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あなた=ハナさんですか?
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「旦那様。キリのチーズタルトが買いに行けるようにクルーザーかチャーター機をキヌアに出せるようにあちらの領主様に交渉して下さいませ!」
いくら外務次官に進言しても一向に拉致のあかない祇家の侍女長がしびれを切らして祇家の当主に直訴した。
「???なんのことだ?」
必死の侍女長に対して話が飲み込めず温度差のある夫の様子に夫人のマルチナがコロコロと笑い言葉を足す。
「今日のディナーのデザートに登場した一口大のケーキですよ。マチィーはあれを買いに行きたいんです」
侍女長は大きく頷いた。
「最近キヌアで開発された商品で、濃厚なチーズなのにさっぱりとして、口に入れると土台のクッキー生地がほろほろと零れる幻のお菓子です」
興奮気味の早口でまくしたてる。
「幻とは大げさだな」
気のない返事に昔から祇家に努めている侍女長はキッと目を吊り上げた。
「旦那様、大げさなんかではございません。このタルトを手に入れるために私がどれだけ奔走したとお思いですか!友達の友達の友達の伝手をたどってやっとあちらに住む住人にあたりを付けて、頼んでいたのがやっと今日手に入ったのです。残れば私も頂くつもりでおりましたのに、旦那様が次から次へと口に放り込んでしまわれて。大体旦那様は若様と同じで甘い物は苦手なのではなかったんですか!」
ぷんぷんと怒り息巻く侍女長の様子を見て、そういえば無自覚で幾つも食べたことを思い出す。
「悪かったね。残り少ないがお前に残しておくから」
「そういう問題ではございません!」
能天気な返事に侍女長は一層目くじらを立てた。
「旦那様はあそこに行く交通手段が週に1度の連絡船だけだということをご存知ですか!それも向こうから出て帰るだけの航路だなんて。それではこちらから行くと帰って来るのは一週間後ということになってしまいます。キヌアは特殊能力を使うことを嫌う国ですし、キリの店には他にも珍しいケーキも沢山あるというのに見にも行けません。せめてこちらからの便を週に一度だけでも出せるように交渉して下さい」
私からもお願いしたいわ、と妻からダメ押しされ、侍女長の剣幕に押されたチカハがやれやれとため息を吐く。
「わかった。善処しょう」
こうして、祇家がキヌアに入港及び岸壁使用料を払い日帰りの小型船を祇家の領地から週一で出すことになった。
***
秋になり、キリの洋菓子店は朝早くから評判のチーズタルトを買い求めて島の常連はもちろん、週一ではるばる小型船に乗ってやって来る若い女性客がズラリと列をつくって姦しい。
昼を過ぎればサクラ目当ての島の独身男が菓子を求めて?店を出入りしている。
ということで店は大繁盛だ。
今日は週に一度の祇家の領地から船が着く日だった。
だから店内のそこここで、こんな会話が繰り返される。
「ねえルチカ、何にする?チーズタルトもいいけど、私、栗ようかんっていうのを食べてみたいんだよね。こないだ友達にそのおいしさを自慢されちゃってさ。悔しいったらないの」
「栗ようかんって、まさか?甘くてむちっとしてて何とも言えない口当たりのヤツ?」
「食べた事ないからわからないけど、友達は不思議な食べ物だって言ってたよ」
栗ようかん。
それはミセイエルのペントハウスで、お茶の時間にハナが時々ご馳走してくれたあちらの世界のお菓子だ。
それを食べながら4人で女子トークに花を咲かせ、抹茶が飲みたいとハナはよく呟いていた。
あの夏祭りの日にその抹茶なるものを頂いて、これがあのと感動したことを思い出すと涙がにじむ。
よく笑い、よく動き、他人の悪口は言わず、何事にも一生懸命で太陽のように明るく、春の日差しのように暖かい空気を纏い、反面ビシリと清廉で、今まで出会ったことのない万色のオーラを持っていて。
一緒にいると心地よくていつも側に寄りたいと思わせる不思議な少女だと思った。
