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とある鬼人の戦記 6 会戦 3
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怒号と悲鳴が響き渡る。
襲撃を食い止めようと動いたツェンダフ側の槍兵は、魔法使いの援護を受けた討伐軍重装騎兵の強襲を阻止することができなかった。一気に蹴散らすと、魔法使いは空堀に魔法の盾で臨時の橋を作り、兵を突入させた。短時間しか持たないが、粗朶束と違って瞬時に展開できるし、火をかけられる心配も無い。普段は後方で支援する魔法使いを、騎兵に随伴させて進出させたからとれる戦法だった。防衛線を破られた守備兵は、やむを得ず内郭に籠城したが、傭兵隊に包囲され無力化されてしまった。ダハルマ卿の見た通り、砦の戦力が抜けた穴を埋めようとした矢先の攻撃に対応できなかったのである。
砦の確保を傭兵に任せて重装騎兵は前進し、そのまま街道上のツェンダフ軍騎兵に襲い掛かった。隊列が妙な形に伸びていた騎兵は最初から逃げ腰で、中には槍も盾も放り出して逃げる騎士まで居る始末だった。たが、討伐軍の騎士たちも戦果を広げる事ができなかった。大勝利に歓声を上げ、散らばる武具を分捕り始めたのだ。悠々と本陣に引き上げていった彼らは、勝利を上げたにも関わらずダハルマ卿の叱責を受ける事になる。それでも後続の騎兵が前進した結果、ツェンダフ側の防衛線は押し込まれ、結局この半日の戦いでツェンダフ軍は東砦を陥とされた上に西砦とサリサリ砦を包囲され、回廊を完全に制圧されてしまったのである。
戦闘後ダハルマ卿は制圧された東砦に入り、本陣とした。
「どうだ、状況は判ったか?」
迎える幕僚への答礼すらそこそこに、ダハルマ卿は部下に問うた。先に砦に入る部下には、戦闘した兵だけでなく、降伏した守備兵からの情報収集を徹底するよう命じている。
「突入した騎士の何人かが、西砦に退避するグリフ殿下らしき姿を目撃しています。実際に本人を目にした事のある騎士ですので、確度は高いかと思います。また、捕虜にも確認しましたが、どうやら本当にグリフ殿下本人らしく、メイガーが護衛として出たそうです。メイガーは東砦に戻れず、手勢を率いてそのまま西砦に入ったとの情報です」
「…そうか」
ダハルマ卿は内心でため息をつく。半信半疑であったが、どうやらグリフ本人らしい。彼の行動の影響で布陣が遅れ、東砦の防御が手薄となって指揮官の不在、更には主力騎兵の行軍が乱れて襲撃に対応できなくなった…となれば、今回はグリフの兵を想う心がこの大敗を招いてしまったのだろうか。やはり、兵権の返上で焦りを感じていたのかもしれない。
その一方で釈然としない思いもある。
「タイミングが良すぎるし、騎兵が脆すぎるが…」
確かに不意を突いたにしろ、ツェンダフ軍騎兵の醜態はいささか解せない。逃げ足が良すぎるのも気にかかる。敵主力には逃げられ、一会戦で敵戦力を完全に撃破するという戦術目標を達成できなかったのだから。
やはり何かの策だろうか?だが、影武者ならともかく、旗頭であるグリフ本人を前線で包囲している現状で、いったいどんな策があるというのだ。それとも、策を弄しようとしたところで、不発に終わったということだろうか。
「サリサリ砦ははどうか?」
「敗走する敵に付入りして砦に突入しようとしましたが、城外に待ち構えていた守備兵によって阻止されました。そのうえ守将のオーウェンが自ら城門を出て名乗りを上げたせいで、血気に逸った兵が討ち取ろうとして返り討ちにあっています」
「止めさせろ。勝手な戦闘を禁じる、命令を徹底させろ。簡単な誘いに乗りおって…。守りに徹しろ、砦からの反撃を防ぐだけでいい」
