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ギルフォードの薬師ー1
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「貴様は我々、ひいては村民の為に身を削るんだ。さもなくば永久に、この村を――貴様の帰る場所を消してやる」
「……はい」
ふんぞり返った上で、この人はなんて冷たい表情をするのだろう。
どうせ元々独りなのだから、この場が無くなっても大差はないが、生きる糧を得るにはうってつけだと少年は思った。
生活していく中で村民達は温かく、いつも自分にちょっかいをかけてくる知人も出来た。
――まぁ、『何か』が起きるまでは、この人の下に居た方がいいのだろう。
半ばの諦念も自覚していた。
……生き甲斐も何も無い自分の唯一の武器は気に入っている。
それだけはこの人に感謝をしたい。
無論『それだけ』なのだが。
ルーナの視線の先にはアランが立っていて、表情はいつもの優しい笑顔だ。
だが、状況を考えると、逆にそれが薄ら寒い。
「アラン……」
ビルトは眉間に皺を寄せていた。
「やっぱり、お前なのか?」
「――もうお分かりなんじゃないですか?」
男の質問をさらりと流した師は、表情一つ変えない。
ぎりりと歯を喰いしばって感情を抑えている様子のビルトは、チェストを下ろして太めの樹木の傍にそっと寄りかからせた。
「……チェストに、何を、した?」
「薬を与えただけですよ」
「じゃあ、なんで起きねぇんだよ!?」
アランが飄々と応えるのにイラついたようにビルトが吠えた。
「奥にある野草が見えますか?」
「……悪魔の食事草、だろ。なんでこんな所に……」
「私が栽培したからですよ」
『!?』
師の告白に、ルーナとビルトが息を飲む。
事件の情報を得ていく過程で何となく分かっていた事ではあったが、自白されると心がずきりと痛んだ。
すると、アランが静かにこちらへ向かってきて、その場にいる全員が緊張したように身構える。
だが、そのまま素通りしたアランは、悪魔の食事草に手を伸ばして、口へと入れた。
「お師匠さまぁっ!?」
「っ……何してんだテメェ!!」
ルーナが悲痛に叫ぶと、呆気に取られていたビルトがアランの肩に掴みかかり、無理やり振り向かせる。
――お師匠さまが、死んじゃう!
気付くと少女の体は動いていた。
「だめっ! お師匠さまがいなくなったら……嫌です! 吐いてください! お願い……!」
少女は縋るようにアランに詰め寄るが、彼の表情は何も変化しない。
まるで心を閉じてしまっているようだ。
ただ、咀嚼した魔草がこくりと飲み干され、喉が上下するのを見て少女の脳が絶望に染まる。
このままでは繰り返すのだ。あの惨劇を――…………。
「大丈夫ですよ、ルーナ」
二年前に死んだ父の姿をアランに重ねて、少女の頬に涙が伝った。
「……私にはこんなもの効きませんから」
「――っ?」
理解が、出来なかった。
父と母の惨状を見ているから、余計に。
「どう……して……?」
足が震え、やっとで立っているルーナが掠れた声で問う。
「こういう体質なんです」
「え……? 分から、な……」
呆然と涙を流しながら戸惑う少女に、アランは苦笑した。
しかし。
次の瞬間ダンッと響いたのは、ビルトが横にある木の幹を激情のまま叩いた音だった。
少女が彼を振り返ると、見たことが無い程本気の怒りを含んだ視線をアランへと送っている。
鳥が樹上から、ぎゃあぎゃあと騒がしく鳴いて飛び立っていった。
「テメェの体質がどうとか知らねぇ……けどな、テメェの今の行動見てちびが……ルーナが! どんだけ傷つくのか分かんねぇのかよ!? どこまで根性曲がっちまってんだ!?」
「…………」
