優しい時間

ouka

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幻さん?の婚約者

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 おい、聞いたか。祇家の若様が領主様の屋敷にお見えになるそうだよ。
 領主様が我々のためにお庭で交流会を開いて下さるそうだ。
 オレ達天界人を直接見るなんて初めてじゃないか。
 なんでもあちらの世界からおいでになったフィアンセ様にここでデートをしようと誘われたそうだ。 
 春の空港でお姫様抱っこされてデカデカと新聞に載った幻の婚約者様か?
 婚約者様は行方不明じゃなかったか?
 それがここにいらっしゃったらしい。
 じゃあオレ達お二人にお目にかかれるのか。 
 久々といえる天界の実力者の訪問にキヌアの領民はどこか浮かれて噂話を囁き合う。
 噂というのは最初の一言が根も葉もない無責任なものに変化しながら広がるもので、その内容が事実と違っていてもどこにも文句を言えないから始末が悪い。
 「いったい僕と交流会をするというのはどこから出た話だ?」
 「はあ、近々所用でキヌアを訪問したいと領主に通達しただけなのですが、舞い上がってしまったのか親戚知人に領主鄭に滞在すると触れ回ったようで、たちまち領民のあいだに広がりまして一目だけでもお目にかかりたいと陳情されたようです」
 「どうしてそこでサクラの名前が出てくる」
 「今まで招待を断り続けていましたからね。突然の訪問はサクラ様が関係しているのではと思われたのでしょう」
 ヨンハの口から大きなため息がもれる。
 サクラが突然天界からいなくなって、自分を筆頭に祇家は一丸となり彼女の行方を捜した。
 これまでも似ている娘がいると聞きつけては真偽を確かめに行き、失望して戻るということを経験していて、今回も過剰な期待はしていない。
 特殊能力を使うことを嫌うキヌアなので天界人である自分の訪問を知らせただけなのにこんな大事になるとは。
 「ということで、領主鄭の庭で観月会が行われるそうす」
 ちょっと、キリ洋菓子店の娘に会ってみるつもりだったはずが、ああ、めんどくさい。
 「じゃあ、その会に例の娘も呼んでおいて」
  
                  ***

 「サクラちゃん、明日祇家の若様に御挨拶に行ってくれないかな」
 「私がですか?」
 「何でも例の栗ようかんが気に入ったみたいで、もう一度食べたい。作った人間を呼んでくれとおっしゃっておいでだそうよ」
 「だったら、お母さんが行ってよぉ」
 「なに言ってるんだい、ガサツなおばさんなんてお呼びじゃないさ。今をときめくヨンハ・ギーツ様に声を掛けて貰えるんだよ。若い娘じゃなくても大喜びするもんさ」
 「え~嫌ですよ。偉い方に対する礼儀なんて知らないし、畑の話や牛や鶏の話を喜んで聞いてくれるのはサンティーノさんぐらいです」
 「でも、ここはサクラちゃんが行くべきさ。それこそ栗ようかんの作り方なんて聞かれたら、私じゃしどろもどろになっちまうからね。」
 肝っ玉母さんのキリが手を合わせて拝み倒す。
 「ね、堅苦しいのが嫌ならパパッと挨拶だけ済ませて栗ようかんを置いたら帰って来ていいから」
 このとおり、と頭を下げられれば無下に断る事も出来ず。
 「本当に挨拶だけしかできませんよ」
 もちろんそれだけでいいという確約の下にサクラは片道4時間かかる領主鄭に行くために高速バスに乗った。

