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ウルスからの使者2
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ステレは、馬車の前に立つと、隊商の護衛らしく広場の真ん中の会談を見つめている。だが、ステレが警戒しているのはむしろ周囲だった。感覚を研ぎ澄まして、広場の周りを探っている。今の所、姿の見えない3人がこちらを襲うような気配は伺えないが、会談次第ではどうなるか判らない。テンゲンという男の態度を見る限りは、ただ近づく者がいないのか周囲を見張っているだけかもしれないが、そう思い込んでこちらが警戒しない理由にはならない。部下の一部の姿を見せないことで、ステレを馬車に縛り付けているとしたら、かなりの策士だ。念の為、この広場に来る前に、馬車に隠れていた獣人の商会員を再び哨戒に出した。何か動きがあれば合図を送って来るだろう。
「鬼人殿!」
不意にドルトンに呼ばれたステレは、『えっ』という表情で自分の顔を指さした。
ドルトンは、こくこくと頷いている。一方のテンゲンとテンゲンの部下は、「鬼人」という言葉に反応したのか、目を見開いてステレを見ていた。
(私が呼ばれたということは、やはこれ絡みか…)
察しがついたステレは、腰の剣を剣帯から外すと右手に持ち替えて、なるべくゆったりとした歩みで話し合いの場に近づいた。とにかく妙な動きと思われぬように、ゆっくりと動くことを心掛け、ステレはドルトンの隣に座った。
「こちらは、諸侯国はエン家のご一族、テンゲン様です」
「事情により名乗るのは控えさせてもらいます。只人の礼儀を知らぬ蛮族ゆえお許しあれ。呼び方はいかようにでもご随意に」
内心(へぇ、これで貴族?なんだ)と思いながらも油断なく目礼する。候に連なる血筋でありながら商人相手でも丁寧な態度を崩さないテンゲンに敬意を表し、ステレは特大の猫をかぶった。諸侯国も王国同様に男性上位の社会と聞いていたので、例によって男モードの声で応対する。ドルトンは名前を呼ばなかったから、自分も名乗りはしないが、さて、相手はどう反応するだろうか?。
「エン・テンゲンにござる……御身は鬼人と伺ったが?」
「間違いありません」
そう言ってステレは、外套のフードと眼鏡をはずして、角と瞳を見せた。
名乗らない無礼をテンゲンはスルーした。というか、目の前に居るのが鬼人だという衝撃で、名前の件など消し飛んだだけかもしれない。テンゲンも部下たちも驚愕した表情のまま鬼人の素顔を見ている。
「別に人を喰ったりはしませんよ」
ステレはそう言いながら、わざと笑って見せた。しかも、なるべく邪悪な笑いっぽく見えるように作った笑いだ。間近で相対して確信したが、やはりこの男は相当の使い手だ。こちらがが容易ならざる人外だと印象づけておけば、交渉で有利になるかもしれない。言葉と裏腹に笑った口から見える犬歯が相手にインパクトを与えた手ごたえを感じると、眼鏡をかけ直し、取り出した帽子をかぶって角を隠した。
「それで、私に用とは?」
「テンゲン様は、鬼人殿がお持ちの剣にご興味があるとのことです」
「…鬼人殿の腰の物は、そちらの遍歴商人ドルトン殿が、同じく遍歴商人のデミトリ殿から買い取った物で相違ござらんか?」
「これですか?出何処は知りませんが、確かにドルトンに貰った物ですが」
「無理を承知で申すが…拝見させて頂けまいか」
ステレは渋い表情でテンゲンを見た。友人でもあるならともかく、今さっき出会った剣士同士が相対して、片方に剣を差し出せという要求が通るか、この男は十分に知っているはずだ。
だが、だからこそ、テンゲンは腰の物を部下に預けて来たのだろう。先に誠意を見せて断りにくい状況を作っているとすれば、なかなかに食えない男だ。
