金魚の記憶

ましら佳

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39.瞬間調光ガラス

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そうして桃はゴールデンウィーク明けに、初出社となった訳であるが。

ほぼ4年ぶりの日本は、桜は散ってしまっただろうけど、きっと緑が美しい頃だろうと楽しみだった。
新緑の頃、とよく聞くが、日本の初夏の緑色の多様さを見事に捉えているなあと思う。
木々の緑がその品種ごとに違う濃淡や彩度を持ってきらめいている。

・・・しかし、思ったより、暑い。

ついこの間まで雪が降っていた国を出発し、到着したのは初夏と言うにはもっと暑い国だった。
スウェーデンの祖父の馴染みであるテーラーで誂えたスーツが、暑い。
良い品物と言うのは、軽いけれど、暖かい・・・暑いのだ。
まとわりついて来る湿気と木や草の匂いを含んだ水の匂いに、ああ、日本に戻って来たと感じた。

コンビニに寄って冷たいお茶と、目についたお菓子を片っ端から買った。
なんと恋しいコンビニ!!!

桃は上機嫌でコンビニを出て、そのまま父の会社のグループ企業の入っているビルへと向かった。
受付で、こちらが照れてしまいそうなほどの小綺麗で手入れの行き届いた若い女性に迎えられた。
繊細な肌や表情、端正なメイク、身につけているアクセサリーまで華奢。
ああ、日本の女の子だなあと懐かしい。

案内された部屋で桃は少し緊張していた。
何せ、30歳が見えて来た年齢と言うのに社会人経験ゼロである。
しかも特殊、ややこしいで有名な日本の企業だぞと同僚からは脅されて来た。
慌ててビジネスマナーの電子書籍を買って読んだが、果たしてこんな付け焼き刃でなんとかなるとも思えない。
秘書と思われる女性が冷たいアイスコーヒーとお菓子まで出してくれて、感激しながらありがたくアイスコーヒーを飲んでクッキーも食べた。

「・・・・おいしい・・・こんなの、もうカフェでしょ・・・」

本当にここ会社?
って言うか、これが会社なの?
普通がわからない。

「・・・これ、おいしい・・・」

これはどこのなんていうクッキーだろう。
しばらく日本に居ないと、知らない食べ物がどんどん増える。
じっと包装を見ていると、目の前の壁だったものがガラスになり、奥に部屋が見えた。

そのガラスの向こうに、見覚えのある人物がいて桃は絶句した。


あーあ、という表情をしてこちらを見ていたのは藤枝公太郎だった。

・・・なんで?!
大体、これさっき、壁だったよね・・・。
不思議さのあまりにガラスに近づくと、ガラスの向こうで公太郎がスイッチを示した。

「・・・ああ、瞬間調光ガラスか・・・」

スイッチ一つで、透明ガラスが曇りガラスになって、更にプロジェタースクリーンにもなるという優れものだ。
原理は分かったけれど、なんで彼が現れたのか。

公太郎は一旦部屋を出ると、ドアから入って来た。

「・・・久しぶりだな・・・初出社でグビグビコーヒー飲んでガツガツ食わないんだぞ、普通」
「・・・すいません・・・。え、あの、どうして・・・?」
「・・・うん。ここ数年、いろいろありまして。私生活も。・・・桃は?」
「取り立てて、何もないです・・・」
「うん、それっぽいな。・・・転居、転職したのが4年前」

ああ、別れてすぐにか。

「結婚したのが3年前」
「え、そうなの。すごい」
「離婚したのが、一昨年」
「・・あ、それは・・・」
「うん。聞きたい事は?言う事は?」

聞かれて桃は戸惑った。
知らなかったけど、おめでとう、でも大変でしたね、と言ったら変なのかどうか、と桃はしばし考え込んだ。
ビジネスマナーのハウツー本にはこんな会話は無かった。
しかし、向けられた話題には乗れとか書いてあったような・・・。

「・・・え?えーと・・・なんで離婚?・・・って聞いた方がいいのでしょうか・・・この場合・・・?」
「・・・・聞かない方がいいよね」
「すいません・・・」
「・・・うん。あのさあ、社会人マナーつうより、デリカシーの問題だろ」
「・・・ですよね・・・」

ああもう、前途多難。
やっぱり社会人無理かもしれない。
陸教授に電話して、初日第一歩目で地雷を踏みました。多分もうクビです、面目ないと、先に謝った方がいいだろうか。

「・・・もういい。・・・何にしても、こうなっちゃったんだから仕方ない。桃の父親がここのグループ会社のCEOだと言うのも、二週間前に初めて知った。うちのチームの直属になるから。CEOと桃の関係を知ってるのは、役員数名と俺と、人事部長だけ。まあ、続柄つづきがらにも書けないような関係なんだから慎重になるよな。・・・お互いメリットのあるプロジェクトになるように。どうぞよろしく頼みますよ、オルソン博士」

桃は、やっと「はい。よろしくお願いします」とだけ答えた。

ここから新たな桃の日本での生活が始まったのだ。
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