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8章 異風の旋律

261 自己犠牲

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「今日はホントにびっくりしたよ……。
 トーマ、本気で帰っちゃうのかと思った……」


 打ち合わせを終えてベッドに入ると、リーネがポツリと呟いた。
 いや本気だったよ完全に。なんの迷いもなく帰る気満々でしたが?

 う~ん、これはちゃんと話し合っておいたほうが良いな。
 ちょっとリーネは俺を美化しすぎている気がする。


「いや本気で帰るつもりだったよ?
 カルマさんが襲撃犯を正当に処分した上で、こちら側の要求を全て呑んだから帰るのをやめただけ。
 あの対応に誠意を感じたから思いとどまっただけだよ」

「……どうして?ボールクローグの人たちみんなが危険に晒されていて、トーマにはみんなを助ける力があるのに、どうしてみんなを見捨てて帰ろうなんて思うの……!?」


 リーネは少し怒りすら滲ませて問い詰めてくる。
 リーンとトルネの2人に目を向けると、何も言わずに少し微笑まれた。
 ん~、口出しはしませんよってことか?


「リーネ。俺に全てを救う力なんてないってば。俺はあくまで1人の人間でしかない。
 でも仮に俺にもっと凄い力があったとしても同じ判断をすると思うよ。
 俺は何でも出来るんじゃなくて、出来ることしかやってないだけだ。出来ないと判断したことには手は出さない」

「そんなっ、トーマはいつだって沢山の人を助けてるじゃない……!
 みんなのことだって、私のことだって、シスターだって、カンパニーだって、トーマのおかげで沢山の人が救われてる……!
 トーマはとっても凄い人だよ……!?」

「いや?みんなだってカンパニーだって、俺にとっては利害が一致しただけだよ?
 ま、流石に家族のみんなまで利害関係だけで選んだわけじゃないけどさ。カンパニーや救貧院との協力体制は、俺にとてもメリットがあったからこそ動いた案件だ。それは説明会の時にも言ったはずだろ」


 そもそもリーネは自己評価が低すぎるのと、俺の評価が高すぎるんだよな。
 これはちょっと危ういかもしれない。


「リーネが凄いと思ってることだって、俺1人で成し遂げたことなんか1つもないよ?
 俺は自分1人では大したことが出来ないのを知っているから、人に助けを求めたり、依頼したりする事を躊躇ったりしない。
 でもその時に相手に負担を強いるのだから、相手にもしっかりと利益を享受してもらいたいって思ってるだけだ」

「でもっ……!異風の旋律には迷宮殺しが出来て、ボールクローグの人たちは出来てなかった……!
 そんな状況で、自分たちだけが逃げることが正しいことだなんて、私には思えないよっ……!」

「リーネ。そもそもそこが違うんだよ。ボールクローグの連中は迷宮殺しが出来なかったわけじゃない。今までしていなかっただけなんだ。
 現に俺が情報提供をしてから、俺たち以外の冒険者達も迷宮を討伐してるだろ?
 ベイクの駆け出し冒険者たちと同じで、間違った知識で行動していた。そしてそれは矯正した。
 そこからはボールクローグの冒険者たちが奮闘するところじゃないのか?本来は」


 助けを待つことしか出来ない状況じゃなくて、あいつらドロップアイテム集めに精を出してただけだからな。
 本来なら勝手に滅亡してたところを食い止めた形なんだから、非難される謂れはないんだけどねぇ。


「リーネ。昼間も言った事だけど、真剣に考えて答えてくれ。
 もし今日そのままクリーヌたちと迷宮討伐に向かって、クリーヌに襲われていたらお前は対処できたのか?
 またはクリーヌと一緒に武装集団に襲われた場合、お前だけじゃなくクリーヌ一家を巻き込んでいたのは分かってるのか?
 仮に撃退できたとして、ボールクローグで待っているクリーヌの家族が襲われたらどうやって守るんだ?
 そこまで真剣に考えて答えてくれ。あの状況で俺の判断は間違っていたと思うか?」

「そ、そんな極端な話……!」

「真剣に考えろ。思考放棄は絶対に許さない。
 いいかリーネ。俺たちはここに来る直前にも、100人を超える規模の襲撃に遭っている。
 あの時は運良く撃退できたし、俺たち以外に巻き込まれる心配のある人間は近くに居なかったよな?
 じゃあ今回はどうだった?誰が敵か味方かも分からない状況。巻き込まれてしまう人間の存在。俺たちが迷宮に向かわなければならないという状況。本当に真剣に考えてんのか?
 昼間も言ったけど綺麗事じゃねーんだよリーネ。俺たちだけの命ならいざ知らず、俺たちが判断を間違えれば、巻き込まれて死ぬ人も居るんだよ。そこまで考えたか?感情論だけで物事を判断するのは今すぐやめろ」


