優しい時間

ouka

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夏祭りバカンスの終焉

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 「全く。炎州の経済基盤を変化させた責任を取って、あちらから来たあの3人にはこちらの世界で人生の終わりを迎えて欲しかったんだけど、何で邪魔するかなぁ」
 けだるげな呟きとは裏腹に身体全体に怒りを漲らせたセルドルドが左人差指を振り下ろす。
 と、振り返ったノアの頬にはカミソリで切ったような細い傷が出来ていた。
 「嶺家の次男様は天界でNo.2の力を持っているみたいだけれど、3人を一度にあちらの世界に送り返した直後では次に繰り出す力はどの程度になるのかな?残ってる?ち、か、ら」
 見ると100メートルを全力疾走した後のようにノアの肩が上下に揺れていた。
 「ちょっと試してみたいんだけど」
 まるでショッピング先で目に留まった服を試着してみるような気軽さだ。
 ノアが息を整えながら目の前の少年を睨みつける。
 「お前、顔無しか!?」
 「その人称で呼ばれるのは嫌いだから」
 心底嫌そうな顔をしたセルドルドが再び左人差指を振り下ろすと、今度は上品な口角が切れて流れた血が割れた顎を伝う。
 それをノアが拳でグイッと拭うのを見て少年がハハハと乾いた声をあげる。
 「嶺家の天使様と歌われた綺麗な顔も傷がついて台無しになったね」
 そういわれて今度はノアの顔が顰む。
 「オレもその人称で呼ばれるのは嫌いだ。オレの名はノア・リ―ツ。オマエは?」
 「僕の名前?聞いてどうするのさ」
 「個人を呼ぶのには必要だ」
 ノアが自身の心の内にあるわだかまりを吐き出すように長い息を吐き再び問いかける。 
 「あるんだろ?名前?」
 顔無しに名前なんて必要ないと言われて来たのに・・・
 本当に今更だ。
  <セルドルド>
 不平不満で呟かれた頭に直接響く音。
 「で、セルドルド。オマエは何が足りなくて顔無しとして生きることになった?」
 セルドルドが無意識に口元を歪めて、良心、倫理観、正義感、と返す。
 返された念話に今度はノアが乾いた声で笑う。
 「オマエ、それ人としてサイテーじゃないの?」
 今度返されたのは念話では無く重いボディブローで、ノアの腹部に埋まる。
 「天界のN0.2様。反撃はどうしたの?もしかして攻撃できないほど弱ってる?」
 両手両膝をついて蹲るノアの全身に、笑いながらセルドルの左指が細かな傷を付けていく。
 それでもノアは念話ではなく自分の声で思いを口にした。
 「オレの行動は色々考慮した結果だ。気にするな」
 考慮って?考えてるうちに死んでしまうよ?
 自嘲的に笑うノアの声は痛みと出血のせいか弱々しい。
 「オレも3年前までは、人間として生きるには感情が無かったから顔無しと同じ扱いだったんが、確かに周りの者はオレを名前で呼んでたな」
 このセリフにセルドルドが怒り叫ぶ。
 「同じ顔無し扱いでも、嶺家の直系と炎家の末端に生まれた僕では全然扱いが違うよ!」
 同時にノアが腹部を押さえてゴホッ、ゴホッと咳込み口元に移動した手のひらに血が落ちた。
 それでもノアは一切反撃しない。
 這いつくばって血を吐く相手を眺めて幾分怒りが収まったのかセルドルドがポツリと思いを落す。
 「僕は名前を呼ばれたことなど一度もないし、誰かの名前を呼んで返事をされたこともない。嶺家の次男に呼ばれて返事をしない者などいないでしょ?」
 その質問にノアがやるせなさそうな顔で応える。
 「ああ、確かに返事もあったし名前も呼ばれたな。ただ、その顔が判でもを押したように悪魔か悪霊でも見るような顔だったけどな」
 ノア様、何か御用でしょうか?
 固い声で、心を閉ざして返事をする相手の顔を見て呼ばなきゃよかったといつも後悔した。
 なぁ、とノアがセルドルドに問いかける。
 「返事がもらえないのと、返事をした相手からそんな顔を向けられるのとどちらがましかな?」
 苦痛に歪む顔を向けられたセルドルドは、それでも自分よりは随分ましだろうと思う。
 だって・・・
 「天界No.2のあなたがそれを言う?欲しい物は念じるだけで何でもあなたの元へ飛んできたでしょ?」
 「ああ、物は手に入ったさ。でも本当に欲しいものは手に入らなかったな」
 本当に欲しいもの?って?
 「オレの存在を肯定してくれて必要としてくれる人間。本当の意味で名前を呼んでくれる人間だよ」
 存在を肯定してくれる?どういうこと?
 「存在を認められなくて、いつも飢餓感に苛まれるのはオレもオマエも同じなんじゃないの」
 同じじゃない!僕の方がずっと苦しい!
 「あなたは3年前から顔無しではなくなった!嶺家の次男として表社会を堂々と歩いているじゃないか!」
 叫びと同時にノアの右足の骨がゴギっと鈍い音を立てた。
 ウゥッ、口から洩れる呻きと、浅くなる息使い。
 「それは、オレが、母の胎内に忘れて来た、表舞台に立つ、ための、感情の種を、サユリがく、れたからね」
 苦しい息の下で切れ切れの言葉を返す。
 表舞台に立つために必要な、種?
 自分の思いを相手に伝えたい時は、必ず言葉で伝えなさい、とサユリに言われていたんだが、どうも難しい。
 ゴメン、ここからは念話を使わせてもらうと、真摯断ってから直脳に言葉を送り込む。
 <オマエだってオレと同じだ。お互いやり方は間違っていたけど足りないものを手に入れたじゃないか。セネガルドがくれた良心と、倫理観と、正義感の種。それを少しずつ育てていけばいい>
 セネガルドが自分に表舞台に立つため必要なものをくれたというのか?
 目の前の男が頷く。
 それを育てれば僕も表舞台に立てるというのか?
 ノアが苦しい息の下でニヤリと笑う。
 <最も、育てるために必要な水や光や栄養をたっぷりくれるお姫様はあちらの世界に帰っちまったけどな>
 脳内に先ほど悲し気に微笑んだ桜色のお姫様の顔が浮かぶ。
 <伝説のお姫様の纏う空気はすごいぞ。くれる力がハンパない。こんなオレをまっとうに戻したんだからな>
 
