魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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一人きりの辺境伯2

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 辺境伯
 グラスヘイム王国に、古い時代にあった爵位である。
 伯爵と名が付くが、格式は侯爵に準じる。というより、侯爵の元になったのが辺境伯である。戦乱の時代、他国の侵入や叛乱に対して迅速に対応する必要から、不安定地帯に信頼のおける有力な家臣を封じ、王に準じる戦時裁量権を持たせた。それが辺境伯である。
 やがて平和な時代が続くようになると、強大な裁量権は不要となり、あるいは危険視され、最終的には伯爵以上公爵未満の通常の爵位=侯爵となり辺境伯は途絶えた。

 「どうしてこうなった」

 ステレは頭を抱えていた。ステレが山奥に引き籠った理由の一つは、自分と王家に降りかかるであろう面倒事を避けるためだった。まさか今更叙爵、それも辺境伯などという高位の爵位が降って来るとは思っても居なかった。
 しかも、たった一人で何をしろというのだ。

 「私もご指示を受けただけで、詳しい事情は伺っていません。ですので多分に推測が混じりますが…」

 そう前置きしてドルトンは王都で掴んできた情報を説明した。

 「陛下は、ステレ様の報告を重く見たようです」

 ステレは、魔の森に勝手に住んでいる形ではあるが、ドルトンを通じて間接的に王家の支援を受けている。それに鬼人になった今でも心はグリフ王の騎士である。魔の森に関する出来事をまとめ報告を出していた。特に魔人に関しては、詳細な報告を送った。森の管理人を名乗る魔人の存在は、王の興味を引くに十分だった。
 監視もかねて、信頼できる人物を派遣したい。しかし生半可な人間がここで生きていくことは不可能だった。耕作もできないし、魔獣を過剰に狩った場合の暴走の可能性を考慮すれば、獣から大量の食料を得るのもできない以上、養える人数は限られる。そうなると、一騎当千の戦闘力を持ち、魔の森で一人暮らしが可能…というか、現に今一人暮らし中のステレが適任ということになる。適任というか、他の選択肢が無い。

 「つまりは、一人であることに意味があるという訳ですか」
 「この地においてはそういうことになります」

 ドルトンの説明を聞いたテルザー卿が、要旨を一言に纏めてそう言った。
 テルザー卿にも同席してもらい、何はなくとも魔人の説明をした。ステレが辺境伯になれば、貴族として麓の砦と連携しなければならない事体も起こりうる。魔人の事は知ってもらう必要があるだろうとの判断だ。

 「…魔人は腕を競うことにしか興味が無いしこの森から出ることも無い。そう報告したのに…。私は爵位なんか無くたって命じられれば従うし、ここは元々王家の直轄地なんだから、そのままそっとしておいてくれても良いでしょうよ」
 「責任の所在というものがあります。何かあった時、王家が魔の森に置いていたのが得体の知れない鬼人では、困るのでしょう。なにしろ、魔人と言えば、都市を丸ごと壊滅させたという話が伝わる程の脅威ですから」
 「それと、例の魔金属の剣のせいか、最近この森に興味を持つ者が王都にも出始めています。貴族が余計なことをしないよう、牽制する意味合いもあるかと」
 
 テルザー卿の私見に続いてそう補足したドルトンだが、(どうにも自分の事は見えない方だ…)とため息をつきそうになっていた。少し考えれば意味が判るだろうに……。

 「女が爵位を継げない制限は、王が特例法を作って例外を認めることとしたけど、でも、平民からいきなり辺境伯なんてあり得ないし、そもそも私は只人じゃない。陛下が重臣を抑えても他の貴族も民も許す訳無いわ」

 ステレは不満を口にする。そこには『王のため』という臣からの視点しかない。どこまで言ってもこの鬼人はグリフ王の忠臣だった。
 グリフ王は逃避行に付き従った者には、気前よく恩賞を出した。5人の貧乏伯爵(家の子息)が、全員侯爵になったのもそのためだ。『気前が良すぎるから自重してください』と、当の5人に言われたほどだ。無理に鬼人にまで爵位を許し、貴族や民の反発を招くなど、ステレの望むことではない。

 「それがですね……」
 「何か事情を知ってるの?」
 「近頃、王都近辺で評判の芝居あるのですが…」
 「…はい?」

 話が突然明後日の方向に飛んで、ステレは面食らった。
 王都の事情に疎いテルザー卿も、不思議そうな顔でドルトンを見ている。
 頭に巨大な疑問符を付けたままのステレに、「大まかな筋ですが」と前置きしてドルトンは話を続ける。

 「時は今から100と有余年の昔、放蕩した末に将軍によるクーデターで王都を追い出された<放浪王>の一行に、一人の男装の女剣士がおりました」
 「<放浪王>にそんな逸話あったっけ?」

