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自殺少女と殺し屋さん 前日譚 後編
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翌朝、7時に起こされた。
久しく、そんな健康的な時間帯に起きていなかったので、起こされた直後は頭がぼーっとしていた。
これとこれね、とスポーツウエアのようなものとドリンクを渡された。私はもぞもぞとそれに着替えて、いつも殺し屋さんが運動している少し広めの部屋に向かった。
殺し屋さんは私と同じような軽めの服装で私を待っていた。半袖半ズボンだから、手足が良く引き締まっているのが見えた。
「おはよう、じゃあストレッチからしようか」
「・・・・はーい」
まだぼーっとしている頭でそう答えた。この人は寝ていないはずなのに元気だなと軽く呆れながら、とりあえずストレッチーとぐいっと体を伸ばした。すると、ちがうちがうと殺し屋さんに軽く突っ込まれた。こういうストレッチは運動が終わった後にするものらしい、へー。一つ賢くなった。
結論から言うと運動は散々だった。
ほぼ一か月近く寝込んでいた身体は急激な運動に耐えられるはずもなく、ストレッチとして行った軽いモモ上げや腕を動かす運動の時点で私の身体は悲鳴をぎいぎい上げ始めた。上げすぎた足が痛いし、息が異様に上がる。いや、もともと運動なんてほとんどしてなかったから、自業自得なのかもしれない。
その後に行った高負荷運動というやつは、初回の20秒キープの時点でできなかった。本当はこれを何回もやるらしい。正気だろうか。私の身体が正気じゃないのか。
私が早々に脱落した後も、殺し屋さんは黙々とハードなトレーニングを続けていた。
私はそれを見ながら、水分を取って身体を伸ばしておくようにと言われて身体を伸ばしていた。あれ、これ運動終了するときのやつって言ってなかったっけ。もう終わりか、私の運動。2分もしてない気がする。
ペットボトルの水を飲みながら私は己の不甲斐なさに呻く。しかし、それはそれとして、身体は痛い。
そんな私に殺し屋さんは軽く、笑いかけた。
「まあ、何事も本を読むのと同じで続けることだよ。ストレッチだけでもいいからさ、明日もやってみるといい」
「ふーい・・・」
私はちょっとすねながら、そんな初日の運動を終えた。ちなみに次の日は案の定、筋肉痛だった。
それはそれとして、朝早くに起きるようになって、殺し屋さんと生活のペースが合うようになってきた。今までは私が起きるころには、殺し屋さんは朝のやることや食事は大体終えてしまっていた。なので食事を一緒に取る機会もあまりなかった。
そして、食事を一緒に取る機会が増えて、気が付いたことがあった。
殺し屋さんは食事の前にお祈りをしていた。
とてもとても、長いお祈り。
「何に祈っているんですか?」
私がそう聞くと、殺し屋さんは少し悲しい目をした。
「僕のために失われたもの、犠牲になったものとかにかな」
「それは・・・・食べ物のことですか?殺した人たちのことですか?」
聞いていいのか自信はなかったけれど、思わず聞いてしまった。
「両方だよ」
殺し屋さんはそう言って笑った。少し、悲しい笑みだった。
それから、私も真似して祈るようになった。
ご飯になってくれた生き物のことはうまく想像できなかったから、お母さんに対して祈った。でもなんて祈ればいいのだろう。許して、なんて言えないし、もうきっと許してもらうこともできない。
わからなかったけど、祈った。お母さんとの思い出を、あまり多くない幸せな記憶をたどりながら祈った。
いつしか殺し屋さんと同じような食事をとれるようになっていた。たくさんの野菜と肉、あと芋、米、パン。本を読まずとも、一目見てわかる健康的な食事。ただ、大概が生で少し味付けにかける。でも確実に力になる。もりもりと食べた。身体が満たされるのを感じながら、もりもりと食べた。でももうちょっと味付けしたいなーとかぼんやり考えた。
運動もちょっとずつできるようになった。ストレッチだけで息を上げていたのが、ストレッチと一回分のメニューをこなせるうようになった。できた!と私が喜んでいると、殺し屋さんが軽く笑いながら拍手をくれた。成長したねと言って。私は胸を張ってその拍手をドヤ顔で受け止めていた。
運動をしだしてから徐々に眠れる時間が増えてきた。本を読んで夜の12時くらいに眼を閉じた。そして、翌朝の7時にアラームと殺し屋さんの声で目を覚ます。睡眠の調子が取れだすと、身体はいい循環で回り始めた。頭痛が収まって、起きるのが苦じゃなくなる、いろんなことが楽になった。
身体が健康になっていく。脳が、心が調子を取り戻していく。
殺し屋さんの言う通り、正しく生活すれば、否が応でも人は幸せになっていくものなのだ。
・・・・これで、いいのかな。
たくさんの犠牲の上に成り立っているこの感触を幸せと名付けていいのかな?
