魔の森の鬼人の非日常

暁丸

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とある鬼人の戦記 12 血戦2

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 「デルンシェ!この馬鹿者ッ!大将が軽々しく一騎打ちに出て来るなど、儂の教えを忘れたかっ!」

 死ぬために一騎打ちの名乗りを上げながら、それに応じたデルンシェにダハルマ卿は激怒した。怒号が間近にいる味方騎士だけでなく、距離を置いて包囲するツェンダフ軍をも震わせる。

 ダハルマ卿は、デルンシェが成人するまでの間、騎兵の、騎士の技と心を教えた師である。平和な時代においてなお『騎士の中の騎士』として尊敬を集めるダハルマ卿は、貴族家の子弟に騎士の心得を教育していた。一部の見込みがある少年には、一歩進んで指揮官の初歩を教えていた。平和な時代の騎士道ではなく、郎党を率いて戦う戦士としての騎士の心得である。平和な王国でそんなものが何の役に立つのか…そう思われても、ダハルマ卿には考えを変える気は無かった。貴族は選択を一歩間違えれば、自分も郎党も一族も滅亡しかねない、騎士の心得はそんな貴族の生き方にこと役に立つ。そう思えばこそダハルマ卿は厳しい指導を行い、その怒号は騎士を目指す少年たちを震え上がらせていた。デルンシェはそんな中の一人だった。
 デルンシェの実家ベンホータン家は代を重ねるうちに零落し、領地は抵当として失い辛うじて小さなな屋敷を維持するだけの貧乏貴族となっていた。実情はいわゆる法服貴族となんら変わらない。かつて甲冑を煌めかせる騎兵を率いて伯爵の地位を得たのに、今ではろくに馬も揃えられない名ばかりの伯爵家だった。それでも、デルンシェには祖先から受け継いだ天性の才があった。ダハルマ卿にとっても教え甲斐のある弟子であり、孫のように目を掛けていた。
 やがてダハルマ卿は隊を率いて南方を転戦する事になる。南方の大森林にはまだ魔獣が出没し、混乱していることをいい事に、隣国が入り込んで小競り合いが起きていた。デルンシェの両親も、跡取りで無いとはいえさすがに従軍することまでは認めなかった。そこで別れたのが最後だったが、折に触れてデルンシェの消息は耳に入って来た。デルンシェがグリフの援助を受け騎兵指揮官への道を開いたこと、栄達を蹴りグリフの亡命に従って皇国に赴いた事、そして馬も使えぬ過酷な旅を乗り越えて、遂にツェンダフ領にたどり着き、騎兵の指揮官となれるはずだったのに、マーキス卿の不興を買って後方に下げられた事……。

 そして、最後の情報は欺瞞だった。愛弟子は主力である騎士の大部隊の指揮官として師の目の前に現れたのだ。だからこそダハルマ卿には一騎討ちの名乗りに対して槍を掲げたデルンシェを許す事ができない。指揮官が討ち取られる事で態勢の決した戦がひっくり返る事もあり得る。まさに今の自分がそうだ。だが、自分は既に負けを認めた身である。これから勝たねばならない戦いを控えた大将が自ら一騎打ちを受けるなど、叩き上げの指揮官であるダハルマ卿には到底許せることではなかった。

 しかし、師の怒号を正面から受けたデルンシェは、全くの無表情でその怒りを受け流す。

 「私は大将ではありません」
 「何っ」

 その言葉から氷のような冷徹さと共に殺気が溢れだしていた。

 「確かに、騎士隊の指揮官を拝命しておりましたが、この作戦の前に指揮官の位を返上して参りました。この隊の指揮官はソルメトロです。……この状況に追い込めば、閣下なら、間違い無く一騎打ちを受ける…と確信していました。閣下を討ち取り、その頸を掲げれば、烏合の衆の討伐軍はすぐさま降るでしょう。犠牲を減らしてこの内戦を終わらせるには、一騎討ちで閣下を討取るのが最善と結論しました。そして、閣下の相手が務まるのは、私だけです…」