撃破されたとはいえ、逃げ腰だったせいもあってツェンダフ軍の損害はさほど大きくない。これは会戦で短期に決着を付けるという、両軍の当初の構想に反しているのは明らかだったが、代わりに最前線のグリフの確保が戦の焦点となっている。砦を落としてグリフを捕らえるか殺せば、主力が何もできないうちに討伐軍の勝利なのだ、ツェンダフ側は兵力を再編成し、西砦救援のためにサリサリの砦から全軍が押し出してくる事が予想される。
だが、ダハルマ卿はここで決戦をする気は無かった。細い回廊の奥、橋と一体化した要塞は連絡線を絶つことができず難攻不落ではあったが、落とす必要は無いのだ。反撃を許さなければ良い。砦を封鎖する堀と馬防柵が造られ。城塞を包囲する陣が築かれて行った。
兵力の再編に騎士達は不満を隠そうともしない。ダハルマ卿は、西砦攻略の兵を全軍の中から選抜した。攻城戦での危険は野戦の比ではない。敵が圧倒的に有利なのだ。指示通りに動くことすらできないボンクラでは話にならない。ところが、サリサリ砦の抑えに廻され防御に徹するよう命じられた騎士は、ダハルマ卿に食って掛かりさえした。自分たちが勝利の立役者だと思い込んでいるのだ。だが、ダハルマ卿は反論を許さず、西砦攻略への参加は認めなかった。貴族の横槍など昔から散々受けて来た。今更失う物など何もない元隠居であるし、総大将の任命はブレス王直々によるものだから、更迭される事も無い。このボンクラ共を無駄に死なせる方が、後々の影響が大きい。
詰め寄って来る騎士達を退けたのち、ダハルマ卿は疲れ切ったように床几に腰を沈めた。こうなると、なまじ突撃が成功してしまったのがまずかったとも言える。今後、彼らを抑えるのは困難になるだろう。ここにきて討伐軍内の不和が大きくなっているのは懸念事項であるが、それでも王手をかけた状態だ。
「明日早朝から攻撃する。あの程度の小城、一息に落としてケリをつけるぞ」
自分を鼓舞するように命じたダハルマ卿であったが、しかし、翌朝早朝からの攻撃は、グリフを確保し短期にツェンダフ軍を降伏させるという目論見を砕くものとなった。
砦の北門…もとは搦手口だった門の前に、防御のために出丸が造られていた。河岸段丘に立地する砦は、東側は段丘の崖を防御線としている。元々南の備えを重視していたから、地続きとなる南と西に郭を連ねて防御していた。唯一手薄だったのが北側だったが、南下してくる討伐軍に対抗するために、こちらには出丸が新たに増設されて、縦深を増していた。ダハルマ卿は元々手薄と考えられた北側を主攻としたが、この出丸のせいで、砦に近づく事ができないのだ。そしてなにより、守将でありながら自ら出丸に陣取ったイーヒロイスが、討伐軍を完全に射すくめていた。
イーヒロイスの弓の技前は、恐ろしいものだった。寄せ手の弓や魔法の矢の射程外から確実に命中させてくる。しかも、即死はしないが手当を怠れば命に係わる傷となる箇所…手足の付け根を狙ってくるのだ。貴族家から預かった兵を見殺しにもできず、ダハルマ卿は治療のためにかなりの人員を割かざるを得なくなっていた。なんとも嫌らしい攻撃だった。
「イーヒロイスか、厄介な男が居たものよ。あれほどの神箭手がなぜ仕官もせずに埋もれて居たのだ」
「カリス伯爵家の末の子です、聞いた話では矢を射る事にしか興味が無く、他人に教授する事も苦手という事で、仕官する気もなければ他家に養子に入ることも無かったそうです。酷く無口で、普段から社交も全くせず、時間があれば自作の矢の釣合いの調整をしているとか」
ダハルマ卿の独り言のような呟きに、脇に控えるグレイブスが答える。
「伯爵家の子息がそれでよくやってこれたな」
ダハルマ卿が半ば呆れたように言った。
