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127. 退院
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「内田さん、特別室に入る前にマニュアル読んで最終ページと、もう一枚の書類にサインと判子ね。採用決まった時に病院から専用の判子受け取ったでしょ?必ずそれ使って。二部あるから両方にね。これは内田さん用のマニュアルだから。」
「はい。わかりました」
「試用期間中に特別室対応マニュアル読んでおくことになってるけど、読んだ?」
「読みました。サインと判子も押してます」
「そっか。ならいいんだ。俺なんか読んでなくてさ、試用期間最後のほうで残されて師長の監視付きで読んだんだぜ」
鳥谷部がおどけて、内田は笑った。
「でも今回は見学だからこのマニュアルをきちっと守ってくれればいいから」
「はい。ありがとうございます」
内田は目の前に差し出されたマニュアルを受け取った。『特別室情報管理及び対応について』の表題と、下には『内田茉矢』と名前があった。
「俺、事務長に呼ばれてるからちょっと行ってくるけど、その間にちゃんと読んで、サインと判子捺したら一部は君が保管。もう一部は看護師長のデスクの書類ケースに入れといて」
内田は「はい」と返事をした。
マニュアルといっても三ページほどしかない。A4のコピー用紙をホチキスで止めただけの簡単なものだった。
椅子に座ってペラッとめくり、二部両方の最終ページと別の同意書二枚にサインと判子を捺した。
━━━━書いてることなんてどうせ同じよね。
最終ページと同意書には、マニュアルを読み理解した旨の文言と、違反した場合は即時解雇に応じる、異議申し立てはしない等の文言があった。
━━━━大袈裟。
内田はプッと笑いが込み上げたが、個人情報の取り扱いについては、どういった職業も脅し文句がついているのを知っていた。
言われた通り、一部を看護師長のデスクの書類ケースに入れた。
本日夜勤明けの小西は、本来なら九時に帰るはずが、急患と看護師が一名洪水被害のために出勤が出来ず残業になってしまった。
やっと帰れる・・と、病棟を出て更衣室で着替えた。
正直、『さっさと帰ればよかった』と、いまは思う。
帰っていたら、内田のわけのわからない言いがかりを聞かずにすんだだろうし、自分も、内田に皮肉めいたことを言わずにすんだだろう。
まあ、どのみち、内田には先輩として教えることはもうない。残ってる有給を消化するので出勤日数もわずかだ。
小西は先ほど正式に退職が決まったのだ。夜勤はこれが最後となった。
更衣室を出ると、看護師長の寺森が来た。小西は「師長、お疲れ様です。あの、さっき・・」と声をかけた。
「お疲れ様。聞いたよ。残念だよ。今日は夜勤明けなのに悪かったね。残業させちゃって」
「こればっかりは仕方ないです。災害時ですし。師長も時間外続いてるんじゃないですか?倒れないでくださいよ」
「ああ、気をつけるよ。退職したら飛田君とすぐ結婚かい?」
「はい。その予定です。式に招待しますから来てください」
小西は惣領家の分家である松田家で植物の研究と管理をしている飛田の恋人だ。
事故で障害を負った飛田を近くで支えるため、病院を退職して結婚することにしたのだ。
「必ず行くよ」
寺森が笑顔で答えた。
小西は「じゃあお先に失礼します」と挨拶をして、病院の職員用出入り口から出ていった。
詰所に戻った寺森は、内田に「マニュアルはきちんと読んだかい?」と尋ねた。
内田は「はい。サインと判子を捺して書類ケースの中に入れました」と答えた。
「今回は食事のカートを入れたら退出するようにね」
「え?」
「大塚先生が仙道さんに話しがあるそうだから」
「で、でも食事の介助とか・・」
「彼はそこまでの怪我じゃないよ」
「でも看護師が側にいたほうがいいんじゃ・・」
「不要だ」
看護師長のピシャリとした言い様に、内田は不満だったが「はい・・。わかりました・・」と受け入れるしかなかった。
けっきょく内田は特別室には入れもしなかった。病室のドア前で待機となった。強引にでも鳥谷部と一緒に入ろうかと考えたが、特別室の前には警備員がいてあきらめた。
昼食のカートは鳥谷部一人が京司朗の元に持っていった。