 作戦では、敵軍を後方から奇襲し、ダハルマ卿を見つけ次第一騎打ちの名乗りを上げるはずだった。手順は逆になったが、乱戦の中でダハルマ卿を見つけるよりこの方が犠牲を更に減らせる。
 ただダハルマ卿を討つなら、暗殺するという方法もあった。暗殺ならステレでも獣人の傭兵でも可能だったかもしれない。だが、ダハルマ卿の人望を考えれば暗殺は悪手である。マーシアはそう結論づけた。王国最高の騎士をしかも人外が暗殺などしたら、グリフの王国での声望は大いに下がるだろう。グリフとダハルマ卿双方に不名誉を与えぬため。ダハルマ卿には、王国騎士との一騎討ちの末に戦死したという名誉を残さねばならない、だからこそ、グリフが囮となってまでダハルマ卿へと到達する道を作ったのだ。
 そして、勝ち目の無い戦でも、ここが敵地であればダハルマ卿は死ぬまで戦って一人でも多くの敵を討ち取ろうとしただろう。だが、これは内戦だ。極論すれば王家の兄弟喧嘩に過ぎない。敵味方とも皆王国騎士である。勝敗が決すれば、ダハルマ卿は犠牲を減らすために自ら死を選ぶ。その通りだ。
 そこまで読まれていた事に、そして弟子の成長にダハルマ卿は目を見張る。

 (この戦いの絵図を描いた奴は何者だ。知る限りマーキス卿の周囲にこれほどの策謀を巡らせる者は居なかったが。……そしてデルンシェめ、なんとも見事な騎士に成長したものよ。これでは最初から儂らが敵う相手では無かったわ)

 今のデルンシェは闘志と殺気の塊になっている、快活な少年だったころの面影は全く無い。それは当然だ。「戦場で見えたら、親族でも容赦するな」と教えたのはダハルマ卿なのだから。そして「自分は大将ではない」その一言で、ダハルマ卿はデルンシェが一騎打ちの相手として槍を掲げた意図を悟った。この男は自分の教えを何一つ忘れていなかった。ならば…そこまでして槍を掲げたのは名誉欲などではない。自分の愛弟子は、最初から師の死に水を取るためだけにやってきたのだ。師の教えを守り、ようやく得た指揮官の位を返上してまで。

 (我が最後の闘いを飾るのに、これ以上の相手は居らぬ。一騎打ちの名乗りを上げ即座に討たれるつもりだったが、デルンシェが相手なら話は別だ。この首はただでくれてやるやる訳にはいかぬな)

 「その意気や良し。ならば見事儂を討取り、戦を終わらせて見せよっ!」

 ダハルマ卿は叫ぶと面頬を下すと拍車を入れる。

 「王国騎士デルンシェ・ベンホータンがお相手仕るっ!」

 名乗りを上げると、デルンシェも槍を水平に構え馬を進めた。凍らせた心に闘志の鎧をまとわせ、殺意の槍を向けるのだ。どうか…最後の瞬間まで、師の前で無様を晒さず済みますように…と願いながら。

