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二百三十四
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悪夢を統べる闇の王が復活を果たしてから四時間。街は紅蓮の炎に包まれていた。その燃え盛る炎と黒煙を見つめ、歯痒い思いをしている存在が居た。
闇の王が生み出した漆黒の軍勢は、街の外に出る前にことごとく打ち倒され、無に帰してゆく。その不甲斐なさに、ギリリ。と奥歯を噛み締めた。
容易に落とせると思っていた街が、意外な抵抗を見せている。それは、憎むべき神の作りし塔、『ホルロージュ』の存在が大きな誤算と言えよう。塔を攻略せんとする精鋭の冒険者達が、騒ぎに気付いて駆け付けてから戦局は大きく変わってしまった。
又しても邪魔をするのか。紅蓮に染まる街から大河を挟んで聳え立つ塔に視線を向け、再びギリリ。と奥歯を噛んだ。
突如として背後に現れた存在に、苛立ちを募らせる存在は八つ当たりをしてやりたい気分にかられ、殺気を膨らませる。何もない地面から不自然な影が湧き上がり、人を形作る。燕尾服の様なスーツを身に纏うその姿は、主人に仕える若き執事の形を成していた。
「王よ」
「どうした?」
「各所で戦線が崩壊し、我が軍が劣勢になりつつあります」
「そんなものは見れば分かるわ。馬鹿者が」
最初こそ、『自衛隊』という異形の軍隊で戦いを優勢に進めていたが、時を経る毎に徐々に押され始め、今では完全に圧倒されてしまっている。放った軍勢が全滅させられるのも時間の問題なのは誰の目にも明らかだった。王と呼ばれた存在は、苛立つ勢いに任せて塔を指差した。
「あの忌々しい神の遺産が、余の力を奪っておるのだ。そうでなければ、この様なちっぽけな街などとうに灰燼と化しておるわ」
「なんと、彼の塔にその様な力が……?」
なんとも忌々しい。とバトラーは呟いたが、それだけでは無い事も王と呼ばれた存在は気付いていた。
「小娘め。 意外にしぶといな……」
先程の王と同じく『ホルロージュ』を忌々しく見ていたバトラーは、王の呟きにハッとして主人を見つめた。
「王。何か仰いましたか?」
「いや、何でもない。こうなっては致し方無い。余自ら冒険者なる者達を駆逐してくれるわ」
我慢の限界に達した闇の王は、自ら冒険者の討伐へと乗り出した――
「風の精霊シルフィード、契約に基づき我の元へ来たれ!」
リリーカが持つ杖の先端が淡い緑色に輝くと、一体の精霊が姿を現した。その小さな精霊は、背から生えた羽を一生懸命羽ばたかせながら、召喚主であるリリーカにニコリ。と微笑み、リリーカが目標としている漆黒の軍を睨み付ける。
「大気に満つるその力、刃と成して敵を刻め!」
リリーカの術に呼応し妖精が右手を差し出すと、掌から不可視の刃が生まれ出でる。刃は、銃弾を象った魔力弾すらも切り裂きながら最前線で斬り結ぶ、オジサマことグレイ=リブラ=ユーリウスの背に迫る。
「お父様っ!」
「応っ!」
娘に言われずともグレイには分かっていた。冒険者時代に研ぎ澄まされた感覚は、今や完全に取り戻しており、不可視である刃の接近を肌で感じ取っていた。
グレイは刀の様な魔力刃で鍔迫り合いを演じていた漆黒の兵士を押し返し、そのまま倒れ込む様に膝を着く。押し返されて一時失ったバランスを取り戻した漆黒の兵士は、馬鹿め。とほくそ笑みながら悠々と魔力刃を振り上げて、兵士に跪く様に頭を垂れているグレイのその首に狙いを定めた。しかし、振り上げた魔力刃が振り下ろされる前に、身体が上下に分かたれて絶命する。リリーカが放った不可視の刃が、グレイの頭を掠めて通り過ぎたのだ。不可視の刃は一体両断する毎にその威力を弱め、十数体両断した所で霧散して消えた。
「スゲェ……」
グレイは初めからギリギリを装って相手の油断を誘っていた。それは余程の実力差と仲間を信じていないと出来ない芸当だ。自身が壁役となり敵を引き付け、後方の魔法使いに一掃させる。その見事な連携プレーに誰しもが目を見張り、共闘している他の冒険者達から感嘆の声が漏れる。
「いよっし! オレ達もやるか!」
グレイとリリーカに感化された冒険者達が突撃を開始する。グレイと同じ様に壁役が囮となり魔法使い達が詠唱を始める。しかし、流石にグレイとリリーカの様には上手くはいかず、僅かばかりの隙を突いて後方から放たれた魔力弾が、魔術士達に降り注いだ。
「慈悲深き至高神よ。か弱き我等に悪しき力を退ける盾を与え給えっ!」
迫り来る魔力弾に、戦々恐々としていた魔術士達の頭上に、輝く薄布が覆った。その薄布触れた魔力弾は、あらぬ方向へと弾かれてゆく。一体誰が……?! 魔術士達が見たのは、杖を構えて祈りを捧げる、でっぷりとしたおばさんの姿。