そう感じたのも当たり前。
かの人は、天界人の頂点に立つダイヤモンドオウカ様だったのだから。
今はあちらの世界に帰ってしまわれて。
こんなことになると分かっていたなら、絶対に夏のバカンスなんかに出かけたりはしなかったのに。
物思いにふけるルチカの耳に飛び込んできたのは、ハナと同じ少し癖のある透明感のあるソプラノボイスだった。
「お母さん、大変!メアが子牛を生みそうなんだけど、逆子みたいでとても苦しそうなの。どうしたらいい?ジョン先生は本土に行ってらっしゃって不在だし!」
振り返れば、息を切らせて走って来る少女は童顔で、156cmぐらいの身長で、見覚えのある顔とシルエット。
思わずハナ様と呼び掛けそうになって、固まった。
目の色が、髪の色が違う。
側までやって来た彼女は恰幅の良い女性に事と次第を説明している。
チョコレート色のショートヘアーに藁をくっつけて作業服に黒長靴を履いて目を輝かせた一生懸命な姿はハナそのものなのだが。
「獣医をここに呼べばいいのですか?」
思わずルチカが声を掛けると、親子が同時に振り向いた。
「そんなことが出来るんですか?!」
2人同時に聞かれる。
「天界人で、高度な特殊能力を持つ者なら。連絡を取ってみます」
そう言うと母親は、天界人様ですかといい、娘は、連絡って?と首を傾げた。
「とにかく念話してみます」
念話と聞いてもピンとこない親子は、ただ呆然としている。
それにかまわずにルチカはすぐさまミセイエルに呼び掛けた。
<ミセイエル様、ルチカです。空間移動出来る獣医を一人キヌアによこしていただきたいのですができますか>
すぐさま機械的な思念が返って来た。
<空間移動出来る獣医が必要って、どういうこと?>
この忙しい時にと苛立った空気まで送られてきて一瞬怯む。
<今、牛の難産に遭遇してまして、>
気弱な返事に、そんなことでと思ったのか途中で言葉を遮られていまう。
<そんな理由では無理だ。特殊能力でキヌアに入るには、よほどの事がない限り領主の許可は下りない>
否の答えにルチカは即座に奥の手を使う。
<あります!よほどのことが!ハナ様に似た少女が困っています>
”ハナ様”が、何事にも動じないこの男の唯一のウイークポイントで、たとえハナに似た牛が苦しんでいると言っても彼は動いただろう。
<わかった。何とか手配する>
念話が終わって、1分もしないうちに嶺家の獣医長が現れて、彼が疲れるとばかりに大きなため息を吐いて文句を垂れる。
「いやはやゼウス様も強引だな。今大丈夫か?と聞きもしないで、キヌアに飛んでくれの一言で強制移送するんだからたまらないよ。もし僕が入浴中だったらどうするつもりかねぇ」
ひょろりとした体格の獣医は黒いボサボサくせ毛の頭をワサワサと掻きながら黒縁のメガネの奥にある青色の釣り目で周りを眺めた。
「で、僕を必要としているのは誰ですか」
そういう獣医を有無を言わさずルチカが引っ張りながら、声を上げる。
「この人は獣医よ。早く牛舎へ案内して」
そういわれてサクラももう片方の腕を掴んで引っ張った。
「こっちよ!早く!」
両方から腕を引っ張られた獣医はこちらもミセイエル様に負けず強引か、とあきらめの気持ちで走る。
それでも、牛舎に着き母牛の様子を見ると態度を一変させて、きびきびと指示を出した。
「子牛の足が出ている。間違いなく逆子だ。この様子だとロープを足に巻いて引っ張ってやらないと自力では産めそうにない。親子ともどもダメになるぞ。誰かに細めのロープを持ってきて、」
そう言いかけてやめると何かを呟き始める。
すると、彼の手の中にロープが現れてすぐさまそれを突き出た足に巻き、陣痛の波に合わせて引っ張り始めた。
サクラは苦しがる母牛の頭を撫で、大丈夫だよ、とひたすら声を掛けている。
その、母牛を撫でる手がハナと同じ形をしていて、左手の薬指に見慣れた指輪が収まっていることに気がついたルチカが目を見張る。
彼女の纏う自分のエネルギーを分け与えるような空気がハナと同じで、口から零れそうになる言葉を必死で飲み込む。
あなた=ハナ様、ですか?
