5 / 79
初恋の人はそれぞれです
しおりを挟む
地上に戻ったミセイエルはメルタの首都デリカに向かう飛行機の中で、リオンを落花にしたことを後悔していた。
重臣達にどう思われようと、後宮の女達が何をいおうと彼女の願いなど叶えてやるのではなかった。
落花にせずに地上に下ろしていれば、前ゼウスのカバーなどすぐに消えて彼女の記憶を覗けたはずだ。
リオンの記憶を消したことで少女を死なせたような錯覚に陥いり、気持ちが沈んでやるせない。
第一、彼女がリオンの姪とは限らない。もとから記憶の中にいなかった可能性だって十分にある。そう気持ちを切り替えても苦しさは変わらなかった。
自分はいつまであの少女に執着しているつもりなのか?あれから10年になる。もうとっくに諦めたはずではなかったか。
苦い後悔と呆れ果てる思が、眉間の皺になって表れる。
そんなミセイエルを見ていた側近のヨンサンが上から目線で声をかけた。
「おい、そんなに難しい顔をするな。周りを見てみろ。ゼウスのお前がそんな顔をしているから乗り合わせた天界人までピリピリしているぞ。ただでさえこの悪天候で機体の揺れがひどくて落ち着かないんだ。せめてお前ぐらいいつもどおり不敵に笑っていろ」
天界では考えられない軽口だが地上ではいつもの光景だ。
ミセイエルに対して若干上から目線のこの男の名はヨンサン・リーツという。
精悍な顔つきだが物腰は柔らかく、ブルーブラックの髪とガッシリした躯幹を父親から受け継いでる嶺家の総領息子だ。
何より異次元まで飛べる高い能力と、的確な判断力、必要のない者をスッパリと切り取れる指導者には必要な冷徹な心を持っている。周囲に次代の嶺家は安泰だと言わせる実力の持ち主だ。
幼い頃より共に自己の特殊能力を鍛えるため、皇宮にいるお偉いさんから指導を受け切磋琢磨したマブ友関係。
あたりを見渡せば周りはみな頭を低くした安全体制を取っている。
「で、いつからこの状態だ?」
「おいおい、すごぶる調子の悪いジェットコースターに乗っているようなこの状態に今気が付いたなんて言わないでくれよ」
「今気が付いた」
その答えにヨンサンがこれ見よがしのため息をつく。
「ハァ、全く嫌味な答えを言うやつだ」
どっちがだ?
「しかしこの状態にビビらない人間がもう一人いるとはな」
「もう一人?」
「ああ、エコノミークラスの後部に座る少女が何度起こしても微睡んでいて安全体制が取れないとCAが泣きついてきたのでアサファを付けておいた」
「アサファを?」
どこか歯切れの悪い口調にヨンサンが反応する。
「何か、問題か?」
「いや」
アサファという名前を聞くと、ミセイエルの心に沈んだ澱が舞い上がる。
ヨンサンさえ知らない過去の記憶。
「乱気流を逃れて高度を変えてもまた巻き込まれる。まるで乱気流に追いかけられているみたいだと機長が青くなっているそうだ。この調子だと俺たち地上に着いたらすぐに長老達から呼び出しをくうかもな」
「俺たちのどちらかが、予防線を張らずに異次元移動したってか?」
「いや、お前が予防せずにあちらの世界から何かを取り寄せた疑いだ。たとえば本人の承諾を得ていない人間。リオン様の姪?とか?で俺はその証人」
冗談交じりに話すヨンサンだがその眼は真剣で、ミセイエルの微細な変化も見逃しはしないだろう。
そんな彼にミンセイエルはさらりと答えた。
「ありえないね」
そんなに簡単にいくものなら、狂気じみた執着心など持たない。
***
そして意識は見事な桜が咲いていた13歳の春に飛んだ。
10年前のあの日、8歳で母と共に天界に召上げられて5年以上が過ぎ、ようやく前ゼウスであるオークとの謁見が叶うことになった。
母ミンと共に何日も前から準備をし、万全の体制を調えて臨んだのだが、その日に謁見の間に呼ばれることはなかった。