「今よっ!」
有難うおばさん。恩に着るぜおばさん。昔の呼び名を知ったなら、誰しもがマジかっ!? と一斉に振り向き、揃ってナイナイナイ。と、手首を横に振ってツッコミを入れるであろう太ったおばさんに感謝しつつ、眼前に迫る暗黒兵士を薙ぎ払う。
「いよっしゃ、このまま突き進むゼ!」
調子付いた塔攻略者が兵士を殲滅せんと一歩を踏み出しそして、その視界が左右に割れた。
塔攻略者の中でも若手の男から噴き出した血飛沫は、その場にいる残りの塔攻略者の出鼻を挫くのには十分過ぎた。それを成した人物に恐れ戦き、その足を一歩、また一歩と後退させる。
「全く、蟻共などに遅れなぞ取りおって……」
噴いた飛沫の向こう側に佇むその姿を見て、ガラリ。とリリーカが持つ杖が地面に落ちた。
「ま、まさか……そんな……」
ヨロリ。ヨロリ。と覚束ない足を前へと進め、崩れ落ちる若者の向こう側で口角を吊り上げる人物に向かう。
「ダメよリリー! 戻りなさいっ!」
「ふん。闇弾」
闇の王から放たれた漆黒の魔力弾が呆けるリリーカに襲い掛かる。防御の祈りが間に合わない事を悟り、我が子の無残な姿を脳裏に浮かび上がらせるユリア。しかし、その光景は現実のものにはならなかった。魔力弾とリリーカの間に入り込んだ一つの影が、魔力弾を剣で弾き或は切り裂く。それでも捌き切れなかった魔力弾が、リリーカを庇った者の脚を貫き腕を抉った。
「ぐぅっ!」
「お父様っ!」
ガクリ。とその場に膝を着いたグレイをリリーカは支える。と同時に、父親をこの様な目に合わせた存在に、憤りを募らせ睨み付けた。
「どうして……どうしてこんな事をなさるのですか、お姉様っ!?」
リリーカの叱咤に一瞬怯んだ闇の王。怯んだ様に見えたのは、闇の王の内に未だ残るカナの魂がそうさせた。それと悟られぬ様、闇の王はリリーカを見据える。
「お姉様……? 何だ小娘。この者の事を知っておるのか? だが残念だったな、この者の身は今や余の物だ。娘は余に身体を差し出したのよ」
「差し出した……?」
「そうだ小娘。この娘は余と契約を交わした。永遠の苦痛から開放してやったのだ。この、悪夢を統べる闇の王『ナイトメア』がな」
「ナ、イトメア……?」
リリーカはその者の名を記憶の中に探し求めた。しかし、彼の世界は広大で底が知れない。精霊使いとしてまだまだ駆け出しのリリーカではソコに辿り着く事が出来なかった。だが、相手が闇属性の怪物ならば、光属性の攻撃で浄化させる事が出来るのでは無いか? そして、闇の魔物さえ浄化してしまえば、カナの魂は身体を取り戻し、再び元のお姉様に戻るのではないか? そう思い、リリーカは落とした杖を手に取って、『ナイトメア』と名乗る存在に向かって構える。
「光の精霊リュミエールっ、契約に基づき我の元へ来れ!」
淡く白い光を放つ杖の先から、見た目からでもモフモフしていると分かる、球体の精霊が姿を現わした。バレーボール程の大きさをしたその精霊は、二つのつぶらな瞳をパチクリ。とさせ、主人の前を漂い始めた。その精霊の姿をひと目見て、闇の王は口角を吊り上げる。
「光の奔流を解き放ち、彼の者を浄化せよっ!」
闇の王の足元に六芒星を象った魔法陣が描かれ、眩い光が天に向かって立ち昇る。五メートル大の魔法陣から放たれた光の柱が徐々に薄れ、中から何食わぬ顔で姿を見せた人物をリリーカは、驚きの表情で迎えた。
「そ、そんな……」
「お前は仮にも精霊使いであろう? 精霊界における絶対の天則を知らぬ訳があるまい?」
精霊界における天則。下剋上が決して許される事のない定められた掟。例え反属性の精霊であろうとも、より強力な存在の前には意味をなさない。それは魔法学院で一番初めに習う事だ。勿論、リリーカもその事は知っていた。だが、大好きなカナの姿をした闇の王に冷静さを欠いていた。
「下位精霊如きの脆弱な光では、余を傷付ける事など永遠に叶わぬぞ?」
「下がれリリーカ。アイツは確実に上位種だ。駆け出しのお前では荷が重すぎる」
「慈悲深き至高神よ。傷付き倒れし者を再び立ち上がらせる癒しの力を与え給えっ!」
ユリアから放たれた祈りが、グレイの傷を瞬く間に癒す。その様子を見ていた闇の王はスッと目を細めた。
「ほぅ……余の忌むべき神の祈りが使えるか。そうまでして抗った所で、蟻では龍に勝てはせぬぞ」
「……行けリリーカ」
グレイはリリーカに囁く様に伝える。
「い、嫌です。私もお父様やお母様と共に――」
「足手纏いが居ては邪魔だって言ってるんだっ!」
今まで優しかった父親の突然の叱責に、リリーカはビクッと小さな身体を震わせた。