獣医は的確な技術で牛のお産の介助をし、サクラは只々牛を撫でて、ルチカはサクラをひたすら眺めて、長かったのか短かったのかその時空に一つの生命が誕生した。
生まれた子牛を乾いた布で拭き息を詰めて子牛が立ち上がるのを見守る。
震える足でなんとか立って母牛の母乳を飲んだ時には抱き合って喜ぶサクラとルチカを獣医がさらに抱き込んだ。
「もう、大丈夫だ。よかったな」
サクラは涙と鼻でぐちゃぐちゃの顔でありがとうございますを繰り返し、それでも喜びに輝くぐちゃぐちゃの笑顔が周りの者の心を温かく癒す。
よかったですね、と声を掛けると気持ちのいい、はい、が返ってくるところもハナと同じだった。
ルチカは思わず、ハナ様と声を掛けそうになって慌てて名前を聞いた。
「そう言えば、自己紹介がまだだったわ。私はルチカよ。あなたは?」
「あっ、申し遅れました。サクラといいます」
そう聞いて瞬時に眉間に皺を寄せてしまった。
「やっぱり、似合いませんか?有名な方のフィアンセの名前だそうです」
相手が天界人なら気分を害したかも?と気を揉むサクラの様子にルチカはどう返したら良いものかと思案する。
いや、似合ってる。
似合ってるがそこはそれ以外でお願いしたかったな。
でないと祇家が一丸となって押し寄せてきそうで怖い。
なによりあなたを見たヨンハ様がどう出るか?しかも名前がサクラだなんて、ミセイエル様苦戦しそう。
ブツブツと独語を並べるルチアの横で獣医が自己紹介を始めた。
「僕の名前はサンティーノ・リーツ嶺家の分家筋に当たる家系だ。年はアラフォーで独身。3人兄弟の真ん中で至極気楽なポジションで、趣味は、」
「あのぅ、サンティーノさん。もうその辺で。私いっぺんには覚えられませんから」
やんわりと断りを入れるサクラの声を聴いてルチカがハッと我に返り、獣医の背中を平手で一撃する。
「ちょっと、サンティーノさん。ここはキヌアですよ。天界の家名なんて夏の氷と同じでないのと同じ。あっても溶けて流れてハイおしまいってなものです。それにお見合いじゃないんだからそんな長ったらしい自己紹介なんていりません」
こうして打ち解けた3人は菓子工房の裏でお茶を飲み、新しく生まれた子牛の名前を決めた。
ルチカはまた今度友達を連れてきてもいいかと尋ね、サンティーノは時々牛の様子を見に来ると言う。
もちろん快くOKの返事をもらった2人は、サクラに持たされた手土産の栗ようかんを持って満たされた気持ちで、祇家の出すクルーザーに乗った。
(一番にハナに到達したのはルチカでした。天界人の異能が使いづらいキヌアでの攻防が始まりそうです)
いくら外務次官に進言しても一向に拉致のあかない祇家の侍女長がしびれを切らして祇家の当主に直訴した。
「???なんのことだ?」
必死の侍女長に対して話が飲み込めず温度差のある夫の様子に夫人のマルチナがコロコロと笑い言葉を足す。
「今日のディナーのデザートに登場した一口大のケーキですよ。マチィーはあれを買いに行きたいんです」
侍女長は大きく頷いた。
「最近キヌアで開発された商品で、濃厚なチーズなのにさっぱりとして、口に入れると土台のクッキー生地がほろほろと零れる幻のお菓子です」
興奮気味の早口でまくしたてる。
「幻とは大げさだな」
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「旦那様、大げさなんかではございません。このタルトを手に入れるために私がどれだけ奔走したとお思いですか!友達の友達の友達の伝手をたどってやっとあちらに住む住人にあたりを付けて、頼んでいたのがやっと今日手に入ったのです。残れば私も頂くつもりでおりましたのに、旦那様が次から次へと口に放り込んでしまわれて。大体旦那様は若様と同じで甘い物は苦手なのではなかったんですか!」
ぷんぷんと怒り息巻く侍女長の様子を見て、そういえば無自覚で幾つも食べたことを思い出す。
「悪かったね。残り少ないがお前に残しておくから」
「そういう問題ではございません!」
能天気な返事に侍女長は一層目くじらを立てた。
「旦那様はあそこに行く交通手段が週に1度の連絡船だけだということをご存知ですか!それも向こうから出て帰るだけの航路だなんて。それではこちらから行くと帰って来るのは一週間後ということになってしまいます。キヌアは特殊能力を使うことを嫌う国ですし、キリの店には他にも珍しいケーキも沢山あるというのに見にも行けません。せめてこちらからの便を週に一度だけでも出せるように交渉して下さい」
