騎士は碧眼と月夜に焦がされて

ベンジャミン・スミス

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第一章 仮面の男たち

第二話 仮面舞踏会

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 マーカスター通りのパブ『カリファ』へ行く途中、ほとんど人は見かけなかった。しかし近くになるにつれ酒に酔った男とそれに寄り添う女という何とも夜らしい風景が広がりだす。
路地裏に入り込み、ブライアンから受け取った仮面を身につけると、視界が一気に狭くなり歩きづらい。フードを被っている事もあり、誰もこの仮面の男が領主だと気が付く事なく『カリファ』に到着した。
 《CLOSE》と掛札が下がる木の扉を押すと、蝋燭の炎と美味しそうな匂い、そして白煙が立ち込めパブらしい空間だった。入ってすぐ、少し体格の良い上半身裸の男にマスクを着けているかを確認される。

「何とも良い男が来たもんだな」

マスクに覆われていない口元に視線を送り、ルーカスのまだ若い肌に対して体格の良い男が呟く。

「だけど、いい女はすぐ取られちまうぜ」

早くしな、と顎でしゃくった先には同じく仮面をつけた男女が小さな舞踏会を開いていた。

「どうも」

と、会釈し群衆の中に紛れ込む。 広くはないパブに20人~30人ばかしだろうか、みな最低限身なりを整えている格好ばかりで、身分など分かりはしない。ルーカスのように顔を半分だけ覆う仮面の者、全て覆っている者、女性は何の鳥の羽だろうか、大きな羽やリボンで仮面を着飾っている。この場ではそこにしかアピールポイントがないせいで、なかなか個性が出ている物が多い。

(カトリーヌは、どこだろうか)

妻の姿を探すが見当たらない。

「失礼」

あまりにもキョロキョロしすぎて人とぶつかってしまう。

「いえ……素敵な夜を」

と、ぶつかった男がにやりと笑いながら、パブの奥へ女性の腰に手を当てがい消えていく。

「そちらもね」

男女が消えていった方を見て、そして煙の中で繰り広げられる仮面舞踏会に視線を移してため息を漏らす。

 今まさに自分は妻の不貞行為の場にいるのだ。

(やはりか……)

天を仰げば、煙たい天井で屋根は鮮明に見えない。
巷で逸る貴族のお遊び。ここではそれが開かれている。残念ながら見た感じでは、このようなパブを店じまいして開くあたり誰かが始めた真似事だろう。しかし、いくら真似事であろうと、こんな娼婦や放蕩物が来る場所に妻がいるという事はそういう事だ。

   結婚してまだ一年、騎士精神が抜けぬルーカスは、屋敷でおとなしくしていることができなかった。妻を置いて馬で視察へ出かける事が多く寂しい思いをさせてしまっていたのだろう。
だが、それとこれとは別だ。いくらカトリーヌが刺激を求めているとはいえ、このような危ない場所に置いておくわけにはいかない。
ルーカスはもう一度見渡し妻を探す。

(髪の色は……どのようなものであっただろうか)

ハッキリと思い出すことができない妻の姿。まるで本来の姿も仮面をつけているかのように思い出すことができない。しかしそんなルーカスの鼻が妻を確認する。その匂いはわざわざ彼女の為に南の国から取り寄せた香水だった。野生児のようにスンスンと匂いを辿れば、今まさにパブの隅で男と熱い抱擁を交わす女がいた。キスをしてしまうくらいの距離で何かを囁きあい、奥へと消えていこうとする。その一瞬見えた髪色がルーカスの記憶を刺激した。狙いをつけ二人の元へ向かうが、間一髪間に合わず、奥へと消えて行ってしまう。
 一息おいて開けた扉の先には、パブの煙から解放された暗い廊下が広がり…

