邪神〜忘れられぬ君に〜

新川はじめ

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第二章

清流と玄清①

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 ――今から二十年前。


 グッ!!


 小さな肩。その中心にある細く短い首を絞める手に力が込められた。


「おか……さん……だい……すき」


 子どもは苦しそうに目を細めながら、弱々しく笑顔を見せた。

 ハッと我に返った母親は首から手を離し、膝をつき激しく咳き込む我が子を目の前に、震える手を握りしめて崩れ落ちた。


「ごめ……ごめんね……めんね……」


 地面に顔を伏せて、泣きながら何度も何度もその言葉を繰り返す。
 子どもは呼吸が落ち着くと黙って立ち上がり、泣き崩れる母親を目に焼きつけてポツリと呟いた。


「さよなら」


 勢いよく顔を上げた母親は大きく首を横に振ったが、子どもは悟ったように穏やかに微笑むと、母親に背を向けて真っ暗な森に向かって歩き始めた。

「ダ、ダメ……ダメ!! その森に入っちゃダメ!! 死なないで……お願い生きて……生きて……」


 子どもはほんの少し立ち止まったが、振り返らず再び足を前に出す。その歩みに一つの迷いも感じさせることなく、森の中へと消えていった――。



 ◇◇◇


 カン……

 静かな森の中に響く弦音。

 トンッ!! と放たれた矢が木に突き刺さった。


「なんだこいつ。動物かと思ったら子どもだ! ずいぶん痩せこけてやがる。どうした? 親に捨てられたか」

「変わった見た目だな。捨て子ならちょうどいい。こりゃ金になるぞ」

 憐れむどころか見下し鼻で笑う小太りな男。その隣で、練色ねりいろの髪の毛、透き通る灰色の瞳を、私欲まみれにうっとりと連れの男が覗き込んだ。

 森の中で身を潜めていた幼い清流せいりゅうは、狩りに来ていた中年の男二人組に捕らえられてしまい、大きな町へと連れていかれたのだった。



 その男たちは清流でどう金儲けをするのか揉め続けているのだが、縄に繋がれて彼らの少し後ろ歩く清流は、二人の会話にまったく興味がないようだった。
 痩せ細った手首に結ばれた固くガサガサとした縄に視線を落とし、落ち着いた様子で何かを深く考え込んでいる。

 二人の主張はなかなか決着がつかず、町の外れから中心部へやってきたところで口論が激しくなった。

 清流に繋がった縄を握る、背の低い小太りの男。彼が主張するのは『金持ちの物好きに売る』。

 反対に、背の高いひょろりとした男の主張は『見せ物にして金を稼ぐ』。

 食い違う意見に痺れを切らした気の短い小太りの男は、カッとなってふらふらと歩く清流に怒りをぶつけた。


「おい! しっかり歩け! っとに、おっせぇな!!」

 大声で怒鳴りつけ、握りしめる縄を容赦なく力一杯引っ張った。


 ――ズザッ!!

 思わず目をつむってしまうような、皮膚と地面が強く擦れる音。

 そよ風にさえ吹き飛ばされそうな小さく痩せ細った体は、案の定引っ張られた拍子に躓いて前のめりに倒れ込んだ。

 小さな子どもも五歳ほどになれば転んだくらいでは泣かない。しかし、知らない男たちに連れ去られ、ひどい扱いを受けているこの状況で我慢できる子は果たしているだろうか。
 恐怖に怯えながらなんとか涙をこらえていた子も、ついには泣き出してしまうだろう。


 だが、清流は違った。

 今まで声を上げて泣くことをキツく禁じられてきたのか、当たり前のように震える唇をキュッと結んで耐えている。

 そして、地面にうつ伏せに倒れたまま動かなくなってしまった……いや、動かないのではなく、痛みで動けないのだろう。

 彼の周りにはたくさんの大人がいるというのに、地面に倒れた小さな子どもを避けるように行き来するだけで、彼のそばに駆け寄って抱き起こそうとする者は残念ながら誰一人としていなかった。


『助けてあげたい』

 そう思ったとしても、誰だって見たからにガラの悪いこの男たちと関わりたくない。下手にしゃしゃり出て、いざこざに巻き込まれるのはごめんだ。
 ましてや、助けたところでそのあと清流をどうするのかという問題も出てくる。

