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第三章
笑い声を響かせて
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『神の加護を受けた少女』
疫神退治後、小花を崇める者が出てきた。
人の欲とは、とどまる所を知らない。
小花が何かの争いに巻き込まれることを心配した知盛は、世間に対して『小花は疫神浄化の際にすべての力を使い果たして能力を失った』ということにした。
そしてカイリの無実は証明され、二度と同じ悲劇が繰り返されないためにどうすべきかと頭を抱えて悩んでいた。
問題となったのは一華の処分である。
彼女の死を望む者と、今までの多大なる功績とその才能を失うことはできないと庇う者。
鳳伝を中心とする万平院の医師たちは、あくまでも『疫神に利用されただけ』と主張した。
両者の衝突は激しく話し合いは荒れに荒れた。結局、取り憑かれた者は被害者という従来の考えと実際に彼女自身が働いた悪行がないことから、一華には『生きて罪を償う』という審判が下り死を逃れたのだった。
しかし、彼女の本心は死んで楽になりたかっただろう。
一華は清流たち家族と万平院のわずかな医師たちを除く外部との接触を禁じられ、万平院の片隅で新薬の研究、調合の指南、不治の病に冒された者たちへの治療を命じられた。
その期間は決まっておらず、清流は彼女のそばにいたいと願い西の地に戻っていった。
そして、疫神の件をきっかけに陰の気について術師たちの考えが大きく変わった。
陰の気が集まり、たまりやすい場所には定期的に祓除師や浄化師が巡回すること。
人々は歳の区切りなどにお祓いを受け、結界師や筆師が書いた札をお守りとして普段から身につけたりと新たな試みが行われた。
疫神の領域である静寂森は術師たちが集結し、そこにたまる妖を退治したのち森全体が浄化された。
何度も当主会議が行われ、疫神を生んだ一本の霊樹は御神木として祀られることとなり、玄清は責任者として静寂森と御神木を守ることを名乗り出たのだった。
次に生まれてくる時は邪神としてではなく、人々を災厄から守る神として。
人々は願いを込めた――
◇◇◇
時は少し遡り、疫神退治から一月が経った頃。カイリは双子山に向かい清流のもと訪ねた。
「師匠、お久しぶりです」
「久しぶりですね、カイリ」
たった一月で清流はずいぶんとやつれてしまっていた。慌ただしい日々に加え、この時はまだ一華に処分が下る前だったため、彼の心労はさぞかし重かっただろう。
「あれから、玄清様や士英様と話し合いをされましたか?」
「それが……」
清流はカイリの問いに首を横に振った。
三人とも目が回るような忙しさに流されてしまい、まだじっくりと話し合えていないという。
また、あれ以来、玄清は日を追うごとに塞ぎ込むことが増え、務め以外はいつも蛍の墓の前に座り込んでいると……。
あれほど固く結ばれていた家族の絆が、プツリと切れてしまったようだ。
「今日も、玄清様はお墓に?」
「ええ……多分」
――この雰囲気は良くない。
このまま忙しさを理由に話し合いが引き伸ばされれば、何かしらのしこりを残すのでは……経験者であるカイリは胸のざわつきを感じた。
もちろん差し出がましいとはわかっている。
しかし、放ってはおけなかった。
「あの……私が言うのもおこがましいのですが……」
「構いませんよ、なんですか?」
「師匠。ご存知のとおり私と父は血の繋がりのある親子ですが、深い絆を作ることができませんでした。でも師匠や士英様は玄清様と血の繋がりがなくとも、私たち親子よりずっと深い絆があります。それはなぜだかわかりますか?」
