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ウルスからの使者1
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商会の馬車は街道を西進する。ドルトンが自慢するだけあり、乗り心地は素晴らしいものだった。板の座席に座っているのに、尻も腰も全く痛くならない。難点といえば、キーキーと小さな軋み音が絶え間なく聞こえるくらいだ。油を注せば収まるが、かなり頻繁に注さなけらばならないそうだ。効果が長持ちする油や、人手を介さずに注す工夫を考えているとも言っていたが、今は慣れるしか無いだろう。
夜明けに出発したが、太陽はだいぶ高くなっていた。
「この先に馬車を停められる空き地があります。そこで一休みいたしましょう」
御者台で手綱を取るドルトンが、隣に座るステレにそう言ってすぐ、周囲を警戒していた獣人の商会員が姿を現し、馬車に並走してきた。
「後ろから見慣れない装束の騎馬の集団が来ます、数は10。かなりの早駆けです。…恐らくは剣士です」
「手は出すな、中に戻れ」
ドルトンの指示に頷くと、商会員は走る馬車に軽々と飛び乗り、車内に姿を隠す。
「さて、ただの急ぎ旅の集団ならいいのですが……」
何食わぬ顔で馬車を走らせていたドルトンは、後方から馬蹄の響きが聞こえると、さも今気付きましたと言わんばかりに速度を落として馬車を路肩に寄せた。
駆けてきた馬は確かに10騎。皆、この国で見る馬とは体格からして違う見事な馬ばかりだった。馬上の騎手は分厚い冬用の外套を羽織り、反った長剣を佩いている。鞍には短弓も着けていた。物々しい一団は、道の脇に寄せ速度を落とした商会の馬車を追い抜いていく。追い抜く際に騎手達が全員ちらりとこちらに視線を送ってくるのが判った。その視線の鋭さに、ステレの危機感知が警報を鳴らす。
果たして、馬車を追い抜いた騎馬の一団は、暫く先に進むと歩みを落として馬首をこちらに巡らして止まった。ドルトンも馬車を停めた。
「残念ですが、ただの通りすがりという訳ではなかったようですな」
「山賊にしては身なりも馬も立派過ぎるわね」
「異国の武人といったところですかな。あの外套の意匠からすると諸侯国の物に見えますが…」
視線を動かさずにそんなことを言ってるうちに、騎馬の一団は全員下馬した。幸い、いきなり襲撃する気は無いようだ。
そのうちの一人、頭目と思しき人物は、外套を脱ぐと腰の剣も外して後ろに控える部下らしき者に渡してしまった。止めようとする部下と一言二言問答があったようだが、やがて一人歩いて来ると、ちょうど真ん中で立ち止まり、訛りの混じる王国語で名乗りを上げた。
「卒爾ながらお尋ねしたい。某は、ここより北西は平原のウルスより参った、テンゲンと申す。後ろに控えるのは我が郎党にござる。そちらは遍歴商人の獣人ドルトン殿の一行ではあるまいか?」
「これは…大物ですな…。あの装束の紋章はエン家のものですぞ、諸侯国では五指に入る大家です」
ドルトンが驚きを隠さずに言った。王国の北の皇国、その西にある遊牧を中心とした豪族の連合国。彼らは自分たちの国を『ウルス』と呼ぶ。それは国号というよりは、国の形態そのものを指す言葉なので、この国では『諸侯国』と訳されている。長く続いた諸侯同士の勢力争いは下火になったものの、結局誰もが納得できる王を立てることができず、緩やかな連合国家の形を取ることになった。エン家はその中でもかなりの勢力を誇る一族だった。
ステレはテンゲンと名乗った人物から視線を外さない。
「それに…」
「えぇ」
ドルトンも、ステレが言いたいことが判っていた。
「あの人、かなり強いわ。後ろの郎党も」