ステレは感覚を総動員して、周囲の気配を探る。武器を手放した瞬間に姿を隠した敵に短弓で狙われたら、面倒なことになる。だが、周囲には殺気は感じられない。商会員からの合図も無い。
(疑えばきりが無いか…)やれやれという表情を隠しもせず、ステレは剣をテンゲンの方に押しやった。テンゲンはステレ同様ゆったりとした所作で剣を受け取ると、鯉口を切って引き抜く。そして、剣をもらったステレがしたように、しばらくの間刀身の裏表まで舐めるように見分していたが、やがて鞘に戻してステレに返した。テンゲンの表情は変わらないが、ステレには彼が『探し物』にたどり着いたことが判った。
「刀身を見ただけで、判るのですか?」
ステレが疑問を口にする。
「ウルスには、名品の刀剣の拓本を取る文化がござってな、姿形だけでなく鍛肌も焼きも記録と合致していました」
それより何より、鞘から引き抜いただけでテンゲンはこれが探していた剣だと直感した。敢えて言うなら『格が違う』と、ひと目で判ったのだ。だが、記録とは若干違う箇所もあった。
「若干ですが区送りしておりますな」
「指三本ほど。鬼人殿の要望が両手持ちの長剣でしたので」
ドルトンが正直に答える。もう駆け引きをする段階は過ぎている。
「この刀を振るわれたことは?」
ステレが首を振る。
「研ぎが入っておりますが」
「入手した時点で錆が出ておりましたので、私が研ぎに出しました。その時のままです。錆身の刀身に血の跡はございませんでした。その後はずっと私か商会の者が鬼人殿に着いておりますが、手入れ以外で鬼人殿が剣を抜いたことはありません」
テンゲンの気配がふっと緩んだ。
「私は駆け引きは苦手にしています。つまるところ、あなた方はこの剣をどうしたいのです?」
「是非ともお譲りいただきたい」
ステレの問に、間髪入れずにテンゲンが答えた。それはステレもドルトンも予想していたものだ。
そうでなければ、ここまで腰を低くして交渉はしまい。
「この剣は、武器を壊された私のためにドルトンが探してくれたものです。私は、かなりの強敵-その武器を壊した相手ですが-と、命を懸けた勝負をすることになっています。その勝負の後なら、私が勝つにしろ負けるにしろ、テンゲン様の手に渡るようにしますが」
「申し訳ござらんが、それでは困るのです」
ステレとしても、まっとうに入手した剣を寄越せと言われていい気分はしないが、相手が真摯な態度で交渉してくるので、できる限りの譲歩案を出してみたつもりだった。だが、テンゲンは提案を一蹴した。
「鬼人殿が購われた倍の金額までは用立てます。何卒……」
「といっても、これは贈り物として受け取ったもので、ドルトンには1テル(銅貨)も払っていませんので」
「なんと…」
「理由は聞けないのでしょうか?」
「いずれお話することは可能ですが、今は…」
物腰は柔らかく、言葉遣いも態度も丁寧なのに、肝心な事には妙に歯切れが悪い。しかも、交渉慣れした男と思っていたが、予算の上限をいきなり持ち掛けてくるのは悪手ではないだろうか。
(盗品か何かか…いずれにせよ、あまり表沙汰にしたくない話なのだろうな)。そうステレは当たりを付けた。だが、ドルトンは盗品と判っていて買う男ではない。良い意味で保身には人一倍気を使う男なのだ。
「嫌だ……と言ったら?」
ドルトンがギクリとし、テンゲンの視線が厳しいものとなった。まだ殺気が籠る程ではないが、常人でもそこに含まれる威圧を感じ取れる程の視線がステレに向けられる。だがステレは全く怯まなかった。最終的に売るのは仕方ないと思っているが、言いたい事を言っておかねば気が済まない。
「日々が生死の境目にいるような、あなた方諸侯国の武人からすれば、商人のドルトンや山奥暮らしの私の矜持なんか取るに足りないものに思えるでしょうね。ですが、ドルトンは私のために最高の剣を探し出し、私はこの剣に命を預けて戦いに望むつもりでいる。そこになんら恥じることはありません。なのに訳も言わず剣を渡せと言われて、ハイそうですかと渡す気になるか、立場を置き換えたら判るのではないですか?」
