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第三章:死に損ない
四話
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北ガラハン公国の統治者──オルウォ妃。
議事堂に連れて行かれると、すぐにその姿が目に入った。本人ではなく、壁一面に飾られた大きな人物画だ。しかしそれが人工物であっても、迫力は圧巻であった。
足を止めたジュノーを、衛兵は乱暴に突き飛ばす。
後ろ手に枷を噛まされており、前によろめいた。思わず心の中で、悪態を吐く。しかし、扱いとしては妥当である。
独房にでも移送されるのかと考えたが、そうではなかった。
委員室で待っていた人物は、三十代半ばほどの女と、それよりも若い軍服の男。
「ご苦労。抵抗されなかったか?」
「いえ、手を焼くほどは……。失礼します」
「いやいや、ここにいろ。それで見てろ。お前には後で、確認したいことがある」
長髪の男は椅子から立ち上がり、困惑する衛兵を余所に、ジュノーをじろじろと観察した。
「やけに主張するような、重々しい仮面だな。あいつが用意したのか?」
「捕虜自身の……私物だと聞いています」
「だが、身なりは違うな。まさかあつらえたのか」
仮面が引き剥がされる。
男は分かってはいたようだが、わずかに目を見開いた。
「……それで、黒猫ときたもんだ」
幾度も耳にする、その言葉。気分はよくないものだ。
室内にはいくつものテーブルが並び、等間隔に椅子が設置されている。十数名ほど入ることができる、落ち着いた空間だ。
女は一つのテーブルに着き、書類にペンで書き込んでいた。記録を取っているのだろうか。
「参謀。こいつは、人質にもならないでしょ。置いておく理由も、ないんじゃないですかね」
「それは、上が決めることよ」
初めて口を開いた。参謀と呼ばれた彼女は、ちらりともこちらを見ない。
「……にしてもなあ。情報はある程度、あいつらに吐き出させたし。こんな子どもが、内部機密を知らされてるとも、到底思えねえし」
独り言のように呟き、男は眉間にしわを寄せた。
あいつら──というのは、警備隊や影のことだろう。同じく連れてこられていたのだ。ジュノーの肩の力が、少しだけ緩む。──しかしそれは、束の間のことだった。
「まあ、いるだけマシか。唯一の生き残りだもんな」
男の言葉に、瞳孔が揺れた。
「……殺したのか?」
問い掛けられ、男は組んでいた腕を解き、視線を合わせた。
「ばか言え。自決したんだよ、それ用に隠し持ってた、爆薬を使ってな」
「全員……? 警備隊の他に、俺と同じ奴らもいたはずだ」
「知るか、そんなこと。こっちも聞いただけでね。それはそれは、悲惨な現場だったらしいが」
「収容施設では、爆撃を受けたんだ。北の攻撃じゃないのか? ならなぜ、俺たちを連れてきた」
男は軍人だ。国境際の爆破事故について、知っているだろう。
あの日起きたことだけなら、南ガラハンの国内で済んでいたはずだ。北は関係ない。しかし奇襲を掛けられ、捕らえられた。事実であれば、仕掛けたのは彼らの方だ。検分が終われば、国に帰される。警備隊が少しばかり責任を感じたとしても、自死を選ぶ必要などない。
しかし、自ら生命を絶った。
なぜ?
