優しい時間

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桜州で待っていたもの その2

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 絶対的な既視感が満ちている。
 体中の細胞が目の前の人はアサオだと叫んでいる。
 なのに・・・
 自分が映る桜模様の黒い瞳は凪いでいて。
 彼がまるで小さな子供に言い聞かせるように、一字一句をゆっくりと吐き出す。
 「前にも一度ある人にアサオと呼ばれたことがあるか、と聞かれたことがありますが、私にはそんな記憶はありません」
 記憶にないなんて信じられなかった。
 「私はアサファ・オーツと言います。あなたは?」
 うそ!アサファなんてうそよ!私が分からないなんてうそよ!
 初対面のように自己紹介をされた?名前を聞かれた?冗談よね?
 「あなたは?」
 再度聞かれて体中に殴られたような衝撃が走る。
 耳の奥がワンワン鳴る。
 アサオが自分を忘れたなんて認めたくない!
 自己紹介なんて聞きたくないし、名乗りたくもない! 
 現実を受け止められない気持ちが、腰を90度に折って頭を下げさせた。
 もう、知らない人を見るような平然とした桜模様の瞳は見たくない。
 「ごめんなさい。人違いです」
 「名前は教えてもらえないの?」
 「人違いでした」
 何度も人違いを繰り返し、自分の名前は名乗らない。
 頭上の声に苛立ちが滲み始めても、答えることを拒否する。
 「はぁ~。強情だね」
 最後にもう一度これ見よがしのため息を吐いて去って行った彼を思って泣き嗤う。
 私が意地を張るこんな場面では、いつもそのセリフだったよね、アサオ。

 何とかフロントに着いた。
 「給仕係に雇って頂けるかもしれないと聞いてこちらに伺いました」
 「当方はそのような募集はいたしておりません」
 一刀両断に断られた。
 「マルチナさんとおっしゃる方に、フロントで尋ねてみろと勧められました」
 彼女の名前を出した途端、ここでお待ちくださいとロビーのソファーに連れていかれ、フロント係が大慌てで奥へ引っ込んだ。
 マルチナさんって結構偉い人?
  首を傾げながら、フロントを睨みつけてじりじりと待つ時間の長いこと。
 だからその時に掛けられた、柔らかな声の主にフラフラついて行った私を責めないで欲しい。
 「何かお困りですか」
 スルリと伸びた脚に続く短い躯幹、細い首に乗っかった整った小顔。
 だってスーパーモデル並みの天使様が横に立って自分を見下ろしていたんだもの。
 彼女は涼やかな笑みを見せて宣う。
 「こんばんは。リン・オーツと言います。お困りの事があるなら是非力になりたいわ」
 ワォ~。○○・オーツだ!マナーもバッチリ!もろ良家のお嬢さまだ!
 お嬢様の登場と、毒のない問いかけに興奮したハナはつい口を滑らせてしまった。
 「泊まるところを無くしてしまって。最終便も満席で乗れないし」
 彼女の目が丸くなる。
 「無くしたって、初めはあったのよね?まさか落としたの?」
 イヤイヤ、落とせないでしょ普通。でも1時間前まではあったが今はない!
 ニヤリと笑い小さな頭が「どうしたの??」と傾く。
 「実はかなりややこしい状況で短時間ではとても語れそうもないわ」
 「面白そうね。明日のセレモニー準備で少しごたついていて時間がないの。歩きながら話を聞いてもいいかしら」
 リンに促されて、立ち上がり歩き出す。
 歩きながら実は、と話しだす。
 兄のような存在のハトコと一緒にこちらに来たのだが、ホテルに着いたら彼の上司の娘が待っていて、部屋を追い出されてしまったと。
 「まあ、親の権力で相手をどうにかしようだなんて、なんて強引でで意地が悪いの。それにその場でNOと言わない男もだらしがないわ」
 自分の事のようにプリプリ怒るリンをハナがなだめる。
 「彼は、一緒に部屋を出ようとしたのよ。でも私が押しとどめたの」
 「どうしてそんなこと・・・。それでも彼はあなたを放り出すべきじゃなかったわね」
 その意見に首を振った。
 「ついて来たら軽蔑すると言ったの。彼は優しいから、昔から私に逆らえない。 きっと今頃はこんな顔で頭を抱えてる」
 ハナが人差指で自分の両目を釣り上げて変顔を作る。
 
 (その通りで、リュウオンは目の前の2人をにらみつけて一言も語らずに黙々と
 食物を口に運びながら心の中で、どうしてこうなった、どうしてこうなった、どうしてこうなった、を念仏のように唱えていた)
 