                  ***

 領主鄭は祇家の出す連絡船の着くドーバー港の見える高台にある。
 高速バスを降りたサクラは高台にある領主鄭を目指して歩き始めたのだが。
 港から続く遊歩道はそれこそ老若男女達で溢れていた。
 なに?この軍団。
 綺麗に着飾った人たちが同じ方向に向かって列をなして歩いている。
 それに混じってリクルートスーツに身を包んで帰省でもするような大きなトランクを引いた人もチラホラと見受けられる。
 う~ん。これは一体何の集団に巻き込まれたのやら・・・
 首を捻りながらひたすら歩いてお屋敷にたどり着くと門の前で長蛇の列の最後尾に並んで順番を待つ。
 右を見れば力の入った身なりをした若い女性が手鏡を持ってルージュを直し、大きなリボンのついたレディスキャップの位置のチェックに余念がない。
 左を見れば、生真面目そうなスーツの女性がお菓子作りの本を広げてブツブツと独り言を呟いている。
 それぞれが自分の世界にどっぷりと浸かって他人のことはわれ関せず。
 加えて遠くで聞こえるキャッキャッと楽しそうなギャル軍団のざわめきと、おば様たちの高笑いと、男性のボソボソと囁く低い声。
 この状況っていったい?何?
 キョロキョロとあたりを見回していると、左隣の女性の大きなため息と大きな独り言をサクラの左耳が拾う。
 はあ~
 「キリの洋菓子店への弟子入り志願者はいったい何人いるのかしら?」
 え?確かに何人かがうちの店で働きたいと言ってきていて、1人は来週から住み込みで働くことが決定しているというのは聞いているけれど。
  相手はもちろん返事など求めているわけではないので勝手に独語を続けてくれる。
 「あそこのお菓子は一味違うというもっぱらの評判なのよね。うちの当主様は無類の甘いもの好きで、栗ようかんの作り方を習得するまで帰って来るな~と上司から厳命されてるのに、領主館での一次面接に落ちたら帰れないわ」
 まさかここを歩いてる人たちって全員うちの菓子工房への志願者?
 不審者のようにキョロキョロするサクラの右耳が拾ったのは。
 「ヨンハ・ギーツ様~。あなたを一目見たい、同じ景色を見て同じ空気を吸いたいで~す」
 秋色のカジュアルな装いのチェック柄のシャツに似合うバラ色のキャップが若々しくてキュートな左側の女の子の独り言。
 牛歩の歩みで受付にたどり着いて見えたものは3種類の張り紙だ。
 キリの菓子工房への就労を希望される方。
 ヨンハ・ギーツ交流会チケットをお持ちの方。
 交流会の当日券をお求めの方。
 机にでかい張り紙がしてあった。
 就労希望者は推薦状を、チケットを持っている者はそれを、ぞれぞれの受付で提示すると、案内係に誘導されて屋敷の中に入っていく手筈のようだ。
 当日券組はくじを引き当たった者は中に、外れたものは諦めきれずに屋敷の周りをうろつく、いやここは上品に散策といった方がいいだろう。
 はて?私は何処のポジションでしょうか?
 受付係の人に、あのう、とおそるおそる声をかけただけで睨まれた。
 「何だ」
 その顔には、何しに来た?この忙しいのに何の用だ?と書いてある。
 「サクラと申します。祇家の若様に御挨拶に参りました」
 そういうと相手が鬼の形相になった。
 「またか!全く巷で幻の婚約者様が当家に来るというバカな噂が流れたせいで、バスが着くたびにサクラと名乗る黒髪の女が若様に会わせろと騒いで迷惑千万だ。おまえもその口か?」
 そう言われてみれば、黒髪の女性の多いこと。
 「別に婚約者だとは名乗っていませんけど」
 「だったら帰れ。若様は忙しいんだ。お前などに会っている暇はない。帰れ帰れ」
 え?じゃあ、挨拶しなくていいの?
 勝手に自分の都合よく相手の話を解釈するのはサクラの得意技だ。
 「あ、そう。じゃあ帰りますが、ご注文の手土産だけは渡してくださいね。若様によろしくお伝えください」
 そう言って栗ようかんの包を案内人に押し付けて回れ右をする。
 帰りのバスは2時間後の出発だし、どうしょうかと考えていると後ろから追いかけるように走って来た女性に声をかけられた。
 「ハナ?いえ、もしかしてキリ洋菓子店のサクラさんですか?」
 ハアハアと息を吐きながら追いついた同じ年頃の女性はフアフア髪でおっとりとした雰囲気の持ち主だ。
 人懐っこい笑顔でギューっとサクラを抱きしめる。
 え~初対面でこの対応ですか?5分ほど前はケンモホロロだったのにこの歓迎ぶりですか!?
 「私イマリです。サクラさんのことはルチカさんから聞きました。ぜひ私ともお友達になってください」
 「え、ルチカさんが今度連れてくると言っていたお友達ですか」
 「はい」
 ルチカの名前を聞いて一気に近親感を覚えたサクラがニッコリと笑うと、イマリが良かった、良かったと涙目で感激している。
 そんなにお友達になりたかったの?ルチカさん私のこと過大評価で伝えてない?
 「サクラさん、お姿をよ~く見せてください!」
 目を細めてサクラの上から下までを眺めまわすイマリを見てサクラがクスクス笑う。
 「イマリさん、目が久方ぶりに帰って来た孫を見るおばあちゃんになってますよ」
 おばあちゃん、なんて言われて気を悪くするかとも思ったが、イマリさんは大きく頷いた。
 「はい。まさにそんな心境です」
 それから彼女はサクラに手を伸ばして一つ一つ確認していく。
 「髪はチョコレート色で少し癖がありますね。動きのあるショートも似合ってます。目の色も明るくなりましたね。やっぱり肌の肌理は細かくて色白ですね。どこにもケガや傷跡などないですか」
 なんか、ちょっと怪しくない?この雰囲気?
 「まるで身売りする前の乙女の気分なんですが」
 そう突っ込むと、イマリさんがフフフと笑う。
 「私、ルチカさんからサクラ様のことを聞いてすぐにでも会いたいと思っていましたから。元気な姿を確認できてうれしいです」
 だって、ハナさんはちょっと目を離すとすぐに”幻さん”になってしまいますから。
 全く、意味が分からないんですが。
 「私ね、来週から住み込みでサクラさんのお店で働くことになってるんですよ。しかもサクラさんと同じ部屋だそうです」
 そういうと彼女は、ミセイエルからハナを紹介された時と同じように深々と頭を下げた。
 「どうぞよろしくお願いします」
 
 ホンワカとする女性2人とはうってかわって領主鄭の貴賓室の男2人。
 「キリの娘はまだやって来ませんか」
 待ち人来ずの状況に人差指でイライラと机をたたく絶世の美男の領主に向けたその微笑みの冷たかったこと。
 ヒ~
   
 (ぎやー。なにか一波乱起こりそうです)
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