従僕と柔撲

秋赤音

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泥雨の棘

4.雨と稲妻

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ある日。
友人の家で「お泊り会をする」と家を空けた彼女。
思い返せば、海南木 煌羅螺に連れられ来て、彼女がいない日は初めてだった。
気配がしない空間に物足りなさを感じることで、自分の日常に起こる変化を実感した。
恋人ごっこと言いながら触れる彼女の温度を求める身体に戸惑った。
髪を撫でれば、こちらを向いてはにかむ彼女を思い出す。
だんだんと色気も出ているようで、湯上りは特に艶めかしく、視線を逸らすこともあった。
抱きしめればより感じる、自分より小さな体と温かさ。
「好きな相手のための料理を作る」ため料理を出せば、とても嬉しそうに食べていた彼女。
演じなくていいと言ったせいで、役ではなく自分にも興味をもたれていると錯覚しそうになる。
いつもなら嫌悪するだけだが、相手が彼女だと思えばなぜか心地よかった。

「羅輝亜さん。羅輝亜、さん」

誰もいない空虚に呟いて、返事が聞こえるようになる明日を思った。

翌日。
元気に帰ってきた制服姿の彼女が居間に足をつける。
目に入れた瞬間、考えるより先に体が動いていた。
腕の中にある温かな感触を確かめ、安心した。

「羅輝亜さん」

「は、い」

「おかえりなさい」

名義人らしく、同居人らしく、帰宅の挨拶をしてみた。

「ただいま、です」

戸惑いながら返された言葉に、心臓が心地よく揺れた。
この感覚を、文字だけで、上辺だけで知っている。
まるで理想の、家族みたいな。
一瞬見えた、幻覚の強く眩しい灯りに目がくらんで、めまいがした。


恋人役に慣れた彼女は、ついに高校生活である意味大変な二年目を過ごす。
ある時。
彼女の行動に違和感があった。
偶然にも、自分もよく知る死の衝動に関わる出来事と重なった。
気のせいであれば、と思っていた。
しかし、ついに、おそらく気のせいでないことを確信する。
いつも通りに見えて、違う様子で台所で食事の片付けを終え、自室に戻った彼女。
僕もいつも通りにしていると、気配が動いた。
荷物を持って居間に立つ彼女の手で置かれようとしている書置きらしき紙。
それは僕が生きる道であって、彼女ではない。
生気の薄い背後に腕を伸ばして抱きしめた。
動かなくなった彼女に、心から感謝しながら安堵した。

「仕事を放棄することは許さない。
死ぬときは、一緒にいくから」

僕は「片想いの相手に想いを秘めたまま執着する」役だから、淡々と言った。
きっと、この恋は叶わない。
仕事がある間だけでいいから、傍にいてほしい。
彼女が望むなら、最後の時を過ごしたい。
残念なことに死を否定しない彼女の頬を撫で、役を変えることにする。
よく知る最低なやり方で「結ばれないと知って暴走する」だけの何かになる。

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