優しい時間

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桜州で待っていたもの その1

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  メルタの首都デルタから5000Km離れた桜州の東部に ユークシャスはある。
 肥えた土地に季節ごとに数百万の花が咲く美しい田舎都だ。
 桜家の管理するこの地では、それを利用したオードトワレの研究開発が盛んで、春が終わったこの時期に新作の発表が行われる。
 爽やかな季節のこの時期には幾つものイベントが開催されて、メルタ全土から観光客が押し寄せてユークシャスに潤をもたらす。
 そのイベントの1番の目玉が貴品と呼ばれる新作のオードトワレの名前の発表である。
 その年の桜家一押しの最上級のオードトワレの貴品はゼウスに献上され、天界の大広間で名前を頂いた後、地上のタカネ・コートで名前が発表されることにる。
 特に今年は貴品の出来がすごぶる良い。
 もしかしたら?、久々に?
 〝桜花の冠”が頂けるかもしれない。
 と囁かれはじめるといつも以上に多くの人が訪れて、ユークシャスの宿泊施設は満室状態が続いている。
 清楚で気品高くほのかに甘い香りを放つ今年の貴品は、歴代の桜家当主が身に纏っていた以上の出来だった。
 オウカが入水事件を起こして以来、前ゼウスは桜家が何度新作を献上してもその香りに〝桜花”を付けることを拒否し続けた経緯もあり、代替わりしたミセイエルが〝桜花”を与えるか否かが天界人達の賭けの対象になるほど注目されている。
 ゼウスの存在は絶対無二だ。
 トワレの名前はその年に選ばれた桜家の姫の名を付けるのが習わし。
 今年の姫はオウカの弟で現在当主代行を務めるカルトマの次女リンだ。
 今年の貴品が<桜花・リン>と名付けられればゼウが桜家を重要な5族とみなしたと、5家の中で胸を張り大手を振れる。
 〝桜花”が付かなくても○○・リンと姫の名が付けば今までどおり、それでよい。
 だが聞いたこともない女性の名前など付けられたら、ゼウスに見放された家と認識され、桜家は益々弱小化して5族から転げ落ちる。
 よって、 倒木や積み上げられた大量の土砂など、3ヵ月前に桜州を襲った暴風雨災害の爪痕を急速に復興させながら、桜家一門は迫りつつある献上の日に向け不眠不休で献上セレモニーの準備を進めている。
 
 ユークシャスには歴代の桜家当主の居城があり、通称をタカネ・コートという。

 ユークシャスにあるタカネ・コートの自室で報告書と企画書をひたすら読んで最良のものを選択し、その企画がスムーズに進むように手配し調整する日々に忙殺されていた男が、その手を止めた。
 漆黒の中に桜吹雪が舞う瞳を上げて窓の外で静に降る雨をしばらく眺める。
 あの機内での出会から、あの少女がチラついて何かしら落ち着かない。
 ふと思い出して自室のクローゼットの中で長年眠っていた桜模様の傘を取り出して開いた。
 男の瞳と同じ漆黒の夜に妖艶に浮かぶ満開の桜模様。
 なぜ今頃になってこの傘を取り出す気になったのか自分でもよくわからない。
 3ヵ月前のあの日から、耳の奥で子供が泣きながら何度もアサオ、アサオーと呼びかける。
 男はその声の主が誰なのかを思い出せなかった。

 異世界メルタで暮らし始めて3ヵ月が過て、すっかりこの世界に馴染んだハナをリュウオンがユークシャス観光に誘った。
 「ハナ、今度の休日を利用してユークシャスに行こう。ハナが生まれて育ったことになっている町を一度みておいた方が何か聞かれた時に現実味がでるだろう」
 ハナはブンブンと首を縦に振って苦笑いする。
 リサーチ不足は身に染みています。
 「今あそこは新作のオードトワレの発表セレモニーが迫っているから、町全体が華やかでとてもいい香りなんだ。あそこで生まれた人間があの賑わいを知らないなんてありえないから。話題になった時にトンチンカンな返答をして窮地に立たされたら大変だよ」
 その窮地にはすでに立ちました。(涙)
 