「上に出来のいい兄が三人もいるので、実家もあまり口うるさくせず…というか、ほとんど見限られていたようです。グリフ殿下に見いだされた後も、屋敷に居候して毎日ただ矢を射る生活をしていたと聞いています」
「生粋の射手か……」
飛びぬけた才を持つものは、どこかに欠陥を抱えていることがある。それはダハルマ卿も良く知っていた。今の王国は平和で、そういう偏った性質の人間は必要とされない傾向がある。そういった人材を拾い上げていたのがグリフなのだ。
グレイブスの言った通り、イーヒロイスはとにかく無口な男である。教導を頼んでも「引いて、狙って、撃つ」としか言わない。『自分の腕を磨く事にしか興味が無い人間』『人間嫌い』『弓を伴侶にする男』そう揶揄されていた。
だが、それだけでは無い事をグリフは知っていた。意外にも、自分が抱えている問題点を細かく具体的に問えば、しばらく考えた末にぼそぼそとアドバイスしてくれる事もあるのだ。実際、旅の間にステレはイーヒロイスから弓の手ほどきを受けている。とにかく、自分が出来ることは何でもやろうと必死になっていたステレが強引に弟子入りした形だが、見た限りイーヒロイスも強く拒絶はしていなかった。実は口下手なだけで、人間嫌いな訳ではないのでは…とグリフは見ていた。
いずれにしろ、拠点防衛においてイーヒロイスの弓は絶大な威力を発揮した。というより、土塁の位置、堀の幅、強化された北側の防御施設は、イーヒロイスの弓の射程を前提に設計されたと言って良い。
そして、イーヒロイスが前線に立つ代わりに、防衛の指揮を引き継いだがのが東砦から逃げ込んだメイガーだった。「魔力を足元に転がす事しかできない魔法使い」。それが貴族の間でのメイガーの評価だった。いかに強大な魔力を持っていようと、それを投射できなければなんの意味もない。だが、彼はグリフの秘書として働く傍らで、騎士として武官としての研鑽を積んでいたようだった。イーヒロイスも「俺より向いている」と一言だけ言って、指揮を任せた。そして、大任を受けたメイガーが城兵を鼓舞し主郭から適格に指示を飛ばす姿は、実に堂々とした指揮官ぶりだった。
「さすがに三年も揉まれただけの事はある。小城でも実戦経験の無い兵で落とすのは厳しいか…。ここをツェンダフの発起点にするために砦の強化を見逃したが、それで攻略に苦労する事になるとはな。ままならぬものよ」
「神ならぬ旦那様の事、仕方ありますまい」
珍しく愚痴をこぼしたダハルマ卿をグレイブスが慰める。
「兵を下がらせよう、包囲戦に切り替える。さほど大きな砦でもない、そうかからず干上がるだろう、勝ちが見えれば犠牲を増やす事もあるまい」
そう呟いたダハルマ卿は、副官ら幕僚に命令を伝えた。
今回は、比較的「マシ」な兵を選抜して出丸突破を試みたが、それでも抜く事はできなかった。全軍を上げて損害覚悟の飽和攻撃をすれば、短期で落城させることができるだろう。だが、ろくに実戦経験の無い兵達では、引き換えにどれほど被害が出るか想像もしたくない。ましてや、先だっての勝利で騎士達の自尊心は恐ろしいほどに肥大している。統制が取れなくなれば、敵味方の屍が山と積まれる事になるだろう。
後方線が繋がっているサリサリ砦を包囲戦で攻略するのは不可能だが、この砦ならさほどかけずに落とす事ができる。ダハルマ卿は時間と損害を天秤にかけ、後者に切り替える事を選んだ。
これにより、朝から続いた西砦攻略戦は一旦収束する事になった。寄せ手を撃退したとはいえ、グリフの状況は全く好転していない。ツェンダフ領からの連絡線は橋以外に無く、その橋の出口=サリサリの砦は完全に包囲されている。西砦も隙間なく包囲されており、打つ手なしの状況に見えた。それでもグリフは、砦の守備兵に声をかけ、奮戦に感謝しているという。実際、北の出丸を訪れた姿が、討伐軍からも確認されていた。籠城するグリフができるのはそれぐらいしか無かった。一方で総大将が最前線に籠城している…という情報に半信半疑だった討伐軍将兵も、遠目ながらグリフの姿を確認し勝利は近いと意気上がっていた。
