魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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(番外編)子は親の心を知る

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 「御屋形様ご出座」

 先触れの声に、全員が一斉に頭を下げた。
 衣擦れの音の後「面を上げよ」という声に、また全員が一斉に顔を上げて居住まいを正す。

 エン家当主であり、テンゲンの父である、エン・テンザンは所々に空席のある広間を見渡した。テンザンの胸中はいささか複雑である。テンゲンには自らの力で一族内の地位を確率して欲しいと思っていた。事あるごとに『覇気がない』と言っていたのもそのためである。探索の命を下すと、家中からは我も我もと繰り出して行った。他国での太刀探索は、気の短い者には無理と考え、例によって名乗り出もせずいたテンゲンを指名して送り出したが、役目を果たすだけでなく、それを足がかりに地盤固めをしてほしいとも思っていた。だが、まさかここまで派手にやるとは思っていなかった。息子の心を変える出来事があったのだろうか?

 「昨日、かねて捜索中であった太刀を、テンゲンが持ち帰った。本日はその議についてである」

 胸中を表に出すこともなく、普段通りに一同に告げる。次にテンゲンに向けると同時に周りの者にも伝わるように、鑑定の結果を告げた。

 「テンゲン、そなたの持ち帰った太刀を呪師が観た。呑月候の太刀に間違いなく、また血の穢れも纏っていないことが確認できた。役目大義であった」

 テンゲンはようやく肩の荷が下りたと実感することができた。

 「恐悦に存じます」

 深々と礼をする。

 「皆もご苦労であった。思わぬ事態であったが、これで我らが祖の誇りを失わずに済んだ」

 皆一斉に礼をして答える

 だが、歓喜に満ちた雰囲気を破り、一人の男が声を上げた。

 「恐れながら申し上げます。呑月候の誇りは取り戻しましたが、我らの中に誇りを捨てた者がおりますぞ」

 テンザンはじろりとその男を見た。
 弟の子…甥の一派の者だ。

 「仔細を申してみよ」

 男はテンザンの冷えた雰囲気に委縮しつつも、どうにか声を取り繕ってテンゲンを糾弾した。

 「テンゲン殿は、呑月候の太刀を手に入れるため、事もあろうに異国人に自らの名誉の剣を差し出そうとしたとのこと、更に、一旦は差し出した名誉の剣を引き上げた上、自害もせずにのうのうと国へ戻るなど、誇りを捨てたと謗られても仕方ない所業ではありませんか」

 広間がさわめく。
 ほくそえんでるのは、この事を知っていた一部の有力者達だ。忌々しい競争相手に御屋形様から死を申し渡して貰えれば手間が省ける。太刀を持ち帰った功績で一等減じられても、もはやテンゲンが一族の要職に就く目は無くなる。

 「今の言は、テンゲンよりの書状で既に知っておる」

 テンザンの声に再度広間がざわめく。テンゲンが、自らの不始末を報告しているとは思っても居なかったのだ。
 テンゲンは、太刀を封じた箱に報告書を添えていた。そこには名誉の剣と引き換えに太刀を入手したが、思う処あって自害せずに戻るとも記してある。

 「申し開きはあるか?」

 テンゲンは頷くと、堂々と自分の行為を申し立てた。いよいよ本番だ。ここでなんとしても御屋形様から生きる許可を引き出さなければならない。

 「まず、あの太刀は幾人もの手を経て、既に普通の商品として取引されておりました。いかに我々にとってかけがえの無いものだとしても、それを無理矢理に奪うことはできませぬ。ウルスの武士であろうとも、他国では交渉で渡り合う他ありませぬ」

 テンゲンは、旅の途中で同郷人が強圧的な態度を取って、顰蹙を買っていたのを聞いていた。それをさりげなく非難すると、広間のあちこちで頷くような姿が見えてテンゲンは安堵する。短慮な者が多いのも事実だが、何が恥かを知っている武士もまだ多い。そうでなければ、自分がこの一族のために働く甲斐が無い。

 「次に、太刀を所有していたのは、鬼人の剣士でありました。見た限り、噂に恥じぬ力量と感じました。もし奪い取ろうとして太刀を抜かれたら、我々にはなすすべがありませぬ。買い取ると申し出ましたが、鬼人は強敵との勝負のために、最良の剣を求めたとのこと。命を預ける剣を銀と交換する剣士は居りませぬ。故に我が名誉を差し出したのです」

 『鬼人だと?』
 『まだ生き残っていたのか』

 詳細を知らない者たちがざわついた。鬼人の武威はウルスでも知れている。テンゲンの言う通りであるなら、戦いを避けようとしたテンゲンを責めるべきではないという空気が広がった。

 「ここまでのテンゲンの言に非難すべき点はあるか?」

 テンザンがそう問いかけても、声を上げる者は居なかった。
 テンゲンの主張は道理が通っている。そもそも、名誉の剣を差し出した事自体は本題ではないのだから。

 「では、引き換えに太刀を手にしたというのなら、その腰の剣はいかがした?」
 「鬼人は名誉の剣を知っておりました。故に我が覚悟に免じて剣を譲ってくれたのです。その場で果てず戻って来たのは、一つには剣を譲ってくれた鬼人の好意を無にすることになるため。もう一つは主命を果たさずして命を捨てる事こそを不名誉と思っての事。しかし只今お言葉を賜り、役目を果たした以上は、どのような沙汰であろうと御屋形様の命に従います」

