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九章 静香の日記
駆け落つ
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***
夜が更けた頃、崖を背にして座った二人は、磁石がぴたりと合わさるように寄り添いあって、海を見つめていた。月がさす海はまるで、満天の星空を写したかのようだ。
「勇さん……おらと本気で添う気があんなら、おらを部落の外さ連れていってけねかな」
「……どういうことだい」
勇は静香を覗きこんで、様子をうかがう。
「ここは……ど田舎だで、おらやんだ。こんなとこさはいたくねえ。都会さ行きてえ」
静香は、嘘をついた。本当は、禎子や清三から逃げたかったのだ。勇との逢瀬を、そして婚約を知られたら。そう考えただけで身がすくむ程、恐ろしかった。
勇に何かあったら取り返しがつかない。しかし、その事はどうしても勇には打ち明けられなかった。
静香自身、その集落の風習や年功序列の古めかしいしきたりは、常軌を逸脱しているように感じていたからだ。
特に禎子を取り囲む集落の人間は、異常だ。禎子様、化身様と宣っては、禎子を一生懸命によいしょして、ご機嫌とりにごますりと、様々な手を使い、禎子に取り入ろうとしていた。禎子は祈祷や口寄せ術を生業にしているが、それもどこまで本当のことやらわからない。
そんな集落に生まれ、信じられないと言いつつも、結局のところその異常なあれこれに反発することも出来ない。
勇はこんな自分をどう思うだろう……そんな想いが、静香に嘘をつかせたのだった。
勇は鋭い男だった。瞬時に静香の嘘を読んだが、神経の細さゆえか、思い違いをした勇は、視線を落として、自嘲する。
「……家族に紹介するのが、恥ずかしいかい」
「え、なして」
「私が、死に損ないだからさ」
そんなつもりは毛頭なかった静香が驚いて、首を横に振り告げた。
「ちげえよ、そんなんでねえよ。勇さんのことおしょすいなんて思ったこと一度もねえよ……。だっておら、勇さんのことがいきなし好きだっちゃもん。死に損ねえなんて思わねえ。生きててござっしゃったからおら、勇さんと会えただよ」
涙を浮かべて勇の腕にすがり、一生懸命、思いの丈を紡ぐ。
そして
「ただ、ここはやんだ。おらは新しい土地さ家建てて、勇さんと二人で生きていきてえ」嘘偽りない気持ちを吐露した。
嘘のない静香のまっすぐな瞳に、勇は射抜かれて静香をぎゅっと抱き締める
「私は自分に自身がないから……おかしなことを言ってしまったね」と、前置いて
「君のご両親や友達はいいのかい」静香の温もりを抱きながら、耳元でそう問うた。
「ん……いい。おらを連れてって。勇さんと一緒ならどこさでもいくよ」
それは駆け落ちを意味する言葉だ。しかし、静香に迷いはない。きっと、ここにいても、決められた相手との結婚が待つだけだ。
勇はふうっと、息をついて、
「それなら、せっかく自由な時代になったんだ、色々なところへ行って、色々なものを見て回って、骨を埋める土地でも探して歩く」
と、
「旅をしようよ、静香ちゃん」
と、屈託なく勇は笑った。
その笑顔は到底年上とは思えない。まるで少年のようで、静香の胸はときときと高鳴った。心臓が壊れそうで、思わず顔を背けると、勇は「逃がさないよ」そう言って頬を包む。
そして、ゆっくりと口づけた。身体中から幸せが溢れる。全身が震えるほどに、勇を大切だと思えた。
「十二月二十六日」
口づけを静かに終えて、静香は額同士を添わせて言う。
「おらの生まれた日……届けは祝事の関係で一月一日になってんだけど、本当はその日に生んだんだどって、お母ちゃんから教えてもらっただ」
「そうか、もうすぐだね」
優しく頭を撫でる手のひらに、幸せを噛み締めながら、静香は勇に笑いかけ告げる。
「行くならおら、その日がいい。おらが生まれたその日に、新しいおらに生まれ変わんだ」
勇は気付いていた。以前から、静香が大きな闇を抱えていることに。それが何なのかは検討もつかない。静香の笑顔にはいつも影があった。
しかし、今の静香の笑顔はどうだろう。まるで憑き物でも落ちたかのような。とても素敵な笑みだ。勇はただ、ただ、嬉しかった。静香は、お国の為に死んでこられなかった死に損ないの自分が、唯一、笑顔にしてあげられる人だと心に刻む。
「仰せのままに」
わずかに芝居がかって、今一度、静香の唇を吸った勇は、ふたつの体を寄り合わせるように静香を力一杯に、抱き締めた。静香は伝わる温もりと、じわりじわりと湧く幸せを噛み締めるように、勇の背を抱き返す。そうして夜は一層に、更けていった。
