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略奪令嬢のドレス姿は、ムカつくほど綺麗でした。
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大聖堂の扉が開いた瞬間、光が音を連れて押し寄せてきた。
ステンドグラス越しの冬の光は、ただ明るいのではなく、色の層をまとっている。青と赤と金が空気に溶け、石の床に薄い絵を描く。その絵の上を人々の靴音が通り過ぎるたび、光の模様がかすかに揺れた。
私は参列者席の端に座っていた。
花嫁の席ではない。祭壇に向かう通路に背を向ける位置でもない。目立たず、しかし逃げられない場所。聖堂の空気が均等に冷たく、誰の吐息も同じように白くなる席。
「どうして、あの方がこちらに……?」
誰かの囁きが、私の耳の端を撫でた。
ドレスは着替えていたが、参列者の何人かは私に気づいたみたいだった。
その囁きは羽のように軽いくせに、触れた箇所だけ痛い。私は顔を動かさない。視線を祭壇へ固定し、呼吸だけを整えた。整えるというより、整え続ける。崩れれば、周囲はそれを喜ぶ。あるいは憐れむ。どちらも、今日の私には不要だった。
オルガンが鳴り、音が天井へ上っていく。
音が高い場所へ行くほど、私は自分の身体がこの石の箱の底に沈んでいく気がした。沈みながら、静かに思う。私はここにいる。逃げていない。逃げないための席に、自分で座っている。
祭壇の前には大司教オスヴァルトが立ち、白い法衣が光を受けて淡く輝いた。
その輝きは温かいものではない。雪の表面が反射する光に似ている。眩しいのに、触れれば冷たい。
参列者たちは揃って前を向き、背筋を伸ばす。
今日の式は、一組の婚姻のためだけにあるのではない。王都の目に、聖堂の名に、商会の信用に関わる。誰もがそれを知っている。だから拍手も、涙も、熱のある個人のものではなく、秩序への礼儀として整っている。
そして、音が変わった。
通路の奥、扉の方から一段低いざわめきが起こり、すぐに収束する。その収束の仕方が上手い。王都の社交というのは、ざわめきを上品に折り畳む技術だ。
アルトが入ってきた。
白い礼装の肩に光が落ち、縫い取りの糸がかすかに煌めく。彼は堂々と歩き、視線は前へ、顎は少しだけ上へ。誰から見ても“勝っている者”の歩き方だった。
昨日までの私なら、その姿に胸を締めつけられていただろう。
けれど今の私は、違う締めつけを感じていた。痛みではない。緊張でもない。手元の書類を落とさないように指を少し強く握るときの、あの感覚に近い。失敗できない。だから落ち着く。そのために、余計な感情は使わない。
アルトの隣には、ミレイアがいた。
彼女は白ではなく、薄い金を含んだ色のドレスを纏っていた。
花嫁としての“純白”を、そのまま拒否するかのように。純白は譲り、代わりに勝者の光沢を選ぶ。そういう人だと、ひと目で分かる。
ヴェールの下の唇は柔らかく笑っていて、その笑みは誰に向けるでもなく周囲を包むように広がっていた。私を見つけると、ほんの一瞬だけ視線が触れ、そしてすぐに離れた。
勝者の微笑み。
「哀れな人」と言わない代わりに、「私は正しい場所にいる」と言う笑み。
私の喉の奥が熱くなる。
熱いのに、涙は出ない。涙は、私の中で許可を得られないまま立ち尽くしている。許可を出せば、進行が滞る。それは避けたい。
アルトは祭壇の前で立ち止まり、大司教へ礼をした。ミレイアも同じように頭を下げる。二人の動きは揃っていて、練習を重ねた痕跡がある。
私が教えた所作だ、とふと思った。
教えたというより、一緒に確認したのだ。式次第を、言葉の順序を、立つ位置を。私は彼らの“完璧”に加担していた。その事実が、胸の奥で小さく鳴る。痛みではなく、哀れみの鐘のように。
大司教が声を響かせる。
祈りの言葉は、天井を伝い、石の壁に反射し、私の胸の中に沈んでくる。周囲の誰もが同じ言葉を聞いているのに、私だけが違うものを聞いている気がした。
「盟約」
「当事者」
「血」
それらの単語が、耳の中で鋭く立ち上がる。
参列者席の前列に、ルーカスがいるのが見えた。
黒い外套のまま、帽子だけを胸に抱えている。彼の視線は祭壇に固定されていて、祈りに感動している人の目ではない。手続きが滞りなく進むかを見張る目だ。
その目があるだけで、私は少しだけ呼吸が楽になる。世界には、感情ではなく規則で動く人間が必要だ。私は今、その側に立ちたい。
大司教は聖書のような厚い冊子を閉じ、次の段階へ移る合図として手を上げた。
その動きに合わせて侍者が進み、銀の聖杯が祭壇に置かれる。
聖杯は遠目にも冷たく光った。
光は細く、鋭く、まるで刃のように見える。刃は切るためだけにあるのではない。不要なものを落とし、形を整えるためにもある。私はその光を見つめ、胸の奥で自分に言い聞かせた。