 広間のあちこちから声が上がる。大別すれば『やむを得ず名誉の剣を差し出し、結果として見事に役目を果たしたのだから、称賛こそすれ死を賜るのはおかしい』という意見と、『たとえ事情があるにしろ一旦差し出した名誉の剣を引き上げ生きているのは恥だ』という相反する意見である。
 もちろん、対立一派は後者を声高に主張している。忌々しい男を合法的に葬れるのだから。

 ピリピリした雰囲気の中、当主が口を開いた。

 「もし、不始末で名誉を失ったとき、ただ自らの命を絶てと我らの父祖は教えていたか?否だ。名誉を取り戻してから死ぬべきである。更に、恩を受けたなら恩を返してから死ぬべきである…と我らが父祖は教えていたはずだ」

 シンとした広間の端までテンザンの声は通る。

 「テンゲンよ、鬼人の剣士がそなたの覚悟を認め、命を預けるために購った剣を譲ってくれたのだな」
 「左様です」
 「…それはそなたにとって、不名誉であり受けた恩でもある。ならば、鬼人にその借りを返すまでは、生きていよ」

 テンザンがそう告げると、広間がまた騒めいた。

 「聞け。剣士ならば、自らの剣を差し出す重さを知るべきである。それは鬼人がテンゲンを信頼した証であり、それを無下にする事は恩を仇で返すに等しい。ウルスの武士は恩を忘れぬ。それは相手が武士だろうが乞食だろうが、只人だろうが鬼人だろうが変わりはしない。受けた恩を忘れることは我らの恥である。テンゲンが死すべきかは、鬼人への恩を返して後決めることとする」

 当主の決定に誰も不満の声を上げられず、全員が黙って頭を下げた。


 その夜、テンゲンは家宰により当主の部屋に呼ばれた。テンゲンが入室すると、家宰は部屋を出、二人きりで向かい合わせに座わる。

 「広間では意外そうな顔をしていたな」
 「その場で死を命じられると思っておりました」
 「死にたかったか?」
 「そのつもりでしたが、鬼人殿に約束ができてしまいました。せめてそれを果たすまではご猶予を下さい」
 「…やはり何事があったか」

 テンゲンは、争い事を極力避ける生き方をしていた。それでいて、性根は間違いなくウルスの武士であることはテンザンも承知している。その男が名誉の剣を差し出してなお自害もせず、それどころか一族の者を排除してまで自分の地位を固めようとしていた。何かきっかけがあったと予想が付く。

 テンゲンは、鬼人の勧誘を受け魔の森の魔人と立ち会いに行くと約束したこと、そのためにはグラスヘイム王家から許可を得る必要があることを話た。

 「テンゲン…」
 「はっ」
 「魔人との立ち会い、儂に譲れ」
 
 聞き終えたテンザンは、表情も変えずに言った。

 「来る者は拒まずだそうですので、魔の森に行けば誰でも立ち会えます」
 
 テンゲンも真顔で返す。

 「…冗談だ」

 何事も無かったように聞き流した。
 勿論、冗談などでは無い。テンザンもウルスの武士なので、頭蓋骨内には十分に筋肉が発達している。ただ理性で筋肉の暴走を抑えることができるだけの話なのだ。

 「それにしても…鬼人は戦うことにしか興味を持たないと聞いていたが、随分と面白い男だな」
 「いえ、女です」
 「なに?」
 「鬼人は女でした。女の剣士です。それでいて私の郎党でも互角に戦えるのは幾人も居ないと見えました。私なら……剣なら勝てるでしょうが、もしあの場で素手で組み合う羽目になっていたら、まず勝てなかったかと」

 テンザンは言葉もなくテンゲンを見る。テンゲンの郎党は腕利き揃いだし、テンゲンは素手での格闘もかなりの腕である。にわかに信じられないが、つまらない嘘を付く男ではない。

 「益々もって面白い……儂の名で鬼人への礼状と王家への添状を書こう。進物は自前でなんとかせよ。ウルスの馬を送れば下には置かれまい」

 口調は変わらないが、口の端が僅かに動いている。判りにくいが笑っているらしい。

 「ありがとうございます。……ご迷惑ついでに、私でも入手できる太刀の業物にお心当たりは無いでしょうか?。あの太刀に並ぶ物は無理にしろ、鬼人殿に代わりの太刀の一振は贈りたく思います」
 
 テンザンは僅かに思案顔をした。

 「明日の夜もう一度来い。用意しておく」
 「い、いえ、そこまでご厚情に甘える訳には…」
 「以前便宜を図った刀鍛冶から礼に送られたものがある。物は良いのだが、少々扱いに困る品なのだ。鬼人に贈るには調度良い」
 「扱いに困る?」
 「まぁ見れば判る」

 不思議そうな顔のテンゲンに、テンザンは応えなかった。それで話は終わりのようだ。
 ひとまず、首は繋がった。グラスハイム王家への使者を立てる許しも得た。望外と言って良い。後は魔人と戦って死ぬのも、自死を命じられるのも大差無い。運良く生きて居られたら……それは生き残ってから考えれば良いことだ。
 テンゲンは一礼し、部屋を出ようとした。

 「ソル」

 突如、諱で呼ばれて、テンゲンは驚き振り向いた。成人して後、諱で呼ばれたことは一度もない。
 テンザンは静かな目でテンゲンを見ている。

 「言い方が悪かったな。そなたは文言通りに受け取りかねん、言い直す。そなたは儂の仕事に要る。無駄に死ぬな。儂が命じるまでは生きていよ」

 不器用な"父"の言葉に、テンゲンはただ深々と頭を下げることしかできなかった。
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