 朝早にデリカに着いたリュウオンは、場違いだと嫌がるハナを高級サロンに無理やり引っ張って行った。
 エステを施され、顔をいじられて普段しないアイライやアイシャドウ、長い睫の上にさらにマスカラを施される。
 「この錘は瞼の筋力アップですか?」
 少々嫌味のツッコミを入れてみたがさすがはプロ。
 「そんな効果もありますね」
 営業スマイルのグレードをさらに上げて聞き流されれば、諦めの境地でこの苦行にひたすら耐えるしかない。
 薄く乗せたファンデと桜色チーク、元から発色のいい唇には薄くグロスが塗られるだけで吸い付きたくなる唇の出来上がり。
 一点物のデザイナーズブランドのワンピースを着せられると華やかなお嬢様人形の出来上がりだ。
 実際にデリカからユークシャスへの乗り継ぎの間何人もの男女が振り返った。
 「ニイニ、顔が重たい。お尻がスース―する。サロンの人の顔に上手く化けた!ホント馬子にも衣裳って書いてあった。すれ違う人が変な目でみてるよ~」
 ブツブツと文句を言うハナをリュウオンが笑い飛ばす。
 「その程度でなにを言ってるんだ。病院にいる女子などはハナの3倍は盛ってるぞ。もっと女子力を上げろ」
 
 そんなこんなで飛行機で4時間かけて移動したユークシャスは自然の中に溶け込んだ街並みが中世ヨーロッパを連想させる田舎都だった。
 近代的なビルなど一つもなく、民家の庭先には薫り高いハーブや色鮮やかな花々がリズムよく植えられている。
 高さ制限があるために、広い敷地に素朴なコテージがポツポツとあったり、3階程度のモダンな造りのホテルが木々の中に隠れるように建っている。
 中でも有名かつ高級宿泊施設のタカネ・コートは、主がいなくなり使われなくなった居城を、巨大なイベント会場をもつホテルとして改築した桜家所有ものだ。
 広大な敷地にどの部屋からも出られる趣のある庭を作り、優美な部屋の中は、クラシカルな家具で統一されている。
 例えば、窓一面に広がるバラ園や、薫り高いハーブ園、楚々とした野草だけで構成された庭に高木が目隠しになっている部屋、蘭の温室に繋がる部屋など、宿泊客が好みに合わせてチョイスできることに定評があった。
 もちろん値段も高価で、宿泊はとても無理と言う庶民のためにいくつかの庭は解放されていて、レストランやカフェで食事を摂って庭を散策する人も多い。
 リュウオンが予約したのは、もちろんタカネ・コートではない。
 この時期ユークシャスに宿泊するというのは中々の贅沢で、タカネ・コートどころかどのホテルも予約は取りにくい。
 ちなみにタカネ・コートに予約を入れられる地上人など皆無なのだが。
 「最悪日帰りでと思っていたが、教授の伝手でタカネ・コートの近くのホテルに予約が取れた。僕はソファーで寝るから一泊して、タカネ・コートでディナーを楽しもう」
 なにしろこの時期のユークシャスはお金持ちが大移動するので、著名人の伝手でもなければ宿泊は無理なのだとぼやいた彼が眉尻を下げたのを思い出した。
 ニイニはどれほどの無理をしてこの一泊を勝ち取ったのだろうか。
 そういえば周りにはどこもかしこも高価なものを身に付けた人たちであふれている。
 どうりで女子力を高めろと言うはずだ。
 デリカのサロンで、身の丈に合ったものが一番だと着飾ることを拒否したのだが、この場所にあの格好で来たら浮きまくっていた。
 