「分かってくれリリーカ。お前を守りながらでは、俺達も全力で戦えない。アイツは強い、全力を出さなければこちらも無事では済まないだろう」
自分はまだ未熟だと、足手纏いなんだと思い知らされた一言だった。リリーカは下唇をグッと噛んで、断腸の思いで頷く。
「ウォルハイマー。娘をリリーカを頼む。俺達はお前達が逃げる時間を稼ぐ」
「ユーリウス卿、貴方まさか……」
「心配するな。リリーカの花嫁姿も拝んで無いってのに、ここで無駄死になんか出来るか」
「……ご武運を」
ウォルハイマーはそれだけを言い残し、リリーカを連れてその場から離れた。
「こんな気分、久々ね」
「ああ、塔の番人以来かな……? 参ったね。オレもだいぶ歳だっていうのに、あの時よりも強い相手だってのに……ワクワクが止まらねぇゼ」
チャキッ。とグレイが持つ剣の切っ先を闇の王に向けると、刀身が淡く青白い光を纏い始めた。
「行くぞ野郎共ぉぉっ!」
『おおおっ!!』
かつての英雄、グレイの鼓舞と共に、闇の王を討伐すべく精鋭の冒険者達が一斉に駆け出した――
冒険者達の雄叫びは、リリーカの耳にも届いていた。『お父様、お母様、どうかご無事で……』。小さな膨らみの奥で切に願いながら、リリーカは郊外へと駆け抜ける。
「『リブラ』様、何方へ行かれるのですか?!」
「私が通う魔法学院です! あそこならば、自称闇の王を名乗る『ナイトメア』に繋がる何かがあるかもしれません!」
「ですが、彼の地までは魔導船を使っても丸一日の距離、徒歩ではゆうに一週間は掛かりますぞ!」
そんな事はウォルハイマーに言われなくてもリリーカには分かっていた。だが、この騒ぎでキュアノスに寄港する筈の魔導船が何処かで停泊している可能性は高く、最悪権力を使って船を強奪してでも学び舎まで行くつもりでいた。
しかし、郊外へと続く街の出口に、ズラリ。と人が並び、その中に見知った顔があるのを見つけたリリーカは、駆け足を止めた。
「良かった。無事だったのねリリーカ」
リリーカより僅かに背の低いその美幼女は、リリーカに向かってニッコリと微笑む。
「マリー様っ?!」
「王女殿下!? どうしてこの様な危険な場所に?!」
「ちょっとした作戦があってね」
言って腰の革袋から王女が取り出した物は、透き通っているのに中が全く見えない不思議なタマゴ型の宝石だった。
「コレは少し前にお姉ちゃんから貰った物なんだけど、……ここを見て」
王女が指差すその先をリリーカは目を凝らして見つめると、僅かながらに亀裂が生じていた。
「ヒビが入っているでしょう? 数日前まではなんともなかったのよ。つまり、これは宝石じゃなくて何かのタマゴ。見た目通りってワケ。コイツを羽化させて、あの闇の王とやらにぶつけようと思ってるのよ」
「で、でも、これは……」
意識を集中すると、精霊使いとして未熟なリリーカでもよく分かる。タマゴの中から感じる強大な力を。
「調べて貰ったら、このタマゴは光の属性を帯びている。闇の存在と名乗るアイツを倒す事は出来なくても、弱体化させる事が出来るかもしれない。そうすれば、前線で戦っている冒険者達にも勝機は見えてくるわ」
「だ、ダメですマリー様。危険ですっ、リスクが高過ぎますっ!」
「リスク……? 何を言っているのよリリーカ。見てご覧なさい」
王女が指し示す街をリリーカは見つめる。街は紅蓮の炎に染まり、城壁は破壊され建物もほぼ倒壊している。美しかった街並みはもうどこにも無かった。
「ここで食い止めなければ、この光景が国中に広がるのよ? いえ、きっと世界中が『こう』なってしまうわ」
確かに王女の言う通りこのままにしておけば、戦火は国を越えて世界中に広がるだろう。かといって、ご先祖様とはいえ、共に『神助を受けし者』同士の奇跡的な巡り合いで、家族同然とも言えるカナを失いたくは無かった。その想いを察し、マリエッタ王女はリリーカの肩にポン。と手を乗せる。
「分かってリリーカ。私は王女、王族なのよ。全体を生かさくてはならない立場なの」
だからたった一人くらい目を瞑れ。そう解釈出来る王女の言葉が、迷い悩んでいたリリーカを動かした。
「な、何をするのリリーカ。ソレを返しなさいっ!」
王女の手から奪い取ったタマゴ。それを大事そうに抱えながら、一歩また一歩と王女から遠ざかる。
「お姉様は私が必ずお助けします。魔法学院に行けば、『ナイトメア』の情報も得られる筈です。弱点さえ判れば――」
「そんな余裕があるとでも思うの!? よく見なさい、冒険者達は今も戦って死んでいるのよ?! 学院に行って弱点を探し、戻って来る迄に彼等は持ち堪えられるとでも?! たった一人の為に、あなたはどれ程の犠牲を払わせるつもりなの?!」
「それでも私は……」
