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第三章:死に損ない
五話
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すっかり陽が堕ちた。
食事の済んだ満足感からか、宿舎内は騒々しい。
馴れ合いに嫌気が差し、ジャックスは外に出た。冷たい風に当たりたい気分と、煙草を咥えたい気分だ。前日の雨の所為で、火を点けるまでに時間が掛かったが、やはり煙は美味かった。
手入れを怠った庭に、夜風が吹き込んできた。葉や枝を揺らす音が、背後に近付く足音を掻き消す。しかし、気配まではなくせない。
「珍しいな、ジャックス。今夜もこっちなのか」
「ああ、しばらくな」
返事をしてから、細く長く白煙を吐き出す。
一つ歳が上のグレハンは、頬骨辺りに黒子のある、背の高い少年だ。ジュノーの属する特務工を春に卒隊し、公国軍に進んだ。今は兵卒だが、それまでは彼も分隊長だった。卒隊生は一年間、輪番で宿舎に配属され、後輩の指導に当たっている。
厄介な相手だと、ジャックスは表には出さず毒突く。こうして話し掛けてくるとは、何かを探っているのだろう。
「南の捕虜を匿って、灸を据えられたって?」
噂の巡りは速い。
「……誰から聞いたんだ」
「別に。話のネタなんて、そこらに転がっているさ。ああでも、笑っていたな。物好きもいるもんだ、って」
どうやら、拾った捕虜が黒猫であることまで、出回っているようだ。
グレハンは隣に立ち、胸ポケットから煙草を取り出した。そこまで備えていなかったのか、火種をジャックスに要求する。
呆れたような目を向け、ジャックスはライターを渡した。
「まあ、いいタイミングだったじゃないか。明後日には引き渡しだ」
「うまくいけば、な」
「心配だったんだろう、ここ数日。監視を離れたそいつが、他の奴らと同じ道を辿るんじゃないかと」
「あんたの兄貴が、余計な節介焼かなけりゃあ……」
──ローガス少尉のことだ。
自身が責められているようで、グレハンは苦笑した。
しかしジャックスにとって、嫌味は本心ではなかった。心配などしていない。影という存在について、あれから調べたからだ。
影──南ガラハン公国の、宮殿付の隠密。若い少年たちで構成される。名の通り、秘密裏に任務を遂行し、普段は存在さえ隠されている。最近になって、広く活動するようになった理由は、使い勝手がいいからだろう。どこにでも配置でき、いつでも捨てられる、便利な駒。
ジュノーが生に執着するのは、彼が生命を堕とせば、率いる小隊が粛清を受けるため。
縛られた環境下でも、彼らは縋り付いて生きている。哀れで、塵ほどにも軽い運命だ。
「心ここに在らず、だな。……気掛かりは、他にもあるのか」
煙草の先が折れ、欠けた灰が落ちた。
その様子を見留め、グレハンは追及した。
ジャックスの瞳が、すっと陰を堕とす。
「何を疑ってる?」
「まさか。ただお前みたいなのは、目立つから。気を引くんだろうな」
「放っておけよ、そんな暇じゃねえだろ」
ふっと鼻を鳴らし、風に散らされる灰を眺めた。
軍が北方猟兵を相手に、手をこまねいている件は、既に耳に入っている。突かれると痛い現実だ。相手が返答に詰まることを知って、敢えて話を持ち出す。
考えた通り、グレハンは黙り込んだ。
「駐屯地、闇討ちに遭ったって?」
立場がひっくり返ると、ジャックスは好機とばかりに、鋭く責める。
「人的被害がゼロだったのは、幸運だったな。ただ……武器を半分持っていかれたのは、大きな痛手だぞ」
「なぜお前が、それを知っているんだ」
「あんたの言葉だろ。話のネタは、どこにでも転がってら」
「……半分じゃない。四割だ。連中とは限らない。それにあれは、使いこなすまでが難しい。盗ったとしても、手に余っているだろう」
「兄貴がそう言ったのか。だから心配無用だ、と?」
──図星だった。今回の件は上官の失態で、大事にしないために、そのように説明したのだと思う。それは、兵卒であるグレハンにも分かった。上の立場の人間ほど、隠そうと躍起になる。
起こしたのがノーディスの一員で、彼らの手に軍用兵器が渡ったのならば、今後の対応も変わってくるだろう。
「ジャックス」
短くなった煙草を捨て、靴底で火を消したジャックスに、グレハンは言葉をぶつけた。
「何をしようとしている?」
「どういう意味だよ」
ジャックスは振り返らず、とぼけてみせた。カマを掛ける相手に乗ってやる気はないが、下手な探りの入れ方に、無意識に口元が緩む。
「特務工、青年師団、養成兵。……本当のお前は、どれなんだ」
「どれもオレさ。三つ目は、対象になっただけだけどな」
「公妃にも、近付いているそうじゃないか」
「なんだ、妬みか? 退屈凌ぎの話し相手に、ただ呼ばれてるだけだ。望みなら、喜んで代わってやらあ」
けらけらと笑った。
いつの間にか宿舎に、静けさが戻りつつあった。そろそろ消灯。少年たちは、慌てて寝床を整えているはずだ。
「本気なんだぞ、ジャックス。甘く考えていると、今に痛い目に遭う。お前が思うよりずっと、あのお方は疑り深いから」
「……信用なんて、はなからゼロだよ」
聞こえるか聞こえないかの声色で、ジャックスは呟いた。
会話はそこで終わりだった。
話す気も聞く気も、もうない。今夜の一服は、ストレスを減らす術には、なってはくれなかった。
明日からはまた、忙しない日々が帰ってくる。