「なぜだろう……」
「それは御三方がこれまでたくさん言葉を交わし、関わりを持ってきたからです。私は後悔しています。なぜあの時話し合わなかったのかと……。このままにしていてはいけません。溝が深まる前に玄清様と話をしましょう」
「…………わかりました。士英も呼びます」
清流が白狼を士英のもとに使わすと、青鷹に乗った士英が血相を変えてやってきた。
「清流、どうした!!」
「忙しいところ悪い……ちょっといいかな……」
蛍の墓へと向かったカイリたち三人の前には、座り込む玄清だけでなく寿美の姿もあった。
「寿美さん……あの時、寿美さんの言うことを聞いていたら良かったんだろうか……私の身勝手な行いで子どもたちを苦しめてしまった……」
寿美のキツめな目元も、今は弱々しく悲哀で満ちている。
「間違いだったかどうかは、あなたが決めることではないと思います。少なくとも、私の目にはあの子たちはいつも幸せそうな顔をしていました。それに…………私も救われていたんです。あなただけの責任ではない。玄清殿、あなたに罪があるのなら、私も同罪です。過去を悔やんでも仕方ないです。今、あの子たちが望んでいることを受け入れましょう」
「玄清様!」
「お、お前たち――」
思わず声を上げた清流に玄清は驚きを見せたが、先手を打って話しだした。
「清流……士英……すまなかった。お前たちは自由に生きなさい。今まで縛りつけてすまなかった……私は変わらずお前たちを見守り続けている、それはいつまでも変わることはないからね」
「玄清殿!」
「玄清様! 『縛りつけてすまない』というのは、もう家族ではなくなるということですか? 私たちの絆は簡単に切れるものですか? そんな寂しいことを言わないでください」
声を荒げた寿美と士英に、玄清は下を向き頭を振る。
「玄清様、待ってください……私の話を聞いてください! 私は一華を愛しています。私と彼女のことを玄清様や士英に知られれば、すべてが壊れてなくなってしまう。とても怖かった。一華も家族も失いたくない……愛を貫けば玄清様や士英に幻滅される。二人の名声に傷をつけることになる……どうしたらいいのかずっと考えていました。私が悩みに悩んで出した答えは、どちらも失いたくない。どちらも手にすることは、できないのでしょうか」
「清流! お前は俺がそんな小さな男だと思ってたのか? 二人が愛し合っているのなら『夫婦』という新しい家族の形を取ればいい」
「そうだよ、私自身のことなら周りになんと言われようが構わない。清流と一華が幸せならそれでいい。ただ…………お前たちを悪く言う元凶を作ったのが私なら、それを許すことはできない」
威勢よく答えた士英とは逆に、玄清の声は尻すぼみになって消えていく。
――『 お前が『家族』なんてつまらないものを作ったから、二人がこんなにも苦しんでるんだろ!!』
疫神の放った一言が、深く突き刺さっているのだろう。
玄清は戦いにおいて何も恐れない強い心を持っているというのに、家族のこととなるとその心は脆く崩れてしまうようだ。その心を繋ぎ止めようと、彼を想う気持ちが士英の口から紡がれる。
「私は玄清様のおっしゃることが理解できません。私たち家族を悪く言うやつがいても、玄清様について誰がなんと言おうと、あなたは私の尊敬する人です。私の父は玄清様、あなただけです」
士英は玄清の目の前に行き、膝をついた。
「父上……ずっと呼びたかった……そう呼ばせてはもらえないのでしょうか……」
「父上……? 私が……」
士英の言葉に、玄清の頬に涙が伝う。
「そうです。赤子の私を育ててくださったのは、あなたです。ほかに誰がいるというのですか」
士英も涙を浮かべ、地面に座る玄清を抱きしめた。清流は駆け出し、抱き合う二人に体を寄せた。