ときたま、少しぼーっとして料理用の包丁を眺めながら、そんなことを考える時間が増えた。
身体に宿り始めた力を。
心に根付き始めた活力を。
果たしてどう扱えばいいのか。
私はまだ、はかりかねていた。
-------------------
ある日、殺し屋さんに連れられて私たちは近所の山に出かけた。
殺し屋さんのマンションは私が元、住んでいたところとは結構、離れたところだったから外に連れ出されてもほとんどが知らない光景だった。
時期はもう三月の半ばほどで、少し吹く風が暖かくなり始めるころ。気づけば春が近づいている。
風に押されながら私たちは林道に近い山道を登っていった。
自然にできた岩や川の隙間を越える。道なき道をぴょんぴょん飛び跳ねながら殺し屋さんは進んでいく。私もそれに取り残されまいと、息を弾ませながらついていく。
多分、ちょっと前の自分なら息が上がってついていけなかっただろうと思うと、にやっと笑えた。
響く鳥の声も、流れる川の音も、木の間をせせらぐ風もたくさんのことが心地よかった。
何も考えず、殺し屋さんと二人、山道を進んだ。
楽しかった。
そう、楽しかった。
ただ、時々、ごめんなさい、という声が頭の奥の方で響いていた。
程なくして、私たちは山頂に着いた。
小さな山だったけれど、私たちが住んでいた町が一望できる程度には高かった。展望台から身を乗り出して、住んでいるマンションを探しながら私は、心がはしゃぐのを感じた。
どこかなあ、結構大きいからわかりやすいはず。ほとんど知らない光景だけど、どことなく懐かしくて心が浮き立つ。
「危ないよ」
殺し屋さんの声。言われてはたと下を見た。
展望台の柵の向こうは結構な崖になっていた。
落ちてしまえば、死んでしまう程度に。
手が、足が、眼が、止まった。その崖を捉えて離さなくなる。吸い込まれるように風が後ろから吹いた。
「・・・・・・・」
きっと、今、ここで落ちてしまえば、死んでしまえる。
死んだ人の声が聞こえなくなる。あるいは、もう悩まなくて済む。
なにより幸せなまま死んでしまえる。
かたかたと震えた。足が、心が、震えた。
「あ」
茫然としていたら、首根っこを掴まれてベンチに座らされた。ぼーっとしていると、殺し屋さんはそのまま私の隣に座った。
しばらくそうして、ふとした拍子に殺し屋さんは口を開いた。
「まだ、死にたい?」
そう、問われた。
風が後ろから優しく吹いた。
さっきまでの吸い込むような風とは少し違う、多分おんなじ風なのだけど、立つ位置が違うから違うように感じられる。
「ときどき」
正直にそう答えた。
隣を見た。殺し屋さんは黙って目を閉じていた。
「ねえ殺し屋さん、人はどんな時に死にたくなるんですか?」
眼を閉じている殺し屋さんに私はそう尋ねた。
殺し屋さんはしばらく言葉を選んだあと、ゆっくり答えた。
「それしか解決策がないって思いこんだ時、人は死にたくなるんだ。
逃げたいのに、家族がいて逃げるわけにはいかない、でも心は折れてしまったとか。
自分の人格や存在そのものが責められて、それを変えられないとか。
過去に犯した罪が許されなくて、もう解決もできないとか。
そういう時に、人は死ぬことでしか解決できないって思いこむ」
そっか。
昔の私は、かつての私の存在そのものを。今の私は、もう取り返しのつかない犠牲になってしまったものを。
どうしようもないから、死にたかったのか。そして今、死にたいのか。
なるほど。
「そんな時はどうしたらいいんですか?解決できないんですか?」
「・・・自分で自分を受け入れて、自分を許すしかない、かな。結局、自分の心を救えるのは自分なんだ」
感情が起こらないまま、淡々とそんな会話をした。
「カウンセラー・・・ですよね?救ってくれないんですか?」
「僕にできるのは、手伝いだけだよ。自分を受け入れる、自分を許す、手伝い」
「・・・・・自分で自分を許す・・・ですか。何を許せばいいんですか?」
