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あさお様の招待を、さてどうしましょ?
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ハ~
領主鄭の離れにあるイマリの部屋に戻ったサクラは大きな息を一つ吐いた。
「お月さまは綺麗だったけれどなんだか疲れたね」
「まさか、ヨンハ様が乱入して来るとは思いませんでした。大きな誤算です」
「私も世の中の女の子が騒ぐ気持ちがよ~くわかった。天界人の偉い方はびっくりするほど綺麗な顔で、スマートな動きなんだね。隣に立ってた人も存在感あったし。その上凄い特殊能力が使えるなんて。絶対お近づきになりたくないわ」
「ヨンハ様に近づきたくないっていう女はサクラ様ぐらいです」
そういうイマリの顔の前にサクラが人差指を立てて左右に振る。
チッチッチッ!
「イマリさん、私のことは様付けで呼ばないでって言ったでしょう」
「でも、サクラ様はわたしの先生ですし」
「だったら、イマリさんにはお菓子の作り方を教えないから」
「では、なんとお呼びすればいいですか?」
「子供の頃の愛称で呼んでほしいな」
「子供の頃のことを覚えておいでるんですか?」
「うん、断片的だけど時々浮かんでくる。育ったのはこことよく似た田舎で祖母と2人暮らしで、愛称はサーヤだったな」
ちょっぴり寂しくはあったけれど、穏やかで優しく決して不幸ではない懐かし思い出だ。
「ね、イマリさん。よかったらサーヤって呼んでくれないかな」
「サーヤ様ですか?」
「だから、様は無しで。大体天界人のイマリさんが地上人の私を様付けで呼ぶなんておかしいでしょ」
「私は、天界人といっても家柄も身分も下っ端のまた下で、特殊能力なんて天界と地上を行き来するぐらいしか出来ませんから」
「じゃあ、私もイマリ様と呼ぶことにするけどいい?」
「・・・、じゃあサーヤさんとお呼びします」
「さんも無しで!」
「・・・」
こうして、呼び名の折り合いがついた。
「ところで、サ、サ、サーヤさ・・・月見の時に子供の頃のことを仰っていましたよね。どの程度記憶が残っているのですか?」
イマリがサクラの記憶を確認する。
問われたサクラが、そうだね~と首を傾け、ぽつりぽつりと話し始める。
「挨拶が出来なかった時や、食事マナー違反をした時には、駄目よサーヤと窘める上品な祖母と困った顔の幼い自分の映像がはっきりと浮かぶの。それに、月見の時に話したようなアサオとの楽しい思い出の場面もいくつか覚えているわ」
「じゃあ、ご主人との記憶はどうですか?」
聞かれたサクラが顔の前に左手を翳して見せた。
プロポーズされた記憶も、エンゲージリングを貰った記憶も、結婚式の記憶も無いのに左手の薬指に指輪があるのがとっても不思議だ。
「誰かの指輪を預かっているのかもしれないわ。だって、書かれているメッセージがM to H。 SじゃなくてHなんてもろ他人の物でしょ?本当に夫なんていないんじゃないかしら」
しかし、夫?の精悍な顔に行ってらっしゃい、やおかえりなさいのキスをする自分の映像も浮かぶから混乱する。
自信無げに呟くサクラに、今すぐミセイエルを引っ張てきたい衝動をなんとか抑えたイマリが強い口調で言い放つ。
「でも、指輪を外さずにいるってことは、事ある事に記憶にあるご主人に痛いくらい愛していると言われていたのではないですか」
え?見ていたんですか?(もちろん見ていました)
言い当てられて思わず顔に血が上る。
彼女が言うように、彼は視線が合うと精悍な顔つきがとろけるほどに甘くなり、可愛い僕の奥さん、愛してる、思いっきり抱きしめてもいい?今日こそベッドを共にしよう!などと、歯の浮くような恥ずかしいセリフを並べ立てるのだ。
サクラが幻の夫と記憶の中の男を呼ぶのにはこのセリフのせいもある。
夫婦なのに、抱きしめてもいい?なんて許可を乞うだろうか?