「正面からやりあったら……ステレ様以外は死にますな」
「じゃ、しょうがないわね」
「ですな」
ドルトンもあっさりと同意した。
今回は魔の森に行くのではないので、人数を減らして来た。
内戦後の王国の治安はそう悪くは無い。というよりは、何をさて置いても治安維持に心を砕く必要があった。内戦に参加した傭兵がかなり居たからだ。食い詰めた傭兵隊は簡単に山賊に早変わりする。ただの盗賊ではなく、組織化され統一された命令系統を持つ、厄介な山賊だ。新政権はまずは国内の傭兵隊の処遇にケリを付けた。それから、盗賊の元となる貧民の救済を進めたことで、大規模な山賊の発生をなんとか抑え込むことができたのだ。
並の野盗なら何人来ようとステレ一人で事足りるし、夜襲なぞしようものなら、それこそ二人の獣人の餌食にされるだけだ。ステレの世話と街での買い出し等が多くなるのを想定して、只人の女性店員を二人連れて来たのだが、まさか国内でこれほどの精兵に絡まれるとは思ってもみなかった。
闇夜だったドルトン一人で郎党を半数は殺せるだろうが、それでもテンゲンと名乗る戦士に勝てるかは微妙と言わざるを得ない。もちろん、昼間では話にもならない。それだけの強者が丁寧な態度で交渉を求めてきた以上は、この先が面倒事だと予想が付いても、受けない訳にはいかないだろう。
ドルトンは馬車を下りると、外套のフードを上げて素顔を出した。
「丁寧なご挨拶恐れいります。また、諸侯国に名を馳せるエン家のご家中に対し、ご挨拶の遅れましたことご容赦ください。私めは確かに遍歴商人のドルトンでございます。ご用件を承わりたく存じます」
「こちらは騎馬の郎党が控えている故、あれらはそのまま動かさず、某一人がそちらに赴かんと思うがいかに?」
彼らの乗馬は見た目だけでも判る駿馬だ。できるだけ郎党から距離を取ろう言うテンゲンは、敵意の無いことを示そうとかなり気を使っているようだった。
「それには及びませぬ。ですが、このまま道を塞ぐのもよろしゅうございません、これより先に野営可能な広場がございますので、そちらでお待ち下さい。その場に席をご用意させていただきます」
「なるほど…我らが平原は、全てが道である故、そこまで気づかなかったわ」
冗談なのか本気だったのか、わずかに苦笑を見せるとテンゲンは郎党の元に戻った。やがて、一党は乗馬すると、先に進んでいく。それを見送ってからドルトンは御者台に戻った。
「どう思います?」
「戦力では圧倒的に優位なのに、驚くほど下手に出てるわね。何か弱み握ってたりする?」
「とんでもない。あの国の武人ときたら、侮辱されたと思った瞬間に、即座に相手を殺して自害するような連中ですぞ」
「国中の戦士が『オマエを殺して俺も死ぬ』とか言い出すの?面倒な連中ね」
「まだ諸侯同士で小競り合いがあるようですから、何百年か前のこの国の戦国の気風がまだ残ってる感じですね」
「あぁ、なるほど」
ステレは<夜明けの雲>の言っていたことを思い出した。敗北の恥より自死を選ぶようなそんな戦士が、豪族同士が戦争を繰り返す時代には、この国にもゴロゴロしていたという。
「普段は折り目正しい方々なのですけどねぇ。何か切っ掛けがあると、途端に死ぬか生きるかの話になってしまうのです。あの方々と付き合うと、即死罠だらけの地下迷宮を歩いている気分になりますよ」
「さっきのテンゲンって人は、そういう感じでは無いようだけど」
「そうですね。諸侯国でも庶民はそこまで極端ではありませんし、さすがに文官は忍耐強い方が揃っていますから、あの方はそういった役職の方なのかもしれませんな」
「どちらかというと、腫物に触るような感じよね……諸侯国がらみというと…これかな?」
言いながら腰の剣をポンポン叩く。確かに業物だったが、何か曰くのある品だったのだろうか?