「人によるよ、存在を無力を無知を。でも過去のことは変えられない。結局、その時の自分にはそれしかできなかったんだって認めるしかないんだ」
「それしかできなかったってあきらめるってことですか?」
「ちょっと違う、受け入れる。自己否定もせず、自己防衛もせず、ありのままを事実として受け入れる」
「・・・・それ、心が強くないとできなくないですか?」
事実をそのままを受け入れるということは、私の行いをお母さんの行いをそのままに、あの苦しみも、三人の犠牲が出たことも、悲しんだことも、それにほっとしたことも全部受け入れるということ。そうあって、それで仕方なかったのだと、全部受け入れるということ。
そんなの、できるのだろうか。そんな醜い自分に耐えられるのだろうか。
「そうだね、だから僕はできるだけ心を強くしてる」
殺し屋さんはゆっくり眼を開けて、私を見た。
「おこったことは、過ぎ去ってしまったことは、受け入れるしかない。でも弱い心だとそれができない、眼をそらして、見えなくして、逃げてしまう。逃げることを突き詰めることが死ぬってことだからね。
だから逃げないで済むように、心を強くしている。
身体が強くなると、心が強くなる。健康も同じ。祈ることも、本を読むことも全部同じ。
少しでも心を強くしてるんだ。眼をそらしてしまわないように。受け入れて、今を生きていけるように」
「・・・強いですね」
「弱いよ。強くあろうとしてるだけだ」
しばらく、言葉が出てこなかった。
重い。
生きるって重いな。
こんな私に歩けるんだろうか。
「死ぬの、怖くない?」
問われた。返す言葉はずっと心の中にあった。
「怖いです。でも生きていくのも怖いです」
ふぅーと長く、殺し屋さんは息を吐いた。吐ききった後、言葉を紡いだ。
「一つ覚えとくといい、怖くなったり死にたくなったりしたら深く息をするんだ。
気持ちを全部手放して、ぼーっとする。それから目を閉じて、また息をする」
「それだけ?」
「それだけ」
簡素な答えが返ってくる。
「・・・・そうすると、どうなるんですか?」
「少し、気持ちがましになる」
「ましになる」
「そう、少しね」
「殺し屋さんも死にたくなったら、そうしてるんですか?」
少し、間があった。
「うん」
殺し屋さんはそう言った。
簡素で、でもきっと嘘じゃない本当の答え。
私はさっきの殺し屋さんの真似をして長く息を吐いた。
「わかった、やってみます」
「君は素直だね」
殺し屋さんが少し笑った。
「そこが唯一の取柄なので」
そう言って、笑い返した。
笑ってる。笑ってる。
多分、きっと、幸せだから。
心と身体が強くなろうとしてるから。
そう、思った。
------------
ある日の、食事のお祈りの前に聞いてみた。
「殺し屋さんはなんで、殺し屋をしてるんですか?」
殺し屋さんはお祈りのために眼を閉じたまま口を開いた。
「・・・何かを犠牲にしないと、幸せになれない人たちがいるんだ。それは他の誰かから見たらとても許されることじゃないけれど」
少し間があった。
「それでその人が幸せになれるなら、僕はそれでいいと思ったんだ」
沈黙があった。
誰かの幸せのために。
たとえ、それが何かを犠牲にしたものであったとしても。
わからないけど、少し納得はいった。
今まで見てきた殺し屋さんとカウンセラーさんが、ようやく同じ人に見えてきた。
優しくて、でも人を殺す人。
優しいから、そのために人を殺す人。
多分、そういうことなのだろう。
ただ、ちょっと疑問があった。
果たして、そこに殺し屋さんの幸せは考慮されているんだろうか。
この人のいう幸せに自分自身は数えられているのだろうか。
手を合わせて、祈る。
「祈るとき、何を考えてるんですか?」
少しの、間。
「僕が今まで犠牲にしてきたものへの、謝罪と感謝」
「謝って許されるんですか?」
「許されない、というか許してあげられるのは生きてる自分自身だけだ。死んだ人は、もうなにもできない。
失われたものは、もう誰も許してなんてくれない」