「アラン! お前はっ……コイツの、保護者だろ!? それをっ……」
ビルトの表情が歪む。
自分よりも多くの時間を共にしてきた親友だからこそ、アランの言動が許せないのだろう。
少女には、言外に元のアランに戻って来てほしいという男の想いが透けて見えるようにも見えた。
師はルーナにすら目線を送らずに、ただ俯く。
それが、少女の師としての……今までのアランは、二度とルーナの所には戻ってこないという事を暗に示していた。
顎から行く先を無くした涙が、ぽつりぽつりと丸い沁みを地面に作っていく。
――……一体どこまで無力なのだろう、私は。お師匠さまを理解出来ず、ビルトは必死に戻って来いと言葉を投げているのに、私はただ泣く事しか出来ないなんて。
アランはもう視線を誰にも向けず、目を細めたままじっと俯いていた。
感情の膠着が続いた。
……少しして。今まで沈黙していたリラが一歩を踏み出した。
「アラン先生、一つ聞いてもいい?」
「……なんですか? リラ」
「チェストに……悪魔の食事草を、飲ませたの?」
「……!?」
直球の衝撃的な質問は、場を凍らせるのに十分なものだった。
ビルトは息を飲んで答えを待つようにぎゅうと拳を握りしめる。
「えぇ」
「っ――――テメェエェッ!!」
さらりと言ったアランの肯定にビルトは雄叫びを上げて殴りかかった。
頬を思いきり殴ると、彼は細身の体ごと吹き飛ばされる。
木の葉が舞った着地点で、ゆらりと片膝をついていたが、師は抵抗しようとはしない。
「っ……!!」
ルーナは頭を抱え声にならない悲鳴を上げた。
少女にとって、何が正しいのかどうすることが正解なのかも分からず、ただ涙を流すだけの弱い自分をひたすら悔いていた。
「お前がっ……全部やったのかっ!?」
「……」
「答えろや!!」
「えぇ」
「っ――!」
胸ぐらを掴んだままの問いにも、何も慌てる事無く応えたアランを、悔しそうにもう一度殴るビルト。
アランはただただされるがままで、リラはシェトルフが足に纏わりつくのも構わず、気丈にじっとその光景を見ていた。
かさり。
手先の感触に、少女は一つだけ出来る事を思いつく。
しかし、手が震えた。
ビルトの気持ちは痛いほど分かる。
チェストに死んでほしくない。
いつものようにリラと笑い合いたい。
アランを……止めたい。
「お、ししょう、さまっ……!」
『――!?』
一同の視線をこちらへと向かせ、少女は高く掲げ上げた。
診療所で拾った、あの丸い薬草――恐らく、悪魔の食事草を。
「やめなさい!!」
初めてアランの声色に焦りが見えた気がする。
そのまま口に放り込むと、持っていたナイフで近くの蔦を切ると、蔦から溢れてきた水分で喉の奥へと押し込み飲んだ。
「ルーナちゃん!?」
「ルーナ!!」
リラとビルトが駆け寄ってくる。
乾燥したことで効能を急かしたのだろうか。
魔草が通っていったところが焼けるように痛い。
アランは……見たことの無いような、眉間に皺を寄せて悲痛な顔と驚いた目を、こちらに向けていた。
ぐらりと視界が回る。
ルーナは虚脱感を覚え両膝をつくと、ぐるぐるとする視界に耐えられずぎゅっと目を閉じた。
二人が自分の体を揺さぶりながら名前を叫んでいる。
――苦しい。怖い。痛い。辛い。
そんな最中、ルーナの頭に響いたのはこの場で最も薄い声だ。
「……ルー……ナ……」
聞き慣れたその優しい声は、体内に溶けていくように少女の意識をそのまま消失させる。
――お師匠さまなら、きっと……。
酩酊する意識の水底にあったのは、砕かれたはずのアランへの信頼だった。
アラン=ギルフォード。
この名は彼の真実ではない。
十二歳の時にアランはこの村へと連れてこられた。
物心ついた頃、既に彼は孤独を知っていた。