「信用のおける商人仲間から買ったんですがねぇ」
なんとなく予想は付いていたのだろう。そう言ってドルトンは溜息を付いたのだった。
野営の広場は、街道沿いのところどころに作られている。早馬による駅制度を、旅する商人が真似て始めたと言われている。街を出て一休み、あるいは野営する距離に広場を作り、木陰となる木を整備し、場所によっては井戸まで掘られていた。王国は、街道整備と合わせ公費で整備を後押ししようとしたが、予算不足でままならない状況だという。
広場ににつくと、テンゲンら一行は広場の隅に馬を繋ぎ、めいめいが石や倒木に腰掛けていた。7人しか見えないので、残りは周りで警戒しているのだろう。
ドルトンは反対側の端に馬車を止めると、男の店員に命じて、野営用のラグを持ち出させた。広場の中間にそれを広げ、水で割った葡萄酒の水差しと杯を用意させると、テンゲンを招き寄せた。
「おお、この国でウルスの毛氈を見ることになるとは」
テンゲンは広げられたラグが故郷の様式なのに気づくと、僅かに頬を緩めた。招かれるまま、なんの気負いも無いように、広げられたラグの上に堂々と座わる。
年齢は30過ぎに見える。黒い髪を首の後ろでまとめていた。上衣は二重にして右脇で止める袷で、襟も高く寒風吹きすさぶ平原を馬で駆ける際に、風が入り込まない工夫がされている。諸侯国独特の装束だった。
ドルトンは、両膝を付けて跪き、諸侯国の貴人に対する礼をする。
「改めまして、遍歴商人のドルトンにございます」
「某はエン・テンゲンと申す」
テンゲンは胡坐のまま礼を返すと、懐から複雑な意匠の施されたメダルのようなものを取り出してドルトンに見えるように置いた。精緻な透かし彫りは確かにエン家の紋章で、これを持つ者はエン家の一族だけである。メダルは印章になっていて、彼ら一門はこの印章の捺された命令書であれば、命を捨てろと書かれていても従うと言われている。
ドルトンは驚愕した。穏やかそうな人柄から生粋の武家ではないのではと予想したが、よもや武威で知られるエン家の一族だったとは。
「ご、ご家中ではなく、エン家のご一族とは…」
「気にされるな、身分を偽るのが性に合わぬ故名乗っただけで、今の某はただの外国人テンゲンにござる。それに御屋形様には、『お前にはエン家の武士たる気概が無い』と事ある事に言われる始末でな」
苦笑しながら言うテンゲンに、さもありなん…とドルトンは思った。この男は何かにつけ張り詰めている諸侯国の武人とは程遠い。
「とはいえ、お館様もそのような武辺者ばかりでは国が成り立たぬことは承知されておる。故に、某のような者でもこうしてお役目を与えられ、禄を食むことでできる訳でござるが」
テンゲンはさらりと恐ろしいことを言った。なんと、この男はエン家当主の命を受けて来たという。それほどの事情か…とドルトンは気を引き締め直した。
「まずは口をお湿し下され」
身分を明かされた時点で、受けに回ってしまったことを悟ったドルトンには、立て直す時間が必要だった。杯の一つに水割のワインを注ぐと、杯の内面を洗うかの如くにくるりと回して、地に捨てた。もう一度注ぎなおすと、今度は自分が先に口を付けて、目の前で飲んで見せる。同じ杯に注ぎなおすと、テンゲンに差し出した。
杯を受け取ったテンゲンは、確認もせずに一息に飲み干すことで、信頼を示して見せた。
「あぁ美味いな。先程まで走り詰めで喉が乾いたおったから、ひとしおだ」
「では、残りはご家来の方々にも」
ドルトンはテンゲンの杯に水割りワインを注ぐと、もう一つの杯に自分の分を注いだ。そのまま、まだ中身の入った水差しをテンゲンに差し出す。