煮え切らない態度のリリーカに、マリエッタはスッと目を細めた。その表情は、一切の感情を捨てた冷酷で残忍なハンターの様であった。
「話にならないわね『リブラ』。冠を持つ者のする事ではないわ。衛兵、この者を捕らえよ。事態が終息した後、国家反逆罪として裁きを受けさせる」
「ハッ!」
王女からの命令を受け、衛兵はそれを直ちに実行に移す。リリーカの周りを衛兵達がぐるりと囲み、突破を試みたリリーカは奮闘虚しく捕らえられた。
「嫌っ! 離してっ! お姉様は私がお救いするんですからっ!」
「観念なさい『リブラ』。そして、お姉ちゃんの事は忘れなさい」
ここで諦めてしまってはカナは救えない。その想いがリリーカの抵抗に激しさを加えた。だが、彼女は非力な精霊使い。加えて未成年の身。屈強な衛兵の前には成す術もなく、次第にその抵抗も弱くなっていった。
「さあ、ソレを返して」
王女は衛兵に背後から羽交い締めにされ、十字架に磔にされた様な格好で項垂れるリリーカに手を差し出した。
「ダメですマリー様。もし失敗したら……」
中級の精霊ですら街が壊滅状態に陥った事があるのだ。上級精霊ともなれば父や母そして、冒険者達ごとこの地が消えて失くなってしまうかもしれない。
「そんなのはやってみなきゃ分からない。失敗を恐れていたら何も出来ないわ」
「街が、この街が、守るべき民ごと消し飛ぶかもしれないのですよ?!」
「それでもアイツを倒せるのなら、世界が『こう』ならない様になるのなら、試す価値はある。もしそれがダメだったのなら……だからリリーカはこのまま魔法学院に向かいなさい」
「え……?」
「学院でアイツの情報を集めて対抗手段を見つけ、必ずお姉ちゃんを取り戻すのよ」
マリエッタ王女もまた、己の命を賭しているのだと知ったリリーカは、もはや抵抗する気力が失せていた。
「ウォルハイマー。彼女の事宜しく頼みましたよ」
「姫……私めは連れて行っては貰えぬのですか?」
「あなたまで連れて行ったら、道中一体誰が彼女を護るのですか。彼女は最後の希望になるかもしれないのですよ?」
だからこそ、共について行きたかった。これで最後になるかもしれないからこそ……
「……畏まりました」
共に行きたい衝動をグッと抑え込み、ウォルハイマーは断腸の思いで了承した。
「ん。それじゃリリーカ、タマゴを返して頂戴」
「はい……」
差し出された王女の手の平に、リリーカは持っていたタマゴを乗せて手を離した。しかしリリーカの手から離れたタマゴは、まるでソコに収まるのを拒むかの様に王女の手をスルリとすり抜け、重力に引かれて落ちてゆく。誰しもがあっ。と思った時には、タマゴは地面に触れていた。
パキィンッ。王女の手をすり抜けたタマゴが、乾いた音を立てて砕け散る。その様子を、その場に居る王女もウォルハイマーも衛兵達も呆然と見つめていた。
「はは、何も……何も起きないじゃないの……」
王女はその場にペタン。と尻餅を着き、砕けたタマゴの欠片を手に取って地面に叩き付ける。
「何が光の属性よっ! 何が天使のタマゴよっ! もう終わりだわ。この国も……世界もっ!」
「王女殿下っ、お気を確かにっ!」
絶望に打ちひしがれるマリエッタと衛兵達は、重苦しい雰囲気に包まれる。そんな中でリリーカだけは、砕けたタマゴではなく別な方向。虚空へと視線を向けていた。
「はい。そうです」
場にそぐわない、不思議な返答がリリーカの口から漏れた。それを聞いた者は互いの顔を見合わせそして同時に、気が触れてしまったのだろうと首を横に振る。だが、そうではなかった。返事をしたのは、リリーカにのみ見えている存在が、彼女に語りかけていたからだった。
上位精霊とは人の目に入っていても、ソレとは認識出来ない完全な精神生命体だ。世界の根幹たる存在の彼等が居るからこそ、火は燃え、風が吹き、水は湧き、大地が肥える。そんな精神だけの生命体が、この地に降り立つにはカナの様に依代が必須であり、その役目にリリーカが選ばれた。
「私は闇を払い、お姉様をお救いしたいのです。その為に何卒お力をお貸し願えませんでしょうか?」
なおも続けられる見えざる存在との会話に、衛兵達にざわめきが広がった。
「はい。勿論で御座います」
「リリーカ? あなた一体誰と――」
「有難う御座います」
王女を無視して虚空に向かって軽くお辞儀をしたリリーカは、未だグレイ達が戦っている場所へと足を向ける。それをマリエッタが肩を掴んで押し止めた。
「ちょっとリリーカ! 何処へ行くのよっ!」
「何処へ……? 決まっていますわ。お姉様をお救い申し上げに行くのです」