遠くの村にある孤児院に居た彼は誰にも心開くこと無く、本を読む毎日を送る。
中でも興味を持ったのは薬学の本だった。
一つ読むごとに知識を蓄え、アランは薬草を食む事で味と効力を覚えていった。
時が経ち十一歳になって少し経った頃、一人の男と出会う。
タイニーゴ村の村長……ゼーラック=タイニーゴである。
その男は点在する村と村の情報交換、そして和平交渉をする天才だと称されていた。
きっかけは、やはり薬だった。
転んで怪我をしたゼーラックに薬草で手当てをしたのだ。
彼はアランを褒めちぎった。
最初はただ嬉しかった。
何故かはよく分からないが、この人は自分の居る価値を作ってくれている。
そう思えたのだから。
幾度も足を運び、アランとの時間を作ってくれる彼はなんていい人なのだろうと思えた。
しかし何回目かの面会の時、新種の薬草だと言われて渡されたのは実は毒草で、見たこともなかった。
ひたすらに有頂天になっていたアランはその野草を何の疑いも無しに口にする。
薬草の本は飽きるほど読んだが、毒草の文献はそもそも孤児院になんて無かったのだから。
さらに自分自身、毒草には全く興味を示さなかったせいもあるかもしれない。
……発狂寸前まで体内を蝕んだ毒をなんとか弱らせていったのは、体内に蓄積された薬草の力だった。
「素晴らしい!」
死の淵から生還したアランに最初に投げかけられた賞賛の言葉を聞いて、自分がこの人の実験動物だっただけなのだと漸く気付く。
自分がいかに愚かだったのかも。
ゼーラックはとても喜び、アランを引き取ると言いだした。
孤児院は定員がいつも上限を超えていて困っているのを知っていたし、抵抗するだけ無駄だと思った。
いや、思わされた。
――この人からは、きっと逃げられない。
……と。
引き取られてから様々な薬草と毒草を与えられて、果てしない苦しみを味わうはめになろうとも。
十二歳になるまでの間、ゼーラックは山小屋に彼を一人で住まわせた。
恐らく、村民がアランを受け入れた後では、無闇に毒草を試す訳にはいかなくなるとでも思ったのだろう。
アランは文字通り身をもって、どういった形の野草がどういう作用で薬毒になるかを書き溜め、擦り切れるまで読み込んだ。
少年は薬師としての才能があった訳ではない。
薬師としての力を、体に『無理やり埋め込まれた』のだ。
才能があったとすれば、幼少から薬学に興味を持ったことのみだろう。
……少年が十二歳になる十日前。
「十日後、貴様はタイニーゴ村に連れていく。その前に……確かめさせて貰おう」
アランは抵抗しない。
この時心は既に殺されているようなものだったのだろう。
しかし、痛覚はまだ生きていた。
……山小屋を空気ごと劈くような悲鳴があたりに木霊した。
ゼーラックの持つ短剣は腕の皮膚を切り割き、流れ出た深紅の液体は男の持つボトルへと注ぎ入る。
男曰く、薬毒に慣れた体に流れる体液――なかでも一番濃いと謂われる血液は、万能薬になるらしい。
少年の腕の治療をおざなりにして、早馬でタイニーゴ村へと持ち去られた。
もう一人の実験台――男の妻に飲ませる為に。
見事病から回復した妻を見たゼーラックは、少年がいよいよ村へと入る道中こう言って聞かせてきた。
「貴様に相応しい診療所を作らせておいた。医学書の類も置かせてある。これからは村の薬師としてそこに住み、勉強に励め」
「……はい」
「貴様は我々、ひいては村民の為に身を削るんだ。さもなくば永久に、この村を――貴様の帰る場所を消してやる」
「……はい」
要は薬学のみならず、怪我の正しい処置を学び、病には薬草の知識と自分の血を使えという事だ。
肯定しか出来ず、少年の心の麻痺は誰にも気付かれずに深刻さを増していった。
――帰る場所? 笑ってしまう。そんなもの最初から無いのだから。