まして、今日こそベッドを共にしよう!などというはずがない。
つまりは、経験がない自分の妄想結婚なのだと思えば納得できた。
「じゃあ、サーヤさんの子供の頃の記憶はおばあ様と、時々訪ねて来る年上のアサオ様との思い出が数場面に、最近ではご主人と思われる男の人と過ごした数場面だけですね」
頷くサクラにイマリが駄目を押した。
「では、それ以外の男の方の記憶はないのですね」
例えば、ヨンハ様の婚約者として天界で過ごした記憶など・・・
イマリが口にしなかったセリフがあるように、サクラにも言えなかったことがある。
それは、緻密で繊細な桜花が連なる見事な細工のピアスの映像で、それを思い出すたびに胸が締め付けられるように切ない記憶だ。
話を聞き終えたイマリは明日の朝早くにここを出発しようと言い出した。
始発のバスなど待っていたら、あさお様に引き止められてここに留まることになり、五穀豊穣祭の招待を受けることになりかねないし、下手をすれば、ヨンハ様に祇家に連れ込まれるかもしれないと、怖いことをいう。
「わたし、朝一番に調理場の買い出し係の人に車に乗せて頂けないか交渉してみます」
ここぞという時には即モーションを起こして解決策を模索するイマリは頼もしいお友達だ。
結果、2人は3時に起きて、礼状(置手紙)を残すと4時に出発する車に乗って、領主鄭を出た。
言い訳に、残して来た牛や鶏に会いたくなったというと買い出し人には不思議な顔をされたが、自家製のチーズや、卵を提供すると提案すると、運転手の機嫌は俄然よくなり話も弾んで、夜道のドライブはそこそこ楽しいものだった。
『あさお様。大変お世話になりました。キヌア一の賢人といわれるあなた様の下にこれ以上いると、身動きが取れなくなりそうなので、朝早く出発することにいたします』
ヴ~
反対に、領主鄭ではあさお様が、手にした礼状を読み終えてうなり声をあげていた。
始発のバスは朝6時だとたかをくくっていた自分が恨めしい。
朝、もう一度当家の五穀豊穣祭に出席するように説得するつもりだったのに、まさか買い出し人の車を利用するとは思いもよらなかった。
一本取られたかな?でも次はそうそう上手くはいかないよ。
***
こうしてヨンハが初デートを申し込んだのに対して、夫のミセイエルといえば。
「ミセイエル様、キヌアの領主様から本日も招待状が届いておりますよ」
天界人の獣医を空間移動した件を問題化しないためにキヌアの領主に提案した鼻薬が効きすぎたようだ。
「貴国の内需拡大のため豊富に取れる農産物や畜産物の化工保存とその機械化に伴う技術や資金を提供しますよ」
領主はこの提案に大いに乗り気で、すぐさまミセイエルと会って具体的な話がしたいと毎日のように電話やメールや招待状が届く。
「一緒に評判のチーズタルトも添えられておりましたが、おひとついかがですか」
秘書に勧められたが、元々甘い物が苦手なミセイエルは首を横に振る。
「いや、いいよ。甘い物で僕が食べるのはハナが作るものだけだ」
「それはまた、ご馳走様です。タルトをいただく前に胸やけを起こしそうですわ」
ベテラン秘書の嫌味にも動じることなく企業デターの集結するパソコンから目を離さない。
「そろそろ招待のお断りを直接お電話口でして頂きませんと何時までもお誘いが終わりませんわ。その時に感想を聞かれたらお困りになりませんか?」
「そうだな、じゃあ君の感想を聞かせてくれ」
なんとまあ素っ気ない返事に秘書はそれ以上件のタルトを勧めるのを諦めて試食にかかり、感想を述べる。
「チーズが濃厚なのに後味がさっぱりしてて、土台のクッキーのサクサク感がいいですね。双方の相性が抜群で口の中で上手く調和してます。しかも甘さ控えめで小粒ですから甘い物の苦手な方のために工夫してあるって感じがします」
そんな感想に、ミセイエルのキーボードを叩く手が止まり視線は銀の皿に並べられたタルトに落ちる。
甘い物が苦手な者のために工夫されたタルト。
それはミセイエルにとって忘れられないキーワードだった。
ミセイエルさん、これを食べてみませんか?
