優しい時間

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仮装パーティー その2

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 『サクラさんのその指輪は、私が無くしたものです。返してください』
 自分に似た女がそう言ってニッコリと笑う。
  『エンゲージリングは肌身離さず身に着けていて欲しいんだ』
 精悍な顔をとろけさせた夫(仮)が魅力的なバリトンを響かせて甘い声で囁く。 
 指輪をはずしてから頭の中で流れる2つの映像がクラッシュバックする今のサクラの心は不安定で平常心に欠けていた。
 加えて経験のない過激な仮装と美形からの猛アタック。
 それは・・・軽くなった左手のせいだろうか。

 「かわいい!カワイイ!可愛いよ!できることなら今すぐ天界に持ち帰りたい」
 カワイイを連発するヨンハ様の綺麗すぎる素顔にはひげのペイントもなくプラチナブロントの頭から形の良い猫耳が立っているだけの仮装で、特に着ぐるみを着ているわけでもなく細身のボディーにフィットする白のタキシードを着ているだけなのだが、ちゃんと白猫王子に見えるから不思議だ。
 それに比べサクラはというと。
 白のパイル地で出来た着ぐるみの服はどういう訳かお尻の形がわかるようなフィット感抜群のしっぽ付き超ミニショートパンツに白のタイツ。
 出るとこ出てない小枝のボディーラインだね、って声を揃えて言わないで~!
 足元は普段は絶対はかない超ハイヒールのショートブーツで、歩くたびにカクンとなるよちよち歩きの不細工さは自覚しています。
 手にはピンクの肉球模様がついたミトンを嵌めていて、手の機能を半分もはたせない!
 顔は舞台メークなみの化粧が施されて何処にもサクラのパーツが残っていない。
 ナツに顔をいじられながら、私の顔はキャンバスじゃないです!と文句を言ったら目じりに泣きボクロを追加された。
 壁塗りファンデと赤いチークが華やかさを出し、鼻先を黒に塗り両頬には銀色のひげが3本ずつ描かれている。
 丸い目は黒のアイラインのせいでネコ目のようにアーモンド形につり上がって見えて。
 可愛さの中に色気が漂っていると言われても・・・
 頭は目の前の男と同じ色のプラチナブロントのカツラが乗せられてそこからカワイイネコ耳がのぞいている。
 朝から全身に施された仮装変身術に、周りの皆さんにこれでもかと言うほど文句を垂れ、何とか白猫仮装を回避したかったのだが。
 「良く化けたねえ。エロ可愛い娘になったじゃないか。パッと見には普段の中学生サクラだとは思わないよ」
 とキリ母さんに言われて見事に撃沈。
 今に至る。
 「私が誰か分かるんですか?」
 「もちろん。僕の愛する婚約者のサクラだ」
 今引っかかる単語が出たよね。
 「婚約者?」
 首を少しだけ傾ける。
 「サクラは昔から納得できないことや疑問があって困ると首が右に少しだけ傾くよね」
 昔から?自分の無くした過去を知っている?
 自然と出る癖を言い当てられて動揺するサクラにヨンハが追い打ちをかける。
 「君は忘れてしまったようだけど僕たち一緒に暮らした事だってあるんだよ」
 「・・・ウソ」
 「ホント」
 やっと絞り出した言葉をサラリと否定された。
 「さあ、婚約者様。お手をどうぞ」
 恐ろしく整った顔が柔らかな笑みを浮かべて目の前に立っているだけでも信じられないのに。
 まるで映画のワンシーンのようにさっと優雅なお辞儀と共に右手が差し出されても・・・
 その手を取る勇気のないサクラはズルズルと後ずさる。
 婚約していて、一緒に住んでいたことがあると言われて、頭の中の夫が浮かぶ。
 だが、記憶にある自分を可愛い奥さんと呼ぶ男性と彼はあまりにも印象が違う。
 それに記憶の中の男性はこんな王子様のような優雅な所作で手を差し出したりはしない。
 夫(仮)はこんな時は強引で、有無を言わさず腰に手を回して、行くよ、と言って歩き出す。
 架空の夫とのスチュエーションが浮かび、思わずいつものように左手薬指に納まっているはずの指輪を眺めたが。
 目の前に翳した左手が軽い。
 薬指に指輪がないことを自覚した途端に頭の中にはなさんの声が響く。
 『サクラさんのその指輪は、私が無くしたものです。返してください』
 サクラは行き場を失った左手で首元にかかるチェーンを服の上からギュッと握りしめて今朝の出来事を思い出した。