肩越しに覗かせたリリーカの瞳に、ゾクリと戦慄が走る。その瞳は、何もかも……己の命すらも捨て去る覚悟の目。その目に気圧され、マリエッタの全身から力が抜ける。王女のくびきから解き放たれたリリーカは、或いは断頭台への道のりであろう一歩を力強く踏み出した――
闇の王が生み出した漆黒の軍勢は、街の外に出る前にことごとく打ち倒され、無に帰してゆく。その不甲斐なさに、ギリリ。と奥歯を噛み締めた。
容易に落とせると思っていた街が、意外な抵抗を見せている。それは、憎むべき神の作りし塔、『ホルロージュ』の存在が大きな誤算と言えよう。塔を攻略せんとする精鋭の冒険者達が、騒ぎに気付いて駆け付けてから戦局は大きく変わってしまった。
又しても邪魔をするのか。紅蓮に染まる街から大河を挟んで聳え立つ塔に視線を向け、再びギリリ。と奥歯を噛んだ。
突如として背後に現れた存在に、苛立ちを募らせる存在は八つ当たりをしてやりたい気分にかられ、殺気を膨らませる。何もない地面から不自然な影が湧き上がり、人を形作る。燕尾服の様なスーツを身に纏うその姿は、主人に仕える若き執事の形を成していた。
「王よ」
「どうした?」
「各所で戦線が崩壊し、我が軍が劣勢になりつつあります」
「そんなものは見れば分かるわ。馬鹿者が」
最初こそ、『自衛隊』という異形の軍隊で戦いを優勢に進めていたが、時を経る毎に徐々に押され始め、今では完全に圧倒されてしまっている。放った軍勢が全滅させられるのも時間の問題なのは誰の目にも明らかだった。王と呼ばれた存在は、苛立つ勢いに任せて塔を指差した。
「あの忌々しい神の遺産が、余の力を奪っておるのだ。そうでなければ、この様なちっぽけな街などとうに灰燼と化しておるわ」
「なんと、彼の塔にその様な力が……?」
なんとも忌々しい。とバトラーは呟いたが、それだけでは無い事も王と呼ばれた存在は気付いていた。
「小娘め。 意外にしぶといな……」
先程の王と同じく『ホルロージュ』を忌々しく見ていたバトラーは、王の呟きにハッとして主人を見つめた。
「王。何か仰いましたか?」
「いや、何でもない。こうなっては致し方無い。余自ら冒険者なる者達を駆逐してくれるわ」
我慢の限界に達した闇の王は、自ら冒険者の討伐へと乗り出した――
「風の精霊シルフィード、契約に基づき我の元へ来たれ!」
リリーカが持つ杖の先端が淡い緑色に輝くと、一体の精霊が姿を現した。その小さな精霊は、背から生えた羽を一生懸命羽ばたかせながら、召喚主であるリリーカにニコリ。と微笑み、リリーカが目標としている漆黒の軍を睨み付ける。
「大気に満つるその力、刃と成して敵を刻め!」
リリーカの術に呼応し妖精が右手を差し出すと、掌から不可視の刃が生まれ出でる。刃は、銃弾を象った魔力弾すらも切り裂きながら最前線で斬り結ぶ、オジサマことグレイ=リブラ=ユーリウスの背に迫る。
「お父様っ!」
「応っ!」
娘に言われずともグレイには分かっていた。冒険者時代に研ぎ澄まされた感覚は、今や完全に取り戻しており、不可視である刃の接近を肌で感じ取っていた。
グレイは刀の様な魔力刃で鍔迫り合いを演じていた漆黒の兵士を押し返し、そのまま倒れ込む様に膝を着く。押し返されて一時失ったバランスを取り戻した漆黒の兵士は、馬鹿め。とほくそ笑みながら悠々と魔力刃を振り上げて、兵士に跪く様に頭を垂れているグレイのその首に狙いを定めた。しかし、振り上げた魔力刃が振り下ろされる前に、身体が上下に分かたれて絶命する。リリーカが放った不可視の刃が、グレイの頭を掠めて通り過ぎたのだ。不可視の刃は一体両断する毎にその威力を弱め、十数体両断した所で霧散して消えた。
「スゲェ……」
グレイは初めからギリギリを装って相手の油断を誘っていた。それは余程の実力差と仲間を信じていないと出来ない芸当だ。自身が壁役となり敵を引き付け、後方の魔法使いに一掃させる。その見事な連携プレーに誰しもが目を見張り、共闘している他の冒険者達から感嘆の声が漏れる。
「いよっし! オレ達もやるか!」
グレイとリリーカに感化された冒険者達が突撃を開始する。グレイと同じ様に壁役が囮となり魔法使い達が詠唱を始める。しかし、流石にグレイとリリーカの様には上手くはいかず、僅かばかりの隙を突いて後方から放たれた魔力弾が、魔術士達に降り注いだ。
「慈悲深き至高神よ。か弱き我等に悪しき力を退ける盾を与え給えっ!」
迫り来る魔力弾に、戦々恐々としていた魔術士達の頭上に、輝く薄布が覆った。その薄布触れた魔力弾は、あらぬ方向へと弾かれてゆく。一体誰が……?! 魔術士達が見たのは、杖を構えて祈りを捧げる、でっぷりとしたおばさんの姿。
「今よっ!」
有難うおばさん。恩に着るぜおばさん。昔の呼び名を知ったなら、誰しもがマジかっ!? と一斉に振り向き、揃ってナイナイナイ。と、手首を横に振ってツッコミを入れるであろう太ったおばさんに感謝しつつ、眼前に迫る暗黒兵士を薙ぎ払う。