 「それにしてもよ!あなたが彼女に遠慮して部屋を出るなんておかしいでしょ!」
 自分の事を思ってくれるリンの気持ちが嬉しくて、ハナは柔らかく暖かに笑った。
 「ありがとう。帰る足もないから、野宿するならこちらのお庭を拝借しようと思ってハーブ園をうろついていたらマルチナさんに給仕係の仕事があるかもしれないと声を掛けられて、フロントを尋ねて結果を待っていたところだったの」
 「あなた、マルチナ様のお声がかりだったの?!大変!ちょっと失礼するわね」
 リンが近くにいたボーイの下に走り何事かを伝言している。
 
(確かに、フロントをはじめ、裏方はいなくなったハナを探して大混乱していた。 何しろ祇家の正妃のマルチナが推薦した娘を見失ったのだ。
 おまけに、
 「いない?困ったわね。あの子未来の嫁に似ていたのよね。ヨンハに知れたら怒られちゃうわ」
 などとのたまわれたら、異世界から来た嫁が突然消えて、祇家が大捜索を行っている事を知ってる天界人はそりゃ慌てます)

 慌てるリンを眺めながらハナは考える。
 人は置かれた環境の中で生きていかなければならない。
 人と接触した時、ハナには相手の立場や思いが透けて見えてしまう。
 例えば、今まで恋をしたことがないサマンサ・メイがどんな形で自分の気持ちを表わせばいいかわからずに一途に突き進んでしまった事。
 例えば、リュウオンがどれほど自分の研究に心血を注いできたか。
 第一自分が思いを寄せる人はリュウオンではないのだから、サマンサの思いを無下にしたくない。
 他人の心の中を思いやっている時のハナの纏うオーラは包み込むように柔らかい。
 気がつくと隣にリンが立っていて、驚いたように自分を見ていた。
 「あなたの名前をまだ聞いてなかったわ。どの5家の出身かしら」
 不思議な生き物をみるようなリンに、ハナは慌てて謝罪した。
 「ごめんなさい。私はそんな立派な家の出身じゃないわ。名前はハナ・コート。
ハノラナに住んでるの」
 リュウオンからこちらの世界の名門5族のミドルネームに『ーツ』がつく事は聞いていた。
 例えば祇家はギーツ、嶺家はリーツ、琉家はリューツ、炎家はエーツ、桜家はオーツ
 リンや、アサファはバリバリの桜家のご子息様とご令嬢なのだ。
 「コートって、あなた桜家出身じゃないの?」
 「親戚にもオーツという家は無いわね」
 「でもあなたのオーラは桜家に一番近いものよ」 
 のめり込むように自分を見つめるリンに、サクラが首を振る。
 「私は違うの。名前も本当はハナ・コートじゃないわ」
 「それは、どういう事?」
 嘘を吐きたくないハナの眉が下がり困り顔になる。
 「誰にも言わないって約束してくれる?」
 親切で毒気の無い彼女に苦しい胸の内を聞いてもらいたかった。
 リンが真顔で頷いたのを皮切りに極秘恋愛女子トークは始まった。
 
