―海神様伝説―

あおい たまき

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九章 静香の日記

求婚

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 *けんの?……くれるの?
 *ねぐて……なくて
 *いでらすっちゃ……いるでしょう 

***
 昭和二十四年十二月十日御天気晴れ
おら、嬉しかったよ。勇さんとなら何処へだって行く。








 それから三月、日々は穏やかに過ぎていった。
あれほどうるさかった清三も、とんと姿を見せなくなった。儀式めいた接吻も、なくなった。それどころか、話を聞いているはずの禎子も、何も言わない。ただ黙々と、化身の力を使い、集落に貢献するだけで、その姿は、静香を遠ざけているようにもうかがえる。嵐の前の静けさにも似ていた。


 しかし静香はリスクを侵した。否、侵さずにはいられなかった。隠れて逢瀬おうせる勇との時間は、どうしてもやめられなかったのだ。勇に逢えないと体が、心が枯渇していく。内々からわきだす恋しさをもて余して、静香はただ勇の温もりを、欲していた。


 その夜の逢瀬の場所は、がんがら崖の下の浜だった。月明かりに照らされる浜の石は、きらきらと光って、まるで宝石のようだ。辺りを見回すも、勇の姿は見えない。まだ着いていないらしい。


 静香は押し寄せる波に、ロングスカートをさっとあげると足をつけた。冬の海風は、躰の芯から冷えるようだ。海水も足を刺すように冷たかった。それでも頭が冴えて行く。

 ざん、ざん、と小波が石を退けて砂をすくうと、足の裏はわずかにくすぐったかった。その感覚が静香は、幼い頃から好きだった。よく、清三ともこうして、何気無いときを過ごしたものだ。

 あの頃を懐かしめば、ぐっと込み上げてくる、苦しさ。最初の接吻をする前は、確かに築けていたのだ。清三との友情を。もしか、家族に対して持つような愛情を。

 どうして、どうして、と答えのない疑問符が頭を巡り、両手で顔を覆ったその時だった。大きな手が静香の手首を掴む。一瞬、静香は身を固くした。


「こら、そんなことをしていたら風邪をひいてしまうよ」
 優しく響く声で、静香は胸を撫で下ろし、笑顔で振り返った。
「……勇さんっ」
「待ったかい」
 勇は静香をきゅっと抱き締めた。どこもかしこも、柔らかい。小さくてまあるい、女子の体。静香と逢瀬て、彼女の心と躰に触れる瞬間、敵地で病んだ心が癒されていくのを感じた。勇は、ふう、と大きく息をつく。

「勇さん……、なしたの」
 ずいぶん大きなため息だと、静香は心を配る。勇は、静香を抱き締めたまま、こう告った。


「どうだろう静香ちゃん……私と一緒にならないか」
 海鳴りが一際大きく聴こえる。時は止まったようだった。静香は、勇が何を言っているのか、理解が出来なかった。

「……え」
 勇は混乱している静香を、一度腕の中から放つと、まっすぐなまなざしで静香を見つめた。


「私は真剣だよ」
 目を細めた勇は、胸ポケットから何かを取り出しまた口を開いた。


「戦地で聞いたんだ、大国では結婚を申し込むとき、指輪を贈るらしい」と、置いてから、もう一言、つける。

「私の、お嫁さんになってくれないか」
 勇の申し出に、息が止まるかと思った。

 戦後間も無くの頃だ。物が枯渇し、みな苦しい生活だった。勇はそれでも敵地で聞いた婚約指輪を静香にと、思ったのだろう。勇が手のひらを開くとそこには、細い藁をうまく編み込んで、円環を象ったエンゲージリングがあった。


 黄土の藁は、月明かりを反射して、まるで金のように光って見える。静香の目からは大粒の涙が溢れ、勇の姿がゆがんで見えた。


「勇さん……おらと一緒になってけんの?勇さんならこんな田舎もんでねくて、もっといいとこの女子もいでらすっちゃ」
 絶え絶えに聞けば、勇は静香に笑いかける。

「私は静香ちゃんがいいんだ」
 その言葉が、静香の身体中の細胞に浸透していく。冷えきった心が温かくなり、その温もりは静香に更なる涙を落とさせた。


 泣きじゃくる静香を、そっと抱き締めて勇は今一度「お嫁さんにきてくれるね?」と、尋ねる。窒息するほどの幸せに溺れて、静香は何度もうなずいた。

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