「・・・・」
「それでも僕は生きていく。だから・・・・」
「だから?」
「お礼を言うんだ。あなたたちのおかげで僕は生きていくことができますって」
少し、詰まった答えだった。
きっと私のために無理矢理引き出してくれた前向きな答え。
本当は自分を責めてばかりいるんじゃないだろうか。
なぜかそんなことを考えた。なんとなく。
手を合わせた。殺し屋さんの真似をしてお祈りをする。
おかあさん、おとうさん、同級生。ご飯になってくれた生き物たち。
ごめんなさい。そして、ありがとう。
あなたたちのおかげで今日、私は幸せです。
そう、確かに幸せなんです。
誰にも傷つけられず。
美味しいものを食べて。
よく動いて。
よく眠れて。
何より独りじゃない。
この瞬間が確かに幸せなんです。
ごめんなさい。そして、ありがとう。
薄眼を開けて、殺し屋さんを見た。
祈っている。長く、長く。
もう一度、眼を閉じた。
どうか、どうか、どうか。
あなたが幸せになりますように。
優しくて、弱くて、たくさんの犠牲を産んできて、それでもなお生きようとするあなたが。
どうか幸せになれますように。
「ねえ、殺し屋さん」
「なに?」
頭の奥で誰かの声がした。
料理を作ってるお母さんの声。
ごめんなさい、そしてありがとう。
深く息を吐いた。
声が少し、遠のいた。
前を見た。
これはささいな思いつき。
運動ができた延長線上のちょっとしたチャレンジ。
試しに、そうお試しで。
誰かの幸せのために。
「今度から私がご飯作っていいですか?」
私も生きてみようとそう思った。
久しく、そんな健康的な時間帯に起きていなかったので、起こされた直後は頭がぼーっとしていた。
これとこれね、とスポーツウエアのようなものとドリンクを渡された。私はもぞもぞとそれに着替えて、いつも殺し屋さんが運動している少し広めの部屋に向かった。
殺し屋さんは私と同じような軽めの服装で私を待っていた。半袖半ズボンだから、手足が良く引き締まっているのが見えた。
「おはよう、じゃあストレッチからしようか」
「・・・・はーい」
まだぼーっとしている頭でそう答えた。この人は寝ていないはずなのに元気だなと軽く呆れながら、とりあえずストレッチーとぐいっと体を伸ばした。すると、ちがうちがうと殺し屋さんに軽く突っ込まれた。こういうストレッチは運動が終わった後にするものらしい、へー。一つ賢くなった。
結論から言うと運動は散々だった。
ほぼ一か月近く寝込んでいた身体は急激な運動に耐えられるはずもなく、ストレッチとして行った軽いモモ上げや腕を動かす運動の時点で私の身体は悲鳴をぎいぎい上げ始めた。上げすぎた足が痛いし、息が異様に上がる。いや、もともと運動なんてほとんどしてなかったから、自業自得なのかもしれない。
その後に行った高負荷運動というやつは、初回の20秒キープの時点でできなかった。本当はこれを何回もやるらしい。正気だろうか。私の身体が正気じゃないのか。
私が早々に脱落した後も、殺し屋さんは黙々とハードなトレーニングを続けていた。
私はそれを見ながら、水分を取って身体を伸ばしておくようにと言われて身体を伸ばしていた。あれ、これ運動終了するときのやつって言ってなかったっけ。もう終わりか、私の運動。2分もしてない気がする。
ペットボトルの水を飲みながら私は己の不甲斐なさに呻く。しかし、それはそれとして、身体は痛い。
そんな私に殺し屋さんは軽く、笑いかけた。
「まあ、何事も本を読むのと同じで続けることだよ。ストレッチだけでもいいからさ、明日もやってみるといい」
「ふーい・・・」
私はちょっとすねながら、そんな初日の運動を終えた。ちなみに次の日は案の定、筋肉痛だった。
それはそれとして、朝早くに起きるようになって、殺し屋さんと生活のペースが合うようになってきた。今までは私が起きるころには、殺し屋さんは朝のやることや食事は大体終えてしまっていた。なので食事を一緒に取る機会もあまりなかった。