 そしてようやく取れたというホテルについて待っていたものは。
 
 清楚かつゴージャスなタカネ・コートのお庭を少し散策し、30分ほど歩いて宿泊予定のホテルにチェックイン。
 部屋に着いてドア開けたハナとリュウオンは同時に声をあげた。
 「だれ?」
 「サマンサ?」
 一歩入って固まる2人の前に、部屋の中のソファーに座って優雅に微笑む才女がいる。
 「あなたがハナさん?」
 リュウオンと同期の内科医で教授の娘のサマンサ・メイだった。
 華やかに着飾った彼女はリュウオンとのディナーの権利と、部屋の明け渡しをハナに要求した。
 「こう言っては何だけど今夜のディナーは父を交えて次の学会の打ち合わせを兼ねようと思ってるの。かなり専門的な話題になるのでハナさんにはつまらないと思うのよ。それにタカネ・コートのレストランは各界の著名人ばかりから」
 そこで言葉を切り申し訳ないと言いながら、蔑むようにハナを見る。
 「こう言っては何だけど。場違いじゃないかしら」
 大概失礼ではあるが、彼女の言葉にはまだ続きがあった。
 「それに、いくらハトコでもリュウオンとの相部屋もやめて頂きたいわ。この部屋はもともと父が私たち2人のために用意したものなのよ」
 自分はそんなことは聞いていないし、リフレッシュに来た旅先で仕事の話は遠慮したいというリュウオンにサマンサがなおも食い下がる。
 「だめよ。リュウオンには是非とも父と食事をしてもらわなければ。誘いを断って父の意向をないがしろにすれば、今後の研究は続けられなくってよ」
 そのセリフに慌てたのはハナである。
 荷物を持って一緒に出ようとしたリュウオンを部屋の中に押し込めて、男は仕事が第一、途中で投げ出すような人は軽蔑に値する、是非とも教授と会食をしろと!と厳命してドアを閉めた。
 初対面の女性に待ち伏せされた上に追い出された?!
 自分の置かれた昼メロ状況にため息が出るが、グズグズしてはいられない。
 一刻も早く泊まれる場所を見つけねば悲しい野宿が待っている。
 早速フロントに行き、どこか一晩過ごせるところは無いかと尋ねてみたが、今の次期どこも一杯で当てがないと断られてしまった。
 トボトボと歩いてタカネ・コートに向かう。
 あそこの庭の一角に紛れてしまえば一晩ぐらいは何とかなるかもしれない。
 ハーブ園でウロウロしていると、50代の上品なご婦人に声をかけられた。
 「怪しい動きをしているわねぇ」
 「いえ、決して怪しいものではありません」
 「怪しい人もそういうはずよ」
 「・・・実は泊まるところを追い出されてしまって・・・」
 ハナの話を聞いた女性が楚々と笑う。
 「あなた、身なりと見た目はそこそこね。そこの廊下を真っ直ぐ歩いて、お辞儀をしてご御覧なさい」
 祖母に鍛えられたおかげで、ここ一番で綺麗な所作を作るのは割と得意だった。
 「まあ綺麗、合格ね。それだけの所作で動けるのならタカネ・コートの給仕係に潜り込めるかも知れなくてよ。訪ねてごらんなさい」
 私の名前を出すのを忘れないようにと念を押され、フロントを目指す。
 夜を過ごす場所の確保に頭が一杯だったハナは小道を曲がった途端、ガタイのしっかりした男性とぶつかりよろめいたところを抱き留められた。
 「おっと」
 その覚えのある感覚に条件反射のように懐かしい言葉が出る。
 もうパブロフの犬と同レベルです。
 「もう、しっかり前を見ていないからぶつかるのよ」
 男も反射的に言葉を返す。
 「突然に出てこられたら、衝突を避けるのは無理。でもちゃんと受け止めるから君のお尻に青痣は出来ないよ」
 体が震えた。
 背がまだ130センチ足らずの子供だったハナがすでに180センチ近くあったアサオの行く手に飛び出した時によく聞いたセリフだ。
 慌てて見上げると、そこにはずっと忘れられずにいる漆黒に桜吹雪が浮かぶ瞳が間近に見えた。
 「・・・アサオ・・・」
 だが、彼は再開に驚くこともなく、平然と話しかける。
 「確か、機内でもそう呼びましたよね。そんなに私はその人に似てますか?」 
 
 
 (アサオがサクラを忘れている?何があった?!) 
 
 
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