「……かわいそうな奴だな、お前。教えてやろうか」
「少尉」
女が立ち上がり、諫めようとする。
それを片手で制し、男はため息をこぼした。
「あそこは、収容所なんてものじゃねえよ。ただの孤児院だ。かつては、教会だったらしいがな」
「……孤児院」
「運営は、元教会の人間がやってる」
目にした光景を思い返す。
廃れた建物。教会の名残のある内装。幼い子ども。それを寝かしつける、シスターたち。
──無意識に喉が鳴り、速まる鼓動を内に感じながら、ジュノーは次の質問を投げた。
「あの爆撃は……?」
「影、って呼んでたのか。いただろ。お前と、もう二人」
「少尉。それ以上は、約束とは違うわ」
「……まだ若いから、背負うのは酷だって? なら、犠牲になった孤児も同じだ。もっと幼い。それに、見りゃ分かりますよ、こいつだってばかじゃない。どうしたってもう、独りになっちまった。全部知ってから、どうするか決めればいいでしょ」
男の放った言葉は、女やジュノーに向けたというより、自身に言い聞かせているようだった。
「影の子どもが一人、爆破物を持たされてた。中で起動しろ、とでも言われてたんだろうな」
なぜだか分かるか、と彼は続けた。
その声が、ずっと遠くで聞こえた気がした。ジュノーは全てを理解した。
施設の摘発という名目で、孤児院を襲撃する。そこで大きな事件を起こし、後始末は国内で済ませる。表では、任務の最中に北からの襲撃を受けた、と報告できる。
影を利用したのは、たやすく侵入ができ、生命を堕としても無問題であるからだ。
誤算は二点。思いの外、爆破の威力が膨大で、手に負えなかったこと。引き揚げ部隊が派遣される前に、北ガラハン軍が到着したこと。
警備隊は知っていた。だから傷を負い、敵軍に救出された時点で、全てを消し去るしかなかった。自決の手を用意していたことも、合点がいく。
こうまでして、北を追い詰めたかったのだ。
そして失敗した。
「南軍からすれば、理由を付けて優位に、宣戦に進みたかったんだろうな」
現実に引き戻される。
気が付くと、女は再び、この場の記録に専念していた。
先ほどとは打って変わり、ジュノーの脳はひどく冷静だ。すると次に考えるのは、今後のことだった。
「戦争が起きるのか」
「いや、それはない」
男が迷いなく答える。
「そんな余裕はない。連中の件がなければ……」
ちらりと後方をうかがうと、女が冷ややかな視線でたしなめる。
「まあ、これ以上は……な。公妃はお前らが思うより、先を見据えて決断するお方だし、恐ろしいほど頭が切れる。今回の件は、小さな衝突だ」
ジュノーの顔に仮面を掛け、肩を軽く叩いた。
「取り敢えず、数日は大人しくしてな。言えることは、それだけだ。……アッシュ」
「はい、少尉」
「部屋を用意して、独りにしてやれ。地下牢でもいい」
「は……?」
「捕虜として扱ってやれ。ジャックスは異常だ」
衛兵は返答を探し、しかし、と口走った。
男は両眉を上げる。
「いいから、さっさと連れていけ。言い訳は後から、なんとでも作れる。お前が勝手に持ち出した物の件、問い詰めてもいいんだぞ。懲罰房行きは、お前かもな」
議事堂に連れて行かれると、すぐにその姿が目に入った。本人ではなく、壁一面に飾られた大きな人物画だ。しかしそれが人工物であっても、迫力は圧巻であった。
足を止めたジュノーを、衛兵は乱暴に突き飛ばす。
後ろ手に枷を噛まされており、前によろめいた。思わず心の中で、悪態を吐く。しかし、扱いとしては妥当である。
独房にでも移送されるのかと考えたが、そうではなかった。
委員室で待っていた人物は、三十代半ばほどの女と、それよりも若い軍服の男。
「ご苦労。抵抗されなかったか?」
「いえ、手を焼くほどは……。失礼します」
「いやいや、ここにいろ。それで見てろ。お前には後で、確認したいことがある」
長髪の男は椅子から立ち上がり、困惑する衛兵を余所に、ジュノーをじろじろと観察した。
「やけに主張するような、重々しい仮面だな。あいつが用意したのか?」
「捕虜自身の……私物だと聞いています」
「だが、身なりは違うな。まさかあつらえたのか」
仮面が引き剥がされる。
男は分かってはいたようだが、わずかに目を見開いた。
「……それで、黒猫ときたもんだ」
幾度も耳にする、その言葉。気分はよくないものだ。
室内にはいくつものテーブルが並び、等間隔に椅子が設置されている。十数名ほど入ることができる、落ち着いた空間だ。
女は一つのテーブルに着き、書類にペンで書き込んでいた。記録を取っているのだろうか。
「参謀。こいつは、人質にもならないでしょ。置いておく理由も、ないんじゃないですかね」
「それは、上が決めることよ」
初めて口を開いた。参謀と呼ばれた彼女は、ちらりともこちらを見ない。
「……にしてもなあ。情報はある程度、あいつらに吐き出させたし。こんな子どもが、内部機密を知らされてるとも、到底思えねえし」
独り言のように呟き、男は眉間にしわを寄せた。
あいつら──というのは、警備隊や影のことだろう。同じく連れてこられていたのだ。ジュノーの肩の力が、少しだけ緩む。──しかしそれは、束の間のことだった。
「まあ、いるだけマシか。唯一の生き残りだもんな」
男の言葉に、瞳孔が揺れた。
「……殺したのか?」
問い掛けられ、男は組んでいた腕を解き、視線を合わせた。
「ばか言え。自決したんだよ、それ用に隠し持ってた、爆薬を使ってな」
「全員……? 警備隊の他に、俺と同じ奴らもいたはずだ」
「知るか、そんなこと。こっちも聞いただけでね。それはそれは、悲惨な現場だったらしいが」
「収容施設では、爆撃を受けたんだ。北の攻撃じゃないのか? ならなぜ、俺たちを連れてきた」
男は軍人だ。国境際の爆破事故について、知っているだろう。
あの日起きたことだけなら、南ガラハンの国内で済んでいたはずだ。北は関係ない。しかし奇襲を掛けられ、捕らえられた。事実であれば、仕掛けたのは彼らの方だ。検分が終われば、国に帰される。警備隊が少しばかり責任を感じたとしても、自死を選ぶ必要などない。
しかし、自ら生命を絶った。
なぜ?