そして、食事を一緒に取る機会が増えて、気が付いたことがあった。
殺し屋さんは食事の前にお祈りをしていた。
とてもとても、長いお祈り。
「何に祈っているんですか?」
私がそう聞くと、殺し屋さんは少し悲しい目をした。
「僕のために失われたもの、犠牲になったものとかにかな」
「それは・・・・食べ物のことですか?殺した人たちのことですか?」
聞いていいのか自信はなかったけれど、思わず聞いてしまった。
「両方だよ」
殺し屋さんはそう言って笑った。少し、悲しい笑みだった。
それから、私も真似して祈るようになった。
ご飯になってくれた生き物のことはうまく想像できなかったから、お母さんに対して祈った。でもなんて祈ればいいのだろう。許して、なんて言えないし、もうきっと許してもらうこともできない。
わからなかったけど、祈った。お母さんとの思い出を、あまり多くない幸せな記憶をたどりながら祈った。
いつしか殺し屋さんと同じような食事をとれるようになっていた。たくさんの野菜と肉、あと芋、米、パン。本を読まずとも、一目見てわかる健康的な食事。ただ、大概が生で少し味付けにかける。でも確実に力になる。もりもりと食べた。身体が満たされるのを感じながら、もりもりと食べた。でももうちょっと味付けしたいなーとかぼんやり考えた。
運動もちょっとずつできるようになった。ストレッチだけで息を上げていたのが、ストレッチと一回分のメニューをこなせるうようになった。できた!と私が喜んでいると、殺し屋さんが軽く笑いながら拍手をくれた。成長したねと言って。私は胸を張ってその拍手をドヤ顔で受け止めていた。
運動をしだしてから徐々に眠れる時間が増えてきた。本を読んで夜の12時くらいに眼を閉じた。そして、翌朝の7時にアラームと殺し屋さんの声で目を覚ます。睡眠の調子が取れだすと、身体はいい循環で回り始めた。頭痛が収まって、起きるのが苦じゃなくなる、いろんなことが楽になった。
身体が健康になっていく。脳が、心が調子を取り戻していく。
殺し屋さんの言う通り、正しく生活すれば、否が応でも人は幸せになっていくものなのだ。
・・・・これで、いいのかな。
たくさんの犠牲の上に成り立っているこの感触を幸せと名付けていいのかな?
ときたま、少しぼーっとして料理用の包丁を眺めながら、そんなことを考える時間が増えた。
身体に宿り始めた力を。
心に根付き始めた活力を。
果たしてどう扱えばいいのか。
私はまだ、はかりかねていた。
-------------------
ある日、殺し屋さんに連れられて私たちは近所の山に出かけた。
殺し屋さんのマンションは私が元、住んでいたところとは結構、離れたところだったから外に連れ出されてもほとんどが知らない光景だった。
時期はもう三月の半ばほどで、少し吹く風が暖かくなり始めるころ。気づけば春が近づいている。
風に押されながら私たちは林道に近い山道を登っていった。
自然にできた岩や川の隙間を越える。道なき道をぴょんぴょん飛び跳ねながら殺し屋さんは進んでいく。私もそれに取り残されまいと、息を弾ませながらついていく。
多分、ちょっと前の自分なら息が上がってついていけなかっただろうと思うと、にやっと笑えた。
響く鳥の声も、流れる川の音も、木の間をせせらぐ風もたくさんのことが心地よかった。
何も考えず、殺し屋さんと二人、山道を進んだ。
楽しかった。
そう、楽しかった。
ただ、時々、ごめんなさい、という声が頭の奥の方で響いていた。
程なくして、私たちは山頂に着いた。
小さな山だったけれど、私たちが住んでいた町が一望できる程度には高かった。展望台から身を乗り出して、住んでいるマンションを探しながら私は、心がはしゃぐのを感じた。
どこかなあ、結構大きいからわかりやすいはず。ほとんど知らない光景だけど、どことなく懐かしくて心が浮き立つ。
「危ないよ」
殺し屋さんの声。言われてはたと下を見た。