 いくらかわいそうで助けてあげたくても、『助けられない』というのが現実であり、結局のところ見て見ぬふりをする以外できることは何もないのだ。


 …………違う。

 できることがあった。勇気も正義感も関係ない。誰にでも簡単にできること。そう――


「きったない子どもだな」


 人を罵ることだ。

 人というのは、悪事であっても大勢で行えば罪の意識が低くなるのだろうか。誰か一人の暴言を皮切りにコソコソと次から次へと溢れ出てくる雑言。重なる誹謗。

「邪魔だな、どけよ!! まっ、こいつなら別に踏んでもいいか」
「見て、変な髪の色……」
「臭っ……」

 手首を縛られ奴隷のように扱われていたら、何を言ってもいいのだろうか。
 貧しく見た目が汚れている者なら、見下してもいいのだろうか。

 どんな人間にだって心はある。
 傷つかない心など存在しないのに、同じ人間なのに、なぜ気持ちがわからないのだろうか。

 しかし、清流はどんなに心を傷つけられても、顔を地面につけたまま自分を蔑む声をただ黙って聞いているだけだった。


「いつまで寝てんだ、早く起きろ!」


 いつまでも倒れ込んでいる清流に腹を立てた男は、怒鳴っただけでは気が済まず縄を強引に引っ張り上げた。

 ここに来るまでにも、清流の歩調が遅れるたびに男は強く縄を引っ張るので、薄い手首の皮はめくれてしまっていた。

 くっきりと色づいた赤紫の縄跡にズキッと鋭い痛みが走る。

 清流は縛られた両手を引き寄せて小さく丸まると、膝を震わせながらなんとか自分の足で立ち上がった。背丈に合わず短くなってしまった着物からはみ出た腕と膝、そしておでこは地面と強くこすれてじわりと血が滲んでしまっている。

「おい、いい加減にしろ! 縄をよこせ、俺が連れていく」

 小太りな男は顔をしかめて舌打ちをすると、隣のひょろりとした男にしぶしぶ縄を渡した。



 再び歩き始めた三人の行く先に、町の屋台が見えてきた。いくつか並んだうちの一つ、駒売りの屋台の前で、清流と同じ年頃の子どもが地面にひっくり返って駄々をこねている。

「買って! 買って!」

 大泣きする子どもと向かい合って説得し続けていた母親だったが、行き交う人の目も気になる。ついに根負けしたのだろう。その子を抱き上げると「もぉ……これが最後だからね」と結局欲しがる物を買い与えてしまった。

「やったぁ! おかーさん、だぁーい好きっ!」

 自分のわがままが通り、欲しい物を手に入れた子どもは満足そうに笑う。その笑顔を見た母親も、

「お母さんも大好きだよ」

 と嬉しそうに笑った。


 幸せそうな親子の姿に清流の瞳が揺れた。


「ねえ。なんであの子、縄で繋がれてるの?」

 清流の視線に気づいた子どもが、母親に質問する。悪意のない素直な疑問。母親は「しっ!」と口元に人差し指を立てて清流に背を向けた。

 清流は再び俯いて手首の縄をじっと見つめると、引かれるがままに歩き続けたのだった。



 どれくらい歩いていただろうか――。

 今にも倒れそうな清流の横に、突然一人の若い男が音もなく現れた。

「俺と一緒に来ないか?」

 耳元で囁かれた声に反応して顔を傾ける。男の後ろで輝く太陽が眩しくて清流は目を細めた。

 男の口元が微笑んだように見えた瞬間、瞬く間に縄は火の札で焼き切られ、縄を引く男たちが前を向いている隙に男は清流を抱き上げ連れ去った。

 ほんの一瞬の出来事だった。


「――なあ、ちびちゃん、これは誘拐だと思うか? あぁ、それとも盗み?」

 清流は返事もせずに、ぽかんと男を見つめる。

「いいねえ、その顔。お前は俺の誘いを断らなかったから一緒に行くことに同意したとみなす! それに物じゃないから盗みにもならないよな。あの男たちは悪いやつらだ。こんなに傷だらけになって……痛かっただろう。もう大丈夫だからな」

 男は一人でうんうんと頷いて話を完結すると、清流に優しく笑いかけて頭を二度なでた。


「さあ、行こう!!」

 男の腕に力が入る。清流を抱きかかえたまま、吹き抜ける風のように町を抜け、山奥へと姿を消した。
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