ステュムパーリデスの鳥 〜あるいは宮廷の悪い鳥の物語〜

ましら佳

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152.貴方は私の矛盾

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天河てんがと二人になると、孔雀くじゃくは何か言いかけてから、止めた。
手早くスフレを焼いて天河てんがに差し出す。
一緒に、と言われて、孔雀《くじゃく》も自分の分も用意してソファに座った。
珍しく失敗したようで、ちょっと焦げたとしゅんとしていた。

天河てんがは好物のフランボワーズのソースを舐めた。
飴一歩手前までに煮詰められた木苺のソースは、頭を鈍器で殴られたかと思うほどに甘い。
驚くべき量の砂糖が入っているようだ。
そっと表面に置いただけでスプーンがふんわりと沈むこのスフレというのは確かにあの父親の好きそうな食い物だな、と思いながら。
シャンパンとか、スフレとか。こういう、刹那的で魅惑的な口当たりのいい快いものが好きなのだ。

孔雀くじゃくのデスクに見覚えのあるファイルを見つけた。

「あれ、ハンコついたの?」

孔雀くじゃく沈鬱ちんうつに首を振った。
あっそ、と言って、天河てんがはスプーンを咥えたまま立ち上がって、ファイルを取ってくると孔雀くじゃくの前に広げた。

「とりあえず押しといて。これ食っちゃうまでに」

さて、と天河てんがは本腰入れてスフレに向かった。

「後で大嘴おおはしが迎えに来るんだけど。何か途中で乗り継ぎあるから早くしろとか言うもんだから」

「は・・・?なんのお話でしょう・・・アカデミーにお戻りになるんですよね?」

「だから。大嘴おおはしが迎えに来るってさ。北の前線のベースまでヘリで飛んで、そっからは陸路か」

孔雀くじゃくはぽかんとして天河を見上げた。

「・・・いえ、ですから。私、ハンコ押してないですし・・・」

どうして大嘴おおはしとそういう話になっているのだろう。

天河てんが様、おわかりと思いますけれど。王族の方が足を踏み入れるには危険な場所です。我々家令ですら、空白地帯の更に奥はここ五十年入っていない。家令がわからないというのはそれだけですでに恐ろしい事なんです」

空白地帯というのは実際に誰もいないわけではない。何もないわけでもない。
表面上は無いことになっているが、軍から消えた兵士はというものは必ずいる。

逃亡兵士だ。彼らが潜伏していると思われる。
他にもいくつものアナーキストが潜伏し、テロリストの温床となっている、というのがここしばらくの見解だ。難民キャンプを襲い、孔雀くじゃくを撃ったあの子供のような存在がまだいるということだ。

根底にあるのは、大戦で打ち捨てられた人々の恨み。
もはや死んだ者の恨みなんて怖くない。
だが、その恨みを引き継いだ生者の恨みというのはどこまでも膨張していく。

天河てんが孔雀くじゃくが切々と訴えたのに、頷いた。

「わかってる」

孔雀くじゃくはほっとして、じっとファイルを見ていた。
北総督府長官代理という立場に天河てんがの名前が登ったということそのものも無かったことにしなければ。後々どんな禍根になるかわからない。
この書類に自分の印鑑が無い以上、議会にも元老院にも回らない。
でも、その前だったら何だって出来る。

大嘴おおはしが来たらそのまま私がヘリに乗っていけばいいんじゃないかと孔雀くじゃくは思いついた。

しかし、天河てんがは、そのファイルをまた孔雀くじゃくに押し出したのだ。

「わかってるから、押してって。そこ、ほら。肌身離さず後生大事にしてるそのハンコでさ。簡単だろ」

孔雀くじゃくはおもむろに立ち上がると、持っていたスプーンを天河《てんが》に投げた。
天河てんがは驚いて孔雀くじゃくを見上げた。

「何ですか、それ・・・。簡単なわけないでしょう・・・。私、寝ないで考えてたのに・・・」

そもそも仮眠に次ぐ仮眠の生活ではあるが。

天河てんが様、考えろって言うから、私、ずっと考えてたんですけど」

おかげでここしばらく寝不足で、血圧が上がり、過重ストレスで砂糖の摂取過多で血糖値も乱高下して、精神的なものか自律神経も乱れて汗が出るし、蕁麻疹は出るし、胃液が上がって気持ち悪いしで、足はもつれるし、健康管理をしている黄鶲きびたきには怒られた。

天河てんがはスプーンを拾ってテーブルに置いた。
孔雀くじゃくはぱっとファイルをつかむと背伸びして窓際の棚の一番上へ置いた。

「どっか行きました。もうわからなくなりました」

この総家令にしたら乱心とも言える行動に、天河てんがが唖然とした。

「・・・そりゃないだろう・・・」
「なんでですか。もう知らない。もうたくさん。嫌ですもう」

孔雀くじゃくは頬を膨らませた。
天河てんがはつっついてからかいたい気分になったが、さすがに自制した。

「嫌?」

孔雀くじゃくはぶんむくれたまま頷いた。
ふうん、と天河てんがは答えた。
この総家令の口から、ついぞ聞かない言葉だ。
だめです、いけません、認められません、とは聞いたことはあるが。

「なんで?」

孔雀てんがは絶句した。

「なんでって。これはもう何もかも天河様がおひどいから・・・」

なんという加害者だろう、とショックを隠せない孔雀に天河は嬉しくなった。

「だから。それはなんで」

孔雀くじゃくは、さらに不思議そうな顔をして天河てんがを見返した。
だから、天河てんがが無神経だからだろうが。
違うのか、という顔に天河てんがは呆れた。
おかしくて仕方ない。

「違う。びっくりするぐらい向いてないな。考えてわかんないなら、教えてやるから今覚えろ」

「何を」と、天河てんがをまともに見て、孔雀くじゃくは、あ、と小さく呟いた。
呟きにならない程のわずかな音は、もう確信。
答えの尻尾を掴んで、それが思ったより早く心に響いてしまった。

孔雀くじゃくが、どうしよう困った、という顔を一瞬した。
追い詰めて捕える喜びに、天河てんがはぞくぞくした。
困惑ごとそのまま受け入れせるつもりでいた。
そうすれば、この女家令は、もっともっと自分のことで頭がいっぱいになる。

孔雀くじゃく天河てんがに引き寄せられる前に、その胸に落ちた。
何度か深い呼吸を繰り返した。困惑しながらも新しい情報を、脳を、心が駆け巡って処理しようとしているのを感じる。
初めて出会う水域に魚が身を滑らせた違和感のようなそんな気分。

「・・・天河てんが様・・・あなたは私の矛盾」

それが孔雀くじゃくが出した答えだ。
天河てんがはそう聞いて、満足だった。
骨の髄まで家令だという孔雀くじゃくの驚くほどシンプルな死生観に、初めて天河てんがという矛盾が生まれたのだ。
その産声が困惑だろうが拒否だろうが、こっちの知ったことではない。

「どうか・・・死なないで。どこにも行かないで。私以外触らないで」

天河てんがが予想したよりも、激烈とも言える身勝手な言葉だ。
それを愛というか、呪いと言うか、それは人それぞれだろうけれど。

天河てんがの脳髄が喜びに震えた。
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