「玄清様、あなたは士英だけの父ではありません。私の父もあなたです。家族はいつまでも家族です」
二人に抱かれながら、玄清はポツリと呟いた。
「士英、清流……私の使命がわかったよ」
「静寂森に集まる陰の気の量からして、私の生きているうちに疫神は再び生まれてくるだろう。私は、生まれてきた彼に一番にかけたい言葉があるんだ。その言葉を言っても良いだろうか」
「私は、その言葉に救われました」
「今更一人増えても構いません。あいつが一番欲しがっている言葉でしょう」
「二人とも、ありがとう」
玄清が、疫神に一番最初に伝えたい言葉。
それは――
『俺と家族にならないか』
きっと、孤独だった彼が何よりも望んでいた言葉……
「師匠、また会いにきます」
「ええ、いつでも来てください。カイリ……ありがとう」
カイリは黙って首を横に振り、「失礼します」と頭を下げた。
◇◇◇
その後、慌ただしく時は過ぎていき、あっという間に一年の月日が流れてしまった。
あと一月も経てば本格的な寒さの到来となるだろう。
「――ねぇ、カイリ!!」
大きな足音を立てて誰がやってきたのかと思えば、時之介だ。全速力で駆け込んできた彼の目がギラついている。
「復興祭をやるって本当!?」
「うん」と返事をしてやると、
「おっ祭りだぁー!!」
時之介は大声を上げて飛び跳ねた。
しかしお祭りと言っても、まだ以前のように大規模なものではない。復興しつつあることへの喜びと術師たちの安全祈願、陰の気を祓う儀式などを執り行なう予定だ。
もちろん屋台もいくつか並ぶのだが、疫神退治で結界の腕を買われた時之介は、札や御守りを出店してはどうかと提案されたようだ。
しかしその復興祭、一つ残念なことがある。
どうやら祭りの夜が、満月になりそうということだ――
◇◇◇
「カイリ、小花ちゃんの準備終わったわよ」
今日は復興祭。
儀式も無事に終わり、中央講堂の周りでお楽しみの屋台が始まる頃だ。
カイリの母はずいぶんと気合を入れて小花の準備を手伝っていた。と言っても、主導権を握っていたのは母なのだが……。
小花の本日の装いは、菊の花が描かれた紅色の着物。編み込んで結い上げた髪には、着物とお揃いの赤い菊の髪飾りが付けられている。
「カイリ、どうかな」
小花はカイリを見上げ、照れながら首を傾げた。
「うん、今日も可愛いよ」
百点満点の答えだ。『ああ』しか言えなかった竜神祭の時とは雲泥の差である。
ただ、恥ずかしことには変わらないため小花を直視できない。そんなカイリの手を握って、小花は「照れ屋さん」と微笑んだ。
「行こっか」
「うん!!」
もうすぐ日が暮れる。赤眼を人前で晒すことはできないため、小花は目隠しをして三堂を出た。
もちろん仲良く手を繋いで――。
「そういえば、柊殿は?」
「響お姉ちゃんと行くんだって」
「へぇ」
どおりで、いつもなら必ずついてくる鉄壁の兄がいないわけだ。響が見慣れない着物姿でおしゃれをしていたのも納得である。
しかし、柊は恋愛に関してカイリに負けず劣らず鈍い。彼女の恋心が届くのは、いつになることやら。きっと、明日は響と小花でお祭りの報告会が開かれることだろう。
「あーあ、残念だなぁ」
「祭りの様子なら、あとで教えてあげるよ」
「それもそうなんだけど、カイリの顔が見たかったなって」
それなら……
「俺も……小花が楽しんでるところが見たかったよ」
小花は「そお?」と満足げに頬を緩める。
カイリたちがゆっくりと屋台を回っていると、時之介の屋台が見えてきた。
「あれ?」
そこには見覚えのある顔が……もう一人。
「キョウ。お、お前、女の子と行かなかったんだ……」
あの女好きのキョウが!?
女の子の誘いを断って売り子を!?