「有り難く頂戴しよう」
そういうってテンゲンは郎党の一人を呼び寄せると、水差しを持っていかせた。ずっと厳しい顔をしていた若者たちの顔がほんの僅かだけ綻んだように見える。
仲間の所に戻り、飲み物を分け合い始めたのを見ると、ドルトンはテンゲンに視線を戻した。
交渉慣れした男だ…。ドルトンは、率直にそう思った。
交渉前に間を取りたいこちらの意図を察し、身分に拘らないことを示すために対等の姿勢で進物を受け取り、更に部下の緊張もほぐして見せた。それでいてステレが驚異を感じるほどの使い手である。しかも当主の命で来たとあれば引くことはできまい。一体、どんな交渉なのだ…。
「さてテンゲン様、エン家ご当主の命とは…私めにどのようなご用件でしょうか」
夜明けに出発したが、太陽はだいぶ高くなっていた。
「この先に馬車を停められる空き地があります。そこで一休みいたしましょう」
御者台で手綱を取るドルトンが、隣に座るステレにそう言ってすぐ、周囲を警戒していた獣人の商会員が姿を現し、馬車に並走してきた。
「後ろから見慣れない装束の騎馬の集団が来ます、数は10。かなりの早駆けです。…恐らくは剣士です」
「手は出すな、中に戻れ」
ドルトンの指示に頷くと、商会員は走る馬車に軽々と飛び乗り、車内に姿を隠す。
「さて、ただの急ぎ旅の集団ならいいのですが……」
何食わぬ顔で馬車を走らせていたドルトンは、後方から馬蹄の響きが聞こえると、さも今気付きましたと言わんばかりに速度を落として馬車を路肩に寄せた。
駆けてきた馬は確かに10騎。皆、この国で見る馬とは体格からして違う見事な馬ばかりだった。馬上の騎手は分厚い冬用の外套を羽織り、反った長剣を佩いている。鞍には短弓も着けていた。物々しい一団は、道の脇に寄せ速度を落とした商会の馬車を追い抜いていく。追い抜く際に騎手達が全員ちらりとこちらに視線を送ってくるのが判った。その視線の鋭さに、ステレの危機感知が警報を鳴らす。
果たして、馬車を追い抜いた騎馬の一団は、暫く先に進むと歩みを落として馬首をこちらに巡らして止まった。ドルトンも馬車を停めた。
「残念ですが、ただの通りすがりという訳ではなかったようですな」
「山賊にしては身なりも馬も立派過ぎるわね」
「異国の武人といったところですかな。あの外套の意匠からすると諸侯国の物に見えますが…」
視線を動かさずにそんなことを言ってるうちに、騎馬の一団は全員下馬した。幸い、いきなり襲撃する気は無いようだ。
そのうちの一人、頭目と思しき人物は、外套を脱ぐと腰の剣も外して後ろに控える部下らしき者に渡してしまった。止めようとする部下と一言二言問答があったようだが、やがて一人歩いて来ると、ちょうど真ん中で立ち止まり、訛りの混じる王国語で名乗りを上げた。
「卒爾ながらお尋ねしたい。某は、ここより北西は平原のウルスより参った、テンゲンと申す。後ろに控えるのは我が郎党にござる。そちらは遍歴商人の獣人ドルトン殿の一行ではあるまいか?」
「これは…大物ですな…。あの装束の紋章はエン家のものですぞ、諸侯国では五指に入る大家です」
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ステレはテンゲンと名乗った人物から視線を外さない。
「それに…」
「えぇ」
ドルトンも、ステレが言いたいことが判っていた。
「あの人、かなり強いわ。後ろの郎党も」
「正面からやりあったら……ステレ様以外は死にますな」
「じゃ、しょうがないわね」
「ですな」
ドルトンもあっさりと同意した。