ゼウスが生活するミカリス宮の控えの間で朝から一歩も動かずに待ち続けた。疲労感が漂う夕方になってようやく女官達が部屋に入ってきてお決まりのお辞儀をする。
「本日の謁見は中止です。ゼウス様は大事な来客があって、今はリオン様と正妃宮でお花見をされておいでです」
声を出し終えて頭を上げた女官のどの顔にも底意地の悪い笑みがある。
ミセイエルは彼らの心の中を瞬時に読んだ。
(謁見の中止は何日も前から決まっていたの。知らなかったのはあなた方だけよ。少しは懲りたかしら。大体この時期に謁見しようなんて天界人なら誰も考えないわ。異世界からの来客が最優先ですもの。予定なんて無いのと同じ。常識のない地上人がゼウス様に謁見なんて身の程を知りなさい)
心の中を見られたなどとは思ってもいないのだろう。
彼女達は次期ゼウス候補の自分の能力を見くびっているようだ。
ならばと軽く頭を下げたまま、己の主張を直接相手の脳内に送り込んだ。
(皆さんの考えはよくわかりました。私は地上人ですが次期ゼウス候補です。あなた方程度の心の中を覗くなど一瞬なのですよ。身の程を知らないのはどちらでしょうね。この御礼は私がゼウスになった時に改めて)
顔色を無くしバタリ、またパタリとその場に手を着き始めた女官達をそのままに、すぐさま正妃宮へ空間移動した。
この騒動はすぐさま皇宮全体に広がり、後々のミンとリオンの確執を生む基盤となる。
一旦決まった自分との謁見を覆してまでゼウスが会う客がどんな奴なのか知りたかった。
花見は、訪れる賓客のため正妃宮の桜の開花を調整し、客の秘密を守るため侍従や女官達に休暇を取らせて、毎年行われる特別なもの。
この2週間はゼウスは誰とも会うことがない。
天界人なら誰でも知っている常識を自分達は知らなかった。
目を閉じると今でも脳の奥深くに張り付いている映像と声がある。
アサオ、大変よ。アサオ、早く来てぇ!!
驚きに目を見開いた。
瞬時に、彼女だ!と心が判断する。
どこまでも続く満開の桜林の中には7・8歳ぐらいに成長した彼女がいた。
自分と母の運命を大きく変えるきっかけを作った時はまだまだあどけない大きなぬいぐるみのような印象だったのに。
それでも自分を魅了した艶やかな黒髪と、よくものを言う黒曜石の瞳が相変わらずそこにある。
半泣きの彼女が、大きな瞳をウルウルさせていた。
どうしたの?と尋ねると、母の形見のペンダントをなくしたのだという。
それから彼女はこぼれた涙を手で拭って小さく笑った。
それは嬉しそうな顔で。
「でもアサオがいるから大丈夫!私が困っているといつも助けてくれるのよ。アサオは私の王子様なの!」
あの時、散ってしまう桜が可愛そうだといった彼女のために天候を操作し、天界に連れてこられた。
能力開発のための厳しい訓練と努力の日々を送りながらも、ぬいぐるみの彼女と、くれた温もりを何時も思い出していた。
なのに彼女は自分以外の男を王子様だと言って笑っている。
我慢ならない現実を突きつけられて対抗意識が生まれる。
「無くしたペンダントを見つけたら、僕を君の中の一番にしてくれる?」
すると彼女は、ちょっと考えて、可愛いしぐさでコクリと頷いた。
「じゃあ、お兄ちゃんが王様で、アサオが王子様だね」
かの男の上位に立てたことが素直に嬉しい。
透視の力でペンダントを探すと東屋のテーブルに置き忘れている。
彼女に目をつむってゆっくり10数えるように言う。
瞬間移動でそれを取って戻り首に掛けてやった。
「もういいよ。目を開けて」
一瞬で黒い瞳が驚きで丸くなり、すぐに三日月形にグシャリと崩れ満面の笑みが広がる。
あの時と同じだった。
まるで絵本の中から飛び出してきたお日様のようで、そこから放たれる暖かな光が体に染み込んで来る感覚に眩暈さえする。
小さな手が姿勢を低くするように命令を出し、言われるがまま膝を曲げて低くなる。
頬に温もりと柔らかさを感じ、一瞬息が止まる。