「いよっしゃ、このまま突き進むゼ!」
調子付いた塔攻略者が兵士を殲滅せんと一歩を踏み出しそして、その視界が左右に割れた。
塔攻略者の中でも若手の男から噴き出した血飛沫は、その場にいる残りの塔攻略者の出鼻を挫くのには十分過ぎた。それを成した人物に恐れ戦き、その足を一歩、また一歩と後退させる。
「全く、蟻共などに遅れなぞ取りおって……」
噴いた飛沫の向こう側に佇むその姿を見て、ガラリ。とリリーカが持つ杖が地面に落ちた。
「ま、まさか……そんな……」
ヨロリ。ヨロリ。と覚束ない足を前へと進め、崩れ落ちる若者の向こう側で口角を吊り上げる人物に向かう。
「ダメよリリー! 戻りなさいっ!」
「ふん。闇弾」
闇の王から放たれた漆黒の魔力弾が呆けるリリーカに襲い掛かる。防御の祈りが間に合わない事を悟り、我が子の無残な姿を脳裏に浮かび上がらせるユリア。しかし、その光景は現実のものにはならなかった。魔力弾とリリーカの間に入り込んだ一つの影が、魔力弾を剣で弾き或は切り裂く。それでも捌き切れなかった魔力弾が、リリーカを庇った者の脚を貫き腕を抉った。
「ぐぅっ!」
「お父様っ!」
ガクリ。とその場に膝を着いたグレイをリリーカは支える。と同時に、父親をこの様な目に合わせた存在に、憤りを募らせ睨み付けた。
「どうして……どうしてこんな事をなさるのですか、お姉様っ!?」
リリーカの叱咤に一瞬怯んだ闇の王。怯んだ様に見えたのは、闇の王の内に未だ残るカナの魂がそうさせた。それと悟られぬ様、闇の王はリリーカを見据える。
「お姉様……? 何だ小娘。この者の事を知っておるのか? だが残念だったな、この者の身は今や余の物だ。娘は余に身体を差し出したのよ」
「差し出した……?」
「そうだ小娘。この娘は余と契約を交わした。永遠の苦痛から開放してやったのだ。この、悪夢を統べる闇の王『ナイトメア』がな」
「ナ、イトメア……?」
リリーカはその者の名を記憶の中に探し求めた。しかし、彼の世界は広大で底が知れない。精霊使いとしてまだまだ駆け出しのリリーカではソコに辿り着く事が出来なかった。だが、相手が闇属性の怪物ならば、光属性の攻撃で浄化させる事が出来るのでは無いか? そして、闇の魔物さえ浄化してしまえば、カナの魂は身体を取り戻し、再び元のお姉様に戻るのではないか? そう思い、リリーカは落とした杖を手に取って、『ナイトメア』と名乗る存在に向かって構える。
「光の精霊リュミエールっ、契約に基づき我の元へ来れ!」
淡く白い光を放つ杖の先から、見た目からでもモフモフしていると分かる、球体の精霊が姿を現わした。バレーボール程の大きさをしたその精霊は、二つのつぶらな瞳をパチクリ。とさせ、主人の前を漂い始めた。その精霊の姿をひと目見て、闇の王は口角を吊り上げる。
「光の奔流を解き放ち、彼の者を浄化せよっ!」
闇の王の足元に六芒星を象った魔法陣が描かれ、眩い光が天に向かって立ち昇る。五メートル大の魔法陣から放たれた光の柱が徐々に薄れ、中から何食わぬ顔で姿を見せた人物をリリーカは、驚きの表情で迎えた。
「そ、そんな……」
「お前は仮にも精霊使いであろう? 精霊界における絶対の天則を知らぬ訳があるまい?」
精霊界における天則。下剋上が決して許される事のない定められた掟。例え反属性の精霊であろうとも、より強力な存在の前には意味をなさない。それは魔法学院で一番初めに習う事だ。勿論、リリーカもその事は知っていた。だが、大好きなカナの姿をした闇の王に冷静さを欠いていた。
「下位精霊如きの脆弱な光では、余を傷付ける事など永遠に叶わぬぞ?」
「下がれリリーカ。アイツは確実に上位種だ。駆け出しのお前では荷が重すぎる」
「慈悲深き至高神よ。傷付き倒れし者を再び立ち上がらせる癒しの力を与え給えっ!」
ユリアから放たれた祈りが、グレイの傷を瞬く間に癒す。その様子を見ていた闇の王はスッと目を細めた。
「ほぅ……余の忌むべき神の祈りが使えるか。そうまでして抗った所で、蟻では龍に勝てはせぬぞ」
「……行けリリーカ」
グレイはリリーカに囁く様に伝える。
「い、嫌です。私もお父様やお母様と共に――」
「足手纏いが居ては邪魔だって言ってるんだっ!」
今まで優しかった父親の突然の叱責に、リリーカはビクッと小さな身体を震わせた。
「分かってくれリリーカ。お前を守りながらでは、俺達も全力で戦えない。アイツは強い、全力を出さなければこちらも無事では済まないだろう」
自分はまだ未熟だと、足手纏いなんだと思い知らされた一言だった。リリーカは下唇をグッと噛んで、断腸の思いで頷く。