今回は魔の森に行くのではないので、人数を減らして来た。
内戦後の王国の治安はそう悪くは無い。というよりは、何をさて置いても治安維持に心を砕く必要があった。内戦に参加した傭兵がかなり居たからだ。食い詰めた傭兵隊は簡単に山賊に早変わりする。ただの盗賊ではなく、組織化され統一された命令系統を持つ、厄介な山賊だ。新政権はまずは国内の傭兵隊の処遇にケリを付けた。それから、盗賊の元となる貧民の救済を進めたことで、大規模な山賊の発生をなんとか抑え込むことができたのだ。
並の野盗なら何人来ようとステレ一人で事足りるし、夜襲なぞしようものなら、それこそ二人の獣人の餌食にされるだけだ。ステレの世話と街での買い出し等が多くなるのを想定して、只人の女性店員を二人連れて来たのだが、まさか国内でこれほどの精兵に絡まれるとは思ってもみなかった。
闇夜だったドルトン一人で郎党を半数は殺せるだろうが、それでもテンゲンと名乗る戦士に勝てるかは微妙と言わざるを得ない。もちろん、昼間では話にもならない。それだけの強者が丁寧な態度で交渉を求めてきた以上は、この先が面倒事だと予想が付いても、受けない訳にはいかないだろう。
ドルトンは馬車を下りると、外套のフードを上げて素顔を出した。
「丁寧なご挨拶恐れいります。また、諸侯国に名を馳せるエン家のご家中に対し、ご挨拶の遅れましたことご容赦ください。私めは確かに遍歴商人のドルトンでございます。ご用件を承わりたく存じます」
「こちらは騎馬の郎党が控えている故、あれらはそのまま動かさず、某一人がそちらに赴かんと思うがいかに?」
彼らの乗馬は見た目だけでも判る駿馬だ。できるだけ郎党から距離を取ろう言うテンゲンは、敵意の無いことを示そうとかなり気を使っているようだった。
「それには及びませぬ。ですが、このまま道を塞ぐのもよろしゅうございません、これより先に野営可能な広場がございますので、そちらでお待ち下さい。その場に席をご用意させていただきます」
「なるほど…我らが平原は、全てが道である故、そこまで気づかなかったわ」
冗談なのか本気だったのか、わずかに苦笑を見せるとテンゲンは郎党の元に戻った。やがて、一党は乗馬すると、先に進んでいく。それを見送ってからドルトンは御者台に戻った。
「どう思います?」
「戦力では圧倒的に優位なのに、驚くほど下手に出てるわね。何か弱み握ってたりする?」
「とんでもない。あの国の武人ときたら、侮辱されたと思った瞬間に、即座に相手を殺して自害するような連中ですぞ」
「国中の戦士が『オマエを殺して俺も死ぬ』とか言い出すの?面倒な連中ね」
「まだ諸侯同士で小競り合いがあるようですから、何百年か前のこの国の戦国の気風がまだ残ってる感じですね」
「あぁ、なるほど」
ステレは<夜明けの雲>の言っていたことを思い出した。敗北の恥より自死を選ぶようなそんな戦士が、豪族同士が戦争を繰り返す時代には、この国にもゴロゴロしていたという。
「普段は折り目正しい方々なのですけどねぇ。何か切っ掛けがあると、途端に死ぬか生きるかの話になってしまうのです。あの方々と付き合うと、即死罠だらけの地下迷宮を歩いている気分になりますよ」
「さっきのテンゲンって人は、そういう感じでは無いようだけど」
「そうですね。諸侯国でも庶民はそこまで極端ではありませんし、さすがに文官は忍耐強い方が揃っていますから、あの方はそういった役職の方なのかもしれませんな」
「どちらかというと、腫物に触るような感じよね……諸侯国がらみというと…これかな?」
言いながら腰の剣をポンポン叩く。確かに業物だったが、何か曰くのある品だったのだろうか?