結局内田はこれ以降も京司朗に近づくことができなかった。焦った内田は京司朗の個人データを見ようと、データベースに不正にアクセスをし、解雇されることになる。
「昼飯時に悪いな」
白衣に手を突っこんだままの大塚が病室を訪れた。
「かまいませんよ。ほとんど終わりましたから。何かあったんですか?」
京司朗は食事をほぼ終えており、昼食についてきたココアを飲んでいた。ココアは傷の治癒を高めるとして提供されている。
重症の外傷の治癒にチョコレートが効いた症例(※1埼玉医科大学総合医療センター 高度救命救急センター症例)があり、(※2)チョコレート・ココアの効果について研究がされた。
結果的に、創傷治癒促進や褥瘡早期改善、銅欠乏症改善、便通改善や便臭低減、インフルエンザ感染抑制効果などあることがわかった。(カカオの純度の高いチョコレートや純ココア、場合によっては調整ココア)
「ちゃんと飲めよ。治療の一貫だからな」
大塚が京司朗のベッド脇に立ち、カップのなかをのぞいた。
「飲みますよ。ココアは嫌いじゃない」
「・・・お前ほんとに京司朗か?医者のいうことをすんなりきくなんて。もしかして頭も打ったんじゃ・・」
大塚は今度は京司朗の後頭部に視線を移した。鬱陶しくなった京司朗はうんざりした声で、
「━━━━大塚、話は?」
と凄み、ココアを飲み干した。
「おう、いつものお前に戻ったな」
大塚はポケットからタバコを出し、室内のソファにドッカリと座った。
「相変わらずいいソファじゃねえか。うちのクリニックにも置くかな」と、ライターでタバコに火をつけた。
「胡蝶さんから連絡がきた」
「胡蝶さんから?」
「ああ。お前明日退院してくれ。治療は俺が屋敷に出向くからよ」
大塚がタバコを吸いながら言った。
「退院していいなら今日でもいいんだが」
「明日の朝まではいてくれ。動けるっつってもお前の怪我も酷ぇんだからな」
あきれた口調で大塚は頭をかいた。そして、
「で、いれかわりで・・お嬢ちゃんが入院することになった」
と、言った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※1 森永のウェブサイトで確認できる。
また、明治のウェブサイトでも実証研究の報告などがある。
※2 アトピー型の喘息の場合、チョコレートが発作を引き起こす要因になりうる。
森永ウェブサイト ココア リポート
https://www.morinaga.co.jp/cocoareport/
明治ウェブサイト
https://www.meiji.co.jp/chocohealthlife/news/research_final.html
「内田さん、特別室に入る前にマニュアル読んで最終ページと、もう一枚の書類にサインと判子ね。採用決まった時に病院から専用の判子受け取ったでしょ?必ずそれ使って。二部あるから両方にね。これは内田さん用のマニュアルだから。」
「はい。わかりました」
「試用期間中に特別室対応マニュアル読んでおくことになってるけど、読んだ?」
「読みました。サインと判子も押してます」
「そっか。ならいいんだ。俺なんか読んでなくてさ、試用期間最後のほうで残されて師長の監視付きで読んだんだぜ」
鳥谷部がおどけて、内田は笑った。
「でも今回は見学だからこのマニュアルをきちっと守ってくれればいいから」
「はい。ありがとうございます」
内田は目の前に差し出されたマニュアルを受け取った。『特別室情報管理及び対応について』の表題と、下には『内田茉矢』と名前があった。
「俺、事務長に呼ばれてるからちょっと行ってくるけど、その間にちゃんと読んで、サインと判子捺したら一部は君が保管。もう一部は看護師長のデスクの書類ケースに入れといて」
内田は「はい」と返事をした。
マニュアルといっても三ページほどしかない。A4のコピー用紙をホチキスで止めただけの簡単なものだった。
椅子に座ってペラッとめくり、二部両方の最終ページと別の同意書二枚にサインと判子を捺した。
━━━━書いてることなんてどうせ同じよね。
最終ページと同意書には、マニュアルを読み理解した旨の文言と、違反した場合は即時解雇に応じる、異議申し立てはしない等の文言があった。
━━━━大袈裟。
内田はプッと笑いが込み上げたが、個人情報の取り扱いについては、どういった職業も脅し文句がついているのを知っていた。