 ついついツッコミを入れてしまう。放浪王の逸話はこの国では結構有名で、いろいろ脚色されて物語としても親しまれている。

 「次々襲来する刺客を倒しつつ、一行は逃避行を続けますが、ついに女剣士は致命傷を負ってしまいました。しかし、王を愛する女剣士は死してなお王のために戦わんと、禁断の術を使い鬼人として甦ります。名を捨て、鬼人の家臣として王に仕えた女剣士は、将軍を追い出しついに王都に帰還を果たしました。流浪の生活で民の生活を知り、民の善意により命を繋いだ王は放蕩を改め、良き王となります。王を支えた家臣はみな領地と爵位を得ましたが、人で無くなった女剣士は、自分が残れば愛する王に災いとなると考え、いずことも無く姿を消しました。彼女が褒美として求めたのは、ただ王と一曲のダンスを踊ることのみでした」

 一息に話切ると、ドルトンは黙ってステレの反応を待つ。

 「………」

 話の途中からステレはうつむいてプルプル震えていた。100年前の話に仮託しているが、間違いなく自分を主役にした劇に違いない。何故そう言えるかと言えば、この芝居のストーリーが身に覚えのない風聞などではなく、ほとんど実話だからだ。だいぶ美談に脚色はされているが。

 「王都では、この物語が実話で、鬼人になった女剣士というのは討死したはずのステレ様ではないかと噂になっております。男達はその私心無き忠誠を讃え、女たちは悲恋の主人公として涙しているとか」

 何も言えずにいるステレに、ドルトンは追い打ちをかけた。
 横でテルザーは『私心無き忠誠を称える男』の仲間入りをしそうな表情をしている

 「……どうしてそうなるのよ。ステレは戦場で敵を切り殺して欲情し、誰彼構わず男を誘っては咥え込む淫売だってことになっていたはずよ」
 「っ!…」
 「ステレ様、それは…」
 「事実よ」

 あまりと言えばあまりな自己評価を否定しようとしたテルザー卿とドルトンを、ステレはキッパリと遮った。
 確かに、女の身で公子グリフの逃避行に従い、高名の傭兵隊長を討ち取った武勲を上げて戦死したにもかかわらず、王都ではステレの評価は毀誉褒貶が激しい。その理由がこの醜聞である。『貴族の子女とはとても思えぬ娼婦のごとき所業』、『これ以上悪評が広まる前に戦死してくれて良かった』という者すら居たほどだ。
 そして、否定も何も、実際にステレは何人もの兵を抱いている。
 もちろんそれは血に欲情した訳ではなく、追い詰められた状況で兵が無関係の娘に暴行を働かぬようにするためだった。配下の兵が略奪や暴行を行えばグリフの名に瑕が残る。幸いと言うべきか、男の集団の中に女の自分が居る。自分がやれることはなんでもやる。ステレは心を殺して我が身を差し出した。……いや、心を殺すまでもなく既にステレの心は死んでいた。その頃のステレは「戦場帰りの男が女の抱くのは良くて、戦場帰りの女が男を抱くのは咎められるのか」。そう思いすらした。だから後悔はない。鬼人となった今は、尚更他人事に等しいはずだった。こににきて、鬼人卿の正体がステレだという暴露話が出るまでは。

 「鬼人の正体がステレだったとしても、結局今の私は人外の女で、戦場で敵兵の血を啜って、味方の男に跨る、貴族などに価しない女のはずでしょう。いくら劇中で美化されているとはいえ、その程度で叙爵が支持されとは思えないわ」
 「ステレ様のお心を知る者が、思いの外多かったということでしょう」

 (ん?)と考え、その事実に気が付いたステレの顔色が変わった。

 「……あ………まさか」
 「劇には先ほどのお話も織り込まれておりましたよ。明日をも知れぬ日々に怯え眠れぬ若い兵を慰め、抱きしめる聖母の如き女剣士。兵は共に寝る二人の間に剣を置き、決して一線を越えぬと、そんな感じでした」
 「あぁぁぁぁぁぁぁ~~っ」

 ステレは叫びながらガンガンと机に頭を打ち付ける。なんだろう、淫売と罵られるより、聖母と称えられる方が数段こっ恥ずかしいというのは、、、、

 「思うに、この芝居の筋を考えたのは、王都の噂に心を痛め打ち消そうとした方々でしょう。実際にステレ様が多くの兵を抱いたのは事実でしょうが、ステレ様を知る者は皆お心は劇の中と変わらぬと知っております。ステレ様ももう少しご自愛くだ…」
 「違う」

 机に突っ伏したままステレが叫んだ。

 「……違う、とは?」
 「違うのよ。私には誰も救うことなんてできなかった。最初は皆のため、そう思って無理矢理に笑顔を作って抱かれていたわ。でもね、そのうちに自然と笑うようになっていたわ。私は誰かに縋りたくて、自分が救われたくて望んで抱かれていたのよ」

 ドルトンは、力なくテーブル突っ伏すステレを見つめる。
 初めて彼女の心の内を聞いた。鬼人ではなく、絶望的な状況であがき続けた人間の彼女の。

 (これがステレ様が背負った残り半分か…)