「その指輪、今日だけはなさんに預けてもらえないかい」
 
 朝になって出発前のキリがサクラの左手に視線を落として言いにくそうにそう切り出した。
 あさお様から、サクラさんの代わりにゼウス様に挨拶に行くのならいつもしている指輪が無いのは不自然だ、と言われたという。
 自分の代わりに行くと言われてしまえば断りにくかった。
 それに、指輪に刻まれている文字はM to H。
 Mの頭文字を持つ人がHの頭文字を持つ人に贈ったということだろう。
 私の元の名前の頭文字はH?
 でも自分のものでない可能性もある。
 はなさんもイニシャルはH、か。
 悩んだ末に、サクラは頭の中に甘く響く夫(仮)の『エンゲージリングは肌身離さず身に着けていて欲しいんだ』という声に耳を塞いで指輪を抜くと、キリの手にそれをそっと落とした。

 左手に見慣れた指輪がないことがこんなにも自分を不安にさせる。
 どれだけ夫(仮)の言葉に勇気づけられ励まされていたことか。
 寂しい時や、自分が何者かわからずに不安になる時には、自分をこの上なく甘やかす映像と絶えず愛していると囁く声が大丈夫だと思わせてくれた。
 リキ母さんの言うように、いつか脳内の夫が実像となって自分を迎えに来ると思い込んでいた。
 まるでシンデレラのガラスの靴のように、いつか指輪を頼りに彼が自分を探し出して、とろけるような笑顔で、甘い声で僕のかわいい奥さんと呼んでくれる。
 だから自分は待っているだけでいいと無意識のうちに納得していた。
 物語じゃないんだからそう上手くいくはずがないのに。
 今のままじゃだめだ。
 自分からも動かねば。
 目の前の美形が自分の過去を知っていると言うのならばその糸口を掴まなければならない。
 ギュッと握り込んだ手を開いたサクラは目の前で優雅に立つ白猫の王子様の手の上に自分のミトンをそっと乗せる。
 「どうぞよろしくお願いします」
 「もちろんだよ。僕の愛する婚約者さん。繋いだこの手を2度と離さないから覚悟してね」
 伝わって来る彼の熱にサクラはたじろいだ。
 ヨンハから返されたそれはそれは美しいくとろけそうな笑みと甘い言葉に惑わされそうで体がぐらりと傾いた。
 
                  ***

 キヌアの領主鄭の貴賓室で謁見者を待つわずかな時間にミセイエルは自分の左手薬指に嵌っているエンゲージリングに視線を落す。
 ハナとおそろいのこの指輪に刻まれた文字は執着。
 attchmento、捨てられないミセイエルの思いだ。
 何があっても彼女への愛だけは捨てない。
 どこまでもハナと共にあると誓ってこの思いを指輪に刻んだ。
 ハナの指輪にはM to Hが刻まれている。
 この思いを贈るという意味を込めて作らせた。
 エンゲージリングがハナの指にあるのなら自分の執着でこちらの世界にハナを繋ぎ止めているかもしれない。
 何を捨てても君を取るから。
 お願いだから僕の前から消えないで。
 心の中で呟いてミセイエルはあの日ハナがしたように左手のエンゲージリングにキスを落した。