「ウォルハイマー。娘をリリーカを頼む。俺達はお前達が逃げる時間を稼ぐ」
「ユーリウス卿、貴方まさか……」
「心配するな。リリーカの花嫁姿も拝んで無いってのに、ここで無駄死になんか出来るか」
「……ご武運を」
ウォルハイマーはそれだけを言い残し、リリーカを連れてその場から離れた。
「こんな気分、久々ね」
「ああ、塔の番人以来かな……? 参ったね。オレもだいぶ歳だっていうのに、あの時よりも強い相手だってのに……ワクワクが止まらねぇゼ」
チャキッ。とグレイが持つ剣の切っ先を闇の王に向けると、刀身が淡く青白い光を纏い始めた。
「行くぞ野郎共ぉぉっ!」
『おおおっ!!』
かつての英雄、グレイの鼓舞と共に、闇の王を討伐すべく精鋭の冒険者達が一斉に駆け出した――
冒険者達の雄叫びは、リリーカの耳にも届いていた。『お父様、お母様、どうかご無事で……』。小さな膨らみの奥で切に願いながら、リリーカは郊外へと駆け抜ける。
「『リブラ』様、何方へ行かれるのですか?!」
「私が通う魔法学院です! あそこならば、自称闇の王を名乗る『ナイトメア』に繋がる何かがあるかもしれません!」
「ですが、彼の地までは魔導船を使っても丸一日の距離、徒歩ではゆうに一週間は掛かりますぞ!」
そんな事はウォルハイマーに言われなくてもリリーカには分かっていた。だが、この騒ぎでキュアノスに寄港する筈の魔導船が何処かで停泊している可能性は高く、最悪権力を使って船を強奪してでも学び舎まで行くつもりでいた。
しかし、郊外へと続く街の出口に、ズラリ。と人が並び、その中に見知った顔があるのを見つけたリリーカは、駆け足を止めた。
「良かった。無事だったのねリリーカ」
リリーカより僅かに背の低いその美幼女は、リリーカに向かってニッコリと微笑む。
「マリー様っ?!」
「王女殿下!? どうしてこの様な危険な場所に?!」
「ちょっとした作戦があってね」
言って腰の革袋から王女が取り出した物は、透き通っているのに中が全く見えない不思議なタマゴ型の宝石だった。
「コレは少し前にお姉ちゃんから貰った物なんだけど、……ここを見て」
王女が指差すその先をリリーカは目を凝らして見つめると、僅かながらに亀裂が生じていた。
「ヒビが入っているでしょう? 数日前まではなんともなかったのよ。つまり、これは宝石じゃなくて何かのタマゴ。見た目通りってワケ。コイツを羽化させて、あの闇の王とやらにぶつけようと思ってるのよ」
「で、でも、これは……」
意識を集中すると、精霊使いとして未熟なリリーカでもよく分かる。タマゴの中から感じる強大な力を。
「調べて貰ったら、このタマゴは光の属性を帯びている。闇の存在と名乗るアイツを倒す事は出来なくても、弱体化させる事が出来るかもしれない。そうすれば、前線で戦っている冒険者達にも勝機は見えてくるわ」
「だ、ダメですマリー様。危険ですっ、リスクが高過ぎますっ!」
「リスク……? 何を言っているのよリリーカ。見てご覧なさい」
王女が指し示す街をリリーカは見つめる。街は紅蓮の炎に染まり、城壁は破壊され建物もほぼ倒壊している。美しかった街並みはもうどこにも無かった。
「ここで食い止めなければ、この光景が国中に広がるのよ? いえ、きっと世界中が『こう』なってしまうわ」
確かに王女の言う通りこのままにしておけば、戦火は国を越えて世界中に広がるだろう。かといって、ご先祖様とはいえ、共に『神助を受けし者』同士の奇跡的な巡り合いで、家族同然とも言えるカナを失いたくは無かった。その想いを察し、マリエッタ王女はリリーカの肩にポン。と手を乗せる。
「分かってリリーカ。私は王女、王族なのよ。全体を生かさくてはならない立場なの」
だからたった一人くらい目を瞑れ。そう解釈出来る王女の言葉が、迷い悩んでいたリリーカを動かした。
「な、何をするのリリーカ。ソレを返しなさいっ!」
王女の手から奪い取ったタマゴ。それを大事そうに抱えながら、一歩また一歩と王女から遠ざかる。
「お姉様は私が必ずお助けします。魔法学院に行けば、『ナイトメア』の情報も得られる筈です。弱点さえ判れば――」
「そんな余裕があるとでも思うの!? よく見なさい、冒険者達は今も戦って死んでいるのよ?! 学院に行って弱点を探し、戻って来る迄に彼等は持ち堪えられるとでも?! たった一人の為に、あなたはどれ程の犠牲を払わせるつもりなの?!」
「それでも私は……」
煮え切らない態度のリリーカに、マリエッタはスッと目を細めた。その表情は、一切の感情を捨てた冷酷で残忍なハンターの様であった。
「話にならないわね『リブラ』。冠を持つ者のする事ではないわ。衛兵、この者を捕らえよ。事態が終息した後、国家反逆罪として裁きを受けさせる」
