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死地へ至るまで
命の使い方
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何度、これは夢だと思いたかったことだろう。
命の期限が決まっていたら、何をしたいか。
元気な頃は、アレコレと思いついていた気がした。
だが、見込みが甘かった。猶予があるときは、心のドコカで『大丈夫』だと思っていて危機感が足りていない。やりたいことがあるなら、動けるうちにしなければできなかった。
ベッドの上から見る景色に、見舞いにきた人の顔が歪むことが増えた。友人を、恋人を、家族を思い浮かべると心臓が痛い。痛むだけの何かを、きっと一緒に積み重ねてきた。無限大の感謝と、謝罪を。会わないことを選べる人達が、共に時間を過ごしてくれる嬉しさが未練に変わる。いずれくる死に別れる寂しさも、いつかの彼らの糧になると思いたい。
時が戻せるなら、初めからやり直そう。独りになる努力を。あるいは、小さな不調でも一応は気をつける事を。
無いものを強請るだけの元気があるのが、虚しい。
でも、いつか見た、散り際の桜と若葉が瞼に焼き付いている。
始まりは、些細なことだった。
忙しい日々の疲れが出ただけだろうと、いつものように食事をして眠っていた。
生誕月が命日月になる、というのもキリが良いかもしれない。食事制限はされなかった。世の中は、メリークリスマス。正月は何を食べようか。
梅に始まり、桜や桃。これから来る、知っている景色を思い出す。木々と草花が空の額縁のようだ。冬の冷たさに、少しずつ暖かさが加わっている。
余命宣告をされて一ヶ月が過ぎた。治療はしないことにした。根本的に治せず、対処療法しかない。頑張って延びるかもしれない三ヶ月より、副作用で日常が壊れるほうが嫌だった。いつもは優しく見える若葉の柔らかな緑が、今は辛い。予定通りでは、あと一度しかこの景色を見ることができないらしい。
まずは、なにをしよう。痛みを隠して無理に笑うかもしれない恋人と別れよう。私に未来はない。
近所の桜も咲いていた。散り際だが、綺麗だった。風に散る瞬間が短くて、『散っている』が『散っていた』の気分になる。すでにある若葉は瑞々しい。
三ヶ月が過ぎた。死ぬまでにしたいことを考えた。生きるかもしれないから、念のため休職。さあ、行きたい場所は決まっている。旅の支度をしていると、思い出す。
「本当にいいのか」
休職が受理された時、上司は言った。お子さんが同じ病で対処療法で良い兆しになっている、と言っていた。後悔はしていない。
もう五ヶ月がきた。外は暑い。体も熱い。すでに刺すような陽射しは、アスファルトとビル群に反射して人へ、植物へ、動物へ襲いかかる。ペット育ちは管理が行き届かなければ命危うい。やはり、ある程度の野生心は生き残るために必要らしい。環境へ順応する力より環境を合わせることを選んだ人間。優秀な養殖でなければならない人間は、弱い。箱庭で管理しなければ命を維持するのが難しい自分は、もっと弱い。リハビリではなく、外へ出たい。当たり前が、恋しい。
セミの鳴き声が変わる。暑さも和らぎ、リハビリも終わり。めでたい。帰ったら、旅の再開だ。
旬は変わる。煮物が食べたい。塩焼きも美味しい。旅も、家事もできることはする。頑張れば、体が痛い。痛かった。痛まなくなった。安全に行動することが難しい。疲れやすさも酷くなるばかり。旅も一ヶ月に一回、近場へ一泊二日も不安だ。
後日。友人に話すと、数秒の無言の後でニッコリ笑顔で私を見た。
「一人で行くのが難しい?旅そのものすら難しい?楽しい事なら誘って」
「いいのか?色々と回るのは難しいかもしれない」
「大丈夫。足は二本しかないし、限界がある」
その場で週末に出かける予定ができたが、今も楽しかった。当日になると、さらに楽しさは積もって輝く。少しずつ食べ切れる食事の量も減ってきて、一度に長く歩ける距離も少なくなって。私がいて本当に楽しいのだろうか。いつかを考えると気が重い。でも、ありがたい。
温泉に来た。なぜか別れようとしない恋人の、切実な声で告げられた希望だった。
「思い出をつくりたい」
「いいよ。どうせ、そのうち死ぬのだから」
恋人は苦く無言で手を握った。
場所に着けば、ますます思う。誰かに伝染る病でなくてよかった。疲れが癒える気がする。会席料理は食べ切れそうにないけど、恋人が美味しそうに食べているのが救いだった。
近くの公園を散歩していると、様々な景色が見える。落葉する前の命が太陽に照らされて、整備された大地に細やかな模様を作る。前から来て横を抜けていくランニングをする人。小さな手足と肉球で歩き疲れた動物が、飼い主に抱えられて移動する様。皆、それぞれに生きている。
葉が枯れて、冷たい空気に一瞬身が縮まりながら痛む肺に吸い込む。寒空に立つ木々は、いつか、また、葉で彩られるのだろう。