 気がつけば、笑うノアの瞳の色は嶺家独特のサファイヤブルーに変わっていた。
 
 <オマエは天界での地位や特殊能力が高ければ何でも手に入るというが、ゼウスは初恋の少女を15年も手に入れられなかったし、もの心ついた時からダイヤモンドオウカの存在を信じていた次期はきっとデートもしたことない。肝心の天界No.1姫は平凡な幸せが手に入らないといってあちらの世界に逃げ帰ってしまったしな。特殊能力が高ければ何でも思い通りになっていると高を括っているのは体たらくの悪人ぐらいで、そんな奴の足元はすぐに崩れていく>
 だから、オマエもがんばれ。
 送られてくる思念が終わると共に、サファイヤブルーの瞳が閉じられるのを呆然と眺めながらセルドルドは考える。
 セネガルドのくれた種を育てる?とはどういうことだろう?
 そうすれば、身代わりではなく僕自身として、セルドルドとして表舞台に立ち、日の当たる道を歩いて行けるのだろうか?
 そう問いかけてももはや応えてくれる声も送られてくる思念も無かった。

                  ***

 倉庫が焼け落ちて、乱雑に置いてあった雑多の物もすべて燃え、カスとなってそこここで燻っている一角で膝をついたユウが置物のように佇んでいる。
 目力を亡くした視線が宙を彷徨い、普段よく動く表情筋もピクリともしない。
 頭の中には、ごめんなさいと謝る悲し声が響いていた。
 目の奥に残った映像は切なそうに笑った特別な力を持つお姫様の顔だ。
 そして切々と訴える彼女の思い。
 『私ね、平凡でいたかったのよ。好きな人と家族になって彼を幸せにしたかったの。
 でも、彼は天界の有力者で5家の直系としての責務も責任もあったから、自分だけの幸せを選ぶわけにはいかなかったの。
 特別な存在であることは同時に重荷を背負うことだし、自由なようでそれはとっても不便な事だわ。
 平凡でいる限り好きなことだけをやればいい。どうしてもいやな事は嫌だと言える自由がある。
 力を持った者はメルタを収めていく責任があるし、ここに住む人たちの安寧を第一に考えて行動しなければならない。
 ゼウス様や、5族の有力者様たちは凄いね。
 私には、そんな重い荷物を背負う自信がないわ。
 現に、ユウちゃんのためだと思ってとった行動はあなたを傷つけてしまったし。
 そんな私が感情のままに特殊能力を使うのは怖いし、こちらの世界の人たちを安寧にするとは限らないから・・・

 特殊能力なんてなかったらよかった。

 どんな時もポジティブ思考のハナが初めて吐いたネガティブ的思考だ。

 だから、あちらの世界に帰って、能力の使えないサクラ・タカミネに戻るわ。

                  ***

 突然起こったクオン河口の大惨事にさすがの能力の高い天界人達も右往左往ですぐさまゼウスに事態収拾の要請を出したが。
 一瞬の出来事にさすがのミセイエルでも間に合うはずもなく。
 天界から瞬間移動でクオン河川敷に降り立ってみれば、観客は皆が夢見るような、高揚した顔をしていた。
 
 綺麗だったよな。今夜の花火。
 チョ~感激で癒やされた~。
 ああ、今までに見たことのない色や形が色々あって何とも言えない華やかさだったな。
 露店巡りも楽しかったし、なんたってスリルも味わった。
 そうそう。背中に炎が迫った時は慌てたが終わってみればケガや火傷もないし。
 きっと巧妙に仕掛けられたイリュージョンだったんだ。
 そうだよな。なんたって空に浮いた天女様が見えたもんな。
 オレ、天女様を見た途端何だか安心出来たんだ。 
 オレも、私も、という声がそこここで聞こえる。
 
 だがハナの姿は何処にもない。
 焦燥感で押しつぶされそうな思いでハナを探す。
 ミセイエルはゼウスの待てる力をすべて尽くしてハナを探したが脳裏に浮かぶのは真っ白なキャンバスだった。
 
 いったい何が起こった!!!

 脱力のあまり膝を着いた地面には。
 足元に炎家の先々代の焼死体が転がっていて。
 共に空間移動をしたヨンサンがノアを抱きかかえてその名を呼び続けている。
 赤い髪に緑の目の少年がその様子を感情を亡くして眺めている。
 年若い少女はもはや心此処にあらずといった具合の置物状態だ。
 
 (ノアはすごいよ。特殊能力も半端ないけど、精神面のタフさはまさに人に有らずです)
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