「ハッ!」
王女からの命令を受け、衛兵はそれを直ちに実行に移す。リリーカの周りを衛兵達がぐるりと囲み、突破を試みたリリーカは奮闘虚しく捕らえられた。
「嫌っ! 離してっ! お姉様は私がお救いするんですからっ!」
「観念なさい『リブラ』。そして、お姉ちゃんの事は忘れなさい」
ここで諦めてしまってはカナは救えない。その想いがリリーカの抵抗に激しさを加えた。だが、彼女は非力な精霊使い。加えて未成年の身。屈強な衛兵の前には成す術もなく、次第にその抵抗も弱くなっていった。
「さあ、ソレを返して」
王女は衛兵に背後から羽交い締めにされ、十字架に磔にされた様な格好で項垂れるリリーカに手を差し出した。
「ダメですマリー様。もし失敗したら……」
中級の精霊ですら街が壊滅状態に陥った事があるのだ。上級精霊ともなれば父や母そして、冒険者達ごとこの地が消えて失くなってしまうかもしれない。
「そんなのはやってみなきゃ分からない。失敗を恐れていたら何も出来ないわ」
「街が、この街が、守るべき民ごと消し飛ぶかもしれないのですよ?!」
「それでもアイツを倒せるのなら、世界が『こう』ならない様になるのなら、試す価値はある。もしそれがダメだったのなら……だからリリーカはこのまま魔法学院に向かいなさい」
「え……?」
「学院でアイツの情報を集めて対抗手段を見つけ、必ずお姉ちゃんを取り戻すのよ」
マリエッタ王女もまた、己の命を賭しているのだと知ったリリーカは、もはや抵抗する気力が失せていた。
「ウォルハイマー。彼女の事宜しく頼みましたよ」
「姫……私めは連れて行っては貰えぬのですか?」
「あなたまで連れて行ったら、道中一体誰が彼女を護るのですか。彼女は最後の希望になるかもしれないのですよ?」
だからこそ、共について行きたかった。これで最後になるかもしれないからこそ……
「……畏まりました」
共に行きたい衝動をグッと抑え込み、ウォルハイマーは断腸の思いで了承した。
「ん。それじゃリリーカ、タマゴを返して頂戴」
「はい……」
差し出された王女の手の平に、リリーカは持っていたタマゴを乗せて手を離した。しかしリリーカの手から離れたタマゴは、まるでソコに収まるのを拒むかの様に王女の手をスルリとすり抜け、重力に引かれて落ちてゆく。誰しもがあっ。と思った時には、タマゴは地面に触れていた。
パキィンッ。王女の手をすり抜けたタマゴが、乾いた音を立てて砕け散る。その様子を、その場に居る王女もウォルハイマーも衛兵達も呆然と見つめていた。
「はは、何も……何も起きないじゃないの……」
王女はその場にペタン。と尻餅を着き、砕けたタマゴの欠片を手に取って地面に叩き付ける。
「何が光の属性よっ! 何が天使のタマゴよっ! もう終わりだわ。この国も……世界もっ!」
「王女殿下っ、お気を確かにっ!」
絶望に打ちひしがれるマリエッタと衛兵達は、重苦しい雰囲気に包まれる。そんな中でリリーカだけは、砕けたタマゴではなく別な方向。虚空へと視線を向けていた。
「はい。そうです」
場にそぐわない、不思議な返答がリリーカの口から漏れた。それを聞いた者は互いの顔を見合わせそして同時に、気が触れてしまったのだろうと首を横に振る。だが、そうではなかった。返事をしたのは、リリーカにのみ見えている存在が、彼女に語りかけていたからだった。
上位精霊とは人の目に入っていても、ソレとは認識出来ない完全な精神生命体だ。世界の根幹たる存在の彼等が居るからこそ、火は燃え、風が吹き、水は湧き、大地が肥える。そんな精神だけの生命体が、この地に降り立つにはカナの様に依代が必須であり、その役目にリリーカが選ばれた。
「私は闇を払い、お姉様をお救いしたいのです。その為に何卒お力をお貸し願えませんでしょうか?」
なおも続けられる見えざる存在との会話に、衛兵達にざわめきが広がった。
「はい。勿論で御座います」
「リリーカ? あなた一体誰と――」
「有難う御座います」
王女を無視して虚空に向かって軽くお辞儀をしたリリーカは、未だグレイ達が戦っている場所へと足を向ける。それをマリエッタが肩を掴んで押し止めた。
「ちょっとリリーカ! 何処へ行くのよっ!」
「何処へ……? 決まっていますわ。お姉様をお救い申し上げに行くのです」
肩越しに覗かせたリリーカの瞳に、ゾクリと戦慄が走る。その瞳は、何もかも……己の命すらも捨て去る覚悟の目。その目に気圧され、マリエッタの全身から力が抜ける。王女のくびきから解き放たれたリリーカは、或いは断頭台への道のりであろう一歩を力強く踏み出した――
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