 ドルトンに、ステレが頑なに自分を否定する理由の一端が見えた気がした。
 只人の娘だったステレは、自分の無力さに喘いでいた。真っ先に死んでもおかしくない自分が、女だからと周囲に庇われて生き延び、更には鬼人となって甦ったことで、それが負い目になってステレを苦しめている。

 「だからなんだというのですか…」

 静かに、しかし確信を込めてドルトンは言った。
 思わぬ言葉に、ステレはのろのろと顔を上げた。

 「我々の一族は、商人だけでなく傭兵になるものも少なくありません。女でも男でも戦場に出ます。ですから知っています。戦場で肌を重ねるというのは、そういうことなのです」
 「でも…」
 「私には…ステレ様と閨を共にした男達が救われたかどうかまでは判りません。ただ間違いなく言えるのは、男達はステレ様と同様、縋りたくてステレ様を抱いたのです。ステレ様は、自分が女だから、弱いから絶望していたとお思いですか?違います。男でも女でも戦場での絶望に差など無いのです」
 「でも、陛下もオーウェン達5人も誰も絶望などしていなかった」
 「そう見えていたとしたら……淑女の…ステレ様の前で、無様を見せたくなかったのです。ステレ様もそうですが、良い貴族というのはやせ我慢が得意なのですよ。そういう意味では、ステレ様は陛下や侯爵閣下方をお救いしたのです」
 「そんな…こと……」
 「それに、例えステレ様のおっしゃる通りだったとしても、あの旅を知るものは誰も責めないでしょう。我ら獣人の商人が接触するまで、ご一行の状況はそれは酷い有様だったと聞いております」

 ステレは何も言い返せずにまたうつむいた。あの日、あの時を共に過ごした者でなければ理解できない。確かにそんな3年間だったのだ。
 だが、還らなかった皆にそんなことが何の言い訳になる。それがなんの慰めになる。
 カンフレーから付いてきた家臣は、ステレに代わり最前線で戦い続けて皆死んで行った。少しでも力になろうと、ステレが抱いた兵も幾人もが還らなかった。戦死した者も病死した者もいる。戦死よりも病死が多いような絶望的な状況。そんな絶望から私は彼らを救うことができたのだろうか?
 劇のように、ステレを抱かない兵も居た。
 ステレの天幕で、一緒にささやかな食事をして、他愛のない話をして共に寝る。翌朝、同僚の冷やかしの視線も意に介さず持ち場に戻る。そんな兵を何度も見送った。
 そんな彼らに、確かに自分は救われていた。
 では彼らは?
 答えてくれる相手はもう居ない。
 だからステレは自問自答を繰り返してきた。答えの出ない問を何度も何度でも。そして今でも。


 悲しい目でただ俯くステレを、ドルトンもテルザーも痛ましげ見つめていた。
 ドルトンの見るところ、ステレは自己の評価で悪循環に陥っている。己の挙げた功績を過小に思い込み、ステレではどうしようも無かったことも皆、自分の力が及ばなかったせいだと思い込んでいる。ステレの絶望はまだ続いているのだ。
 だが、どうすればその思い込みを覆せる?。『仕方なかった』と言葉で言えば一言に過ぎない。その一言に、ステレの思い込みを壊す破壊力を持たせなければならない。
 ステレの絶望は、新任の指揮官が陥る病に似ている。大きな力を、権限を持たされたとき、責任感の強い指揮官程、損害の責任を背負おうとしてしまう。ステレの得た大きな力は……

 「よもや、ステレ様は、もっとうまくやれば皆を救うことができた、犠牲を減らすことができた。そうお考えなのでは?。そう、例えば『もっと早く鬼人に転生していれば』などとお考えなのではありますまいか?」

 それはオーウェンが言った『ステレは鬼人になった自分を恥じているのでは』という問いに対する、ドルトンなりの答えでもあった。

 ドルトンの言葉に一瞬ビクリと反応すると、ステレはゆっくりと顔を上げた。諦めにも似た表情に薄い笑みが貼り付いている。それは自嘲の笑いだった。

 「自分だけがこんな『ずる』をして生き残った。なぜもっと早く決断しなかったのか…そう…思った事が無いと言ったら嘘になるわね……」

 (やはり)
 ステレが望んで得た力は、男どころか只人を遥かに凌駕するものだった。望んで得た力なのに、その力の強大さがステレを苦しめているのなら…どうにか、ここに突破口があるかもしれない。

 「……酷なことを申し上げます。お気づきで無い様ですが、ステレ様は少々傲慢になられれているようです」
 「え?」
 「鬼人の力は『ずる』ですか…」

 ドルトンは、まだ明るい空を仰ぎ見た。そして、ステレを挑発するがごとく言った。

 「丁度良く新月時でございます。今夜、本当にそうか試してみましょうか」
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