どうやら思いっきり顔に出ていたらしい。
「何その顔……どうしてもって時之介が頼むから。まあ、可愛いからなんでもいいんだけどね」
なんとなく想像できる。どうせお得意のうるうるとした瞳で、「キョウ兄ぃぃ、お願いっ」と頼み込んだのだろう。
今まで清流がさせられていた、若い女性客を集めるための集客係というわけだ。キョウ目当てに女の子たちは群がるだろうし、これはこれで『あり』というわけか。
「熱々のお二人さんは、さっさと祭りを楽しんできな。ほら行った行った。時之介、俺たちは売上げ一位を狙って売って売って売りまくるぞ!」
「おー!!」
「キョウ、時之介、頑張ってね」
小花とカイリは、笑顔で屋台をあとにした。
「――あのさ、少し話さないか?」
「どうしたの?」
カイリは小花の手を引いて賑わう祭りから抜け出した。医術の町中を流れる川沿いの柳並木は見事に色づき、川の両側から黄金の水が流れ込んでいるように見える。
「小花……俺、当主になることにしたよ」
小花が安心して暮らせる世の中にしたい。
そのために、カイリは当主になることを決心した。
「この一年、陰の気や疫神について話し合いや新しい試みをしてきて思ったんだ。自分の意見を聞いてもらったり、やりたいことをするためには当主として足元を固めていく必要があるって」
「カイリはいい当主になると思うよ。それに、私のためでもあるんでしょ?」
小花は『わかってるよ』と言いたげに微笑む。カイリは照れ臭くなって軽く咳払いをした。
「そ、それで……小花にも決めてほしいことがあるんだ」
「私に?」
小花はきょとんとした様子で首を傾げる。
カイリは、今にも飛び出そうな心臓を全力で押さえつけた。
「小花……お前の赤い水晶のお守り、俺にくれないか?」
――『伴侶となる人に、このお守りを渡すっていう習わしがあるの』
まだ出会ったばかりの頃。
結間町へ向かう前に小花が言っていた。
そう……これは結婚の申し込みだ。
言葉の意味を理解した小花の体が次第に震えだし、目隠しの両目部分がじわりと濡れ広がっていく。
「っ……んっ……」
「ご、ごめん、泣かせたいわけじゃなくて……」
「ちがっ……嬉しくて……」
泣いてる姿も可愛く思えてしまう。
いや、どんな姿でもそれは変わらない。小花のすべてが愛しい。
「それから、今はやるべきことが多すぎて実現するのはずっと先になりそうだけど……いつか一緒に海を見に行こう」
小花は赤い水晶の首飾りを外すと、カイリに向かって掲げた。
「付けて」
カイリは、差し出された首飾りに頭を通す。
「できたよ」
「はああっ」と口元を開いた小花は、「ずっと一緒だよ!!」とカイリに飛びついた。そして、
「あ゛あ゛っ!!!!」
可愛いとは、ほど遠い声を上げた。
「えっ……何!?」
「私、カイリに一度も好きって言われてない!」
(うっ……)
いつかは言わなければならないと思っていたが、ついに指摘されてしまった……。
口を一文字に閉じたカイリは、視線を小花からそらす。なぜだろう……結婚の申し込みは言えたというのに、「好き」という言葉がどうも気恥ずかしい。
耳まで赤くしてもう一度小花に目をやると、鼻息を荒くした小花が両手を握りしめて期待いっぱいに待っている。
初めて出会った時を思い出す。
確か、二人の間を子どもが走り抜けて、小花はカイリの名前を聞き逃したのだ。
(あの時の小花の顔……)
カイリは懐かしくなって「くすっ」と笑ってしまった。
これはもう逃げられないだろう。
「す……」
カイリが言葉を発したと同時に、小花は目隠しを下ろした。真紅の瞳に残った涙が、月明かりを浴びてキラキラと煌めく。
カイリは一瞬驚いたが、目を細めて飾り気のない短い言葉を小花に告げた。
「好きだよ」
小花の大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。
――可愛い。
カイリは小花と出会ってから、何度顔を赤らめ、ときめいたことのない心臓を高鳴らせたことだろう。