 「ミセイエル様、キリ洋菓子店の店主と娘が先日の御礼に来ました。どうか会ってやって下さい」
 キヌア領主の息子が貴賓室に例の親子を連れて入って来た。
 無断で特殊能力を使って天界人を送り込んだことを国際問題にしないためにキヌアの産業開発に投資と技術を提供すると申し出ると毎日のように会談の催促があった。
 ミセイエルの中でキヌアへの投資は収益よりもほとんど交流のない関係の改善だ。
 ハナに似た娘が困っていると聞いてよく考えもせずに特殊能力を使ったが、決して見返りを期待していたわけではない。
 今朝になって、ミセイエル様が招待を受けるのならと天界の主要人物が動いた。
 豊穣祭に出席するとは言ってないのだが。
 祇家はヨンハとヨンジュンが、嶺家ではヨンサンが、琉家はセシルが豊穣祭の招待を受けると報告してきたのだ。
 ヨンサンからは、オレが行くからお前が乗り出す必要はないと、最後まで領主鄭訪問に反対されたのだが。
 それを鼻で笑い飛ばす。 
 ハナに似た娘がお礼を言いたいと領主鄭に来ると聞けばデリカに留まって仕事をすることはもちろん、豊穣祭の招待を辞退することは考えられなかった。

 案内されて平伏したまま入って来た2人が一段低いところで顔を伏せたまま立ち止まった。
 90度に腰を折ったまま微動だにしない小柄な娘の後頭部にある艶やかな黒髪に思わず目が奪われる。
 「頭を上げてください」
 領主の息子に言われて頭を上げた娘を見て、ミセイエルは自分の鼓動が一気に跳ね上がるのを自覚する。
 聞いている年令より幼い印象の顔にあるのは白磁の肌と煌く黒曜石の目とふっくらと小さい唇。
 ストレートで艶のある黒髪はハナのトレードマークとも言えるお下げに編んでいた。
 ハナに似ていると聞いてはいたが、これ程とは。
 まさか、ハナ?と思えるほど彼女はハナだった。
 「ゼウス様キリ洋菓子店のキリと娘のサクラです。2人ともご挨拶とお礼を申し上げなさい」
 言われて娘が天界で見せるスカートの両端をつまんで膝を折ったお辞儀をした。
 ハナがタカネコートで見せた優雅だが見る者を威圧する所作とまではいかないものの、なかなか鍛えられている。
 「ゼウス様。先日はうちの牛を助けていただいてありがとうございます」
 ちょっと舌足らずにも聞こえる癖のあるしゃべり方と透明感のあるソプラノボイスまでが似ていた。
 だがハッキリと言い終えた彼女のニッコリと微笑む顔を見て一気に上がった熱が冷めた。
 何故なら春の日差しを感じない彼女の笑顔は自分の心を1ミリも動かさないし1℃も暖めてはくれなかったから。
 「お役に立ててよかったです。これからも甘い物が苦手な人が楽しめるお菓子を作って下さい」
 淡々と返す。
 「食べて頂けたんですか?」
 期待の籠った瞳を煌かせて問いかけられたがすげない言葉が口を吐く。
 「私が食べる甘ものは妻の作る物だけです」
 それに答える形で彼女が気になる言葉を口にした。
 「私の夫も甘い物は苦手な人です。夫のために工夫したのが例のチーズタルトなんです」
 勘違いしそうだからその顔でそのセリフを吐かないで欲しい。
 「お若く見えますが、結婚されているのですか?」
 自制心をかなり使い何気なさを装って尋ねた質問に、使い方は間違っているものの彼女はハナの癖までも披露した。
 首をわずかに傾けて柔らく笑いながら左手をスーッと目の前に翳すとハッキリと言ったのだ。
 「ええ。夫から貰ったエンゲージリングは、彼の希望で肌身離さず身に着けています」
 その仕草にミセイエルの自制心は吹っ飛んだ。
 思わず身を乗り出して、自分の前に突き出された彼女の左手をつかみ取った。
 
 ・・・君は誰?
 
 (サクラさん、ミセイエルさん、イミテーションに惑わされてはいけませんよ)
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