ステレが静かに、しかし確固として指摘すると、テンゲンの表情が僅かに曇った。それで一つ判った。テンゲンは、自分たちの主張に理が無いと判っているのだ。それでもなんとかしてこの剣を入手したい。予算を口にしたのは焦りの表れだろうか。
テンゲンはそのまま目を伏せていたが、しばらくしてようやく顔を上げた。
「返す言葉もござらんな」
静かにそういうテンゲンから苦悩の表情は消えていた。僅かに、涼やかな微笑を浮かべている。
「されば…これと交換いただけまいか」
テンゲンは鞘ごと腰の短剣を抜くと、毛氈の上にそっと置く。
それは飾り気の少ない地味な短剣で、柄も鞘も手擦れてあちこちが擦り切れている。普通に考えれば、ステレの剣とはとても釣り合いそうに見えない。むしろ部下に預けた自分の佩刀を代わりに差し出すべきでは?。そう思われても仕方が無い。
だがそれを見たドルトンが蒼白になった。この男がどれほどの覚悟で来たか判ったからだ。温和に見えるこの男も間違いなく諸侯国の武人だった。このままではテンゲンの配下9人とこの場で斬り合いとなりかねない。事前にステレに注意しておくべきだった。
「これは…」
「よしてよ」
テンゲンが短刀を差し出した仔細を話そうとした出鼻をステレが遮った。
訝し気な顔をするテンゲンを無視するかのように、ステレは忌々し気にドルトンに了解を求めた。
「あ~もうっ、この剣は気に入ってたんだけど仕方ないわよね、ドルトン」
「え、あ、はい。まぁ、こればかりは…」
ドルトンの返事には、明らかに安堵がふくまれている。
ステレは仏頂面で剣をテンゲンの目の前に差し出した。あっけにとられていたテンゲンは、我に返るとわざわざ膝行してステレに近づき両手で恭しく受け取ると、元の位置に戻る。
「それから、その短剣も仕舞って」
「いやしかし…」
「私はね、あなた方が高く買い取ってくれるというから売るだけ、それだけよ。いいからもう、とっととその剣持って見えない所に行ってよ。目の前にあると惜しくなってくるから。あと、お金の話ならドルトンとして、さっきも言った通り私は貰っただけで、値段も知らないの」
不機嫌を隠そうともしないステレの子供じみた言い様に、ドルトンは苦笑しそうになるのを必死で堪えていた。おまけに、ステレは礼儀を捨て去りすっかり地の口調に戻っている。武と礼を貴ぶという諸侯国の武人からしたら、激怒してもおかしくない言い方だ。だが、ステレは間違いなくテンゲンが差し出した短剣の意味を知っている。知っているからこそ無礼な言い回しで一方的にまくし立て、一度は差し出したことを有耶無耶にしたのだ。それだけでなく、敢えてテンゲンが怒るように仕向け、無理やりにでも短剣を引き上げさせようとしたのだろう。
だが、テンゲンは怒らなかった。礼儀の欠片も無いようなステレの態度の中に、事情を慮る意図があるときちんと感じ取ったようだった。
「忝い…」
それだけ言うと短剣を腰に差しなおし、丁寧に一礼すると後方に控える郎党の元に戻って行った。
ラグと酒器を片付けさせ、テンゲン一行にワインの入った琥珀瓢を届けるよう命じると、ドルトンは人払いした馬車の車内でステレの向かいに座った。
「ステレ様はあの短剣をご存じでしたか」
正直ドルトンは驚いていた。ドルトンら遍歴商人は、訪れた先でタブーを犯さぬよう情報収集を怠らない。だが、諸侯国から遠く離れ、人の往来もほとんど無い王国で、あの短剣の重要さを知る者はそう多くないはずだった。ましてや、元貴族の娘で、今は山奥に引きこもっているステレが知っているとは思わなかった。