やがて離れた唇が、まるで内緒話をするように自分の知らない言葉をささやく。
「アリガトウ」
「??? え?何て?」
聞き返した声は届かず、誰かに呼ばれてた少女は声のする方に駈け出して行った。
門を曲がり視界から消え、声だけが響く。
「アサオ、急に飛び出したら危ないわよ」
「門から突然出てきたのはハナの方だろ」
「転んでお尻を打ったらどうしてくれるの」
「大丈夫どんなに変な角度でぶち当たられてもハナのことはちゃんと受け止めるから」
どうやら彼女はハナというらしい。
楽しそうに笑い軽口を叩き合う仲の良さが腹立たしい。
この時初めて嫉妬という感情を知った。
彼女の手を引いてこちらに歩いて来る自分と同じ年頃の少年は、ミセイエルに気づくとすぐに彼女を背中に隠した。
纏う柔らかな空気を瞬時に凍らせて臨戦態勢をとり、虹彩に桜家独特のさくら色の混じる漆黒の瞳で威嚇してくる。
自分が不法侵入者であることは十分に自覚していた。
仕方がない。心だけを残してすぐさま退散。
もちろん来た時と同じように特殊能力をフル活用させて。
彼女が囁いた、アリガトウ、があちらの世界で使う感謝を表した言葉だということも後で知った。
何年かが過ぎ、次期ゼウスと決まった自分を警護するSPの中にあの目の持ち主がいた。
漆黒の虹彩の中に桜の花びらを散らしたような斑点のある独特の目だ。
桜家のアサファ・オーツだと名乗った彼に、アサオと呼ばれたことはあるか?と尋ねる。
「いえ」
返ってきた答えは至極簡素なものだった。
***
音信不通となった叔母に会うためにイタリア行の飛行機に乗り微睡んでいたサクラは機内アナウンスの声にようやく重たい瞼を上げた。
飛行機は着陸態勢に入っていて、どうやらまた、いつものように眠り込んでしまったらしい。
気が付くと、となりには自分を守る体制で男が立っていた。
彼は機体が完全に止まり、自分が目を覚ましたのを見届けると軽い会釈をし背中を向けて歩き出す。
その背中を見つめていると、6年前の彼を思いだして、知らず声が出た。
「アサオ!?」
振り返ることなく離れて行く背中はあの日のアサオとは違っていた。
アサオは今でも自分の王子様だ。
春になると、いつも自分を迎えに来ていた彼から、特殊訓練を受けるのでもう迎えには行けないし、ここにも来られないと告げられたのは11歳の春だった。
2週間を一緒に過ごし、これが最後だという日に彼は目の前で2本の傘を開いた。
1本はシルバーの表で、開いた中を見上げると青空の下に咲く満開の桜が広がっており、もう1本は表も裏も黒で、月明かりに浮かぶ夜桜が描かれていた。
「雨の日も花見のできる優れものだ。2人おそろいだよ」
そういってシルバーの傘を差しだす。
「しばらくは会えなくなる。僕が一時ハナを忘れてもこの傘を開くときっと思い出すと約束する。だからハナも僕を忘れないで」
そうだイタリアの叔母の家ではいつもハナと呼ばれていた。
ヨーロッパだし名前が変わった方がお姫様を楽しめるというのが叔母の言い分。
毎年叔母の家で過ごす春の2週間はいつもアサオと一緒で、それが楽しく、何でもできて窮地に立ってもそれを踏み越えていく強さを持ったアサオが大好きだった。
訳のわからないまま突然やってきた別れに戸惑い、向けられた背中に向かって何度もその名を読んだ。
アサオ! アサオ! アサオ! アサオ! アサオ!と。
あの時は、その背中が一瞬歩みを止め、振り返った。
その顔には苦渋と、悲しみと、それをねじ伏せる強い決意があった。
その時の叔母のつらそうな声を覚えている。
サクラ、そんなに呼んではアサオが進めなくなってしまうわ。
そして今、少年ではなく、広く大きくなった背中に向かってサクラはもう一度小さな声で呼びかける。
そこに苦悶の顔がないことを祈りながら本当に小さな声で。
アサオ・・・
大きくなった背中は振り返ることなく遠ざかっていった。