私は泣かない。
私は叫ばない。
私は、“正しさ”が何か、確認する。
ステンドグラス越しの冬の光は、ただ明るいのではなく、色の層をまとっている。青と赤と金が空気に溶け、石の床に薄い絵を描く。その絵の上を人々の靴音が通り過ぎるたび、光の模様がかすかに揺れた。
私は参列者席の端に座っていた。
花嫁の席ではない。祭壇に向かう通路に背を向ける位置でもない。目立たず、しかし逃げられない場所。聖堂の空気が均等に冷たく、誰の吐息も同じように白くなる席。
「どうして、あの方がこちらに……?」
誰かの囁きが、私の耳の端を撫でた。
ドレスは着替えていたが、参列者の何人かは私に気づいたみたいだった。
その囁きは羽のように軽いくせに、触れた箇所だけ痛い。私は顔を動かさない。視線を祭壇へ固定し、呼吸だけを整えた。整えるというより、整え続ける。崩れれば、周囲はそれを喜ぶ。あるいは憐れむ。どちらも、今日の私には不要だった。
オルガンが鳴り、音が天井へ上っていく。
音が高い場所へ行くほど、私は自分の身体がこの石の箱の底に沈んでいく気がした。沈みながら、静かに思う。私はここにいる。逃げていない。逃げないための席に、自分で座っている。
祭壇の前には大司教オスヴァルトが立ち、白い法衣が光を受けて淡く輝いた。
その輝きは温かいものではない。雪の表面が反射する光に似ている。眩しいのに、触れれば冷たい。
参列者たちは揃って前を向き、背筋を伸ばす。
今日の式は、一組の婚姻のためだけにあるのではない。王都の目に、聖堂の名に、商会の信用に関わる。誰もがそれを知っている。だから拍手も、涙も、熱のある個人のものではなく、秩序への礼儀として整っている。
そして、音が変わった。
通路の奥、扉の方から一段低いざわめきが起こり、すぐに収束する。その収束の仕方が上手い。王都の社交というのは、ざわめきを上品に折り畳む技術だ。
アルトが入ってきた。
白い礼装の肩に光が落ち、縫い取りの糸がかすかに煌めく。彼は堂々と歩き、視線は前へ、顎は少しだけ上へ。誰から見ても“勝っている者”の歩き方だった。
昨日までの私なら、その姿に胸を締めつけられていただろう。
けれど今の私は、違う締めつけを感じていた。痛みではない。緊張でもない。手元の書類を落とさないように指を少し強く握るときの、あの感覚に近い。失敗できない。だから落ち着く。そのために、余計な感情は使わない。
アルトの隣には、ミレイアがいた。
彼女は白ではなく、薄い金を含んだ色のドレスを纏っていた。
花嫁としての“純白”を、そのまま拒否するかのように。純白は譲り、代わりに勝者の光沢を選ぶ。そういう人だと、ひと目で分かる。
ヴェールの下の唇は柔らかく笑っていて、その笑みは誰に向けるでもなく周囲を包むように広がっていた。私を見つけると、ほんの一瞬だけ視線が触れ、そしてすぐに離れた。
勝者の微笑み。
「哀れな人」と言わない代わりに、「私は正しい場所にいる」と言う笑み。
私の喉の奥が熱くなる。
熱いのに、涙は出ない。涙は、私の中で許可を得られないまま立ち尽くしている。許可を出せば、進行が滞る。それは避けたい。
アルトは祭壇の前で立ち止まり、大司教へ礼をした。ミレイアも同じように頭を下げる。二人の動きは揃っていて、練習を重ねた痕跡がある。
私が教えた所作だ、とふと思った。
教えたというより、一緒に確認したのだ。式次第を、言葉の順序を、立つ位置を。私は彼らの“完璧”に加担していた。その事実が、胸の奥で小さく鳴る。痛みではなく、哀れみの鐘のように。
大司教が声を響かせる。
祈りの言葉は、天井を伝い、石の壁に反射し、私の胸の中に沈んでくる。周囲の誰もが同じ言葉を聞いているのに、私だけが違うものを聞いている気がした。
「盟約」
「当事者」
「血」
それらの単語が、耳の中で鋭く立ち上がる。
参列者席の前列に、ルーカスがいるのが見えた。
黒い外套のまま、帽子だけを胸に抱えている。彼の視線は祭壇に固定されていて、祈りに感動している人の目ではない。手続きが滞りなく進むかを見張る目だ。
その目があるだけで、私は少しだけ呼吸が楽になる。世界には、感情ではなく規則で動く人間が必要だ。私は今、その側に立ちたい。
大司教は聖書のような厚い冊子を閉じ、次の段階へ移る合図として手を上げた。
その動きに合わせて侍者が進み、銀の聖杯が祭壇に置かれる。
聖杯は遠目にも冷たく光った。
光は細く、鋭く、まるで刃のように見える。刃は切るためだけにあるのではない。不要なものを落とし、形を整えるためにもある。私はその光を見つめ、胸の奥で自分に言い聞かせた。
私は泣かない。
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