 「リンさん、あちらの世界って聞いたことある?私はそこから来たの。こちらの世界に召喚された叔母に、会いたい、会いたいと念じていたら私もこちらの世界に迷い込んでしまったみたい。おっちょこちょいの叔母と姪でしょう。でもこちらに来たことを悲しんではいないのよ。叔母にも会えたし、初恋の人にも会えたから」
 「初恋の人もこちらに来ているの?」
 いいえ、と首をふる。
 「彼は多分こちらの人だと思う。実は子供の頃からちょくちょくこちらにお邪魔していて、彼はいつも私を守る王子様だったのよ」
 こぼれそうになる涙を必死でこらえて、笑顔を作る。
 「あちらの世界とこちらの世界を行き来できるのはゼウス様と、次期ゼウス様、嶺家の当主様とそのご子息様だけだと思っていたわ」
 「でも、私の初恋の王子様と、ニイニは私の送迎係だったわ」
 「うそぉ、こちらの世界とあちらの世界を行き来できる人がゼウス様たち以外に2人もいるなんて信じられないわ。」
 そんな告白に心底驚いたリンだが、ぽつりとつぶやく。
 「でもいいなぁ。初恋の人と両思いなんて羨ましい。私なんか初恋の夫に一生片思い決定だもの」
 思いもよらない告白に涙も止まり声が裏返る。
 「夫ぉ~?リンさん結婚してるの?!同い年ぐらいかと思ってたのに」
 「17才よ。親が決めた便宜上の政略結婚だけど、小さな頃から一途に大好きな人だったから即OKしたの。でも彼はどんな女にもなびかない氷心の持ち主。私のことは妹みたいに思っていて。心を動かすとしたらダイヤモンド・オウカ様だけじゃないかしら」
 「ダイヤモンド・オウカ様?」
 「そう。ゼウスの能力を超えるチカラの持ち主で天界の華。伝説のお姫様よ。異次元を自由に行き来できるなら、あなたかもしれないわ」
 そんな打ち明け話に、ハナは呆れた。
 「なに、それ。伝説のお姫様は宿なしに何てならないわよ。肉体労働が好きなんて言わないだろうし、第一生活のために戸籍上の夫を持ったりしないわ」
 そう言って左手に光るエンゲージリングをかざして見せた。
 リンが目を見開く。
 「ハナさんあなたも結婚しているの?!」
 その反応にハナはおかしそうに頷く。
 「戸籍上だけで会ったこともない人よ。突然この世界に飛ばされたから身元保証人が必要だったの」
 「それで、結婚?政略結婚よりひどい話ね」
 「そんな事もないわ。相手は絵本の中に住んでいるから、縛られることも、危害を加えられる心配もないもの」
 顔を見合わせて笑う。
 「お姫様と言うならリンさんがぴったりね」
 「ええ、これでも桜家の次姫だから人の内面を見る能力もそれなりにあるわ。だからハナさんを見た時、桜家の人だから助けなきゃと思ったのよ。でも違うわね。 話しているうちにハナさんのオーラが変化してきて。変化するオーラなんて見たことがないわ」
 短い間に2人はすっかりマブダチだ。
 「ね、私のことはリンと呼んで。あなたのことはハナと呼んでいいかしら」
 「もちろんよ」 
 明日の献上セレモニーで今年の姫に選ばれているリンはゼウスに貴品を献上して桜花・リンという名前をいただかなければいけない立場だという。
 何でも、いつもは天界で行われる献上セレモニーを、『二度手間だ、タカネ・コートで一度に済ませる』とゼウスが突然宣われたそうで、急な予定変更の対応に追われて、今夜も遅くまで打ち合わせがあるという。

 恋バナトークに花を咲かせ、それぞれの現状を報告し合って着いた部屋は桜家の住居スペースにあるようで。
 「ここは私の部屋だから誰も入ってこないわ。ゆっくり休んでちょうだいね。気が向いたらお庭を散策してみるのもおすすめよ。ここを出て真っ直ぐ行って突き当りの格子戸をくぐったら夫の大好きな花が今見頃を迎えているの。明日の朝使いをよこすわね。せっかくお友達になれたのだから、桜家の一大イベントを見て行って。私絶対、今年の貴品に高貴な名前を頂いてみせるから」
 そういって微笑んだリンの笑顔は晴れ晴れとしていた。 
 「応援してる。お友達になってくれてありがとう」
 リンとの出会いは、アサオに忘れられて悲しむハナの心を癒してくれた。

 勧められるままに庭に出てみる。
 そこには沢山のハーブたちが個性的な香りを放って自己主張していた。
 その強い香りを楽しみながらそこを抜けると、弦バラの壁の向こうに木の格子戸が見える。
 言われた通り格子戸をくぐると名も知らぬ野草が一面に植えられた庭に出た。
 派手さのない素朴な花たちの中でハナの目に留まったのは、草丈が1メートル以上あり、茎頂に2.5cm程の青紫色の小花をたくさんつけたシオンと呼ばれる野菊の群生だ。
 たちまちに思い出が、アサオの声が蘇る。
 「この花は華やかさはないが、風が吹いて倒れて茎が曲がっても、そこからまた上に向かって伸びることをやめない。強健さとしなやかさを持つこの可憐な花が僕は好きだ」と言った。
 「アサオみたいだね」と言うと、少し照れたように笑った顔の何とも魅力的だったことか。
 この時からハナもこのシオンと言う花が大好きになった。
 いつの間にか霧雨が降っていて髪を濡らしていたのに気がつかないほどシオンを見つめ、佇む。
 まるでそこにアサオがいるかのように。

 「濡れますよ」
 しっとりとした甘い声と共に黒い傘が差し掛けられた。
 
 (思い出してくれたの?)
 
  


 
 

 
 
 
 
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