「重ねて勝手な攻撃を禁ずる。破った者は厳罰とする。敵の後詰が迂回してくる可能性がある。昼夜問わず山の西の谷、川沿いの警戒を厳とせよ。またサリサリ砦の包囲陣には兵を回す、できる限り防御を強化せよ」
どちらを迂回するにしても時間がかかる上に、討伐軍からは丸見えになるから可能性は低いと考えられた。恐らくはサリサリ砦を包囲している部隊の突破を試みる可能性が高い。これを防ぐため、防備を固めるよう再度の指示を出したが、サリサリ砦を抑える騎士達は更に不満を高めていた。「それ見た事か、我々が攻めていたら半日で落としていた」と思っている。それでもとりあえずは命に従い包囲陣強化が進められた。
陣内の不協和音に加えてもう一つの懸念は、鬼人の動きである。ダハルマ卿は自分の命を狙ってくるものと警戒していたが、全く動きを見せていない。鬼人の傭兵は義理堅いと伝わっている。グリフに惚れ込んで自分を売り込んだ鬼人が、戦場で孤立しているグリフを見捨てるだろうか…
あちこちに不安定な状況を抱えるダハルマ卿であったが、このままなら落城も時間の問題……と思われた時、事態が急変した。
王都から駆け込んだ急使が、ダハルマ卿に王都帰還を命じたのである。
受け取った急報を読んだダハルマ卿は、思わず「まさか…」と声に出していた。王城に鬼人が現れ、ゴージが斬られたというのだ。
襲撃を食い止めようと動いたツェンダフ側の槍兵は、魔法使いの援護を受けた討伐軍重装騎兵の強襲を阻止することができなかった。一気に蹴散らすと、魔法使いは空堀に魔法の盾で臨時の橋を作り、兵を突入させた。短時間しか持たないが、粗朶束と違って瞬時に展開できるし、火をかけられる心配も無い。普段は後方で支援する魔法使いを、騎兵に随伴させて進出させたからとれる戦法だった。防衛線を破られた守備兵は、やむを得ず内郭に籠城したが、傭兵隊に包囲され無力化されてしまった。ダハルマ卿の見た通り、砦の戦力が抜けた穴を埋めようとした矢先の攻撃に対応できなかったのである。
砦の確保を傭兵に任せて重装騎兵は前進し、そのまま街道上のツェンダフ軍騎兵に襲い掛かった。隊列が妙な形に伸びていた騎兵は最初から逃げ腰で、中には槍も盾も放り出して逃げる騎士まで居る始末だった。たが、討伐軍の騎士たちも戦果を広げる事ができなかった。大勝利に歓声を上げ、散らばる武具を分捕り始めたのだ。悠々と本陣に引き上げていった彼らは、勝利を上げたにも関わらずダハルマ卿の叱責を受ける事になる。それでも後続の騎兵が前進した結果、ツェンダフ側の防衛線は押し込まれ、結局この半日の戦いでツェンダフ軍は東砦を陥とされた上に西砦とサリサリ砦を包囲され、回廊を完全に制圧されてしまったのである。
戦闘後ダハルマ卿は制圧された東砦に入り、本陣とした。
「どうだ、状況は判ったか?」
迎える幕僚への答礼すらそこそこに、ダハルマ卿は部下に問うた。先に砦に入る部下には、戦闘した兵だけでなく、降伏した守備兵からの情報収集を徹底するよう命じている。
「突入した騎士の何人かが、西砦に退避するグリフ殿下らしき姿を目撃しています。実際に本人を目にした事のある騎士ですので、確度は高いかと思います。また、捕虜にも確認しましたが、どうやら本当にグリフ殿下本人らしく、メイガーが護衛として出たそうです。メイガーは東砦に戻れず、手勢を率いてそのまま西砦に入ったとの情報です」
「…そうか」