 槍を構えた重装の騎士は馬蹄を響かせながら交差した。槍を打ち付けて互いの一撃を逸らすと、火花が飛び金属が軋む音が響く。デルンシェは未だ衰えぬ師の技前に舌を巻いた。速度の乗りにくい最初の一撃で落馬させるつもりだったのだ。だが、自分がダハルマ卿の槍を逸らすので精一杯だった。
 すれ違った二騎はそのまま進んで十分な距離を取ると、同時に綺麗にターンして向かい合い再び加速する。先ほどよりさらに高速で槍が交差し、今度は互いの盾の真ん中に命中すると双方とも盾が弾け飛び、槍が半ばで折れた。騎士と鎧と馬の重量が速度と共に一点にかかる騎槍の一撃は、本来盾でも受け切れるものではない。それを逸らし、受け流すのが騎士の技である。それでも一瞬速度が落ち、落馬してもおかしく無い衝撃だったが、双方とも騎乗戦の名手である。共に身体が傾ぎながらも鞍上に腰を落ち着け、今度は距離を取らずに馬を寄せた。
 デルンシェは槍と盾を投げ捨て、鞍にくくり付けた両手剣を手にした。ダハルマ卿も同じように両手剣を引き抜き、天に掲げると気合と共にデルンシェに切り掛かる。王国騎士でもこんな剣を馬に乗せているのはダハルマ卿の指導を受けた一部の騎士のみである。いや、馬術が巧みで騎射を得意とする諸侯国の騎士ですら、弓はともかく剣は片手剣を使う。手綱を手放す不利を承知で両手剣を使う騎士は少数だった。二人とも、手綱を手にせず全力で剣を振るった。膝と腰のみで馬に指示を送り、馬もそれに応えて足を踏みかえ、体を寄せて主を助ける。火花を飛ばし、互いの甲冑を削りながら、人馬一体となった二人は剣を振り回して打ち合いを続けた。
 見守る双方から感嘆の声が上がった。皆、あっさりと決着が付くと思っていた。それほどデルンシェの技量は見事なものだった、討伐軍のボンクラ騎士とは比べものにならない。だが、ダハルマ卿の剣の冴えは、とても隠居した老人の動きではない。この瞬間、ダハルマ卿の力と気迫は、デルンシェを上回っていたかもしれない。
 しかしそれは、消えゆく巨星の一瞬の光の如く、ほんの僅かの間の輝きだった。一振りごとに振るう両手剣から速度と重さが落ちて行き、やがてデルンシェの一撃を受け損ねると、ダハルマ卿は支えきれずに鞍から吹き飛ばされた。

 デルンシェは馬を降りると、冑を放り出して駆け寄った。ダハルマ卿の馬が、落ちた主を気遣うように鼻を寄せると、デルンシェの間に立ち塞がろうとする。だが、「もうよい……」倒れたダハルマ卿にそう言われた馬は、道を譲ると悲しそうに頭を下げた。
 駆け寄ったデルンシェは、傷だらけでひしゃげた冑を脱がせると、汗と血まみれの顔を拭う。地に倒れたダハルマ卿には、もう動くだけの力は残っていなかった。それでも荒い息の下から、必死に言葉を絞り出した。ダハルマ卿は、怒声を浴びせるだけの師ではない。教え子が上首尾を見せたら、これ以上ない程に褒めてやらねばならない。彼はそうやって弟子を鍛えて来たのだから。

 「……よう…やった、デルンシェ…見事だ……」

 苦しい息で、必死に満面の笑顔を作ろうとする師の姿に、凍らせていた心が溶けて行くのを感じた。それは、剣を触れる事もできずに一方的に打たれ、それでも「あの打ち込みは惜しかった、あの間の取り方を忘れるな」そう、良かった点を指折り数えては満面の笑顔で大仰に褒めてくれた師の姿そのままだった。だが、デルンシェは力なく首を振る。年月が師を衰えさせ、弟子を巌のような騎士に成長させた。勝って当然ではないか。

 「六十過ぎた師を打ち倒して、何を誇れましょう」
 「誇れ。…お前で……な、ければ…、三合と…保たせず…斬り倒して…おったわ」

 その瞬間、デルンシェはようやく師の想いに気づいた。ダハルマ卿はただ討たれるだけで良かった。たとえデルンシェに勝っても、力が続くはずがない。次の騎士に討たれるだけだ。だが、ダハルマ卿はほんの一瞬とはいえ全盛期さえ凌ぐ恐るべき力を発揮して、敵味方とも感嘆の声を上げるほどの戦いを見せた。それは自分の最後の戦いを飾るためだけではない。デルンシェに悪評が立たないように…老いた恩師を一方的に殺したと後ろ指を指されぬように…最後の命を燃やして、若き騎士と互角の戦いを演じてくれたのだ。

 視界がゆがみそうになるのを必死に堪え、口を開きかけ、躊躇し、それがダハルマ卿への侮辱になるかもしれないと思いながら、しかしデルンシェは口にせずには居られなかった。