夜が更けた頃、崖を背にして座った二人は、磁石がぴたりと合わさるように寄り添いあって、海を見つめていた。月がさす海はまるで、満天の星空を写したかのようだ。
「勇さん……おらと本気で添う気があんなら、おらを部落の外さ連れていってけねかな」
「……どういうことだい」
勇は静香を覗きこんで、様子をうかがう。
「ここは……ど田舎だで、おらやんだ。こんなとこさはいたくねえ。都会さ行きてえ」
静香は、嘘をついた。本当は、禎子や清三から逃げたかったのだ。勇との逢瀬を、そして婚約を知られたら。そう考えただけで身がすくむ程、恐ろしかった。
勇に何かあったら取り返しがつかない。しかし、その事はどうしても勇には打ち明けられなかった。
静香自身、その集落の風習や年功序列の古めかしいしきたりは、常軌を逸脱しているように感じていたからだ。
特に禎子を取り囲む集落の人間は、異常だ。禎子様、化身様と宣っては、禎子を一生懸命によいしょして、ご機嫌とりにごますりと、様々な手を使い、禎子に取り入ろうとしていた。禎子は祈祷や口寄せ術を生業にしているが、それもどこまで本当のことやらわからない。
そんな集落に生まれ、信じられないと言いつつも、結局のところその異常なあれこれに反発することも出来ない。
勇はこんな自分をどう思うだろう……そんな想いが、静香に嘘をつかせたのだった。
勇は鋭い男だった。瞬時に静香の嘘を読んだが、神経の細さゆえか、思い違いをした勇は、視線を落として、自嘲する。
「……家族に紹介するのが、恥ずかしいかい」
「え、なして」
「私が、死に損ないだからさ」
そんなつもりは毛頭なかった静香が驚いて、首を横に振り告げた。
「ちげえよ、そんなんでねえよ。勇さんのことおしょすいなんて思ったこと一度もねえよ……。だっておら、勇さんのことがいきなし好きだっちゃもん。死に損ねえなんて思わねえ。生きててござっしゃったからおら、勇さんと会えただよ」
涙を浮かべて勇の腕にすがり、一生懸命、思いの丈を紡ぐ。
そして
「ただ、ここはやんだ。おらは新しい土地さ家建てて、勇さんと二人で生きていきてえ」嘘偽りない気持ちを吐露した。
嘘のない静香のまっすぐな瞳に、勇は射抜かれて静香をぎゅっと抱き締める
「私は自分に自身がないから……おかしなことを言ってしまったね」と、前置いて
「君のご両親や友達はいいのかい」静香の温もりを抱きながら、耳元でそう問うた。
「ん……いい。おらを連れてって。勇さんと一緒ならどこさでもいくよ」
それは駆け落ちを意味する言葉だ。しかし、静香に迷いはない。きっと、ここにいても、決められた相手との結婚が待つだけだ。
勇はふうっと、息をついて、
「それなら、せっかく自由な時代になったんだ、色々なところへ行って、色々なものを見て回って、骨を埋める土地でも探して歩く」
と、
「旅をしようよ、静香ちゃん」
と、屈託なく勇は笑った。
その笑顔は到底年上とは思えない。まるで少年のようで、静香の胸はときときと高鳴った。心臓が壊れそうで、思わず顔を背けると、勇は「逃がさないよ」そう言って頬を包む。
そして、ゆっくりと口づけた。身体中から幸せが溢れる。全身が震えるほどに、勇を大切だと思えた。
「十二月二十六日」
口づけを静かに終えて、静香は額同士を添わせて言う。
「おらの生まれた日……届けは祝事の関係で一月一日になってんだけど、本当はその日に生んだんだどって、お母ちゃんから教えてもらっただ」
「そうか、もうすぐだね」
優しく頭を撫でる手のひらに、幸せを噛み締めながら、静香は勇に笑いかけ告げる。
「行くならおら、その日がいい。おらが生まれたその日に、新しいおらに生まれ変わんだ」
勇は気付いていた。以前から、静香が大きな闇を抱えていることに。それが何なのかは検討もつかない。静香の笑顔にはいつも影があった。
しかし、今の静香の笑顔はどうだろう。まるで憑き物でも落ちたかのような。とても素敵な笑みだ。勇はただ、ただ、嬉しかった。静香は、お国の為に死んでこられなかった死に損ないの自分が、唯一、笑顔にしてあげられる人だと心に刻む。
「仰せのままに」
わずかに芝居がかって、今一度、静香の唇を吸った勇は、ふたつの体を寄り合わせるように静香を力一杯に、抱き締めた。静香は伝わる温もりと、じわりじわりと湧く幸せを噛み締めるように、勇の背を抱き返す。そうして夜は一層に、更けていった。
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