「一人では薬草集めも捗るまい。これをやろう」
「……」
「精霊を一匹程度は使役できるようになる。村人にはそれを悟られるな。……まぁ後は自分で考えるんだな」
そう言われて渡されたのは片眼の眼鏡だった。
ちゃら、とチェーンが首元へと繋がっている。
ゼーラックに飼われているという証の首輪の鎖でしか無いそれを掛けると、光を無くした瞳の世界が変わった。
そのガラスを通しただけなのだが、村のあちこちに潜んでいる精霊が『分かった』。
ふらりと辺りを見回すと、ピーヒョロと自分の頭上を鳴きながら飛んでいる鳥が見える。
まるで記憶を埋め込まれたように、自然と山鳥の精霊であるアルバルフであると認識した。
――嘲笑っているのか、もしくは憐れんでいるのか。いずれにせよ使うならあいつがいい。
鳥になりたい、と少年は思った。
鳥は鳥でも、自分は籠の中の鳥だと思えて自嘲した。
「貴様の姓を決めておけ。間違っても、うちの姓は欲しがらぬ事だ」
「……ギル、フォード」
「なんだ?」
「昔……本で読んだ、薬学に長けた登場人物です……。ぼく……私、は。アラン=ギルフォードです」
「クッ、まあ似合いの名だな」
幼少の頃読んだ本に出てくるのは、実は巨悪を打ち砕く物語の勇者の名だった。
小さい頃胸躍らせた彼の活躍にあやかって……というより、無意識の底ではいつかゼーラックを報いを下す事を考えていたのかもしれない。
村に入ってすぐに明るく声をかけてきたのは、十七歳のビルトと十歳のチェスト。
二人に、診療所に入るとてもいい薬師なのだと白々しい紹介をして、ゼーラックはその場を離れた。
この村で生きる為にアランは、男にされてきた事を一度飲み込み、精一杯の余所行きの笑顔で自己紹介をする。
――なんだ、案外簡単だ。
そう作った笑顔を張り付けると、アランは感じた。
「……はい」
ふんぞり返った上で、この人はなんて冷たい表情をするのだろう。
どうせ元々独りなのだから、この場が無くなっても大差はないが、生きる糧を得るにはうってつけだと少年は思った。
生活していく中で村民達は温かく、いつも自分にちょっかいをかけてくる知人も出来た。
――まぁ、『何か』が起きるまでは、この人の下に居た方がいいのだろう。
半ばの諦念も自覚していた。
……生き甲斐も何も無い自分の唯一の武器は気に入っている。
それだけはこの人に感謝をしたい。
無論『それだけ』なのだが。
ルーナの視線の先にはアランが立っていて、表情はいつもの優しい笑顔だ。
だが、状況を考えると、逆にそれが薄ら寒い。
「アラン……」
ビルトは眉間に皺を寄せていた。
「やっぱり、お前なのか?」
「――もうお分かりなんじゃないですか?」
男の質問をさらりと流した師は、表情一つ変えない。
ぎりりと歯を喰いしばって感情を抑えている様子のビルトは、チェストを下ろして太めの樹木の傍にそっと寄りかからせた。
「……チェストに、何を、した?」
「薬を与えただけですよ」
「じゃあ、なんで起きねぇんだよ!?」
アランが飄々と応えるのにイラついたようにビルトが吠えた。
「奥にある野草が見えますか?」
「……悪魔の食事草、だろ。なんでこんな所に……」
「私が栽培したからですよ」
『!?』
師の告白に、ルーナとビルトが息を飲む。
事件の情報を得ていく過程で何となく分かっていた事ではあったが、自白されると心がずきりと痛んだ。
すると、アランが静かにこちらへ向かってきて、その場にいる全員が緊張したように身構える。
だが、そのまま素通りしたアランは、悪魔の食事草に手を伸ばして、口へと入れた。
「お師匠さまぁっ!?」
「っ……何してんだテメェ!!」
ルーナが悲痛に叫ぶと、呆気に取られていたビルトがアランの肩に掴みかかり、無理やり振り向かせる。
――お師匠さまが、死んじゃう!