病室から見える梅が咲いた。近くには桜と、桃も植えてあると、担当医が言っていた。花が咲く頃に、車椅子でもいいから近くまで見に行こう。
命の期限が決まっていたら、何をしたいか。
元気な頃は、アレコレと思いついていた気がした。
だが、見込みが甘かった。猶予があるときは、心のドコカで『大丈夫』だと思っていて危機感が足りていない。やりたいことがあるなら、動けるうちにしなければできなかった。
ベッドの上から見る景色に、見舞いにきた人の顔が歪むことが増えた。友人を、恋人を、家族を思い浮かべると心臓が痛い。痛むだけの何かを、きっと一緒に積み重ねてきた。無限大の感謝と、謝罪を。会わないことを選べる人達が、共に時間を過ごしてくれる嬉しさが未練に変わる。いずれくる死に別れる寂しさも、いつかの彼らの糧になると思いたい。
時が戻せるなら、初めからやり直そう。独りになる努力を。あるいは、小さな不調でも一応は気をつける事を。
無いものを強請るだけの元気があるのが、虚しい。
でも、いつか見た、散り際の桜と若葉が瞼に焼き付いている。
始まりは、些細なことだった。
忙しい日々の疲れが出ただけだろうと、いつものように食事をして眠っていた。
生誕月が命日月になる、というのもキリが良いかもしれない。食事制限はされなかった。世の中は、メリークリスマス。正月は何を食べようか。
梅に始まり、桜や桃。これから来る、知っている景色を思い出す。木々と草花が空の額縁のようだ。冬の冷たさに、少しずつ暖かさが加わっている。
余命宣告をされて一ヶ月が過ぎた。治療はしないことにした。根本的に治せず、対処療法しかない。頑張って延びるかもしれない三ヶ月より、副作用で日常が壊れるほうが嫌だった。いつもは優しく見える若葉の柔らかな緑が、今は辛い。予定通りでは、あと一度しかこの景色を見ることができないらしい。
まずは、なにをしよう。痛みを隠して無理に笑うかもしれない恋人と別れよう。私に未来はない。
近所の桜も咲いていた。散り際だが、綺麗だった。風に散る瞬間が短くて、『散っている』が『散っていた』の気分になる。すでにある若葉は瑞々しい。
三ヶ月が過ぎた。死ぬまでにしたいことを考えた。生きるかもしれないから、念のため休職。さあ、行きたい場所は決まっている。旅の支度をしていると、思い出す。
「本当にいいのか」
休職が受理された時、上司は言った。お子さんが同じ病で対処療法で良い兆しになっている、と言っていた。後悔はしていない。
もう五ヶ月がきた。外は暑い。体も熱い。すでに刺すような陽射しは、アスファルトとビル群に反射して人へ、植物へ、動物へ襲いかかる。ペット育ちは管理が行き届かなければ命危うい。やはり、ある程度の野生心は生き残るために必要らしい。環境へ順応する力より環境を合わせることを選んだ人間。優秀な養殖でなければならない人間は、弱い。箱庭で管理しなければ命を維持するのが難しい自分は、もっと弱い。リハビリではなく、外へ出たい。当たり前が、恋しい。
セミの鳴き声が変わる。暑さも和らぎ、リハビリも終わり。めでたい。帰ったら、旅の再開だ。
旬は変わる。煮物が食べたい。塩焼きも美味しい。旅も、家事もできることはする。頑張れば、体が痛い。痛かった。痛まなくなった。安全に行動することが難しい。疲れやすさも酷くなるばかり。旅も一ヶ月に一回、近場へ一泊二日も不安だ。
後日。友人に話すと、数秒の無言の後でニッコリ笑顔で私を見た。
「一人で行くのが難しい?旅そのものすら難しい?楽しい事なら誘って」
「いいのか?色々と回るのは難しいかもしれない」
「大丈夫。足は二本しかないし、限界がある」
その場で週末に出かける予定ができたが、今も楽しかった。当日になると、さらに楽しさは積もって輝く。少しずつ食べ切れる食事の量も減ってきて、一度に長く歩ける距離も少なくなって。私がいて本当に楽しいのだろうか。いつかを考えると気が重い。でも、ありがたい。
温泉に来た。なぜか別れようとしない恋人の、切実な声で告げられた希望だった。
「思い出をつくりたい」
「いいよ。どうせ、そのうち死ぬのだから」
恋人は苦く無言で手を握った。
場所に着けば、ますます思う。誰かに伝染る病でなくてよかった。疲れが癒える気がする。会席料理は食べ切れそうにないけど、恋人が美味しそうに食べているのが救いだった。
近くの公園を散歩していると、様々な景色が見える。落葉する前の命が太陽に照らされて、整備された大地に細やかな模様を作る。前から来て横を抜けていくランニングをする人。小さな手足と肉球で歩き疲れた動物が、飼い主に抱えられて移動する様。皆、それぞれに生きている。
葉が枯れて、冷たい空気に一瞬身が縮まりながら痛む肺に吸い込む。寒空に立つ木々は、いつか、また、葉で彩られるのだろう。
病室から見える梅が咲いた。近くには桜と、桃も植えてあると、担当医が言っていた。花が咲く頃に、車椅子でもいいから近くまで見に行こう。
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