「信用のおける商人仲間から買ったんですがねぇ」
なんとなく予想は付いていたのだろう。そう言ってドルトンは溜息を付いたのだった。
野営の広場は、街道沿いのところどころに作られている。早馬による駅制度を、旅する商人が真似て始めたと言われている。街を出て一休み、あるいは野営する距離に広場を作り、木陰となる木を整備し、場所によっては井戸まで掘られていた。王国は、街道整備と合わせ公費で整備を後押ししようとしたが、予算不足でままならない状況だという。
広場ににつくと、テンゲンら一行は広場の隅に馬を繋ぎ、めいめいが石や倒木に腰掛けていた。7人しか見えないので、残りは周りで警戒しているのだろう。
ドルトンは反対側の端に馬車を止めると、男の店員に命じて、野営用のラグを持ち出させた。広場の中間にそれを広げ、水で割った葡萄酒の水差しと杯を用意させると、テンゲンを招き寄せた。
「おお、この国でウルスの毛氈を見ることになるとは」
テンゲンは広げられたラグが故郷の様式なのに気づくと、僅かに頬を緩めた。招かれるまま、なんの気負いも無いように、広げられたラグの上に堂々と座わる。
年齢は30過ぎに見える。黒い髪を首の後ろでまとめていた。上衣は二重にして右脇で止める袷で、襟も高く寒風吹きすさぶ平原を馬で駆ける際に、風が入り込まない工夫がされている。諸侯国独特の装束だった。
ドルトンは、両膝を付けて跪き、諸侯国の貴人に対する礼をする。
「改めまして、遍歴商人のドルトンにございます」
「某はエン・テンゲンと申す」
テンゲンは胡坐のまま礼を返すと、懐から複雑な意匠の施されたメダルのようなものを取り出してドルトンに見えるように置いた。精緻な透かし彫りは確かにエン家の紋章で、これを持つ者はエン家の一族だけである。メダルは印章になっていて、彼ら一門はこの印章の捺された命令書であれば、命を捨てろと書かれていても従うと言われている。
ドルトンは驚愕した。穏やかそうな人柄から生粋の武家ではないのではと予想したが、よもや武威で知られるエン家の一族だったとは。
「ご、ご家中ではなく、エン家のご一族とは…」
「気にされるな、身分を偽るのが性に合わぬ故名乗っただけで、今の某はただの外国人テンゲンにござる。それに御屋形様には、『お前にはエン家の武士たる気概が無い』と事ある事に言われる始末でな」
苦笑しながら言うテンゲンに、さもありなん…とドルトンは思った。この男は何かにつけ張り詰めている諸侯国の武人とは程遠い。
「とはいえ、お館様もそのような武辺者ばかりでは国が成り立たぬことは承知されておる。故に、某のような者でもこうしてお役目を与えられ、禄を食むことでできる訳でござるが」
テンゲンはさらりと恐ろしいことを言った。なんと、この男はエン家当主の命を受けて来たという。それほどの事情か…とドルトンは気を引き締め直した。
「まずは口をお湿し下され」
身分を明かされた時点で、受けに回ってしまったことを悟ったドルトンには、立て直す時間が必要だった。杯の一つに水割のワインを注ぐと、杯の内面を洗うかの如くにくるりと回して、地に捨てた。もう一度注ぎなおすと、今度は自分が先に口を付けて、目の前で飲んで見せる。同じ杯に注ぎなおすと、テンゲンに差し出した。
杯を受け取ったテンゲンは、確認もせずに一息に飲み干すことで、信頼を示して見せた。
「あぁ美味いな。先程まで走り詰めで喉が乾いたおったから、ひとしおだ」
「では、残りはご家来の方々にも」
ドルトンはテンゲンの杯に水割りワインを注ぐと、もう一つの杯に自分の分を注いだ。そのまま、まだ中身の入った水差しをテンゲンに差し出す。
「有り難く頂戴しよう」
そういうってテンゲンは郎党の一人を呼び寄せると、水差しを持っていかせた。ずっと厳しい顔をしていた若者たちの顔がほんの僅かだけ綻んだように見える。
仲間の所に戻り、飲み物を分け合い始めたのを見ると、ドルトンはテンゲンに視線を戻した。
交渉慣れした男だ…。ドルトンは、率直にそう思った。
交渉前に間を取りたいこちらの意図を察し、身分に拘らないことを示すために対等の姿勢で進物を受け取り、更に部下の緊張もほぐして見せた。それでいてステレが驚異を感じるほどの使い手である。しかも当主の命で来たとあれば引くことはできまい。一体、どんな交渉なのだ…。
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