重臣達にどう思われようと、後宮の女達が何をいおうと彼女の願いなど叶えてやるのではなかった。
落花にせずに地上に下ろしていれば、前ゼウスのカバーなどすぐに消えて彼女の記憶を覗けたはずだ。
リオンの記憶を消したことで少女を死なせたような錯覚に陥いり、気持ちが沈んでやるせない。
第一、彼女がリオンの姪とは限らない。もとから記憶の中にいなかった可能性だって十分にある。そう気持ちを切り替えても苦しさは変わらなかった。
自分はいつまであの少女に執着しているつもりなのか?あれから10年になる。もうとっくに諦めたはずではなかったか。
苦い後悔と呆れ果てる思が、眉間の皺になって表れる。
そんなミセイエルを見ていた側近のヨンサンが上から目線で声をかけた。
「おい、そんなに難しい顔をするな。周りを見てみろ。ゼウスのお前がそんな顔をしているから乗り合わせた天界人までピリピリしているぞ。ただでさえこの悪天候で機体の揺れがひどくて落ち着かないんだ。せめてお前ぐらいいつもどおり不敵に笑っていろ」
天界では考えられない軽口だが地上ではいつもの光景だ。
ミセイエルに対して若干上から目線のこの男の名はヨンサン・リーツという。
精悍な顔つきだが物腰は柔らかく、ブルーブラックの髪とガッシリした躯幹を父親から受け継いでる嶺家の総領息子だ。
何より異次元まで飛べる高い能力と、的確な判断力、必要のない者をスッパリと切り取れる指導者には必要な冷徹な心を持っている。周囲に次代の嶺家は安泰だと言わせる実力の持ち主だ。
幼い頃より共に自己の特殊能力を鍛えるため、皇宮にいるお偉いさんから指導を受け切磋琢磨したマブ友関係。
あたりを見渡せば周りはみな頭を低くした安全体制を取っている。
「で、いつからこの状態だ?」
「おいおい、すごぶる調子の悪いジェットコースターに乗っているようなこの状態に今気が付いたなんて言わないでくれよ」
「今気が付いた」
その答えにヨンサンがこれ見よがしのため息をつく。
「ハァ、全く嫌味な答えを言うやつだ」
どっちがだ?
「しかしこの状態にビビらない人間がもう一人いるとはな」
「もう一人?」
「ああ、エコノミークラスの後部に座る少女が何度起こしても微睡んでいて安全体制が取れないとCAが泣きついてきたのでアサファを付けておいた」
「アサファを?」
どこか歯切れの悪い口調にヨンサンが反応する。
「何か、問題か?」
「いや」
アサファという名前を聞くと、ミセイエルの心に沈んだ澱が舞い上がる。
ヨンサンさえ知らない過去の記憶。
「乱気流を逃れて高度を変えてもまた巻き込まれる。まるで乱気流に追いかけられているみたいだと機長が青くなっているそうだ。この調子だと俺たち地上に着いたらすぐに長老達から呼び出しをくうかもな」
「俺たちのどちらかが、予防線を張らずに異次元移動したってか?」
「いや、お前が予防せずにあちらの世界から何かを取り寄せた疑いだ。たとえば本人の承諾を得ていない人間。リオン様の姪?とか?で俺はその証人」
冗談交じりに話すヨンサンだがその眼は真剣で、ミセイエルの微細な変化も見逃しはしないだろう。
そんな彼にミンセイエルはさらりと答えた。
「ありえないね」
そんなに簡単にいくものなら、狂気じみた執着心など持たない。
***
そして意識は見事な桜が咲いていた13歳の春に飛んだ。
10年前のあの日、8歳で母と共に天界に召上げられて5年以上が過ぎ、ようやく前ゼウスであるオークとの謁見が叶うことになった。
母ミンと共に何日も前から準備をし、万全の体制を調えて臨んだのだが、その日に謁見の間に呼ばれることはなかった。
ゼウスが生活するミカリス宮の控えの間で朝から一歩も動かずに待ち続けた。疲労感が漂う夕方になってようやく女官達が部屋に入ってきてお決まりのお辞儀をする。