「陛下はね、外交でブレス王を支えようとしていた。だから近隣の国のことを事細かに学ばれたそうよ。外遊に出るときに私達が伴として付くことになるかもしれないと、その国で何が尊ばれるのか、何が嫌われるのか聞かされたわ」
もう遠い昔の物語のようにステレは言う。
今は王となった主が語ったそのタブーの中に、諸侯国の武人が持つ短剣についても語られていた。テンゲンの差し出した短剣は、かの国ではそれほどの意味を持つ剣だった。
諸侯国の戦士は、成人すると親族や後見人から一振りの短剣を送られ、それを生涯手放さない。それは「名誉の剣」と呼ばれ、寝る時はおろか、風呂でも妻と交わるときでも手放さないという。
それは元々は、武器を持った刺客と徒手空拳で渡り合う無様を晒さないため、そして不名誉な死を迎える前に自らの命を絶つための剣だった。
諸侯が集う上宮は武器を持ち込むことが禁じられているにも関わらず、戦士は全てこの剣を帯びて参内する。この剣は武器では無いのだ。もし諍いのためにこの剣を抜こうものなら、親族全てが誇りを捨てたと見なされる。
「討死以外は、その剣を持って自らの命を絶つことのみが名誉の死とされており、剣を失うことは自らの誇りを失うに等しいと聞き及んでいます。あの方は、エン家に連なる方でありながら自らの名誉の剣と引き換えにしたいと申し出ました。尋常の理由ではありますまい」
「もういいわよ、未練タラタラになりそうだからスッパリ忘れるわ」
それは強がりなどではなく、ステレの本心だった。あれ程の剣は中々見つかるまい。だがそれでも、たかが一振りの剣だ。テンゲンほどの男の命と引き換えにして良いはずが無い。あの剣がどれ程高価であろうとも。
(そういえば、最後まで値段を知らないままだったな)
恐らく、相当な高値だっただったのだろうが、聞いてもドルトンは教えてくれないだろう。
「せっかく探してくれたのに残念だったわね、元手はちゃんと取り返してね」
「さて、商人は損して元取れと言いますから、吹っ掛けるかはあちら様の態度次第ですな」
エン家へのツテができるようなら、金額の多寡は無視して良いと算盤を弾いてていたドルトンだが、(値引きの代わりに、あの剣に拘る理由も聞き出してみますか)と思っていたことは口にしなかった。
「鬼人殿!」
不意にドルトンに呼ばれたステレは、『えっ』という表情で自分の顔を指さした。
ドルトンは、こくこくと頷いている。一方のテンゲンとテンゲンの部下は、「鬼人」という言葉に反応したのか、目を見開いてステレを見ていた。
(私が呼ばれたということは、やはこれ絡みか…)
察しがついたステレは、腰の剣を剣帯から外すと右手に持ち替えて、なるべくゆったりとした歩みで話し合いの場に近づいた。とにかく妙な動きと思われぬように、ゆっくりと動くことを心掛け、ステレはドルトンの隣に座った。
「こちらは、諸侯国はエン家のご一族、テンゲン様です」
「事情により名乗るのは控えさせてもらいます。只人の礼儀を知らぬ蛮族ゆえお許しあれ。呼び方はいかようにでもご随意に」
内心(へぇ、これで貴族?なんだ)と思いながらも油断なく目礼する。候に連なる血筋でありながら商人相手でも丁寧な態度を崩さないテンゲンに敬意を表し、ステレは特大の猫をかぶった。諸侯国も王国同様に男性上位の社会と聞いていたので、例によって男モードの声で応対する。ドルトンは名前を呼ばなかったから、自分も名乗りはしないが、さて、相手はどう反応するだろうか?。
「エン・テンゲンにござる……御身は鬼人と伺ったが?」
「間違いありません」
そう言ってステレは、外套のフードと眼鏡をはずして、角と瞳を見せた。
名乗らない無礼をテンゲンはスルーした。というか、目の前に居るのが鬼人だという衝撃で、名前の件など消し飛んだだけかもしれない。テンゲンも部下たちも驚愕した表情のまま鬼人の素顔を見ている。
「別に人を喰ったりはしませんよ」
