『恋のアラカルト:BL・超短編集』~どの恋が好き?~

るみ乃。

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『Café月夜 ― 月の鏡が映す、あなたへの想い ―』

「月に照らされたもうひとり」

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 その夜、街はどこか異様に静かだった。
 満月が、雲ひとつない空に浮かび、
 アスファルトの上に白銀の道を描いている。
 その光の下を、僕はひとり歩いていた。

 残業帰り、息が白くなるほど冷えた空気。
 ビルの谷間を抜けて、ふと横道に目をやると
 ――見慣れぬ看板が立っていた。

 「Cafe ―月の鏡―」

 古びた洋館のような外観。
 この辺りにこんなカフェがあったっけ……
 でも、なぜか引き寄せられるように、僕はその扉を押していた。

 「ギィ―」扉がきしみを立てて開く。
 店内は、月光を溶かしたような淡い照明に包まれていた。
 客は誰もいない。
 カウンターの奥で、白髪のマスターがゆるやかに微笑んでいた。

 「いらっしゃいませ。今夜は……満月ですね」
 「ええ、たまたま通りかかって」
 「ようこそ。――ご注文の前に、少しだけ、鏡を覗いてみませんか」

 そう言って彼が指差したのは、壁にかかる大きな鏡だった。
 月を映したように、淡く揺らめいている。

 僕が一歩近づくと、鏡の中の“僕”が、ふいに微笑んだ。
 いや、それは――僕ではなかった。

 同じ顔。けれど、瞳の色が深い。
 表情は柔らかいのに、どこか挑発的だ。

 「……誰?」
 「“影”ですよ」マスターが穏やかに告げた。
 「満月の夜、ここを訪れた人の心から生まれる影。
 本当のあなたが、向かい合いたい自分です」

 僕の“影”は、静かに椅子に腰掛けた。
 「座りませんか?」
 僕は、僕の影の向かいに腰を下ろす。

 テーブルの上には、二つのカップが置かれていた。
 香ばしいカフェオレの匂い。
 まるで、最初から二人分用意されていたように。

 影は微笑んで、カップを指でなぞる。
 「ねえ、遼(リョウ)。どうして、あの人を避けたの?」
 僕は、息を詰めた。

 「あの人」――及川(おいかわ)。
 同僚で、ずっと隣に座ってきた男。
 朗らかで、誰とでも仲良くできる。
 でも僕は、いつもその笑顔を見るたびに胸が痛んだ。

 「避けてるつもりは……」
 「嘘だね」
 影の声は、月光よりも冷たい。
 「彼に彼女ができた途端、視線を逸らした。
  昼休みに話しかけられても、笑って誤魔化した。
  本当は、触れたかったんだよね?」

 胸の奥で、何かが軋む音がした。
 僕は否定しようと口を開いたが、言葉が出ない。
 影はゆるやかに微笑んだ。
 「それでも、優しいふりをしてるんだね。
  “友達でいい”って、何度も自分に言い聞かせて」

 言葉の刃は、痛みよりも静かな熱を残す。
 僕は俯いた。
 テーブルに映る月明かりが、涙のように滲んでいた。

 「――お前は、誰なんだ」
 「僕は“欲望”じゃないよ。
  ただ、本当のあなたが隠しているもの」

 影は、指先で僕のカップを軽く押した。
 「冷めるよ。月が沈む前に、話しておかないと」

 外を見ると、夜はまだ深い。
 どこかで時間が止まっているようだった。

 僕は口を開いた。
 「……好きなんだ。及川が」
 その瞬間、胸の奥にある錠前が静かに外れる音がした。
 言葉は、思ったよりも軽かった。
 影は満足げに目を細めた。
 「やっと言えたね」

 窓の外で風が揺れる。
 影は立ち上がり、僕の隣に回り込んだ。
 そして、そっと僕の肩に手を置く。

 「ほんとうは、こうして触れたかったんでしょ」
 指先が頬を撫でる。
 温度はない。けれど、確かに感じた。
 その瞬間、僕は涙をこぼしていた。

 ――どうして、こんなに苦しいんだろう。

 影はその涙を親指で掬うような仕草をして、囁いた。
 「この想いを、もう少しだけ抱いていればいい。
  いつか、彼に届く日がくるから」

 その声に、妙な安らぎがあった。
 気づけば、店内の光が柔らかく薄れていく。
 影の輪郭も、淡く溶けていった。

 「また、満月の夜に」
 最後にそう呟いて、彼は消えた。

 残された僕の前には、ひとつのデザートが置かれていた。
 黒曜石のようなガトーショコラ。
 小さなカードに、文字が記されている。

 「影の色:深灰(しんかい)――抑えた情熱」

 カフェを出ると、夜風が頬を撫でた。
 空の月はまだ高く、街を静かに照らしている。
 ポケットの中で、スマホが震えた。
 画面には“及川”の名前。

 ――『今、飲んでる? なんか月が綺麗だなって思ってさ』

 胸が熱くなった。
 指が震えながら、返信を打つ。

 『……同じこと、考えてた』

 送信ボタンを押した瞬間、胸の奥が静かにほどけていく。
 振り返ると、さっきのカフェはもうどこにもなかった。
 代わりに、路地の奥で月光だけが揺れていた。

 あの店は、きっと幻だったのだろう。
 けれど、確かにそこにいた。
 僕の“影”――もうひとりの僕。
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