魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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商人がやってきた1

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 神殿の広場から武具を回収して数日経ち、ステレは日常の生活に戻っていた。夜明けと共に起き、森を歩き、日暮れと共に寝る。いつもの生活。この数日で体調はなんとか戻った。9割死にかけから蘇生して、寝込む程のダメージが無かったのは幸いだった。この森で寝込むような事態になったら、そのまま死ぬ。
 いつも通り朝食後に庭で洗濯物を干すステレの耳に、土を踏む音が聞こえてくる。間違いなく四つ足ではなく二本足の音だ。ステレの表情は変わらない。この山に住む人は居ないが、来訪者が無いわけではない。見知った人物がそろそろ来訪する予定だった。
 ステレの小屋は、山の斜面の僅かな平地に建っている。獣道同然の道が斜めに斜面を登っている。もう少しで姿が見える、という寸前で足音は止まった。

 「ごめん下さい、ステレ様は御在宅でしょうか。ドルトン商会でございます」

 道の下から聞き覚えのある女性の声で問いかけられた。

 「えぇ居るわよ。ドルトンはどこまで来ているの?」
 「いつものケルンの辻で待っております」

 ドルトン商会はいくつもの国を渡り歩いて貿易を行う遍歴商人だ。山小屋で一人暮らしのステレが、曲りなりにも人間の生活ができるのは、魔獣の跋扈する森を抜けて物資を供給してくれるドルトンのおかげである。一度どうやって森を抜けるのか聞いてみたが「企業秘密」だそうだ。そのドルトンは、ステレがいくら「気にしないから」と言っても、「淑女のお宅にいきなり押しかける無礼はできません」と言って、尾根筋の登山道の分岐点から、律儀に先触れの女性店員を寄越すのだ。待つ間暇つぶしに積み上げた石がケルンになったので、彼らはケルンの辻と呼んでいる。

 「半燭時(一時間)後に来るように伝えてくれる?」
 「承知しました」

 顔も見せないまま足音は去って行った。

 「ま、さすがにこの恰好じゃね」

 淑女扱いしてくれるドルトンが来てくれたのだから、せめて裸で出迎えるのはやめておくことにしよう。洗濯物は小屋の中の物干しに移すと、洗濯タライに水を汲みなおし、身体と髪を濯いで香油を塗っておく。手入れが面倒で短くしている髪は、手ぬぐいで拭いて櫛だけ通せば済む。気温の上がる季節になったうえ森に入る予定もないので、山歩き用の毛織の服ではなく亜麻の服に浅い靴を履くと、不思議と半裸で家事仕事をする姿よりかえって女性らしくなったように見える。
 小屋の前にテーブルと椅子を出してお湯を用意していたら、商会員を連れたドルトンが到着した。

 ドルトンは獣人族の男だ。只人と同様の体格だが、身体は体毛で覆われていて、そこかしこに獣の特徴が混じっている。何の獣かというと、猫のような狼のような熊のような、とにかく『獣』としか言いようがない。それ故に只人の貴族からは「猿」だの「犬」だの暴言を浴びせられることも多い。
 だが、彼らは力は只人と大差無いものの、視覚、聴覚、嗅覚等、五感の能力や敏捷性は只人を遥かに上回る。斥候や間諜をやらせたら右に出る者は無い。森を超えてくる彼の商会員も皆獣人族である。年齢はさっぱり判らないし、聞いても教えてくれない。だが、引き締まりかつしなやかな肉体にはまだまだ活力が溢れている。数月おきに現れては生活必需品を供給してもらい、ステレがこの地で得た情報、倒した魔獣の素材や収集物を引き取って帰る。手紙のやり取りもドルトンが引き受けてくれる。彼あって人間らしい生活が成り立っているというのは誇張ではない。

 「お久しぶりドルトン」
 「ご無沙汰しております、ステレ様」

 ドルトンと共に、商会員が一斉に頭を下げた。ステレはドルトンをテーブルに誘い、お茶を煎れた。茶葉や茶器もドルトンの持ち込んだものだ。ドルトンは普段使いにと言うが、ステレは客=ドルトンが来た時くらいしか茶を煎れない。
 周りでは、商会員が野営の準備を始めていた。ステレの山小屋は一人で住むのが精いっぱいだし、ドルトンは見た目はイケメン中身は蛮族のステレを「お嬢様」として接している。小屋で一緒に寝泊まりする訳にはいかない。
 着座する前に、ドルトンは一行から一人を呼び出して、ステレに紹介した。

 「ステレ様、彼はノル・ヴァルレン殿。森人(エルフ)の工匠です。魔の森とそこで暮らすステレ様にご興味があるとのことで強く望まれ、お連れいたしました」

 「ギリアン氏族、ルジ・ウォレスの子、ノル・ヴァルレンと申します。人の住めぬ魔の森で暮らす方が居ると聞き、無理を言って同行させていただきました。この地で見聞きしたことはしかるべき方以外に他言せぬことを、我が父祖にかけてお誓いいたしますので、何卒滞在をお許しいただきたい」

 マントを脱いだ森人は、丁寧に挨拶した。見事な金髪に緑の瞳。工匠とのことだが、身体は鍛え上げられ一分の無駄も無い。一流の戦士と比べても全く見劣りしないほどだ。角が無いことと瞳孔の形が違うこと以外は、意外なほど鬼人と似ていた。
 森人はその名の通り森の奥に住み、滅多に平原には出てこない。狩猟民族とされ、人口は少ないものの一族皆屈強な戦士であり、特に弓を良くすると言われている。この国の只人ともかつては細々ながら交流があったが、それも今では途絶えて久しいはずだが。
(なるほど、工匠といえど鍛錬は怠っていないということか)ステレは一目で森人の精強さを理解した。

 「事後のご報告で大変申し訳ございません。ステレ様のご事情はある程度お知らせしております」
 「あなたが信頼して連れて来たのなら、私から言う事はないわ。それにこの地に入る以上は、王都もご承知なんでしょう?」

 ドルトンが彼の前で「ステレ」と名を呼んでいることで、ある程度の事情は察することができた。国によって封鎖されているこの地に、王家に無断で部外者が入ることが許されることもない。

 「ようこそノル・ヴァルレン様。魔の森に住む鬼の山小屋にようこそ。御覧の通り何も無いけど、歓迎いたします」
 「とんでもない。森で生き、森で死す我々には非常に興味深い地です。あぁ、失礼ですがステレ様とお呼びしても?」
 「ここでなら結構よ、記録には<鬼人卿>としていただければ」
 「誓ってそうさせていただきます」
 「まずはお茶と、それから商談からよろしいかしら」

 同意した二人のカップに、ステレはお茶を注いだ。
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