私からもお願いしたいわ、と妻からダメ押しされ、侍女長の剣幕に押されたチカハがやれやれとため息を吐く。
「わかった。善処しょう」
こうして、祇家がキヌアに入港及び岸壁使用料を払い日帰りの小型船を祇家の領地から週一で出すことになった。
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秋になり、キリの洋菓子店は朝早くから評判のチーズタルトを買い求めて島の常連はもちろん、週一ではるばる小型船に乗ってやって来る若い女性客がズラリと列をつくって姦しい。
昼を過ぎればサクラ目当ての島の独身男が菓子を求めて?店を出入りしている。
ということで店は大繁盛だ。
今日は週に一度の祇家の領地から船が着く日だった。
だから店内のそこここで、こんな会話が繰り返される。
「ねえルチカ、何にする?チーズタルトもいいけど、私、栗ようかんっていうのを食べてみたいんだよね。こないだ友達にそのおいしさを自慢されちゃってさ。悔しいったらないの」
「栗ようかんって、まさか?甘くてむちっとしてて何とも言えない口当たりのヤツ?」
「食べた事ないからわからないけど、友達は不思議な食べ物だって言ってたよ」
栗ようかん。
それはミセイエルのペントハウスで、お茶の時間にハナが時々ご馳走してくれたあちらの世界のお菓子だ。
それを食べながら4人で女子トークに花を咲かせ、抹茶が飲みたいとハナはよく呟いていた。
あの夏祭りの日にその抹茶なるものを頂いて、これがあのと感動したことを思い出すと涙がにじむ。
よく笑い、よく動き、他人の悪口は言わず、何事にも一生懸命で太陽のように明るく、春の日差しのように暖かい空気を纏い、反面ビシリと清廉で、今まで出会ったことのない万色のオーラを持っていて。
一緒にいると心地よくていつも側に寄りたいと思わせる不思議な少女だと思った。
そう感じたのも当たり前。
かの人は、天界人の頂点に立つダイヤモンドオウカ様だったのだから。
今はあちらの世界に帰ってしまわれて。
こんなことになると分かっていたなら、絶対に夏のバカンスなんかに出かけたりはしなかったのに。
物思いにふけるルチカの耳に飛び込んできたのは、ハナと同じ少し癖のある透明感のあるソプラノボイスだった。
「お母さん、大変!メアが子牛を生みそうなんだけど、逆子みたいでとても苦しそうなの。どうしたらいい?ジョン先生は本土に行ってらっしゃって不在だし!」
振り返れば、息を切らせて走って来る少女は童顔で、156cmぐらいの身長で、見覚えのある顔とシルエット。
思わずハナ様と呼び掛けそうになって、固まった。
目の色が、髪の色が違う。
側までやって来た彼女は恰幅の良い女性に事と次第を説明している。
チョコレート色のショートヘアーに藁をくっつけて作業服に黒長靴を履いて目を輝かせた一生懸命な姿はハナそのものなのだが。
「獣医をここに呼べばいいのですか?」
思わずルチカが声を掛けると、親子が同時に振り向いた。
「そんなことが出来るんですか?!」
2人同時に聞かれる。
「天界人で、高度な特殊能力を持つ者なら。連絡を取ってみます」
そう言うと母親は、天界人様ですかといい、娘は、連絡って?と首を傾げた。
「とにかく念話してみます」
念話と聞いてもピンとこない親子は、ただ呆然としている。
それにかまわずにルチカはすぐさまミセイエルに呼び掛けた。
<ミセイエル様、ルチカです。空間移動出来る獣医を一人キヌアによこしていただきたいのですができますか>
すぐさま機械的な思念が返って来た。
<空間移動出来る獣医が必要って、どういうこと?>
この忙しい時にと苛立った空気まで送られてきて一瞬怯む。
<今、牛の難産に遭遇してまして、>
気弱な返事に、そんなことでと思ったのか途中で言葉を遮られていまう。
<そんな理由では無理だ。特殊能力でキヌアに入るには、よほどの事がない限り領主の許可は下りない>
否の答えにルチカは即座に奥の手を使う。
<あります!よほどのことが!ハナ様に似た少女が困っています>
”ハナ様”が、何事にも動じないこの男の唯一のウイークポイントで、たとえハナに似た牛が苦しんでいると言っても彼は動いただろう。