そう考えると、ジャックスの心の内は、暗く陰を堕としていくのだった。
食事の済んだ満足感からか、宿舎内は騒々しい。
馴れ合いに嫌気が差し、ジャックスは外に出た。冷たい風に当たりたい気分と、煙草を咥えたい気分だ。前日の雨の所為で、火を点けるまでに時間が掛かったが、やはり煙は美味かった。
手入れを怠った庭に、夜風が吹き込んできた。葉や枝を揺らす音が、背後に近付く足音を掻き消す。しかし、気配まではなくせない。
「珍しいな、ジャックス。今夜もこっちなのか」
「ああ、しばらくな」
返事をしてから、細く長く白煙を吐き出す。
一つ歳が上のグレハンは、頬骨辺りに黒子のある、背の高い少年だ。ジュノーの属する特務工を春に卒隊し、公国軍に進んだ。今は兵卒だが、それまでは彼も分隊長だった。卒隊生は一年間、輪番で宿舎に配属され、後輩の指導に当たっている。
厄介な相手だと、ジャックスは表には出さず毒突く。こうして話し掛けてくるとは、何かを探っているのだろう。
「南の捕虜を匿って、灸を据えられたって?」
噂の巡りは速い。
「……誰から聞いたんだ」
「別に。話のネタなんて、そこらに転がっているさ。ああでも、笑っていたな。物好きもいるもんだ、って」
どうやら、拾った捕虜が黒猫であることまで、出回っているようだ。
グレハンは隣に立ち、胸ポケットから煙草を取り出した。そこまで備えていなかったのか、火種をジャックスに要求する。
呆れたような目を向け、ジャックスはライターを渡した。
「まあ、いいタイミングだったじゃないか。明後日には引き渡しだ」
「うまくいけば、な」
「心配だったんだろう、ここ数日。監視を離れたそいつが、他の奴らと同じ道を辿るんじゃないかと」
「あんたの兄貴が、余計な節介焼かなけりゃあ……」
──ローガス少尉のことだ。
自身が責められているようで、グレハンは苦笑した。
しかしジャックスにとって、嫌味は本心ではなかった。心配などしていない。影という存在について、あれから調べたからだ。
影──南ガラハン公国の、宮殿付の隠密。若い少年たちで構成される。名の通り、秘密裏に任務を遂行し、普段は存在さえ隠されている。最近になって、広く活動するようになった理由は、使い勝手がいいからだろう。どこにでも配置でき、いつでも捨てられる、便利な駒。
ジュノーが生に執着するのは、彼が生命を堕とせば、率いる小隊が粛清を受けるため。
縛られた環境下でも、彼らは縋り付いて生きている。哀れで、塵ほどにも軽い運命だ。
「心ここに在らず、だな。……気掛かりは、他にもあるのか」
煙草の先が折れ、欠けた灰が落ちた。
その様子を見留め、グレハンは追及した。
ジャックスの瞳が、すっと陰を堕とす。
「何を疑ってる?」
「まさか。ただお前みたいなのは、目立つから。気を引くんだろうな」
「放っておけよ、そんな暇じゃねえだろ」
ふっと鼻を鳴らし、風に散らされる灰を眺めた。
軍が北方猟兵を相手に、手をこまねいている件は、既に耳に入っている。突かれると痛い現実だ。相手が返答に詰まることを知って、敢えて話を持ち出す。
考えた通り、グレハンは黙り込んだ。
「駐屯地、闇討ちに遭ったって?」
立場がひっくり返ると、ジャックスは好機とばかりに、鋭く責める。
「人的被害がゼロだったのは、幸運だったな。ただ……武器を半分持っていかれたのは、大きな痛手だぞ」
「なぜお前が、それを知っているんだ」
「あんたの言葉だろ。話のネタは、どこにでも転がってら」
「……半分じゃない。四割だ。連中とは限らない。それにあれは、使いこなすまでが難しい。盗ったとしても、手に余っているだろう」
「兄貴がそう言ったのか。だから心配無用だ、と?」
──図星だった。今回の件は上官の失態で、大事にしないために、そのように説明したのだと思う。それは、兵卒であるグレハンにも分かった。上の立場の人間ほど、隠そうと躍起になる。
起こしたのがノーディスの一員で、彼らの手に軍用兵器が渡ったのならば、今後の対応も変わってくるだろう。
「ジャックス」
短くなった煙草を捨て、靴底で火を消したジャックスに、グレハンは言葉をぶつけた。
「何をしようとしている?」
「どういう意味だよ」
ジャックスは振り返らず、とぼけてみせた。カマを掛ける相手に乗ってやる気はないが、下手な探りの入れ方に、無意識に口元が緩む。
「特務工、青年師団、養成兵。……本当のお前は、どれなんだ」
「どれもオレさ。三つ目は、対象になっただけだけどな」
「公妃にも、近付いているそうじゃないか」
「なんだ、妬みか? 退屈凌ぎの話し相手に、ただ呼ばれてるだけだ。望みなら、喜んで代わってやらあ」
けらけらと笑った。
いつの間にか宿舎に、静けさが戻りつつあった。そろそろ消灯。少年たちは、慌てて寝床を整えているはずだ。
「本気なんだぞ、ジャックス。甘く考えていると、今に痛い目に遭う。お前が思うよりずっと、あのお方は疑り深いから」
「……信用なんて、はなからゼロだよ」
聞こえるか聞こえないかの声色で、ジャックスは呟いた。
会話はそこで終わりだった。
話す気も聞く気も、もうない。今夜の一服は、ストレスを減らす術には、なってはくれなかった。
明日からはまた、忙しない日々が帰ってくる。
そう考えると、ジャックスの心の内は、暗く陰を堕としていくのだった。
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