展望台の柵の向こうは結構な崖になっていた。
落ちてしまえば、死んでしまう程度に。
手が、足が、眼が、止まった。その崖を捉えて離さなくなる。吸い込まれるように風が後ろから吹いた。
「・・・・・・・」
きっと、今、ここで落ちてしまえば、死んでしまえる。
死んだ人の声が聞こえなくなる。あるいは、もう悩まなくて済む。
なにより幸せなまま死んでしまえる。
かたかたと震えた。足が、心が、震えた。
「あ」
茫然としていたら、首根っこを掴まれてベンチに座らされた。ぼーっとしていると、殺し屋さんはそのまま私の隣に座った。
しばらくそうして、ふとした拍子に殺し屋さんは口を開いた。
「まだ、死にたい?」
そう、問われた。
風が後ろから優しく吹いた。
さっきまでの吸い込むような風とは少し違う、多分おんなじ風なのだけど、立つ位置が違うから違うように感じられる。
「ときどき」
正直にそう答えた。
隣を見た。殺し屋さんは黙って目を閉じていた。
「ねえ殺し屋さん、人はどんな時に死にたくなるんですか?」
眼を閉じている殺し屋さんに私はそう尋ねた。
殺し屋さんはしばらく言葉を選んだあと、ゆっくり答えた。
「それしか解決策がないって思いこんだ時、人は死にたくなるんだ。
逃げたいのに、家族がいて逃げるわけにはいかない、でも心は折れてしまったとか。
自分の人格や存在そのものが責められて、それを変えられないとか。
過去に犯した罪が許されなくて、もう解決もできないとか。
そういう時に、人は死ぬことでしか解決できないって思いこむ」
そっか。
昔の私は、かつての私の存在そのものを。今の私は、もう取り返しのつかない犠牲になってしまったものを。
どうしようもないから、死にたかったのか。そして今、死にたいのか。
なるほど。
「そんな時はどうしたらいいんですか?解決できないんですか?」
「・・・自分で自分を受け入れて、自分を許すしかない、かな。結局、自分の心を救えるのは自分なんだ」
感情が起こらないまま、淡々とそんな会話をした。
「カウンセラー・・・ですよね?救ってくれないんですか?」
「僕にできるのは、手伝いだけだよ。自分を受け入れる、自分を許す、手伝い」
「・・・・・自分で自分を許す・・・ですか。何を許せばいいんですか?」
「人によるよ、存在を無力を無知を。でも過去のことは変えられない。結局、その時の自分にはそれしかできなかったんだって認めるしかないんだ」
「それしかできなかったってあきらめるってことですか?」
「ちょっと違う、受け入れる。自己否定もせず、自己防衛もせず、ありのままを事実として受け入れる」
「・・・・それ、心が強くないとできなくないですか?」
事実をそのままを受け入れるということは、私の行いをお母さんの行いをそのままに、あの苦しみも、三人の犠牲が出たことも、悲しんだことも、それにほっとしたことも全部受け入れるということ。そうあって、それで仕方なかったのだと、全部受け入れるということ。
そんなの、できるのだろうか。そんな醜い自分に耐えられるのだろうか。
「そうだね、だから僕はできるだけ心を強くしてる」
殺し屋さんはゆっくり眼を開けて、私を見た。
「おこったことは、過ぎ去ってしまったことは、受け入れるしかない。でも弱い心だとそれができない、眼をそらして、見えなくして、逃げてしまう。逃げることを突き詰めることが死ぬってことだからね。
だから逃げないで済むように、心を強くしている。
身体が強くなると、心が強くなる。健康も同じ。祈ることも、本を読むことも全部同じ。
少しでも心を強くしてるんだ。眼をそらしてしまわないように。受け入れて、今を生きていけるように」
「・・・強いですね」
「弱いよ。強くあろうとしてるだけだ」
しばらく、言葉が出てこなかった。
重い。
生きるって重いな。
こんな私に歩けるんだろうか。
「死ぬの、怖くない?」
問われた。返す言葉はずっと心の中にあった。
「怖いです。でも生きていくのも怖いです」