 リーネは12歳から1人で生きてきて、誰かに教えてもらったり導いてもらったり、誰かの背中を追うってこともなかっただろうからなぁ。
 情緒や思考的には子供に近い部分があるのかもしれない。
 つうかリーンの考え方がちょっと大人すぎる気がするんですよね。


「えっ、と……。あっ、え、あっ……。」

「あー別に怒ってるわけじゃない。だからちょっと落ち着いて、状況を冷静に見直してみてくれ。
 重ねて言うけど怒ってないから焦らなくていい。
 リーネはボールクローグで出会った人たちととても仲良くなったんだよな?だからボールクローグの人たちを心配するのは、何も間違っちゃいない。俺も同感だしな。
 でもそれはボールクローグ側に感情移入しすぎてるんだよリーネ」


 リーネを引き寄せ、なるべく優しく抱きしめる。


「ゆっくり呼吸して。俺は怒ってないし、リーネの想いが間違ってるわけじゃない。
 リーネがボールクローグの人たちを想う気持ちは何にも間違ってない。その気持ちは大切にしていい。
 でもリーネはボールクローグの人たちを心配するあまり、俺たちの事情や体験を忘れていないか?
 そして、世の中ってそんなに優しくて綺麗なもんじゃないって、俺たちの誰よりも味わって生きてきたのはリーネだったんじゃないのか?
 怒ってないし、お前を拒絶するつもりもない。安心して。でも落ち着いて、ちゃんと考えて」

「……うん。ありがとう……。
 でも、ごめんなさい……。考えがまとまらない……」

「大丈夫。ちゃんと待ってるから。でも自分で考える事を投げ出すのは駄目。思考放棄は絶対にしちゃ駄目だ。
 ちゃんとリーネの答えが出るまで待ってるからさ。ゆっくり落ち着いて考えて」


 考え込んだリーネを落ち着かせるために、頭を撫でてやる。
 リーンとトルネも暇になったのか引っ付いてきて頬ずりしてきた。
 く、かわいいじゃねぇかちくしょう。


「私ずっと、誰にも助けてもらえなくて、どうして誰も助けてくれないの?って思ってた……。
 でもそれって、私の勝手な言い分だったんだね……。今、ようやく分かった気がする……。
 私が助けを求めていたのと同じで、みんなだって助けを求めてるんだね……。自分の命や生活だったり、家族を守るために……。
 トーマだって、いつも色んな人に助けてもらったって言ってた……。自分と、周りの人を守るために……。
 戦えるなら戦うべきだ、なんて考え方は、それこそ自分勝手で、相手の事を何も思いやっていない考え方なんだね……。
 しかも、私自身が戦えるわけでもないのに、なんて身勝手な言い分なんだろう……」

「人を助けたいって気持ちが悪いわけじゃないぞ。そこははっきり言っておく。
 クレーレさんも、リーネはとても優しい娘だって言ってたし、その気持ちは大切にしてていいんだ。
 でもな、人を助けたいのなら、自分は絶対に倒れちゃいけないってことだけは忘れちゃ駄目だ。
 無責任に手を差し伸べて、その手を掴んだ人と一緒に倒れてしまったら、助けようと思った人たちを自分の手で殺めてしまう事になるかもしれない。
 無理してでもとか、自分を犠牲にしてでも他人を救うなんて気持ちは、捨てろとまでは言わないけど、自分でしっかりと制御するんだ。
 クリーヌが言っていたことにも繋がるけどさ。自分の身の丈に合わない行動は、時として身を滅ぼすことになるだけだ。
 その時に誰かが自分の手を握っていたとしたら、その人も巻き込んで身を滅ぼすことになってしまう」


 抱きしめていたリーネが向きを変えて、俺に抱き付いて顔を埋めてきた。


「ごめんトーマ。私、子供みたいだったね……。
 力を持っている者が助けるべきだ、なんて考え、カンパニーの目的である自立支援を、完全に否定した考えだった……。
 そう、気持ちだけで生きていけるなら、私が迷宮に入れないからって苦しむことも無かったし、シスターがあんなに長い間心を痛めることも無かったんだ……。
 どんな気持ちを抱こうと、私たちは現実を生きていかなきゃいけないんだよね……」


 俺の質問への回答は言葉に出来なかったみたいだけど、リーネの意識は変わってくれたかな?
 ファンタジー世界でも、俺たちが日常を過ごさなきゃいけないのは一緒なんだよね。

 自己犠牲なんてのは、本当に全力を絞りつくして最善を尽くして、それでもどうしようもない時に選択を迫られるくらいの優先度でいい。

 始めに自分たち、その次に知人友人、その優先順位だけは常に念頭に置いておかなきゃいけないんだよな。

 マーサの親類友人だと知りながら、ミルズレンダでの襲撃者を皆殺しにしたように。
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