「本日の謁見は中止です。ゼウス様は大事な来客があって、今はリオン様と正妃宮でお花見をされておいでです」
声を出し終えて頭を上げた女官のどの顔にも底意地の悪い笑みがある。
ミセイエルは彼らの心の中を瞬時に読んだ。
(謁見の中止は何日も前から決まっていたの。知らなかったのはあなた方だけよ。少しは懲りたかしら。大体この時期に謁見しようなんて天界人なら誰も考えないわ。異世界からの来客が最優先ですもの。予定なんて無いのと同じ。常識のない地上人がゼウス様に謁見なんて身の程を知りなさい)
心の中を見られたなどとは思ってもいないのだろう。
彼女達は次期ゼウス候補の自分の能力を見くびっているようだ。
ならばと軽く頭を下げたまま、己の主張を直接相手の脳内に送り込んだ。
(皆さんの考えはよくわかりました。私は地上人ですが次期ゼウス候補です。あなた方程度の心の中を覗くなど一瞬なのですよ。身の程を知らないのはどちらでしょうね。この御礼は私がゼウスになった時に改めて)
顔色を無くしバタリ、またパタリとその場に手を着き始めた女官達をそのままに、すぐさま正妃宮へ空間移動した。
この騒動はすぐさま皇宮全体に広がり、後々のミンとリオンの確執を生む基盤となる。
一旦決まった自分との謁見を覆してまでゼウスが会う客がどんな奴なのか知りたかった。
花見は、訪れる賓客のため正妃宮の桜の開花を調整し、客の秘密を守るため侍従や女官達に休暇を取らせて、毎年行われる特別なもの。
この2週間はゼウスは誰とも会うことがない。
天界人なら誰でも知っている常識を自分達は知らなかった。
目を閉じると今でも脳の奥深くに張り付いている映像と声がある。
アサオ、大変よ。アサオ、早く来てぇ!!
驚きに目を見開いた。
瞬時に、彼女だ!と心が判断する。
どこまでも続く満開の桜林の中には7・8歳ぐらいに成長した彼女がいた。
自分と母の運命を大きく変えるきっかけを作った時はまだまだあどけない大きなぬいぐるみのような印象だったのに。
それでも自分を魅了した艶やかな黒髪と、よくものを言う黒曜石の瞳が相変わらずそこにある。
半泣きの彼女が、大きな瞳をウルウルさせていた。
どうしたの?と尋ねると、母の形見のペンダントをなくしたのだという。
それから彼女はこぼれた涙を手で拭って小さく笑った。
それは嬉しそうな顔で。
「でもアサオがいるから大丈夫!私が困っているといつも助けてくれるのよ。アサオは私の王子様なの!」
あの時、散ってしまう桜が可愛そうだといった彼女のために天候を操作し、天界に連れてこられた。
能力開発のための厳しい訓練と努力の日々を送りながらも、ぬいぐるみの彼女と、くれた温もりを何時も思い出していた。
なのに彼女は自分以外の男を王子様だと言って笑っている。
我慢ならない現実を突きつけられて対抗意識が生まれる。
「無くしたペンダントを見つけたら、僕を君の中の一番にしてくれる?」
すると彼女は、ちょっと考えて、可愛いしぐさでコクリと頷いた。
「じゃあ、お兄ちゃんが王様で、アサオが王子様だね」
かの男の上位に立てたことが素直に嬉しい。
透視の力でペンダントを探すと東屋のテーブルに置き忘れている。
彼女に目をつむってゆっくり10数えるように言う。
瞬間移動でそれを取って戻り首に掛けてやった。
「もういいよ。目を開けて」
一瞬で黒い瞳が驚きで丸くなり、すぐに三日月形にグシャリと崩れ満面の笑みが広がる。
あの時と同じだった。
まるで絵本の中から飛び出してきたお日様のようで、そこから放たれる暖かな光が体に染み込んで来る感覚に眩暈さえする。
小さな手が姿勢を低くするように命令を出し、言われるがまま膝を曲げて低くなる。
頬に温もりと柔らかさを感じ、一瞬息が止まる。
やがて離れた唇が、まるで内緒話をするように自分の知らない言葉をささやく。
「アリガトウ」
「??? え?何て?」