ステレはそう言いながら、わざと笑って見せた。しかも、なるべく邪悪な笑いっぽく見えるように作った笑いだ。間近で相対して確信したが、やはりこの男は相当の使い手だ。こちらがが容易ならざる人外だと印象づけておけば、交渉で有利になるかもしれない。言葉と裏腹に笑った口から見える犬歯が相手にインパクトを与えた手ごたえを感じると、眼鏡をかけ直し、取り出した帽子をかぶって角を隠した。
「それで、私に用とは?」
「テンゲン様は、鬼人殿がお持ちの剣にご興味があるとのことです」
「…鬼人殿の腰の物は、そちらの遍歴商人ドルトン殿が、同じく遍歴商人のデミトリ殿から買い取った物で相違ござらんか?」
「これですか?出何処は知りませんが、確かにドルトンに貰った物ですが」
「無理を承知で申すが…拝見させて頂けまいか」
ステレは渋い表情でテンゲンを見た。友人でもあるならともかく、今さっき出会った剣士同士が相対して、片方に剣を差し出せという要求が通るか、この男は十分に知っているはずだ。
だが、だからこそ、テンゲンは腰の物を部下に預けて来たのだろう。先に誠意を見せて断りにくい状況を作っているとすれば、なかなかに食えない男だ。
ステレは感覚を総動員して、周囲の気配を探る。武器を手放した瞬間に姿を隠した敵に短弓で狙われたら、面倒なことになる。だが、周囲には殺気は感じられない。商会員からの合図も無い。
(疑えばきりが無いか…)やれやれという表情を隠しもせず、ステレは剣をテンゲンの方に押しやった。テンゲンはステレ同様ゆったりとした所作で剣を受け取ると、鯉口を切って引き抜く。そして、剣をもらったステレがしたように、しばらくの間刀身の裏表まで舐めるように見分していたが、やがて鞘に戻してステレに返した。テンゲンの表情は変わらないが、ステレには彼が『探し物』にたどり着いたことが判った。
「刀身を見ただけで、判るのですか?」
ステレが疑問を口にする。
「ウルスには、名品の刀剣の拓本を取る文化がござってな、姿形だけでなく鍛肌も焼きも記録と合致していました」
それより何より、鞘から引き抜いただけでテンゲンはこれが探していた剣だと直感した。敢えて言うなら『格が違う』と、ひと目で判ったのだ。だが、記録とは若干違う箇所もあった。
「若干ですが区送りしておりますな」
「指三本ほど。鬼人殿の要望が両手持ちの長剣でしたので」
ドルトンが正直に答える。もう駆け引きをする段階は過ぎている。
「この刀を振るわれたことは?」
ステレが首を振る。
「研ぎが入っておりますが」
「入手した時点で錆が出ておりましたので、私が研ぎに出しました。その時のままです。錆身の刀身に血の跡はございませんでした。その後はずっと私か商会の者が鬼人殿に着いておりますが、手入れ以外で鬼人殿が剣を抜いたことはありません」
テンゲンの気配がふっと緩んだ。
「私は駆け引きは苦手にしています。つまるところ、あなた方はこの剣をどうしたいのです?」
「是非ともお譲りいただきたい」
ステレの問に、間髪入れずにテンゲンが答えた。それはステレもドルトンも予想していたものだ。
そうでなければ、ここまで腰を低くして交渉はしまい。
「この剣は、武器を壊された私のためにドルトンが探してくれたものです。私は、かなりの強敵-その武器を壊した相手ですが-と、命を懸けた勝負をすることになっています。その勝負の後なら、私が勝つにしろ負けるにしろ、テンゲン様の手に渡るようにしますが」
「申し訳ござらんが、それでは困るのです」
ステレとしても、まっとうに入手した剣を寄越せと言われていい気分はしないが、相手が真摯な態度で交渉してくるので、できる限りの譲歩案を出してみたつもりだった。だが、テンゲンは提案を一蹴した。
「鬼人殿が購われた倍の金額までは用立てます。何卒……」
「といっても、これは贈り物として受け取ったもので、ドルトンには1テル(銅貨)も払っていませんので」