気付くと少女の体は動いていた。
「だめっ! お師匠さまがいなくなったら……嫌です! 吐いてください! お願い……!」
少女は縋るようにアランに詰め寄るが、彼の表情は何も変化しない。
まるで心を閉じてしまっているようだ。
ただ、咀嚼した魔草がこくりと飲み干され、喉が上下するのを見て少女の脳が絶望に染まる。
このままでは繰り返すのだ。あの惨劇を――…………。
「大丈夫ですよ、ルーナ」
二年前に死んだ父の姿をアランに重ねて、少女の頬に涙が伝った。
「……私にはこんなもの効きませんから」
「――っ?」
理解が、出来なかった。
父と母の惨状を見ているから、余計に。
「どう……して……?」
足が震え、やっとで立っているルーナが掠れた声で問う。
「こういう体質なんです」
「え……? 分から、な……」
呆然と涙を流しながら戸惑う少女に、アランは苦笑した。
しかし。
次の瞬間ダンッと響いたのは、ビルトが横にある木の幹を激情のまま叩いた音だった。
少女が彼を振り返ると、見たことが無い程本気の怒りを含んだ視線をアランへと送っている。
鳥が樹上から、ぎゃあぎゃあと騒がしく鳴いて飛び立っていった。
「テメェの体質がどうとか知らねぇ……けどな、テメェの今の行動見てちびが……ルーナが! どんだけ傷つくのか分かんねぇのかよ!? どこまで根性曲がっちまってんだ!?」
「…………」
「アラン! お前はっ……コイツの、保護者だろ!? それをっ……」
ビルトの表情が歪む。
自分よりも多くの時間を共にしてきた親友だからこそ、アランの言動が許せないのだろう。
少女には、言外に元のアランに戻って来てほしいという男の想いが透けて見えるようにも見えた。
師はルーナにすら目線を送らずに、ただ俯く。
それが、少女の師としての……今までのアランは、二度とルーナの所には戻ってこないという事を暗に示していた。
顎から行く先を無くした涙が、ぽつりぽつりと丸い沁みを地面に作っていく。
――……一体どこまで無力なのだろう、私は。お師匠さまを理解出来ず、ビルトは必死に戻って来いと言葉を投げているのに、私はただ泣く事しか出来ないなんて。
アランはもう視線を誰にも向けず、目を細めたままじっと俯いていた。
感情の膠着が続いた。
……少しして。今まで沈黙していたリラが一歩を踏み出した。
「アラン先生、一つ聞いてもいい?」
「……なんですか? リラ」
「チェストに……悪魔の食事草を、飲ませたの?」
「……!?」
直球の衝撃的な質問は、場を凍らせるのに十分なものだった。
ビルトは息を飲んで答えを待つようにぎゅうと拳を握りしめる。
「えぇ」
「っ――――テメェエェッ!!」
さらりと言ったアランの肯定にビルトは雄叫びを上げて殴りかかった。
頬を思いきり殴ると、彼は細身の体ごと吹き飛ばされる。
木の葉が舞った着地点で、ゆらりと片膝をついていたが、師は抵抗しようとはしない。
「っ……!!」
ルーナは頭を抱え声にならない悲鳴を上げた。
少女にとって、何が正しいのかどうすることが正解なのかも分からず、ただ涙を流すだけの弱い自分をひたすら悔いていた。
「お前がっ……全部やったのかっ!?」
「……」
「答えろや!!」
「えぇ」
「っ――!」
胸ぐらを掴んだままの問いにも、何も慌てる事無く応えたアランを、悔しそうにもう一度殴るビルト。
アランはただただされるがままで、リラはシェトルフが足に纏わりつくのも構わず、気丈にじっとその光景を見ていた。
かさり。
手先の感触に、少女は一つだけ出来る事を思いつく。
しかし、手が震えた。
ビルトの気持ちは痛いほど分かる。
チェストに死んでほしくない。
いつものようにリラと笑い合いたい。
アランを……止めたい。