「……かわいそうな奴だな、お前。教えてやろうか」
「少尉」
女が立ち上がり、諫めようとする。
それを片手で制し、男はため息をこぼした。
「あそこは、収容所なんてものじゃねえよ。ただの孤児院だ。かつては、教会だったらしいがな」
「……孤児院」
「運営は、元教会の人間がやってる」
目にした光景を思い返す。
廃れた建物。教会の名残のある内装。幼い子ども。それを寝かしつける、シスターたち。
──無意識に喉が鳴り、速まる鼓動を内に感じながら、ジュノーは次の質問を投げた。
「あの爆撃は……?」
「影、って呼んでたのか。いただろ。お前と、もう二人」
「少尉。それ以上は、約束とは違うわ」
「……まだ若いから、背負うのは酷だって? なら、犠牲になった孤児も同じだ。もっと幼い。それに、見りゃ分かりますよ、こいつだってばかじゃない。どうしたってもう、独りになっちまった。全部知ってから、どうするか決めればいいでしょ」
男の放った言葉は、女やジュノーに向けたというより、自身に言い聞かせているようだった。
「影の子どもが一人、爆破物を持たされてた。中で起動しろ、とでも言われてたんだろうな」
なぜだか分かるか、と彼は続けた。
その声が、ずっと遠くで聞こえた気がした。ジュノーは全てを理解した。
施設の摘発という名目で、孤児院を襲撃する。そこで大きな事件を起こし、後始末は国内で済ませる。表では、任務の最中に北からの襲撃を受けた、と報告できる。
影を利用したのは、たやすく侵入ができ、生命を堕としても無問題であるからだ。
誤算は二点。思いの外、爆破の威力が膨大で、手に負えなかったこと。引き揚げ部隊が派遣される前に、北ガラハン軍が到着したこと。
警備隊は知っていた。だから傷を負い、敵軍に救出された時点で、全てを消し去るしかなかった。自決の手を用意していたことも、合点がいく。
こうまでして、北を追い詰めたかったのだ。
そして失敗した。
「南軍からすれば、理由を付けて優位に、宣戦に進みたかったんだろうな」
現実に引き戻される。
気が付くと、女は再び、この場の記録に専念していた。
先ほどとは打って変わり、ジュノーの脳はひどく冷静だ。すると次に考えるのは、今後のことだった。
「戦争が起きるのか」
「いや、それはない」
男が迷いなく答える。
「そんな余裕はない。連中の件がなければ……」
ちらりと後方をうかがうと、女が冷ややかな視線でたしなめる。
「まあ、これ以上は……な。公妃はお前らが思うより、先を見据えて決断するお方だし、恐ろしいほど頭が切れる。今回の件は、小さな衝突だ」
ジュノーの顔に仮面を掛け、肩を軽く叩いた。
「取り敢えず、数日は大人しくしてな。言えることは、それだけだ。……アッシュ」
「はい、少尉」
「部屋を用意して、独りにしてやれ。地下牢でもいい」
「は……?」
「捕虜として扱ってやれ。ジャックスは異常だ」
衛兵は返答を探し、しかし、と口走った。
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