「なんと…」
「理由は聞けないのでしょうか?」
「いずれお話することは可能ですが、今は…」
物腰は柔らかく、言葉遣いも態度も丁寧なのに、肝心な事には妙に歯切れが悪い。しかも、交渉慣れした男と思っていたが、予算の上限をいきなり持ち掛けてくるのは悪手ではないだろうか。
(盗品か何かか…いずれにせよ、あまり表沙汰にしたくない話なのだろうな)。そうステレは当たりを付けた。だが、ドルトンは盗品と判っていて買う男ではない。良い意味で保身には人一倍気を使う男なのだ。
「嫌だ……と言ったら?」
ドルトンがギクリとし、テンゲンの視線が厳しいものとなった。まだ殺気が籠る程ではないが、常人でもそこに含まれる威圧を感じ取れる程の視線がステレに向けられる。だがステレは全く怯まなかった。最終的に売るのは仕方ないと思っているが、言いたい事を言っておかねば気が済まない。
「日々が生死の境目にいるような、あなた方諸侯国の武人からすれば、商人のドルトンや山奥暮らしの私の矜持なんか取るに足りないものに思えるでしょうね。ですが、ドルトンは私のために最高の剣を探し出し、私はこの剣に命を預けて戦いに望むつもりでいる。そこになんら恥じることはありません。なのに訳も言わず剣を渡せと言われて、ハイそうですかと渡す気になるか、立場を置き換えたら判るのではないですか?」
ステレが静かに、しかし確固として指摘すると、テンゲンの表情が僅かに曇った。それで一つ判った。テンゲンは、自分たちの主張に理が無いと判っているのだ。それでもなんとかしてこの剣を入手したい。予算を口にしたのは焦りの表れだろうか。
テンゲンはそのまま目を伏せていたが、しばらくしてようやく顔を上げた。
「返す言葉もござらんな」
静かにそういうテンゲンから苦悩の表情は消えていた。僅かに、涼やかな微笑を浮かべている。
「されば…これと交換いただけまいか」
テンゲンは鞘ごと腰の短剣を抜くと、毛氈の上にそっと置く。
それは飾り気の少ない地味な短剣で、柄も鞘も手擦れてあちこちが擦り切れている。普通に考えれば、ステレの剣とはとても釣り合いそうに見えない。むしろ部下に預けた自分の佩刀を代わりに差し出すべきでは?。そう思われても仕方が無い。
だがそれを見たドルトンが蒼白になった。この男がどれほどの覚悟で来たか判ったからだ。温和に見えるこの男も間違いなく諸侯国の武人だった。このままではテンゲンの配下9人とこの場で斬り合いとなりかねない。事前にステレに注意しておくべきだった。
「これは…」
「よしてよ」
テンゲンが短刀を差し出した仔細を話そうとした出鼻をステレが遮った。
訝し気な顔をするテンゲンを無視するかのように、ステレは忌々し気にドルトンに了解を求めた。
「あ~もうっ、この剣は気に入ってたんだけど仕方ないわよね、ドルトン」
「え、あ、はい。まぁ、こればかりは…」
ドルトンの返事には、明らかに安堵がふくまれている。
ステレは仏頂面で剣をテンゲンの目の前に差し出した。あっけにとられていたテンゲンは、我に返るとわざわざ膝行してステレに近づき両手で恭しく受け取ると、元の位置に戻る。
「それから、その短剣も仕舞って」
「いやしかし…」
「私はね、あなた方が高く買い取ってくれるというから売るだけ、それだけよ。いいからもう、とっととその剣持って見えない所に行ってよ。目の前にあると惜しくなってくるから。あと、お金の話ならドルトンとして、さっきも言った通り私は貰っただけで、値段も知らないの」
不機嫌を隠そうともしないステレの子供じみた言い様に、ドルトンは苦笑しそうになるのを必死で堪えていた。おまけに、ステレは礼儀を捨て去りすっかり地の口調に戻っている。武と礼を貴ぶという諸侯国の武人からしたら、激怒してもおかしくない言い方だ。だが、ステレは間違いなくテンゲンが差し出した短剣の意味を知っている。知っているからこそ無礼な言い回しで一方的にまくし立て、一度は差し出したことを有耶無耶にしたのだ。それだけでなく、敢えてテンゲンが怒るように仕向け、無理やりにでも短剣を引き上げさせようとしたのだろう。