「お、ししょう、さまっ……!」
『――!?』
一同の視線をこちらへと向かせ、少女は高く掲げ上げた。
診療所で拾った、あの丸い薬草――恐らく、悪魔の食事草を。
「やめなさい!!」
初めてアランの声色に焦りが見えた気がする。
そのまま口に放り込むと、持っていたナイフで近くの蔦を切ると、蔦から溢れてきた水分で喉の奥へと押し込み飲んだ。
「ルーナちゃん!?」
「ルーナ!!」
リラとビルトが駆け寄ってくる。
乾燥したことで効能を急かしたのだろうか。
魔草が通っていったところが焼けるように痛い。
アランは……見たことの無いような、眉間に皺を寄せて悲痛な顔と驚いた目を、こちらに向けていた。
ぐらりと視界が回る。
ルーナは虚脱感を覚え両膝をつくと、ぐるぐるとする視界に耐えられずぎゅっと目を閉じた。
二人が自分の体を揺さぶりながら名前を叫んでいる。
――苦しい。怖い。痛い。辛い。
そんな最中、ルーナの頭に響いたのはこの場で最も薄い声だ。
「……ルー……ナ……」
聞き慣れたその優しい声は、体内に溶けていくように少女の意識をそのまま消失させる。
――お師匠さまなら、きっと……。
酩酊する意識の水底にあったのは、砕かれたはずのアランへの信頼だった。
アラン=ギルフォード。
この名は彼の真実ではない。
十二歳の時にアランはこの村へと連れてこられた。
物心ついた頃、既に彼は孤独を知っていた。
遠くの村にある孤児院に居た彼は誰にも心開くこと無く、本を読む毎日を送る。
中でも興味を持ったのは薬学の本だった。
一つ読むごとに知識を蓄え、アランは薬草を食む事で味と効力を覚えていった。
時が経ち十一歳になって少し経った頃、一人の男と出会う。
タイニーゴ村の村長……ゼーラック=タイニーゴである。
その男は点在する村と村の情報交換、そして和平交渉をする天才だと称されていた。
きっかけは、やはり薬だった。
転んで怪我をしたゼーラックに薬草で手当てをしたのだ。
彼はアランを褒めちぎった。
最初はただ嬉しかった。
何故かはよく分からないが、この人は自分の居る価値を作ってくれている。
そう思えたのだから。
幾度も足を運び、アランとの時間を作ってくれる彼はなんていい人なのだろうと思えた。
しかし何回目かの面会の時、新種の薬草だと言われて渡されたのは実は毒草で、見たこともなかった。
ひたすらに有頂天になっていたアランはその野草を何の疑いも無しに口にする。
薬草の本は飽きるほど読んだが、毒草の文献はそもそも孤児院になんて無かったのだから。
さらに自分自身、毒草には全く興味を示さなかったせいもあるかもしれない。
……発狂寸前まで体内を蝕んだ毒をなんとか弱らせていったのは、体内に蓄積された薬草の力だった。
「素晴らしい!」
死の淵から生還したアランに最初に投げかけられた賞賛の言葉を聞いて、自分がこの人の実験動物だっただけなのだと漸く気付く。
自分がいかに愚かだったのかも。
ゼーラックはとても喜び、アランを引き取ると言いだした。
孤児院は定員がいつも上限を超えていて困っているのを知っていたし、抵抗するだけ無駄だと思った。
いや、思わされた。
――この人からは、きっと逃げられない。
……と。
引き取られてから様々な薬草と毒草を与えられて、果てしない苦しみを味わうはめになろうとも。
十二歳になるまでの間、ゼーラックは山小屋に彼を一人で住まわせた。
恐らく、村民がアランを受け入れた後では、無闇に毒草を試す訳にはいかなくなるとでも思ったのだろう。
アランは文字通り身をもって、どういった形の野草がどういう作用で薬毒になるかを書き溜め、擦り切れるまで読み込んだ。
少年は薬師としての才能があった訳ではない。