ダハルマ卿は内心でため息をつく。半信半疑であったが、どうやらグリフ本人らしい。彼の行動の影響で布陣が遅れ、東砦の防御が手薄となって指揮官の不在、更には主力騎兵の行軍が乱れて襲撃に対応できなくなった…となれば、今回はグリフの兵を想う心がこの大敗を招いてしまったのだろうか。やはり、兵権の返上で焦りを感じていたのかもしれない。
その一方で釈然としない思いもある。
「タイミングが良すぎるし、騎兵が脆すぎるが…」
確かに不意を突いたにしろ、ツェンダフ軍騎兵の醜態はいささか解せない。逃げ足が良すぎるのも気にかかる。敵主力には逃げられ、一会戦で敵戦力を完全に撃破するという戦術目標を達成できなかったのだから。
やはり何かの策だろうか?だが、影武者ならともかく、旗頭であるグリフ本人を前線で包囲している現状で、いったいどんな策があるというのだ。それとも、策を弄しようとしたところで、不発に終わったということだろうか。
「サリサリ砦ははどうか?」
「敗走する敵に付入りして砦に突入しようとしましたが、城外に待ち構えていた守備兵によって阻止されました。そのうえ守将のオーウェンが自ら城門を出て名乗りを上げたせいで、血気に逸った兵が討ち取ろうとして返り討ちにあっています」
「止めさせろ。勝手な戦闘を禁じる、命令を徹底させろ。簡単な誘いに乗りおって…。守りに徹しろ、砦からの反撃を防ぐだけでいい」
撃破されたとはいえ、逃げ腰だったせいもあってツェンダフ軍の損害はさほど大きくない。これは会戦で短期に決着を付けるという、両軍の当初の構想に反しているのは明らかだったが、代わりに最前線のグリフの確保が戦の焦点となっている。砦を落としてグリフを捕らえるか殺せば、主力が何もできないうちに討伐軍の勝利なのだ、ツェンダフ側は兵力を再編成し、西砦救援のためにサリサリの砦から全軍が押し出してくる事が予想される。
だが、ダハルマ卿はここで決戦をする気は無かった。細い回廊の奥、橋と一体化した要塞は連絡線を絶つことができず難攻不落ではあったが、落とす必要は無いのだ。反撃を許さなければ良い。砦を封鎖する堀と馬防柵が造られ。城塞を包囲する陣が築かれて行った。
兵力の再編に騎士達は不満を隠そうともしない。ダハルマ卿は、西砦攻略の兵を全軍の中から選抜した。攻城戦での危険は野戦の比ではない。敵が圧倒的に有利なのだ。指示通りに動くことすらできないボンクラでは話にならない。ところが、サリサリ砦の抑えに廻され防御に徹するよう命じられた騎士は、ダハルマ卿に食って掛かりさえした。自分たちが勝利の立役者だと思い込んでいるのだ。だが、ダハルマ卿は反論を許さず、西砦攻略への参加は認めなかった。貴族の横槍など昔から散々受けて来た。今更失う物など何もない元隠居であるし、総大将の任命はブレス王直々によるものだから、更迭される事も無い。このボンクラ共を無駄に死なせる方が、後々の影響が大きい。
詰め寄って来る騎士達を退けたのち、ダハルマ卿は疲れ切ったように床几に腰を沈めた。こうなると、なまじ突撃が成功してしまったのがまずかったとも言える。今後、彼らを抑えるのは困難になるだろう。ここにきて討伐軍内の不和が大きくなっているのは懸念事項であるが、それでも王手をかけた状態だ。
「明日早朝から攻撃する。あの程度の小城、一息に落としてケリをつけるぞ」
自分を鼓舞するように命じたダハルマ卿であったが、しかし、翌朝早朝からの攻撃は、グリフを確保し短期にツェンダフ軍を降伏させるという目論見を砕くものとなった。