頭の中にハナの少し不安げで控えめな声が響く。
自信があるのかないのか、声とは裏腹にどうだとばかりに盛られたタルトの山。
もちろん君の勧めるものなら泥団子だって食べてみせるよ。
からかい半分本音半分でそう言うと、どうぞと、少し丸みのある手がタルトをつまみ僕の口元まで持ってくる。
ア~ン
苦手な菓子でもハナに食べさせてもらえるなら話は別だ。
口を開けて2つ目を要求すると、はにかみ顔が輝くようなドヤ顔に変わり、さらに僕をメロメロするようなことを言う。
甘い物の苦手なあなたのために工夫してみました、と。
君が僕のために工夫してこれを作ったの?
驚く僕にハナがあの春の日の桜の木の下でくれた笑顔でニッコリと微笑む。
必要以上に妻を甘やかす夫への妻からのささやかな感謝の気持ちです。
ありがとう。ミセイエル。
そう言われたことが、名前を呼ばれたことが、笑ってくれたことが、嬉しくて嬉しくて。
じゃあ僕からも感謝をと彼女をやんわりと抱きしめてその柔らかな唇にキスを落した。
いつもは速攻で平手が飛んで来るのだが、この時ばかりは僕の腕の中で真っ赤になって固まったままだった。
その初々しさも僕のものだと思うと幸せに胸が詰まった。
この日から彼女をそっと抱きしめて軽いキスをすることを許されて、行ってらしゃいのキス、お帰りなさいのキス、おやすみなさいのキスが出来るようになった。
やっと夫婦としての一歩を踏み出せて、君との距離が少ずつ埋っていくはずだったのに。
君が側にいないことが歯がゆいいよ。
居場所がわかればどこまでだって迎えに行くのに。
そこまで思考が流れてハナに似ているという娘のことを思い出した。
「このタルト、キヌアのキリとかいう洋菓子店で売られているのだったか?」
「ええ、なかなか手に入らない幻のタルトとして有名ですわ」
「近日中にキヌアの領主との対談を受ける。スケジュールを調整できるか?」
「え?まあ日時指定なしの半日ぐらいなら何とかなりますが、まさか行く気になられたのですか?」
「対談は15分程度、場所はキリの洋菓子店の近くという条件を出してくれ」
それはいったい?訝しがる秘書の視線をかわして再びキーボードを叩く。
領主との対談は口実で、ハナに似ているという娘を見てみたいと思った。
(いよいよ、キヌアで3人が顔を合わせます。捻じれた人間関係が益々・・・、なんてね)
領主鄭の離れにあるイマリの部屋に戻ったサクラは大きな息を一つ吐いた。
「お月さまは綺麗だったけれどなんだか疲れたね」
「まさか、ヨンハ様が乱入して来るとは思いませんでした。大きな誤算です」
「私も世の中の女の子が騒ぐ気持ちがよ~くわかった。天界人の偉い方はびっくりするほど綺麗な顔で、スマートな動きなんだね。隣に立ってた人も存在感あったし。その上凄い特殊能力が使えるなんて。絶対お近づきになりたくないわ」
「ヨンハ様に近づきたくないっていう女はサクラ様ぐらいです」
そういうイマリの顔の前にサクラが人差指を立てて左右に振る。
チッチッチッ!