 「閣下…降ってはいただけませんか?」
 「でき…ぬ…。儂…は…、陛下から…節刀を…賜った、指揮官故な……」

 それは初めから判っていたことだった。
 王から直接、剣と共に軍の全権を委任される。その重みを誰よりも知っている騎士である。生涯を王国の武人として生き、下位貴族から実力のみで兵馬相を務めた騎士が、その晩節を汚す訳が無い。
 デルンシェは悲痛な面持ちで立ち上がると剣を抜いた。

 この方を討ち取らねばならない。その頸を取って討伐軍の前にかかげ、敵軍の心を折らねばならない。そうでなければ、両軍の犠牲は甚大なものになる。そして、自分の首一つでこの戦を終わらせる事を、ダハルマ卿も強く望んでいる。
 弟子として、一騎討ちを受けた騎士として、自ら手を下すことが騎士に対する最大の敬意であり礼儀だ。そのために指揮官の座をソルメトロに押し付け、必死の思いで我が心を凍らせて一騎打ちを受け、そして打ち倒したのだ。
 だが、剣を構えたままデルンシェは動こうとしない。

 この作戦は、速度を重視しなければならない、だのにツェンダフ軍の誰もが口を開かず、ただ二人を見守っている。やがて、総大将であるソルメトロがゆっくりと馬を進めてきた。それに気づいてもデルンシェは動こうとしなかった。
 ただその肩が小さく震えていた。

 「……すまぬ…ソルメトロ。俺には…無理だ。この…方…を………」

 ようやく絞り出した言葉はかすれそうで、最後は声にもならない。ただ嗚咽と共に流れ落ちる雫がデルンシェの足許にいくつも小さな染みを作って行く。
 なんというザマだ。こうならないよう、必死に己を凍らせ研ぎ澄まして来たというのに…そう思っていても、凍らせていた心が溶けてしまった今、もうデルンシェに剣を振り下ろす事はできない。
 この方には、腑抜けた王国貴族の模範となってほしい。まだまだ生きて、教え導いて欲しい。この方はそれだけの功績を上げて来たではないか。王国にはほかにも多くの貴族が居る、皆現役の騎士だ。なのに自らは屋敷に引きこもり、隠居した騎士を引きずり出して討伐を命じたのだ。それで降伏したとして、誰がダハルマ卿を非難できるというのだ。

 「デルンシェ…この馬鹿者ッ…」

 叱るダハルマ卿の声には、先ほどのような力はもう無かった。動かぬ身体を必死に動かし起き上がると、どうにか地べたの上に胡坐で座り背筋を伸ばした。痛みを通り越し、既に全身の感覚がほとんど無くなっていた。

 「閣下…」

 ダハルマ卿にはもうはや心残りは何もない。預かった討伐軍は騎士とは名ばかりのボンクラの集まりだが、死なすには惜しい騎士が幾人かは居た。後を任せて来たハイリ卿は保身にだけは長けているから、ダハルマ卿が討ち取られたと知れば無駄な抵抗は諦めるだろう。グリフは投降した兵を無碍には扱うまい。
 なにより、目をかけていた愛弟子は見事な騎士になっていた。そんな男が自分の為に泣いてくれたのだ。これ以上何を望むというのだ。

 「この、馬鹿者め。騎士なら、最後まで、自分の、手で、決着、を、付けんか。戦場で、躊躇するで、無いわ」

 途切れ途切れにそう言うと、ダハルマ卿は腰の剣を抜きその刃を自分の首に押し当てた。

 「先生っ!」
 「……儂はもう十分だ、他には何も要らん」

 最後に『閣下』ではなく『先生』と呼んでくれた事が、何より嬉しかった。ダハルマは力を振り絞り、両腕に力を籠める…。


 騎士一筋に生き、平和な王国においてさえ『騎士の中の騎士』と謳われ、戦場に斃れたダハルマ・トライバル。その顔は満ち足りたものだった。
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