ふぅーと長く、殺し屋さんは息を吐いた。吐ききった後、言葉を紡いだ。
「一つ覚えとくといい、怖くなったり死にたくなったりしたら深く息をするんだ。
気持ちを全部手放して、ぼーっとする。それから目を閉じて、また息をする」
「それだけ?」
「それだけ」
簡素な答えが返ってくる。
「・・・・そうすると、どうなるんですか?」
「少し、気持ちがましになる」
「ましになる」
「そう、少しね」
「殺し屋さんも死にたくなったら、そうしてるんですか?」
少し、間があった。
「うん」
殺し屋さんはそう言った。
簡素で、でもきっと嘘じゃない本当の答え。
私はさっきの殺し屋さんの真似をして長く息を吐いた。
「わかった、やってみます」
「君は素直だね」
殺し屋さんが少し笑った。
「そこが唯一の取柄なので」
そう言って、笑い返した。
笑ってる。笑ってる。
多分、きっと、幸せだから。
心と身体が強くなろうとしてるから。
そう、思った。
------------
ある日の、食事のお祈りの前に聞いてみた。
「殺し屋さんはなんで、殺し屋をしてるんですか?」
殺し屋さんはお祈りのために眼を閉じたまま口を開いた。
「・・・何かを犠牲にしないと、幸せになれない人たちがいるんだ。それは他の誰かから見たらとても許されることじゃないけれど」
少し間があった。
「それでその人が幸せになれるなら、僕はそれでいいと思ったんだ」
沈黙があった。
誰かの幸せのために。
たとえ、それが何かを犠牲にしたものであったとしても。
わからないけど、少し納得はいった。
今まで見てきた殺し屋さんとカウンセラーさんが、ようやく同じ人に見えてきた。
優しくて、でも人を殺す人。
優しいから、そのために人を殺す人。
多分、そういうことなのだろう。
ただ、ちょっと疑問があった。
果たして、そこに殺し屋さんの幸せは考慮されているんだろうか。
この人のいう幸せに自分自身は数えられているのだろうか。
手を合わせて、祈る。
「祈るとき、何を考えてるんですか?」
少しの、間。
「僕が今まで犠牲にしてきたものへの、謝罪と感謝」
「謝って許されるんですか?」
「許されない、というか許してあげられるのは生きてる自分自身だけだ。死んだ人は、もうなにもできない。
失われたものは、もう誰も許してなんてくれない」
「・・・・」
「それでも僕は生きていく。だから・・・・」
「だから?」
「お礼を言うんだ。あなたたちのおかげで僕は生きていくことができますって」
少し、詰まった答えだった。
きっと私のために無理矢理引き出してくれた前向きな答え。
本当は自分を責めてばかりいるんじゃないだろうか。
なぜかそんなことを考えた。なんとなく。
手を合わせた。殺し屋さんの真似をしてお祈りをする。
おかあさん、おとうさん、同級生。ご飯になってくれた生き物たち。
ごめんなさい。そして、ありがとう。
あなたたちのおかげで今日、私は幸せです。
そう、確かに幸せなんです。
誰にも傷つけられず。
美味しいものを食べて。
よく動いて。
よく眠れて。
何より独りじゃない。
この瞬間が確かに幸せなんです。
ごめんなさい。そして、ありがとう。
薄眼を開けて、殺し屋さんを見た。
祈っている。長く、長く。
もう一度、眼を閉じた。
どうか、どうか、どうか。
あなたが幸せになりますように。
優しくて、弱くて、たくさんの犠牲を産んできて、それでもなお生きようとするあなたが。
どうか幸せになれますように。
「ねえ、殺し屋さん」
「なに?」
頭の奥で誰かの声がした。
料理を作ってるお母さんの声。
ごめんなさい、そしてありがとう。
深く息を吐いた。
声が少し、遠のいた。
前を見た。
これはささいな思いつき。
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試しに、そうお試しで。
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