君と刻む永久の砂時計

尾松傘

文字の大きさ
3 / 4

君と私の終わり

しおりを挟む
 妻はきっと事故死だろうと思っていた。
 何度も検診に行かせたが、異常は見つからなかったから、何か急な不幸が彼女の命を奪うのだとそう思っていた。

 しかし、病は密かに妻の体を蝕んでいた。
 発見されたときには癌はかなり進行していた。
 自分だけが彼女の寿命を見れる力を持っていたのに、それなのに、気付くことが出来なかった。

 いや、早く気付いたところで、結果は何も変わらなかったのかもしれない。
 砂時計が指す寿命は決して変わらない。
 だから、私が何をしても、妻の命を伸ばすことには繋がらないのだ。

 そうと分かっていても、手を尽くさずにはいられず、彼女を入院させ、手術と投薬による治療を行った。安くない医療費を稼ぐために身を粉にして働いたが、やはり何も効果はなかった。

 病室の窓からは立派な桜の木が見えた。
 入院が始まった頃には青々と茂っていた木の葉は、茶色く枯れ、寒風に吹かれて落ちていった。
 妻の頬は痩せかけ、髪は抜け、そして時計の砂は落ちていった。

 砂時計は残酷に変わらぬ速度で時を刻んだ。

 ある冬の日、病室で私は妻に尋ねた。

「僕は君を幸せに出来ただろうか。」
「何言ってるの、当たり前でしょう。」

 体調が良いのか、妻の発声は普段の掠れるようなものではなく、はっきりとしていた。

「でも、僕はまだ君に特別なことは何もしてやれてない。」
「十分よ。あなたといるだけで私は幸せでした。」
「僕と会わなければ、癌にならず健康に過ごせたとしても。」
「そんなこと言わないで。私の病気はあなたのせいじゃないって何度も言ったでしょう。」
「いや、やっぱり僕のせいだ。僕が君の運命を歪めたんだ。」

 そう言った私の手を妻のしおれた手が包んだ。そして泣きじゃくる子どもを宥めるような優しい声で言った。苦しんでいるのは彼女のはずなのに。

「たとえ自分の人生の終りまで全てを知っていたとしても、私はあなたと一緒になります。」
「終わりなんて言うなよ。君は僕と一緒にこれからもずっと生きるんだ。」

 私はまた嘘をついた。

「だったらあなたも笑ってちょうだい。励ますのならそんな悲しそうな顔をしないで。」
「…….そうだね。ごめん、僕は昔から君に叱られてばかりだ。」

 私の下手くそな笑顔を見て妻は微笑を浮かべた。そしてしばらく沈黙が続き、病室が静謐な空気で満たされた頃、妻が口を開いた。

「ねえ、春には桜を見に行きましょう。病室の窓からじゃなくて、もっと近くで。どこか名所に連れて行ってくれないかしら。」
「ああ、もちろん。約束するよ。」
「……ありがとう。」

 妻は疲れたのかゆっくりと目を閉じて、眠りについた。安心したような表情で。

 その3日後、妻は亡くなった。

 春を迎えることなく、砂時計が示す寿命通りにきっかりと終わりは訪れた。
 妻が旅立つとき、私は彼女の手を握っていた。
 妻の体温が低くなり脈が落ちていく感覚は、今でも手にこびりついている。
 妻は最期に私に顔を向けて何か言った。
 しかし、苦しそうな呼吸音が混じって絶え絶えになった言葉を、私は聞き取ることが出来なかった。
 
 妻の最期をもって始めて、私はそれまで身近に感じていた死の残酷さを知った。

 
♢♢♢


 妻が亡くなってからの時間はやけに長く感じた。
 
 時々、妻の後を追いたくなる衝動に駆られることもあったが、きっと彼女はそんなことを許さないだろうと思って留まった。

 働いて、食べて、寝るだけ。
 妻がいない人生は私にとって余生だった。
 世間的にはまだ若いとされる歳だが、実際、私に残された時間は短いのだから余生という表現はあながち間違っていないだろう。

 妻の墓参りだけは、私の余生の中で唯一意味があるものに思えた。
 毎年春になると、墓の前に桜の木の枝を水に刺して置いた。その行為は私にとって約束を破った償いであり、また妻への変わらぬ愛を証明する儀式のようなものでもあった。

 妻が亡くなってから5回目の春、私の命の砂もとうとうひとつまみほどになった。

 私は預金を親の口座に振り込んだ。親に先立つ不孝者なりに何か恩返ししてやりたかったのだ。私の葬式代の足しになると良いが。

 最期の日の朝、私は髭を剃って、髪をセットした。それから長い間閉まっていたジャケットに袖を通した。不健康な生活を続けていたせいか、少しきつかったが、彼女に会いに行く日くらいは格好をつけたかったので我慢した。

 私の終わりが春で良かった。
 今年は直接、彼女に桜を届けることが出来そうだ。

 玄関の戸を開けると、暖かい陽射しが私を迎えた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
恋愛
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

幼馴染の許嫁

山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

抱きしめて

麻実
恋愛
夫の長期に亘る不倫に 女としての自信を失った妻は、新しい出会いに飛び込んでいく。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...