薬師としての力を、体に『無理やり埋め込まれた』のだ。
才能があったとすれば、幼少から薬学に興味を持ったことのみだろう。
……少年が十二歳になる十日前。
「十日後、貴様はタイニーゴ村に連れていく。その前に……確かめさせて貰おう」
アランは抵抗しない。
この時心は既に殺されているようなものだったのだろう。
しかし、痛覚はまだ生きていた。
……山小屋を空気ごと劈くような悲鳴があたりに木霊した。
ゼーラックの持つ短剣は腕の皮膚を切り割き、流れ出た深紅の液体は男の持つボトルへと注ぎ入る。
男曰く、薬毒に慣れた体に流れる体液――なかでも一番濃いと謂われる血液は、万能薬になるらしい。
少年の腕の治療をおざなりにして、早馬でタイニーゴ村へと持ち去られた。
もう一人の実験台――男の妻に飲ませる為に。
見事病から回復した妻を見たゼーラックは、少年がいよいよ村へと入る道中こう言って聞かせてきた。
「貴様に相応しい診療所を作らせておいた。医学書の類も置かせてある。これからは村の薬師としてそこに住み、勉強に励め」
「……はい」
「貴様は我々、ひいては村民の為に身を削るんだ。さもなくば永久に、この村を――貴様の帰る場所を消してやる」
「……はい」
要は薬学のみならず、怪我の正しい処置を学び、病には薬草の知識と自分の血を使えという事だ。
肯定しか出来ず、少年の心の麻痺は誰にも気付かれずに深刻さを増していった。
――帰る場所? 笑ってしまう。そんなもの最初から無いのだから。
「一人では薬草集めも捗るまい。これをやろう」
「……」
「精霊を一匹程度は使役できるようになる。村人にはそれを悟られるな。……まぁ後は自分で考えるんだな」
そう言われて渡されたのは片眼の眼鏡だった。
ちゃら、とチェーンが首元へと繋がっている。
ゼーラックに飼われているという証の首輪の鎖でしか無いそれを掛けると、光を無くした瞳の世界が変わった。
そのガラスを通しただけなのだが、村のあちこちに潜んでいる精霊が『分かった』。
ふらりと辺りを見回すと、ピーヒョロと自分の頭上を鳴きながら飛んでいる鳥が見える。
まるで記憶を埋め込まれたように、自然と山鳥の精霊であるアルバルフであると認識した。
――嘲笑っているのか、もしくは憐れんでいるのか。いずれにせよ使うならあいつがいい。
鳥になりたい、と少年は思った。
鳥は鳥でも、自分は籠の中の鳥だと思えて自嘲した。
「貴様の姓を決めておけ。間違っても、うちの姓は欲しがらぬ事だ」
「……ギル、フォード」
「なんだ?」
「昔……本で読んだ、薬学に長けた登場人物です……。ぼく……私、は。アラン=ギルフォードです」
「クッ、まあ似合いの名だな」
幼少の頃読んだ本に出てくるのは、実は巨悪を打ち砕く物語の勇者の名だった。
小さい頃胸躍らせた彼の活躍にあやかって……というより、無意識の底ではいつかゼーラックを報いを下す事を考えていたのかもしれない。
村に入ってすぐに明るく声をかけてきたのは、十七歳のビルトと十歳のチェスト。
二人に、診療所に入るとてもいい薬師なのだと白々しい紹介をして、ゼーラックはその場を離れた。
この村で生きる為にアランは、男にされてきた事を一度飲み込み、精一杯の余所行きの笑顔で自己紹介をする。
――なんだ、案外簡単だ。
そう作った笑顔を張り付けると、アランは感じた。
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舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
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