「一人は無理だぜ?」

と、用心深く見張りまでいた。それにただの見張りではないだろう。

「通してもらうのは?」
「無理だ。まっ、金次第だけどな」

ポケットから革袋を出す。

「いくらだ」
「何だい兄さん、覗きの趣味でもあるのか?」

と、クツクツ笑いながら冷やかしてくる男だったが、ちゃっかり手だけは出していた。

「金貨二枚だ」

(ぼったくりめ)

普段ならそうでもないが今はかなりの大金だ。こんな事になるとは思っていなかった為、直ぐには用意できない。
この男をどうにか力技で突破しようかと考えているその時だった。

「相手がいれば問題ないだろう?」

背後から声がして振り向くと、自分より少し背の高い男がいた。仮面は珍しく、片目が割れている。

「別に男同士でもいいぜ。そういう趣向の奴もいるからな。銀貨一枚だ」

どちらにしても金は取られるようだ。むしろこれが運営費に充てられているのだろう。

「問題ない」

革袋から銀貨一枚を渡し、背後の男と暗い廊下を進む。
 パブの見た目はレンガ造りだったが、奥は昔の木造のままで、建て付けの悪いドアから熱を帯びた声がする。できれば妻の部屋を探りたい所だったがどこにいるか全く分からない。
それに謎の男が後ろからついてきている。

「お、おい」

男が鍵のかかっていない部屋にルーカスを連れ込む。中は真っ暗で方角的に月明りですら少ししか入り込んでこない。その微かな光で確認できるのは部屋にはお粗末なベッドだけが置いてあり、隅に使いかけの半分溶けたローソクと受け皿だけが転がっていた。それを拾い、懐から何かを出した男が作業をしだす。カッカッと音がしたかと思うと蝋燭に火が灯った。
それを床に置き、男はルーカスと対峙する。

「助かった、礼を言う」
「礼など不要です」

低い声だ。しかし敵意は感じない。

「助けてもらって申し訳ないが、俺には男とする趣味はない。それに人を探している」
「お手伝いを?」

妙に献身的な男に警戒する。

「何故だ?」
「何が?」
「何故そこまでしてくれる。金か」
「いえ。あなたこそ誰を探しておいでか」
「…答える必要はない」

踵を返し部屋を去ろうと扉に向かった瞬間、不覚にも腰に手を回され、グッと距離が近くなる。無理矢理振り向かされた顔と身体が男の姿を確認する。仮面から覗く蝋燭の炎に照らされた碧眼は美しく、触れる胸は逞しかった。髪色だけは分からなかったが明るい色ではないだろう。

「……」

見とれていると、男に顎を取られ、その手の親指がルーカスの下唇をスーっと撫でる。

「殺して差し上げましょうか?」

そう言い放つ男に危機感を募らせなかったのは、それが自分に向けられている物ではないと殺気から感じ取ったからだった。

「あなたの探している人を」
「……」

 不貞をはたらいている妻、普通なら恨み、憎しみ、身を焦がす思いだろう。しかし、そんな気持ちは毛頭なかった。
 ルーカスがカトリーヌに抱く気持ちは初めて会った時から変わらない。主の息女に対する、騎士の宮廷的愛だけだった。それは騎士ならば誰もが持っていているものだ。ある種の忠誠心的なもので、決してそこに淡い気持ちなどない。
 だが、火薬の発達で騎士が没落しだしたあの時代、それが珍しかったのか、それを愛だと勘違いしたカトリーヌはルーカスを愛してしまったのだ。そしてルーカスは主からの「娘とどうか?」という言葉に主従として逆らう必要性を感じずに快諾した。

「結構だ。憎いわけではない」
「では、なぜこんなところにいらっしゃるので」
「一種の擁護的なものだ」
「愛はないと?」

どこまでルーカスの行動を把握しているのだろうか、まるで妻を探しているのを知っているような口ぶりだ。

「ない」

ハッキリと言い放った。そこに嘘はない。

「そうですか」

そして下唇から指は離れていき

「んっ」

男の唇が重なっていた。
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