「イマリさん、私のことは様付けで呼ばないでって言ったでしょう」
「でも、サクラ様はわたしの先生ですし」
「だったら、イマリさんにはお菓子の作り方を教えないから」
「では、なんとお呼びすればいいですか?」
「子供の頃の愛称で呼んでほしいな」
「子供の頃のことを覚えておいでるんですか?」
「うん、断片的だけど時々浮かんでくる。育ったのはこことよく似た田舎で祖母と2人暮らしで、愛称はサーヤだったな」
ちょっぴり寂しくはあったけれど、穏やかで優しく決して不幸ではない懐かし思い出だ。
「ね、イマリさん。よかったらサーヤって呼んでくれないかな」
「サーヤ様ですか?」
「だから、様は無しで。大体天界人のイマリさんが地上人の私を様付けで呼ぶなんておかしいでしょ」
「私は、天界人といっても家柄も身分も下っ端のまた下で、特殊能力なんて天界と地上を行き来するぐらいしか出来ませんから」
「じゃあ、私もイマリ様と呼ぶことにするけどいい?」
「・・・、じゃあサーヤさんとお呼びします」
「さんも無しで!」
「・・・」
こうして、呼び名の折り合いがついた。
「ところで、サ、サ、サーヤさ・・・月見の時に子供の頃のことを仰っていましたよね。どの程度記憶が残っているのですか?」
イマリがサクラの記憶を確認する。
問われたサクラが、そうだね~と首を傾け、ぽつりぽつりと話し始める。
「挨拶が出来なかった時や、食事マナー違反をした時には、駄目よサーヤと窘める上品な祖母と困った顔の幼い自分の映像がはっきりと浮かぶの。それに、月見の時に話したようなアサオとの楽しい思い出の場面もいくつか覚えているわ」
「じゃあ、ご主人との記憶はどうですか?」
聞かれたサクラが顔の前に左手を翳して見せた。
プロポーズされた記憶も、エンゲージリングを貰った記憶も、結婚式の記憶も無いのに左手の薬指に指輪があるのがとっても不思議だ。
「誰かの指輪を預かっているのかもしれないわ。だって、書かれているメッセージがM to H。 SじゃなくてHなんてもろ他人の物でしょ?本当に夫なんていないんじゃないかしら」
しかし、夫?の精悍な顔に行ってらっしゃい、やおかえりなさいのキスをする自分の映像も浮かぶから混乱する。
自信無げに呟くサクラに、今すぐミセイエルを引っ張てきたい衝動をなんとか抑えたイマリが強い口調で言い放つ。
「でも、指輪を外さずにいるってことは、事ある事に記憶にあるご主人に痛いくらい愛していると言われていたのではないですか」
え?見ていたんですか?(もちろん見ていました)
言い当てられて思わず顔に血が上る。
彼女が言うように、彼は視線が合うと精悍な顔つきがとろけるほどに甘くなり、可愛い僕の奥さん、愛してる、思いっきり抱きしめてもいい?今日こそベッドを共にしよう!などと、歯の浮くような恥ずかしいセリフを並べ立てるのだ。
サクラが幻の夫と記憶の中の男を呼ぶのにはこのセリフのせいもある。
夫婦なのに、抱きしめてもいい?なんて許可を乞うだろうか?
まして、今日こそベッドを共にしよう!などというはずがない。
つまりは、経験がない自分の妄想結婚なのだと思えば納得できた。
「じゃあ、サーヤさんの子供の頃の記憶はおばあ様と、時々訪ねて来る年上のアサオ様との思い出が数場面に、最近ではご主人と思われる男の人と過ごした数場面だけですね」
頷くサクラにイマリが駄目を押した。
「では、それ以外の男の方の記憶はないのですね」
例えば、ヨンハ様の婚約者として天界で過ごした記憶など・・・
イマリが口にしなかったセリフがあるように、サクラにも言えなかったことがある。
それは、緻密で繊細な桜花が連なる見事な細工のピアスの映像で、それを思い出すたびに胸が締め付けられるように切ない記憶だ。
話を聞き終えたイマリは明日の朝早くにここを出発しようと言い出した。
始発のバスなど待っていたら、あさお様に引き止められてここに留まることになり、五穀豊穣祭の招待を受けることになりかねないし、下手をすれば、ヨンハ様に祇家に連れ込まれるかもしれないと、怖いことをいう。
「わたし、朝一番に調理場の買い出し係の人に車に乗せて頂けないか交渉してみます」
ここぞという時には即モーションを起こして解決策を模索するイマリは頼もしいお友達だ。
結果、2人は3時に起きて、礼状(置手紙)を残すと4時に出発する車に乗って、領主鄭を出た。
言い訳に、残して来た牛や鶏に会いたくなったというと買い出し人には不思議な顔をされたが、自家製のチーズや、卵を提供すると提案すると、運転手の機嫌は俄然よくなり話も弾んで、夜道のドライブはそこそこ楽しいものだった。
