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第一章 仮面の男たち
第三話 仮面の接吻
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触れるだけのキスはすぐに離れていった。何が起こったか分からないルーカスは放心状態で、男の碧眼を見つめることしかできなかった。
その碧眼が瞬きをし伏し目がちになる。
「失礼しました」
「いや……助けてもらったのだ。これくらい構わない」
きっとこの男にはこのような趣向があり、これで済むなら安いものだと銀貨がなくなり寂しくなった革袋を思い出す。
伏し目がちだった男の碧眼が再びルーカスを射抜く。
「あまりにも純粋で真っ直ぐな目をしていたもので」
男はルーカスの仮面の下に指を入れ、目元をなぞり始める。それは母に優しくなでられている感触に近く、目を細めてしまった。
それに対して男は満足そうな微笑みを浮かべる。
「気持ちがよろしいので?」
「はっ? ……っ!」
相手が男だと思い出し距離を取ろうとしたが、相変わらず腰をがっしりと掴まれている。そのまま目元の指は頬を撫でる。
「綺麗な肌だ。お年を聞いても?」
「21だ」
「お若い」
「あんたは?」
「26になります」
その数字に驚く。
低い声は確かに大人の男の声だ、しかし話し方は丁寧で、一瞬自分が諸侯だとばれてしまったと思ったくらいだ。仮面で隠れているのに下手に出た話し方をするので年下だと勝手に思い込んでいた。
「まさか年上だったとは……無礼な口をきいてしまった」
「では、その謝罪分は……」
と、再びキスをしてくる。
「これでよいでしょう」
片目だけ割れて丸見えの目じりが優しく下がる。その優しい、包容力を醸し出す瞳に興味が湧き、もっと見たくて手を伸ばしたが、その手は鼓膜を揺らす妻の声で止まってしまう。
「どうかなさいましたか?」
ルーカスの異変に気が付き、そしてその原因である壁の向こうに視線を動かしながら男が言うが、ルーカスの意識は既に壁の向こうに持っていかれていた。
「女の声だ」
「……」
壁から聞こえる、快楽に溺れた声は、初めて聞くのに妻だとはっきり分かってしまった。
「想い人で?」
「いや、妻だ。まだ抱いたことはないが、きっとこれはそうだ」
一番最初に聞くはずだった妻の溺れる声は、悲しい、戦地で泣く女の声に聞こえる。その悲しみは自分が孤独を与えてしまったからなのか……と、ルーカスは自分を責め、握り拳を握ってしまう。
「女とはそういうものです。逸りの抒情詩や悲劇に自分がその作品の中に入ったかのようになり現実と重ねる。面白みのない現実に飽きて、非現実を追い求める。だからこそ、男は言葉巧みに惑わす必要があるのですよ。あなたはどのように奥様を口説き落とされたのですか?」
「いや……俺は何も」
全く何もしていない。
しかし自分がお付きとしてやった当然の事が彼女を物語に誘ってしまったのだ。
「では、まだ恋をしたことがないのですか?」
「そんなものに現を抜かしている暇はなかった」
「左様で」
そんな遍歴を話している間にも隣では男女の興奮が絶頂を迎えようとしていた。
「こちらへ」
眉間に皺を寄せたルーカスの耳を両手で塞ぎ、男が顔を寄せてくる。空気のくぐもった音だけが耳に反響し、五感を一つ失われただけで妙に身体のバランスが取りにくい。微笑みながら耳を塞ぐ男に
「この礼は……」
と、わざわざ耳を塞いでくれた相手に期待を込めて伝える。
「分かっております」
ゆっくり碧眼が近づき、目を瞑る。再び温かいものに包まれ、男に身体を預けたくなる。そして誰に教えてもらったわけでもないのに、自然と舌を入れ、さらなる温もりを求める。塞がれた耳の中で水音がピチャピチャと反響し、それ以外の音は聞こえず、しばらくすると水音が一つ増え激しさを増す。同情してくれているのか、男の舌は、ルーカスの舌を包み込むように絡んできて、動かすことを忘れ浸ってしまった。男の肩に手を添え、軽くしがみつけば、耳を塞ぐ手が、耳輪を撫で背中に鳥肌が立つ。
「んっ。はあっ」
自分とは思えないほどの色めいた声が出て、それに驚いた男が耳から手を離す。
「静かに」
「どうせ隣には聞こえないだろ?」
壁を一瞥し、皮肉を込めて言った言葉に男が首を横に振る。
「これ以上あなたが声を出せば、そのベッドであなたを隅から隅まで味わい尽くしたくなる」
「っ?!」
猫が皿に残るヤギの乳を一滴残らず舐めとるように、唇に舌を這わしてくる。その舌に吸い付きたい衝動を抑えて飛び上がるように身体を離す。
「すまない。失礼する」
翻したコートで蝋燭の炎が揺れる。
「次は満月の夜です」
「……」
