったナイフで自ら、喉を掻き斬って死んだ。武器を取り上げたが、昨晩になってさらに一人、液状爆薬を用いて爆死した。そして、頑なに口を割らなかったもう一人が、見張り兵を巻き込んでこの有様だ。
残りは、治療中の少年兵ただ一人。
もともと、国境際の孤児施設への暴動で、多くが生命を堕とした。駆け付けた際に、ほとんどが即死状態だった。息があった彼らも重傷であり、手負いだからこそ甘く考えていたのだ。躊躇なく死を選ぶとは、誰が予期できただろう。──恐ろしい結末だ。
「悪魔のような連中だな」
新兵のアッシュが声を掛けた。
「これで生存しているのは、ガキだけだ。お前……」
「なんだよ」
「引き渡せ、と言われたんだろう?」
ジャックスは顔をしかめた。
当初の約束では、好きにしていいはずだった。何も知らされていない少年兵は、捕虜対象から外されていたからだ。見殺しにする予定のところ、ジャックスが引き取ったのだ。
しかし状況が変わった。
「いずれは、な」
「あまり大事にするなよ。……それと、ほら」
アッシュは人目を気にしながら、両手に収まるほどの包を渡した。
「周りの忠告には、耳を傾けるものだぞ。フュレだって、お前を心配してるんだ」
「……分かってる」
荷を受け取り、ジャックスは背を向けた。これ以上、話そうとすることはなかった。
私室に戻ると、部屋を後にした侍女とちょうど出くわした。
ジャックスの姿を見留めた侍女は、驚いて立ちすくむ。しかしすぐに半歩下がり、深く頭を垂れた。
「何しに来た」
「意識を戻されたようで……傷の具合を看て、包帯を取り替えさせていただきました」
彼女の手には、医療具が抱えられている。
「それと、お食事とお召し物を……」
「必要ねえって言ったろ」
「はい、申し訳ございません。ですが、傷口は時間が経つと……」
「医者には診せる、勝手な真似すんな。下がれ」
自然と態度は冷たくなり、ジャックスは吐き捨てた。
「出過ぎたことをいたしました。申し訳ございません」
萎縮する侍女を背に、室内へ入る。
窓が開いていたからか、そこら一帯が肌寒い。照明は消えたまま時間が経ち、すっかり薄暗さに包まれていた。
ベッドは空だ。患者を捜すと、部屋の隅に、毛布の塊のようになっていた。
歩み寄るジャックスに、ジュノーは警戒の眼を向ける。敵陣に捕らわれた身だが、瞳の強い光は失われていない。
「来るな」
「立場、分かってねえよな。捕虜だぜ、お前」
フュレと同じことを口にする自身に、ジャックスは気付いた。
「いつまで……」
「さあな。裁判にかけられるか、南との交渉の条件にされるか。運がよけりゃあ、傷が治れば解放されるかもな。お前一人をきっかけに、戦争が始まる可能性もある」
目線をそろえるために、傍にしゃがみ込む。少し誇張して言ったが、相手を試そうとしたのだ。
ジュノーは反応を見せず、しばらくの沈黙が間を流れる。──やがて、わずかに彼の肩から力が抜けた。
「まずは、着替えろ。女が運んできたろう」
ジャックスは毛布を掴み、剥がそうとした。その拍子に見えた素足に、驚きの色を浮かべる。
「脱いだのか?」
「放せよ」
ベッドの脇には、下衣が畳んで置かれてある。
「用意してもらって悪いが、あの衣服は無理だ」
「は? 合う物、持ってこさせたんだぜ」
「でも無理だ、俺には」
「分かんねえ奴だな。抵抗のつもりなら、今すぐ毛布、引っ剥がすぞ」
「……白いから」
毛布の端を握り締め、ジュノーは答えた。
「白いから、無理だ。俺は黒でないと、身に着けてはいけない」
ジャックスは眉をひそめた。言葉の意味は理解できるが、根底にあるものまでは知らない。
「それはお前が、黒猫だからか?」
「黒猫?」
ジュノーは問い返す。
二人の視線がまっすぐにぶつかり、言葉のない時間が過ぎる。
先に逸らしたのはジュノーだった。
ジャックスはなぜか苛立ち、ジュノーの短い黒髪を引っ張り、強引に顔を向かせた。
「お前みたいな奴、見たことあるぜ。奴隷市場で、だ。安い金で、どこぞの富豪に買われてた」
「う……ッ」
「道端で、くたばってたのもいたな。お前はどっちだろうな、なあ?」
ジュノーは、拳でジャックスの胸を叩いた。放たれた言葉の意味が、今になって分かる。──同時に、脳裏に影たちの顔が浮かんで消えた。
「俺は……生きて帰る。そうしなければいけないんだ……」
苦しげに吐いた返答に、ジャックスの表情が和らいだ。手を緩め、ジュノーを解放する。
所詮、彼らの住んだ国は違う。
徐々に闇が濃くなる室内で、侍女の準備した食卓が、かろうじてまだ温かかった。
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