『あさお様。大変お世話になりました。キヌア一の賢人といわれるあなた様の下にこれ以上いると、身動きが取れなくなりそうなので、朝早く出発することにいたします』
ヴ~
反対に、領主鄭ではあさお様が、手にした礼状を読み終えてうなり声をあげていた。
始発のバスは朝6時だとたかをくくっていた自分が恨めしい。
朝、もう一度当家の五穀豊穣祭に出席するように説得するつもりだったのに、まさか買い出し人の車を利用するとは思いもよらなかった。
一本取られたかな?でも次はそうそう上手くはいかないよ。
***
こうしてヨンハが初デートを申し込んだのに対して、夫のミセイエルといえば。
「ミセイエル様、キヌアの領主様から本日も招待状が届いておりますよ」
天界人の獣医を空間移動した件を問題化しないためにキヌアの領主に提案した鼻薬が効きすぎたようだ。
「貴国の内需拡大のため豊富に取れる農産物や畜産物の化工保存とその機械化に伴う技術や資金を提供しますよ」
領主はこの提案に大いに乗り気で、すぐさまミセイエルと会って具体的な話がしたいと毎日のように電話やメールや招待状が届く。
「一緒に評判のチーズタルトも添えられておりましたが、おひとついかがですか」
秘書に勧められたが、元々甘い物が苦手なミセイエルは首を横に振る。
「いや、いいよ。甘い物で僕が食べるのはハナが作るものだけだ」
「それはまた、ご馳走様です。タルトをいただく前に胸やけを起こしそうですわ」
ベテラン秘書の嫌味にも動じることなく企業デターの集結するパソコンから目を離さない。
「そろそろ招待のお断りを直接お電話口でして頂きませんと何時までもお誘いが終わりませんわ。その時に感想を聞かれたらお困りになりませんか?」
「そうだな、じゃあ君の感想を聞かせてくれ」
なんとまあ素っ気ない返事に秘書はそれ以上件のタルトを勧めるのを諦めて試食にかかり、感想を述べる。
「チーズが濃厚なのに後味がさっぱりしてて、土台のクッキーのサクサク感がいいですね。双方の相性が抜群で口の中で上手く調和してます。しかも甘さ控えめで小粒ですから甘い物の苦手な方のために工夫してあるって感じがします」
そんな感想に、ミセイエルのキーボードを叩く手が止まり視線は銀の皿に並べられたタルトに落ちる。
甘い物が苦手な者のために工夫されたタルト。
それはミセイエルにとって忘れられないキーワードだった。
ミセイエルさん、これを食べてみませんか?
頭の中にハナの少し不安げで控えめな声が響く。
自信があるのかないのか、声とは裏腹にどうだとばかりに盛られたタルトの山。
もちろん君の勧めるものなら泥団子だって食べてみせるよ。
からかい半分本音半分でそう言うと、どうぞと、少し丸みのある手がタルトをつまみ僕の口元まで持ってくる。
ア~ン
苦手な菓子でもハナに食べさせてもらえるなら話は別だ。
口を開けて2つ目を要求すると、はにかみ顔が輝くようなドヤ顔に変わり、さらに僕をメロメロするようなことを言う。
甘い物の苦手なあなたのために工夫してみました、と。
君が僕のために工夫してこれを作ったの?
驚く僕にハナがあの春の日の桜の木の下でくれた笑顔でニッコリと微笑む。
必要以上に妻を甘やかす夫への妻からのささやかな感謝の気持ちです。
ありがとう。ミセイエル。
そう言われたことが、名前を呼ばれたことが、笑ってくれたことが、嬉しくて嬉しくて。
じゃあ僕からも感謝をと彼女をやんわりと抱きしめてその柔らかな唇にキスを落した。
いつもは速攻で平手が飛んで来るのだが、この時ばかりは僕の腕の中で真っ赤になって固まったままだった。
その初々しさも僕のものだと思うと幸せに胸が詰まった。
この日から彼女をそっと抱きしめて軽いキスをすることを許されて、行ってらしゃいのキス、お帰りなさいのキス、おやすみなさいのキスが出来るようになった。
やっと夫婦としての一歩を踏み出せて、君との距離が少ずつ埋っていくはずだったのに。
君が側にいないことが歯がゆいいよ。
居場所がわかればどこまでだって迎えに行くのに。
そこまで思考が流れてハナに似ているという娘のことを思い出した。
「このタルト、キヌアのキリとかいう洋菓子店で売られているのだったか?」
「ええ、なかなか手に入らない幻のタルトとして有名ですわ」
「近日中にキヌアの領主との対談を受ける。スケジュールを調整できるか?」
「え?まあ日時指定なしの半日ぐらいなら何とかなりますが、まさか行く気になられたのですか?」
「対談は15分程度、場所はキリの洋菓子店の近くという条件を出してくれ」
それはいったい?訝しがる秘書の視線をかわして再びキーボードを叩く。
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