足が止まる。
「お待ちしてます」
振り返らず部屋を出た。
もと来た道を屋敷まで戻る間、空を見上げず、ただ月明りでできた自分の影だけを見つめて歩いた。影の表情は真っ黒で、自分がどんな気持ちでいるのかを教えてはくれなかった。
その碧眼が瞬きをし伏し目がちになる。
「失礼しました」
「いや……助けてもらったのだ。これくらい構わない」
きっとこの男にはこのような趣向があり、これで済むなら安いものだと銀貨がなくなり寂しくなった革袋を思い出す。
伏し目がちだった男の碧眼が再びルーカスを射抜く。
「あまりにも純粋で真っ直ぐな目をしていたもので」
男はルーカスの仮面の下に指を入れ、目元をなぞり始める。それは母に優しくなでられている感触に近く、目を細めてしまった。
それに対して男は満足そうな微笑みを浮かべる。
「気持ちがよろしいので?」
「はっ? ……っ!」
相手が男だと思い出し距離を取ろうとしたが、相変わらず腰をがっしりと掴まれている。そのまま目元の指は頬を撫でる。
「綺麗な肌だ。お年を聞いても?」
「21だ」
「お若い」
「あんたは?」
「26になります」
その数字に驚く。
低い声は確かに大人の男の声だ、しかし話し方は丁寧で、一瞬自分が諸侯だとばれてしまったと思ったくらいだ。仮面で隠れているのに下手に出た話し方をするので年下だと勝手に思い込んでいた。
「まさか年上だったとは……無礼な口をきいてしまった」
「では、その謝罪分は……」
と、再びキスをしてくる。
「これでよいでしょう」
片目だけ割れて丸見えの目じりが優しく下がる。その優しい、包容力を醸し出す瞳に興味が湧き、もっと見たくて手を伸ばしたが、その手は鼓膜を揺らす妻の声で止まってしまう。
「どうかなさいましたか?」
ルーカスの異変に気が付き、そしてその原因である壁の向こうに視線を動かしながら男が言うが、ルーカスの意識は既に壁の向こうに持っていかれていた。
「女の声だ」
「……」
壁から聞こえる、快楽に溺れた声は、初めて聞くのに妻だとはっきり分かってしまった。
「想い人で?」
「いや、妻だ。まだ抱いたことはないが、きっとこれはそうだ」
一番最初に聞くはずだった妻の溺れる声は、悲しい、戦地で泣く女の声に聞こえる。その悲しみは自分が孤独を与えてしまったからなのか……と、ルーカスは自分を責め、握り拳を握ってしまう。
「女とはそういうものです。逸りの抒情詩や悲劇に自分がその作品の中に入ったかのようになり現実と重ねる。面白みのない現実に飽きて、非現実を追い求める。だからこそ、男は言葉巧みに惑わす必要があるのですよ。あなたはどのように奥様を口説き落とされたのですか?」
「いや……俺は何も」
全く何もしていない。
しかし自分がお付きとしてやった当然の事が彼女を物語に誘ってしまったのだ。
「では、まだ恋をしたことがないのですか?」
「そんなものに現を抜かしている暇はなかった」
「左様で」
そんな遍歴を話している間にも隣では男女の興奮が絶頂を迎えようとしていた。
「こちらへ」
眉間に皺を寄せたルーカスの耳を両手で塞ぎ、男が顔を寄せてくる。空気のくぐもった音だけが耳に反響し、五感を一つ失われただけで妙に身体のバランスが取りにくい。微笑みながら耳を塞ぐ男に
「この礼は……」
と、わざわざ耳を塞いでくれた相手に期待を込めて伝える。
「分かっております」
ゆっくり碧眼が近づき、目を瞑る。再び温かいものに包まれ、男に身体を預けたくなる。そして誰に教えてもらったわけでもないのに、自然と舌を入れ、さらなる温もりを求める。塞がれた耳の中で水音がピチャピチャと反響し、それ以外の音は聞こえず、しばらくすると水音が一つ増え激しさを増す。同情してくれているのか、男の舌は、ルーカスの舌を包み込むように絡んできて、動かすことを忘れ浸ってしまった。男の肩に手を添え、軽くしがみつけば、耳を塞ぐ手が、耳輪を撫で背中に鳥肌が立つ。
「んっ。はあっ」
自分とは思えないほどの色めいた声が出て、それに驚いた男が耳から手を離す。
「静かに」
「どうせ隣には聞こえないだろ?」
壁を一瞥し、皮肉を込めて言った言葉に男が首を横に振る。
「これ以上あなたが声を出せば、そのベッドであなたを隅から隅まで味わい尽くしたくなる」
「っ?!」
猫が皿に残るヤギの乳を一滴残らず舐めとるように、唇に舌を這わしてくる。その舌に吸い付きたい衝動を抑えて飛び上がるように身体を離す。
「すまない。失礼する」
翻したコートで蝋燭の炎が揺れる。
「次は満月の夜です」
「……」
足が止まる。
「お待ちしてます」
振り返らず部屋を出た。
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