ついには「好き」などと、以前の自分では決して言えなかったような言葉を言えるようになってしまったのだ。
カイリは、自分の一言に一喜一憂する小花をたまらなく愛おしいと思うと同時に、恋する自分が何よりもおかしく思えた。
「ふっ、あははははは!! そんなに見たかったのか?」
初めて見る大声を上げて笑うカイリの姿に、小花の瞳は釘づけになった。そして、いつの間にかその笑いにつられ彼女までも嬉しそうに笑いだした。
「俺は、こういうのが恥ずかしいんだよ!」
照れながら笑うカイリは、仕返しだと言わんばかりに小花の頭をぐしゃぐしゃとなでた。
「あっ! 髪! 綺麗にしてもらったのに! ーーねえ、『好き』って毎日言ったら恥ずかしくなくなるかもよ!」
「やだね! それより目隠し」
「もぉ! …………ふっ、あははははは!! ねえ、カイリ――」
疫神との戦いは幕を閉じた。
だが、二人のこれからは幕を開けたばかりである。美しく輝く満月の下で、二人の楽しそうな笑い声がいつまで響き渡っていた。
疫神退治後、小花を崇める者が出てきた。
人の欲とは、とどまる所を知らない。
小花が何かの争いに巻き込まれることを心配した知盛は、世間に対して『小花は疫神浄化の際にすべての力を使い果たして能力を失った』ということにした。
そしてカイリの無実は証明され、二度と同じ悲劇が繰り返されないためにどうすべきかと頭を抱えて悩んでいた。
問題となったのは一華の処分である。
彼女の死を望む者と、今までの多大なる功績とその才能を失うことはできないと庇う者。
鳳伝を中心とする万平院の医師たちは、あくまでも『疫神に利用されただけ』と主張した。
両者の衝突は激しく話し合いは荒れに荒れた。結局、取り憑かれた者は被害者という従来の考えと実際に彼女自身が働いた悪行がないことから、一華には『生きて罪を償う』という審判が下り死を逃れたのだった。
しかし、彼女の本心は死んで楽になりたかっただろう。
一華は清流たち家族と万平院のわずかな医師たちを除く外部との接触を禁じられ、万平院の片隅で新薬の研究、調合の指南、不治の病に冒された者たちへの治療を命じられた。
その期間は決まっておらず、清流は彼女のそばにいたいと願い西の地に戻っていった。
そして、疫神の件をきっかけに陰の気について術師たちの考えが大きく変わった。
陰の気が集まり、たまりやすい場所には定期的に祓除師や浄化師が巡回すること。
人々は歳の区切りなどにお祓いを受け、結界師や筆師が書いた札をお守りとして普段から身につけたりと新たな試みが行われた。
疫神の領域である静寂森は術師たちが集結し、そこにたまる妖を退治したのち森全体が浄化された。
何度も当主会議が行われ、疫神を生んだ一本の霊樹は御神木として祀られることとなり、玄清は責任者として静寂森と御神木を守ることを名乗り出たのだった。
次に生まれてくる時は邪神としてではなく、人々を災厄から守る神として。
人々は願いを込めた――
◇◇◇
時は少し遡り、疫神退治から一月が経った頃。カイリは双子山に向かい清流のもと訪ねた。
「師匠、お久しぶりです」
「久しぶりですね、カイリ」
たった一月で清流はずいぶんとやつれてしまっていた。慌ただしい日々に加え、この時はまだ一華に処分が下る前だったため、彼の心労はさぞかし重かっただろう。
「あれから、玄清様や士英様と話し合いをされましたか?」
「それが……」
清流はカイリの問いに首を横に振った。
三人とも目が回るような忙しさに流されてしまい、まだじっくりと話し合えていないという。
また、あれ以来、玄清は日を追うごとに塞ぎ込むことが増え、務め以外はいつも蛍の墓の前に座り込んでいると……。
あれほど固く結ばれていた家族の絆が、プツリと切れてしまったようだ。
「今日も、玄清様はお墓に?」
「ええ……多分」
――この雰囲気は良くない。
このまま忙しさを理由に話し合いが引き伸ばされれば、何かしらのしこりを残すのでは……経験者であるカイリは胸のざわつきを感じた。