砦の北門…もとは搦手口だった門の前に、防御のために出丸が造られていた。河岸段丘に立地する砦は、東側は段丘の崖を防御線としている。元々南の備えを重視していたから、地続きとなる南と西に郭を連ねて防御していた。唯一手薄だったのが北側だったが、南下してくる討伐軍に対抗するために、こちらには出丸が新たに増設されて、縦深を増していた。ダハルマ卿は元々手薄と考えられた北側を主攻としたが、この出丸のせいで、砦に近づく事ができないのだ。そしてなにより、守将でありながら自ら出丸に陣取ったイーヒロイスが、討伐軍を完全に射すくめていた。
イーヒロイスの弓の技前は、恐ろしいものだった。寄せ手の弓や魔法の矢の射程外から確実に命中させてくる。しかも、即死はしないが手当を怠れば命に係わる傷となる箇所…手足の付け根を狙ってくるのだ。貴族家から預かった兵を見殺しにもできず、ダハルマ卿は治療のためにかなりの人員を割かざるを得なくなっていた。なんとも嫌らしい攻撃だった。
「イーヒロイスか、厄介な男が居たものよ。あれほどの神箭手がなぜ仕官もせずに埋もれて居たのだ」
「カリス伯爵家の末の子です、聞いた話では矢を射る事にしか興味が無く、他人に教授する事も苦手という事で、仕官する気もなければ他家に養子に入ることも無かったそうです。酷く無口で、普段から社交も全くせず、時間があれば自作の矢の釣合いの調整をしているとか」
ダハルマ卿の独り言のような呟きに、脇に控えるグレイブスが答える。
「伯爵家の子息がそれでよくやってこれたな」
ダハルマ卿が半ば呆れたように言った。
「上に出来のいい兄が三人もいるので、実家もあまり口うるさくせず…というか、ほとんど見限られていたようです。グリフ殿下に見いだされた後も、屋敷に居候して毎日ただ矢を射る生活をしていたと聞いています」
「生粋の射手か……」
飛びぬけた才を持つものは、どこかに欠陥を抱えていることがある。それはダハルマ卿も良く知っていた。今の王国は平和で、そういう偏った性質の人間は必要とされない傾向がある。そういった人材を拾い上げていたのがグリフなのだ。
グレイブスの言った通り、イーヒロイスはとにかく無口な男である。教導を頼んでも「引いて、狙って、撃つ」としか言わない。『自分の腕を磨く事にしか興味が無い人間』『人間嫌い』『弓を伴侶にする男』そう揶揄されていた。
だが、それだけでは無い事をグリフは知っていた。意外にも、自分が抱えている問題点を細かく具体的に問えば、しばらく考えた末にぼそぼそとアドバイスしてくれる事もあるのだ。実際、旅の間にステレはイーヒロイスから弓の手ほどきを受けている。とにかく、自分が出来ることは何でもやろうと必死になっていたステレが強引に弟子入りした形だが、見た限りイーヒロイスも強く拒絶はしていなかった。実は口下手なだけで、人間嫌いな訳ではないのでは…とグリフは見ていた。
いずれにしろ、拠点防衛においてイーヒロイスの弓は絶大な威力を発揮した。というより、土塁の位置、堀の幅、強化された北側の防御施設は、イーヒロイスの弓の射程を前提に設計されたと言って良い。
そして、イーヒロイスが前線に立つ代わりに、防衛の指揮を引き継いだがのが東砦から逃げ込んだメイガーだった。「魔力を足元に転がす事しかできない魔法使い」。それが貴族の間でのメイガーの評価だった。いかに強大な魔力を持っていようと、それを投射できなければなんの意味もない。だが、彼はグリフの秘書として働く傍らで、騎士として武官としての研鑽を積んでいたようだった。イーヒロイスも「俺より向いている」と一言だけ言って、指揮を任せた。そして、大任を受けたメイガーが城兵を鼓舞し主郭から適格に指示を飛ばす姿は、実に堂々とした指揮官ぶりだった。
「さすがに三年も揉まれただけの事はある。小城でも実戦経験の無い兵で落とすのは厳しいか…。ここをツェンダフの発起点にするために砦の強化を見逃したが、それで攻略に苦労する事になるとはな。ままならぬものよ」