<わかった。何とか手配する>
念話が終わって、1分もしないうちに嶺家の獣医長が現れて、彼が疲れるとばかりに大きなため息を吐いて文句を垂れる。
「いやはやゼウス様も強引だな。今大丈夫か?と聞きもしないで、キヌアに飛んでくれの一言で強制移送するんだからたまらないよ。もし僕が入浴中だったらどうするつもりかねぇ」
ひょろりとした体格の獣医は黒いボサボサくせ毛の頭をワサワサと掻きながら黒縁のメガネの奥にある青色の釣り目で周りを眺めた。
「で、僕を必要としているのは誰ですか」
そういう獣医を有無を言わさずルチカが引っ張りながら、声を上げる。
「この人は獣医よ。早く牛舎へ案内して」
そういわれてサクラももう片方の腕を掴んで引っ張った。
「こっちよ!早く!」
両方から腕を引っ張られた獣医はこちらもミセイエル様に負けず強引か、とあきらめの気持ちで走る。
それでも、牛舎に着き母牛の様子を見ると態度を一変させて、きびきびと指示を出した。
「子牛の足が出ている。間違いなく逆子だ。この様子だとロープを足に巻いて引っ張ってやらないと自力では産めそうにない。親子ともどもダメになるぞ。誰かに細めのロープを持ってきて、」
そう言いかけてやめると何かを呟き始める。
すると、彼の手の中にロープが現れてすぐさまそれを突き出た足に巻き、陣痛の波に合わせて引っ張り始めた。
サクラは苦しがる母牛の頭を撫で、大丈夫だよ、とひたすら声を掛けている。
その、母牛を撫でる手がハナと同じ形をしていて、左手の薬指に見慣れた指輪が収まっていることに気がついたルチカが目を見張る。
彼女の纏う自分のエネルギーを分け与えるような空気がハナと同じで、口から零れそうになる言葉を必死で飲み込む。
あなた=ハナ様、ですか?
獣医は的確な技術で牛のお産の介助をし、サクラは只々牛を撫でて、ルチカはサクラをひたすら眺めて、長かったのか短かったのかその時空に一つの生命が誕生した。
生まれた子牛を乾いた布で拭き息を詰めて子牛が立ち上がるのを見守る。
震える足でなんとか立って母牛の母乳を飲んだ時には抱き合って喜ぶサクラとルチカを獣医がさらに抱き込んだ。
「もう、大丈夫だ。よかったな」
サクラは涙と鼻でぐちゃぐちゃの顔でありがとうございますを繰り返し、それでも喜びに輝くぐちゃぐちゃの笑顔が周りの者の心を温かく癒す。
よかったですね、と声を掛けると気持ちのいい、はい、が返ってくるところもハナと同じだった。
ルチカは思わず、ハナ様と声を掛けそうになって慌てて名前を聞いた。
「そう言えば、自己紹介がまだだったわ。私はルチカよ。あなたは?」
「あっ、申し遅れました。サクラといいます」
そう聞いて瞬時に眉間に皺を寄せてしまった。
「やっぱり、似合いませんか?有名な方のフィアンセの名前だそうです」
相手が天界人なら気分を害したかも?と気を揉むサクラの様子にルチカはどう返したら良いものかと思案する。
いや、似合ってる。
似合ってるがそこはそれ以外でお願いしたかったな。
でないと祇家が一丸となって押し寄せてきそうで怖い。
なによりあなたを見たヨンハ様がどう出るか?しかも名前がサクラだなんて、ミセイエル様苦戦しそう。
ブツブツと独語を並べるルチアの横で獣医が自己紹介を始めた。
「僕の名前はサンティーノ・リーツ嶺家の分家筋に当たる家系だ。年はアラフォーで独身。3人兄弟の真ん中で至極気楽なポジションで、趣味は、」
「あのぅ、サンティーノさん。もうその辺で。私いっぺんには覚えられませんから」
やんわりと断りを入れるサクラの声を聴いてルチカがハッと我に返り、獣医の背中を平手で一撃する。
「ちょっと、サンティーノさん。ここはキヌアですよ。天界の家名なんて夏の氷と同じでないのと同じ。あっても溶けて流れてハイおしまいってなものです。それにお見合いじゃないんだからそんな長ったらしい自己紹介なんていりません」
こうして打ち解けた3人は菓子工房の裏でお茶を飲み、新しく生まれた子牛の名前を決めた。
ルチカはまた今度友達を連れてきてもいいかと尋ね、サンティーノは時々牛の様子を見に来ると言う。
もちろん快くOKの返事をもらった2人は、サクラに持たされた手土産の栗ようかんを持って満たされた気持ちで、祇家の出すクルーザーに乗った。
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