もちろん差し出がましいとはわかっている。
しかし、放ってはおけなかった。
「あの……私が言うのもおこがましいのですが……」
「構いませんよ、なんですか?」
「師匠。ご存知のとおり私と父は血の繋がりのある親子ですが、深い絆を作ることができませんでした。でも師匠や士英様は玄清様と血の繋がりがなくとも、私たち親子よりずっと深い絆があります。それはなぜだかわかりますか?」
「なぜだろう……」
「それは御三方がこれまでたくさん言葉を交わし、関わりを持ってきたからです。私は後悔しています。なぜあの時話し合わなかったのかと……。このままにしていてはいけません。溝が深まる前に玄清様と話をしましょう」
「…………わかりました。士英も呼びます」
清流が白狼を士英のもとに使わすと、青鷹に乗った士英が血相を変えてやってきた。
「清流、どうした!!」
「忙しいところ悪い……ちょっといいかな……」
蛍の墓へと向かったカイリたち三人の前には、座り込む玄清だけでなく寿美の姿もあった。
「寿美さん……あの時、寿美さんの言うことを聞いていたら良かったんだろうか……私の身勝手な行いで子どもたちを苦しめてしまった……」
寿美のキツめな目元も、今は弱々しく悲哀で満ちている。
「間違いだったかどうかは、あなたが決めることではないと思います。少なくとも、私の目にはあの子たちはいつも幸せそうな顔をしていました。それに…………私も救われていたんです。あなただけの責任ではない。玄清殿、あなたに罪があるのなら、私も同罪です。過去を悔やんでも仕方ないです。今、あの子たちが望んでいることを受け入れましょう」
「玄清様!」
「お、お前たち――」
思わず声を上げた清流に玄清は驚きを見せたが、先手を打って話しだした。
「清流……士英……すまなかった。お前たちは自由に生きなさい。今まで縛りつけてすまなかった……私は変わらずお前たちを見守り続けている、それはいつまでも変わることはないからね」
「玄清殿!」
「玄清様! 『縛りつけてすまない』というのは、もう家族ではなくなるということですか? 私たちの絆は簡単に切れるものですか? そんな寂しいことを言わないでください」
声を荒げた寿美と士英に、玄清は下を向き頭を振る。
「玄清様、待ってください……私の話を聞いてください! 私は一華を愛しています。私と彼女のことを玄清様や士英に知られれば、すべてが壊れてなくなってしまう。とても怖かった。一華も家族も失いたくない……愛を貫けば玄清様や士英に幻滅される。二人の名声に傷をつけることになる……どうしたらいいのかずっと考えていました。私が悩みに悩んで出した答えは、どちらも失いたくない。どちらも手にすることは、できないのでしょうか」
「清流! お前は俺がそんな小さな男だと思ってたのか? 二人が愛し合っているのなら『夫婦』という新しい家族の形を取ればいい」
「そうだよ、私自身のことなら周りになんと言われようが構わない。清流と一華が幸せならそれでいい。ただ…………お前たちを悪く言う元凶を作ったのが私なら、それを許すことはできない」
威勢よく答えた士英とは逆に、玄清の声は尻すぼみになって消えていく。
――『 お前が『家族』なんてつまらないものを作ったから、二人がこんなにも苦しんでるんだろ!!』
疫神の放った一言が、深く突き刺さっているのだろう。
玄清は戦いにおいて何も恐れない強い心を持っているというのに、家族のこととなるとその心は脆く崩れてしまうようだ。その心を繋ぎ止めようと、彼を想う気持ちが士英の口から紡がれる。
「私は玄清様のおっしゃることが理解できません。私たち家族を悪く言うやつがいても、玄清様について誰がなんと言おうと、あなたは私の尊敬する人です。私の父は玄清様、あなただけです」
士英は玄清の目の前に行き、膝をついた。
「父上……ずっと呼びたかった……そう呼ばせてはもらえないのでしょうか……」