「神ならぬ旦那様の事、仕方ありますまい」
珍しく愚痴をこぼしたダハルマ卿をグレイブスが慰める。
「兵を下がらせよう、包囲戦に切り替える。さほど大きな砦でもない、そうかからず干上がるだろう、勝ちが見えれば犠牲を増やす事もあるまい」
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今回は、比較的「マシ」な兵を選抜して出丸突破を試みたが、それでも抜く事はできなかった。全軍を上げて損害覚悟の飽和攻撃をすれば、短期で落城させることができるだろう。だが、ろくに実戦経験の無い兵達では、引き換えにどれほど被害が出るか想像もしたくない。ましてや、先だっての勝利で騎士達の自尊心は恐ろしいほどに肥大している。統制が取れなくなれば、敵味方の屍が山と積まれる事になるだろう。
後方線が繋がっているサリサリ砦を包囲戦で攻略するのは不可能だが、この砦ならさほどかけずに落とす事ができる。ダハルマ卿は時間と損害を天秤にかけ、後者に切り替える事を選んだ。
これにより、朝から続いた西砦攻略戦は一旦収束する事になった。寄せ手を撃退したとはいえ、グリフの状況は全く好転していない。ツェンダフ領からの連絡線は橋以外に無く、その橋の出口=サリサリの砦は完全に包囲されている。西砦も隙間なく包囲されており、打つ手なしの状況に見えた。それでもグリフは、砦の守備兵に声をかけ、奮戦に感謝しているという。実際、北の出丸を訪れた姿が、討伐軍からも確認されていた。籠城するグリフができるのはそれぐらいしか無かった。一方で総大将が最前線に籠城している…という情報に半信半疑だった討伐軍将兵も、遠目ながらグリフの姿を確認し勝利は近いと意気上がっていた。
「重ねて勝手な攻撃を禁ずる。破った者は厳罰とする。敵の後詰が迂回してくる可能性がある。昼夜問わず山の西の谷、川沿いの警戒を厳とせよ。またサリサリ砦の包囲陣には兵を回す、できる限り防御を強化せよ」
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陣内の不協和音に加えてもう一つの懸念は、鬼人の動きである。ダハルマ卿は自分の命を狙ってくるものと警戒していたが、全く動きを見せていない。鬼人の傭兵は義理堅いと伝わっている。グリフに惚れ込んで自分を売り込んだ鬼人が、戦場で孤立しているグリフを見捨てるだろうか…
あちこちに不安定な状況を抱えるダハルマ卿であったが、このままなら落城も時間の問題……と思われた時、事態が急変した。
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名をアスフィ・シーネット。
才能が無ければ魔法が使えない、そんな世界で彼は運良く魔法の才能を持って産まれた。
だが、使用できるのは攻撃魔法ではなく回復魔法のみだった。
攻撃魔法を一切使えない彼は、冒険者達からも距離を置かれていた。
彼は誓う、俺は回復魔法で最強になると。
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#ヒラ俺
この度ついに完結しました。
1年以上書き続けた作品です。
途中迷走してました……。
今までありがとうございました!
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追記:2025/09/20
再編、あるいは続編を書くか迷ってます。
もし気になる方は、
コメント頂けるとするかもしれないです。
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