だが、テンゲンは怒らなかった。礼儀の欠片も無いようなステレの態度の中に、事情を慮る意図があるときちんと感じ取ったようだった。
「忝い…」
それだけ言うと短剣を腰に差しなおし、丁寧に一礼すると後方に控える郎党の元に戻って行った。
ラグと酒器を片付けさせ、テンゲン一行にワインの入った琥珀瓢を届けるよう命じると、ドルトンは人払いした馬車の車内でステレの向かいに座った。
「ステレ様はあの短剣をご存じでしたか」
正直ドルトンは驚いていた。ドルトンら遍歴商人は、訪れた先でタブーを犯さぬよう情報収集を怠らない。だが、諸侯国から遠く離れ、人の往来もほとんど無い王国で、あの短剣の重要さを知る者はそう多くないはずだった。ましてや、元貴族の娘で、今は山奥に引きこもっているステレが知っているとは思わなかった。
「陛下はね、外交でブレス王を支えようとしていた。だから近隣の国のことを事細かに学ばれたそうよ。外遊に出るときに私達が伴として付くことになるかもしれないと、その国で何が尊ばれるのか、何が嫌われるのか聞かされたわ」
もう遠い昔の物語のようにステレは言う。
今は王となった主が語ったそのタブーの中に、諸侯国の武人が持つ短剣についても語られていた。テンゲンの差し出した短剣は、かの国ではそれほどの意味を持つ剣だった。
諸侯国の戦士は、成人すると親族や後見人から一振りの短剣を送られ、それを生涯手放さない。それは「名誉の剣」と呼ばれ、寝る時はおろか、風呂でも妻と交わるときでも手放さないという。
それは元々は、武器を持った刺客と徒手空拳で渡り合う無様を晒さないため、そして不名誉な死を迎える前に自らの命を絶つための剣だった。
諸侯が集う上宮は武器を持ち込むことが禁じられているにも関わらず、戦士は全てこの剣を帯びて参内する。この剣は武器では無いのだ。もし諍いのためにこの剣を抜こうものなら、親族全てが誇りを捨てたと見なされる。
「討死以外は、その剣を持って自らの命を絶つことのみが名誉の死とされており、剣を失うことは自らの誇りを失うに等しいと聞き及んでいます。あの方は、エン家に連なる方でありながら自らの名誉の剣と引き換えにしたいと申し出ました。尋常の理由ではありますまい」
「もういいわよ、未練タラタラになりそうだからスッパリ忘れるわ」
それは強がりなどではなく、ステレの本心だった。あれ程の剣は中々見つかるまい。だがそれでも、たかが一振りの剣だ。テンゲンほどの男の命と引き換えにして良いはずが無い。あの剣がどれ程高価であろうとも。
(そういえば、最後まで値段を知らないままだったな)
恐らく、相当な高値だっただったのだろうが、聞いてもドルトンは教えてくれないだろう。
「せっかく探してくれたのに残念だったわね、元手はちゃんと取り返してね」
「さて、商人は損して元取れと言いますから、吹っ掛けるかはあちら様の態度次第ですな」
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ファンタジー
【HOTランキング一位獲得作品】
【一次選考通過作品】
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とある剣と魔法の世界で、
ある男女の間に赤ん坊が生まれた。
名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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