「父上……? 私が……」
士英の言葉に、玄清の頬に涙が伝う。
「そうです。赤子の私を育ててくださったのは、あなたです。ほかに誰がいるというのですか」
士英も涙を浮かべ、地面に座る玄清を抱きしめた。清流は駆け出し、抱き合う二人に体を寄せた。
「玄清様、あなたは士英だけの父ではありません。私の父もあなたです。家族はいつまでも家族です」
二人に抱かれながら、玄清はポツリと呟いた。
「士英、清流……私の使命がわかったよ」
「静寂森に集まる陰の気の量からして、私の生きているうちに疫神は再び生まれてくるだろう。私は、生まれてきた彼に一番にかけたい言葉があるんだ。その言葉を言っても良いだろうか」
「私は、その言葉に救われました」
「今更一人増えても構いません。あいつが一番欲しがっている言葉でしょう」
「二人とも、ありがとう」
玄清が、疫神に一番最初に伝えたい言葉。
それは――
『俺と家族にならないか』
きっと、孤独だった彼が何よりも望んでいた言葉……
「師匠、また会いにきます」
「ええ、いつでも来てください。カイリ……ありがとう」
カイリは黙って首を横に振り、「失礼します」と頭を下げた。
◇◇◇
その後、慌ただしく時は過ぎていき、あっという間に一年の月日が流れてしまった。
あと一月も経てば本格的な寒さの到来となるだろう。
「――ねぇ、カイリ!!」
大きな足音を立てて誰がやってきたのかと思えば、時之介だ。全速力で駆け込んできた彼の目がギラついている。
「復興祭をやるって本当!?」
「うん」と返事をしてやると、
「おっ祭りだぁー!!」
時之介は大声を上げて飛び跳ねた。
しかしお祭りと言っても、まだ以前のように大規模なものではない。復興しつつあることへの喜びと術師たちの安全祈願、陰の気を祓う儀式などを執り行なう予定だ。
もちろん屋台もいくつか並ぶのだが、疫神退治で結界の腕を買われた時之介は、札や御守りを出店してはどうかと提案されたようだ。
しかしその復興祭、一つ残念なことがある。
どうやら祭りの夜が、満月になりそうということだ――
◇◇◇
「カイリ、小花ちゃんの準備終わったわよ」
今日は復興祭。
儀式も無事に終わり、中央講堂の周りでお楽しみの屋台が始まる頃だ。
カイリの母はずいぶんと気合を入れて小花の準備を手伝っていた。と言っても、主導権を握っていたのは母なのだが……。
小花の本日の装いは、菊の花が描かれた紅色の着物。編み込んで結い上げた髪には、着物とお揃いの赤い菊の髪飾りが付けられている。
「カイリ、どうかな」
小花はカイリを見上げ、照れながら首を傾げた。
「うん、今日も可愛いよ」
百点満点の答えだ。『ああ』しか言えなかった竜神祭の時とは雲泥の差である。
ただ、恥ずかしことには変わらないため小花を直視できない。そんなカイリの手を握って、小花は「照れ屋さん」と微笑んだ。
「行こっか」
「うん!!」
もうすぐ日が暮れる。赤眼を人前で晒すことはできないため、小花は目隠しをして三堂を出た。
もちろん仲良く手を繋いで――。
「そういえば、柊殿は?」
「響お姉ちゃんと行くんだって」
「へぇ」
どおりで、いつもなら必ずついてくる鉄壁の兄がいないわけだ。響が見慣れない着物姿でおしゃれをしていたのも納得である。
しかし、柊は恋愛に関してカイリに負けず劣らず鈍い。彼女の恋心が届くのは、いつになることやら。きっと、明日は響と小花でお祭りの報告会が開かれることだろう。
「あーあ、残念だなぁ」
「祭りの様子なら、あとで教えてあげるよ」
「それもそうなんだけど、カイリの顔が見たかったなって」
それなら……
「俺も……小花が楽しんでるところが見たかったよ」
小花は「そお?」と満足げに頬を緩める。
カイリたちがゆっくりと屋台を回っていると、時之介の屋台が見えてきた。
「あれ?」
そこには見覚えのある顔が……もう一人。
「キョウ。お、お前、女の子と行かなかったんだ……」
あの女好きのキョウが!?
女の子の誘いを断って売り子を!?