聞き返した声は届かず、誰かに呼ばれてた少女は声のする方に駈け出して行った。
門を曲がり視界から消え、声だけが響く。
「アサオ、急に飛び出したら危ないわよ」
「門から突然出てきたのはハナの方だろ」
「転んでお尻を打ったらどうしてくれるの」
「大丈夫どんなに変な角度でぶち当たられてもハナのことはちゃんと受け止めるから」
どうやら彼女はハナというらしい。
楽しそうに笑い軽口を叩き合う仲の良さが腹立たしい。
この時初めて嫉妬という感情を知った。
彼女の手を引いてこちらに歩いて来る自分と同じ年頃の少年は、ミセイエルに気づくとすぐに彼女を背中に隠した。
纏う柔らかな空気を瞬時に凍らせて臨戦態勢をとり、虹彩に桜家独特のさくら色の混じる漆黒の瞳で威嚇してくる。
自分が不法侵入者であることは十分に自覚していた。
仕方がない。心だけを残してすぐさま退散。
もちろん来た時と同じように特殊能力をフル活用させて。
彼女が囁いた、アリガトウ、があちらの世界で使う感謝を表した言葉だということも後で知った。
何年かが過ぎ、次期ゼウスと決まった自分を警護するSPの中にあの目の持ち主がいた。
漆黒の虹彩の中に桜の花びらを散らしたような斑点のある独特の目だ。
桜家のアサファ・オーツだと名乗った彼に、アサオと呼ばれたことはあるか?と尋ねる。
「いえ」
返ってきた答えは至極簡素なものだった。
***
音信不通となった叔母に会うためにイタリア行の飛行機に乗り微睡んでいたサクラは機内アナウンスの声にようやく重たい瞼を上げた。
飛行機は着陸態勢に入っていて、どうやらまた、いつものように眠り込んでしまったらしい。
気が付くと、となりには自分を守る体制で男が立っていた。
彼は機体が完全に止まり、自分が目を覚ましたのを見届けると軽い会釈をし背中を向けて歩き出す。
その背中を見つめていると、6年前の彼を思いだして、知らず声が出た。
「アサオ!?」
振り返ることなく離れて行く背中はあの日のアサオとは違っていた。
アサオは今でも自分の王子様だ。
春になると、いつも自分を迎えに来ていた彼から、特殊訓練を受けるのでもう迎えには行けないし、ここにも来られないと告げられたのは11歳の春だった。
2週間を一緒に過ごし、これが最後だという日に彼は目の前で2本の傘を開いた。
1本はシルバーの表で、開いた中を見上げると青空の下に咲く満開の桜が広がっており、もう1本は表も裏も黒で、月明かりに浮かぶ夜桜が描かれていた。
「雨の日も花見のできる優れものだ。2人おそろいだよ」
そういってシルバーの傘を差しだす。
「しばらくは会えなくなる。僕が一時ハナを忘れてもこの傘を開くときっと思い出すと約束する。だからハナも僕を忘れないで」
そうだイタリアの叔母の家ではいつもハナと呼ばれていた。
ヨーロッパだし名前が変わった方がお姫様を楽しめるというのが叔母の言い分。
毎年叔母の家で過ごす春の2週間はいつもアサオと一緒で、それが楽しく、何でもできて窮地に立ってもそれを踏み越えていく強さを持ったアサオが大好きだった。
訳のわからないまま突然やってきた別れに戸惑い、向けられた背中に向かって何度もその名を読んだ。
アサオ! アサオ! アサオ! アサオ! アサオ!と。
あの時は、その背中が一瞬歩みを止め、振り返った。
その顔には苦渋と、悲しみと、それをねじ伏せる強い決意があった。
その時の叔母のつらそうな声を覚えている。
サクラ、そんなに呼んではアサオが進めなくなってしまうわ。
そして今、少年ではなく、広く大きくなった背中に向かってサクラはもう一度小さな声で呼びかける。
そこに苦悶の顔がないことを祈りながら本当に小さな声で。
アサオ・・・
大きくなった背中は振り返ることなく遠ざかっていった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる