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ドッペルゲンガー編
⒋この世界
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零れ落ちた私の言葉に、ディアンは眉を顰め、フローライトは目を見開いた。
「…貴様、我らを謀る気ではなかろうな」
「……まさか…むしろ、冗談であってほしいのは、私の方ですよ…」
そう、冗談であれば。
しかし、どう願ったって、彼らの口から否定の言葉は出てこない。
別の世界に……どうやって?
あの時、道場の床にあいた穴に落ちて?
何故?
どうすれば帰れる?
紡がれる問いに、答えを返せる者はここにはいなかった。
父には、模擬とはいえ、刀を持つ者として常に冷静であれと教えられた。
それが己の身を、そして守りたいものを守る為に最善の道だと。
だが、いくら冷静になったところで、どうなるというのだろう。
世界への帰り方など、私には分からない。
もう……帰れないのだろうか。あの道場に。あの家に。父にも母にも、会えないのか。
「ーーー泣かないで」
その時、ふわりと頬に暖かさを感じた。
記憶の中へ沈んでいた意識が戻ると、目の前にフローライトが立っていた。そして、手を伸ばして私の目元を指で拭っている。
私と同じ顔で、でも私にはできない柔らかい笑みを浮かべていた。
「えっと、タチ、バナ、様?」
発音が難しいのか、少しだけ辿々しい言葉に、思わず目尻が下がる。
「蛍、と。橘は家名ですので」
「そうなの? では、ケイ様。どうぞ屋敷へおいでなさってください」
「お、お嬢様!」
驚きに目を見張る私と、ギョッとした顔のディアン。
こんな素性の知れない者を家にあげようというのだ。彼のような反応にもなろう。
それでも、フローライトはニコッと微笑み私の手を握った。
「ね?」
小さく首を傾げる姿は、私と同じ顔と声とは思えないほど可愛らしいものだった。
それでも、どこか気品の感じられる動作なのは、公爵家という貴族の「お嬢様」だからだろうか。
フローライトの言葉に、私は流されるように頷いていた。
**********
フローライトに手を引かれ、屋敷の中へ入った私は一つの部屋へと案内された。
広い部屋の中央に配置されたテーブルとソファがあり、そこへ促され腰を下ろす。その隣に彼女も座った。
「落ち着きました?」
「……はい」
微笑んで顔を覗き込んでくるフローライトに、頷いてみせる。それに嬉しそうに笑みを深めた。
そんな彼女に、私は思わず口にした。
「…良いのですか? 私のような素性の知れない者を屋敷に入れて」
「ここは公爵家の屋敷といっても、私の為の離れのようなものなのです。私が許可を出せば、問題はありません」
ニコリと笑うフローライトに、そうではないと首を横に振る。
しかし、それにも彼女は綺麗に微笑むだけだ。
そして、どこか楽しげな瞳を私に向ける。
「どうしてでしょうね。何故か貴女からは、どこか、懐かしいような気持ちを感じている私がいるのです。初めてお会いしたはずなのに」
「…そうですね。私もです」
それは、同じ顔や声をしているから、だけじゃない気がする。
曖昧な気持ちでしかないが、それでも、確かにフローライトの言うとおり、懐かしいような感情を抱く。
それが彼女も感じている事に、少しだけ驚いて、面白いなと思った。
お互いに小さく笑い合っていると、部屋のドアをノックする音が響く。
「お嬢様、お持ちしました」
「どうぞ」
フローライトが返事をすると、屋敷に入った時に別れたディアンが何かの紙筒を手にして入ってきた。
ドアを静かに閉めたディアンは、失礼します、と綺麗に一礼して歩み寄ってくると、テーブルの上に手にしていた紙を広げる。
それは、どうやら地図のようだった。
「これは…」
「この世界の地図です」
何となく予想していたとおりの言葉をフローライトから受け、私はジッと地図を眺める。
それは、私の知っている世界地図とは全く異なったものだった。
スッと地図上の一箇所をフローライトが指差す。
「ここがエレスチャル王国です。そして、ここがアリアンタ地方になります」
細長く綺麗な指がサラサラと地図の上をなぞる。
問うような視線を向けられるが、私は力なく首を横に振った。
「私の知る地図じゃない」
「そう…なら、暫くはこの屋敷にいるといいわ。部屋も用意させましょう」
「えっ」
「っお嬢様! この者が言う事を本当に信じておられるのですか?」
それまで横で控えていたディアンが、堪らずといった様子で声をかけてきた。
どこか非難するような視線をフローライトが送ると、グッと一瞬たじろいだが、真っ直ぐに彼女を見つめている。
暫く無言で睨み合いが行われていたが、溜息をついて先に折れたのはディアンの方だった。
「はぁ……分かりました。お嬢様のその顔は、ご意見を曲げない時のものですからね」
「ふふっ、よく見てるのね」
「そ、そういうわけではっ!」
クスッと笑ったフローライトの言葉に顔を真っ赤にさせ、視線を泳がせていたディアンだったが、私が見ている事に気付くと、ゴホン、と咳払いをした。
「お嬢様のお許しが出たとはいえ、俺は貴様を信じていない。本当にお嬢様へ危害を及ばさないか、判断できるまで監視させてもらう」
「構わない……しかし、本当に良いのか?」
「くどいぞ。お嬢様がお許しになった。それが全てだ」
それが、この屋敷でのルールなのだろう。ならば私がいつまでも否を返すのも失礼になるか。
ここが本当に私のいた世界ではないというのなら、他に行く当てがあるわけでもない。
心を決め、ソファから立ち上がった私は、不思議そうな顔のフローライトと緊張感の漂う顔のディアンの前。
ソファに座るフローライトの正面に立つと、そこへ膝を折り正座をすると頭を下げた。
「今日会ったばかりの私に、感謝致します」
「……まぁ」
驚いた、それもどこか面白がっている響きを持った声が耳に届く。
それから私は、フローライト・ハイルシュタインのもとで厄介になることになった。
「…貴様、我らを謀る気ではなかろうな」
「……まさか…むしろ、冗談であってほしいのは、私の方ですよ…」
そう、冗談であれば。
しかし、どう願ったって、彼らの口から否定の言葉は出てこない。
別の世界に……どうやって?
あの時、道場の床にあいた穴に落ちて?
何故?
どうすれば帰れる?
紡がれる問いに、答えを返せる者はここにはいなかった。
父には、模擬とはいえ、刀を持つ者として常に冷静であれと教えられた。
それが己の身を、そして守りたいものを守る為に最善の道だと。
だが、いくら冷静になったところで、どうなるというのだろう。
世界への帰り方など、私には分からない。
もう……帰れないのだろうか。あの道場に。あの家に。父にも母にも、会えないのか。
「ーーー泣かないで」
その時、ふわりと頬に暖かさを感じた。
記憶の中へ沈んでいた意識が戻ると、目の前にフローライトが立っていた。そして、手を伸ばして私の目元を指で拭っている。
私と同じ顔で、でも私にはできない柔らかい笑みを浮かべていた。
「えっと、タチ、バナ、様?」
発音が難しいのか、少しだけ辿々しい言葉に、思わず目尻が下がる。
「蛍、と。橘は家名ですので」
「そうなの? では、ケイ様。どうぞ屋敷へおいでなさってください」
「お、お嬢様!」
驚きに目を見張る私と、ギョッとした顔のディアン。
こんな素性の知れない者を家にあげようというのだ。彼のような反応にもなろう。
それでも、フローライトはニコッと微笑み私の手を握った。
「ね?」
小さく首を傾げる姿は、私と同じ顔と声とは思えないほど可愛らしいものだった。
それでも、どこか気品の感じられる動作なのは、公爵家という貴族の「お嬢様」だからだろうか。
フローライトの言葉に、私は流されるように頷いていた。
**********
フローライトに手を引かれ、屋敷の中へ入った私は一つの部屋へと案内された。
広い部屋の中央に配置されたテーブルとソファがあり、そこへ促され腰を下ろす。その隣に彼女も座った。
「落ち着きました?」
「……はい」
微笑んで顔を覗き込んでくるフローライトに、頷いてみせる。それに嬉しそうに笑みを深めた。
そんな彼女に、私は思わず口にした。
「…良いのですか? 私のような素性の知れない者を屋敷に入れて」
「ここは公爵家の屋敷といっても、私の為の離れのようなものなのです。私が許可を出せば、問題はありません」
ニコリと笑うフローライトに、そうではないと首を横に振る。
しかし、それにも彼女は綺麗に微笑むだけだ。
そして、どこか楽しげな瞳を私に向ける。
「どうしてでしょうね。何故か貴女からは、どこか、懐かしいような気持ちを感じている私がいるのです。初めてお会いしたはずなのに」
「…そうですね。私もです」
それは、同じ顔や声をしているから、だけじゃない気がする。
曖昧な気持ちでしかないが、それでも、確かにフローライトの言うとおり、懐かしいような感情を抱く。
それが彼女も感じている事に、少しだけ驚いて、面白いなと思った。
お互いに小さく笑い合っていると、部屋のドアをノックする音が響く。
「お嬢様、お持ちしました」
「どうぞ」
フローライトが返事をすると、屋敷に入った時に別れたディアンが何かの紙筒を手にして入ってきた。
ドアを静かに閉めたディアンは、失礼します、と綺麗に一礼して歩み寄ってくると、テーブルの上に手にしていた紙を広げる。
それは、どうやら地図のようだった。
「これは…」
「この世界の地図です」
何となく予想していたとおりの言葉をフローライトから受け、私はジッと地図を眺める。
それは、私の知っている世界地図とは全く異なったものだった。
スッと地図上の一箇所をフローライトが指差す。
「ここがエレスチャル王国です。そして、ここがアリアンタ地方になります」
細長く綺麗な指がサラサラと地図の上をなぞる。
問うような視線を向けられるが、私は力なく首を横に振った。
「私の知る地図じゃない」
「そう…なら、暫くはこの屋敷にいるといいわ。部屋も用意させましょう」
「えっ」
「っお嬢様! この者が言う事を本当に信じておられるのですか?」
それまで横で控えていたディアンが、堪らずといった様子で声をかけてきた。
どこか非難するような視線をフローライトが送ると、グッと一瞬たじろいだが、真っ直ぐに彼女を見つめている。
暫く無言で睨み合いが行われていたが、溜息をついて先に折れたのはディアンの方だった。
「はぁ……分かりました。お嬢様のその顔は、ご意見を曲げない時のものですからね」
「ふふっ、よく見てるのね」
「そ、そういうわけではっ!」
クスッと笑ったフローライトの言葉に顔を真っ赤にさせ、視線を泳がせていたディアンだったが、私が見ている事に気付くと、ゴホン、と咳払いをした。
「お嬢様のお許しが出たとはいえ、俺は貴様を信じていない。本当にお嬢様へ危害を及ばさないか、判断できるまで監視させてもらう」
「構わない……しかし、本当に良いのか?」
「くどいぞ。お嬢様がお許しになった。それが全てだ」
それが、この屋敷でのルールなのだろう。ならば私がいつまでも否を返すのも失礼になるか。
ここが本当に私のいた世界ではないというのなら、他に行く当てがあるわけでもない。
心を決め、ソファから立ち上がった私は、不思議そうな顔のフローライトと緊張感の漂う顔のディアンの前。
ソファに座るフローライトの正面に立つと、そこへ膝を折り正座をすると頭を下げた。
「今日会ったばかりの私に、感謝致します」
「……まぁ」
驚いた、それもどこか面白がっている響きを持った声が耳に届く。
それから私は、フローライト・ハイルシュタインのもとで厄介になることになった。
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