どうやら思いっきり顔に出ていたらしい。
「何その顔……どうしてもって時之介が頼むから。まあ、可愛いからなんでもいいんだけどね」
なんとなく想像できる。どうせお得意のうるうるとした瞳で、「キョウ兄ぃぃ、お願いっ」と頼み込んだのだろう。
今まで清流がさせられていた、若い女性客を集めるための集客係というわけだ。キョウ目当てに女の子たちは群がるだろうし、これはこれで『あり』というわけか。
「熱々のお二人さんは、さっさと祭りを楽しんできな。ほら行った行った。時之介、俺たちは売上げ一位を狙って売って売って売りまくるぞ!」
「おー!!」
「キョウ、時之介、頑張ってね」
小花とカイリは、笑顔で屋台をあとにした。
「――あのさ、少し話さないか?」
「どうしたの?」
カイリは小花の手を引いて賑わう祭りから抜け出した。医術の町中を流れる川沿いの柳並木は見事に色づき、川の両側から黄金の水が流れ込んでいるように見える。
「小花……俺、当主になることにしたよ」
小花が安心して暮らせる世の中にしたい。
そのために、カイリは当主になることを決心した。
「この一年、陰の気や疫神について話し合いや新しい試みをしてきて思ったんだ。自分の意見を聞いてもらったり、やりたいことをするためには当主として足元を固めていく必要があるって」
「カイリはいい当主になると思うよ。それに、私のためでもあるんでしょ?」
小花は『わかってるよ』と言いたげに微笑む。カイリは照れ臭くなって軽く咳払いをした。
「そ、それで……小花にも決めてほしいことがあるんだ」
「私に?」
小花はきょとんとした様子で首を傾げる。
カイリは、今にも飛び出そうな心臓を全力で押さえつけた。
「小花……お前の赤い水晶のお守り、俺にくれないか?」
――『伴侶となる人に、このお守りを渡すっていう習わしがあるの』
まだ出会ったばかりの頃。
結間町へ向かう前に小花が言っていた。
そう……これは結婚の申し込みだ。
言葉の意味を理解した小花の体が次第に震えだし、目隠しの両目部分がじわりと濡れ広がっていく。
「っ……んっ……」
「ご、ごめん、泣かせたいわけじゃなくて……」
「ちがっ……嬉しくて……」
泣いてる姿も可愛く思えてしまう。
いや、どんな姿でもそれは変わらない。小花のすべてが愛しい。
「それから、今はやるべきことが多すぎて実現するのはずっと先になりそうだけど……いつか一緒に海を見に行こう」
小花は赤い水晶の首飾りを外すと、カイリに向かって掲げた。
「付けて」
カイリは、差し出された首飾りに頭を通す。
「できたよ」
「はああっ」と口元を開いた小花は、「ずっと一緒だよ!!」とカイリに飛びついた。そして、
「あ゛あ゛っ!!!!」
可愛いとは、ほど遠い声を上げた。
「えっ……何!?」
「私、カイリに一度も好きって言われてない!」
(うっ……)
いつかは言わなければならないと思っていたが、ついに指摘されてしまった……。
口を一文字に閉じたカイリは、視線を小花からそらす。なぜだろう……結婚の申し込みは言えたというのに、「好き」という言葉がどうも気恥ずかしい。
耳まで赤くしてもう一度小花に目をやると、鼻息を荒くした小花が両手を握りしめて期待いっぱいに待っている。
初めて出会った時を思い出す。
確か、二人の間を子どもが走り抜けて、小花はカイリの名前を聞き逃したのだ。
(あの時の小花の顔……)
カイリは懐かしくなって「くすっ」と笑ってしまった。
これはもう逃げられないだろう。
「す……」
カイリが言葉を発したと同時に、小花は目隠しを下ろした。真紅の瞳に残った涙が、月明かりを浴びてキラキラと煌めく。
カイリは一瞬驚いたが、目を細めて飾り気のない短い言葉を小花に告げた。
「好きだよ」
小花の大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。
――可愛い。
カイリは小花と出会ってから、何度顔を赤らめ、ときめいたことのない心臓を高鳴らせたことだろう。
ついには「好き」などと、以前の自分では決して言えなかったような言葉を言えるようになってしまったのだ。
カイリは、自分の一言に一喜一憂する小花をたまらなく愛おしいと思うと同時に、恋する自分が何よりもおかしく思えた。
「ふっ、あははははは!! そんなに見たかったのか?」
初めて見る大声を上げて笑うカイリの姿に、小花の瞳は釘づけになった。そして、いつの間にかその笑いにつられ彼女までも嬉しそうに笑いだした。
「俺は、こういうのが恥ずかしいんだよ!」
照れながら笑うカイリは、仕返しだと言わんばかりに小花の頭をぐしゃぐしゃとなでた。
「あっ! 髪! 綺麗にしてもらったのに! ーーねえ、『好き』って毎日言ったら恥ずかしくなくなるかもよ!」
「やだね! それより目隠し」
「もぉ! …………ふっ、あははははは!! ねえ、カイリ――」
疫神との戦いは幕を閉じた。
だが、二人のこれからは幕を開けたばかりである。美しく輝く満月の下で、二人の楽しそうな笑い声がいつまで響き渡っていた。
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