言われた通り、一部を看護師長のデスクの書類ケースに入れた。
本日夜勤明けの小西は、本来なら九時に帰るはずが、急患と看護師が一名洪水被害のために出勤が出来ず残業になってしまった。
やっと帰れる・・と、病棟を出て更衣室で着替えた。
正直、『さっさと帰ればよかった』と、いまは思う。
帰っていたら、内田のわけのわからない言いがかりを聞かずにすんだだろうし、自分も、内田に皮肉めいたことを言わずにすんだだろう。
まあ、どのみち、内田には先輩として教えることはもうない。残ってる有給を消化するので出勤日数もわずかだ。
小西は先ほど正式に退職が決まったのだ。夜勤はこれが最後となった。
更衣室を出ると、看護師長の寺森が来た。小西は「師長、お疲れ様です。あの、さっき・・」と声をかけた。
「お疲れ様。聞いたよ。残念だよ。今日は夜勤明けなのに悪かったね。残業させちゃって」
「こればっかりは仕方ないです。災害時ですし。師長も時間外続いてるんじゃないですか?倒れないでくださいよ」
「ああ、気をつけるよ。退職したら飛田君とすぐ結婚かい?」
「はい。その予定です。式に招待しますから来てください」
小西は惣領家の分家である松田家で植物の研究と管理をしている飛田の恋人だ。
事故で障害を負った飛田を近くで支えるため、病院を退職して結婚することにしたのだ。
「必ず行くよ」
寺森が笑顔で答えた。
小西は「じゃあお先に失礼します」と挨拶をして、病院の職員用出入り口から出ていった。
詰所に戻った寺森は、内田に「マニュアルはきちんと読んだかい?」と尋ねた。
内田は「はい。サインと判子を捺して書類ケースの中に入れました」と答えた。
「今回は食事のカートを入れたら退出するようにね」
「え?」
「大塚先生が仙道さんに話しがあるそうだから」
「で、でも食事の介助とか・・」
「彼はそこまでの怪我じゃないよ」
「でも看護師が側にいたほうがいいんじゃ・・」
「不要だ」
看護師長のピシャリとした言い様に、内田は不満だったが「はい・・。わかりました・・」と受け入れるしかなかった。
けっきょく内田は特別室には入れもしなかった。病室のドア前で待機となった。強引にでも鳥谷部と一緒に入ろうかと考えたが、特別室の前には警備員がいてあきらめた。
昼食のカートは鳥谷部一人が京司朗の元に持っていった。
結局内田はこれ以降も京司朗に近づくことができなかった。焦った内田は京司朗の個人データを見ようと、データベースに不正にアクセスをし、解雇されることになる。
「昼飯時に悪いな」
白衣に手を突っこんだままの大塚が病室を訪れた。
「かまいませんよ。ほとんど終わりましたから。何かあったんですか?」
京司朗は食事をほぼ終えており、昼食についてきたココアを飲んでいた。ココアは傷の治癒を高めるとして提供されている。
重症の外傷の治癒にチョコレートが効いた症例(※1埼玉医科大学総合医療センター 高度救命救急センター症例)があり、(※2)チョコレート・ココアの効果について研究がされた。
結果的に、創傷治癒促進や褥瘡早期改善、銅欠乏症改善、便通改善や便臭低減、インフルエンザ感染抑制効果などあることがわかった。(カカオの純度の高いチョコレートや純ココア、場合によっては調整ココア)
「ちゃんと飲めよ。治療の一貫だからな」
大塚が京司朗のベッド脇に立ち、カップのなかをのぞいた。
「飲みますよ。ココアは嫌いじゃない」
「・・・お前ほんとに京司朗か?医者のいうことをすんなりきくなんて。もしかして頭も打ったんじゃ・・」
大塚は今度は京司朗の後頭部に視線を移した。鬱陶しくなった京司朗はうんざりした声で、
「━━━━大塚、話は?」
と凄み、ココアを飲み干した。
「おう、いつものお前に戻ったな」
大塚はポケットからタバコを出し、室内のソファにドッカリと座った。
「相変わらずいいソファじゃねえか。うちのクリニックにも置くかな」と、ライターでタバコに火をつけた。
「胡蝶さんから連絡がきた」
「胡蝶さんから?」
「ああ。お前明日退院してくれ。治療は俺が屋敷に出向くからよ」
大塚がタバコを吸いながら言った。
「退院していいなら今日でもいいんだが」
「明日の朝まではいてくれ。動けるっつってもお前の怪我も酷ぇんだからな」
あきれた口調で大塚は頭をかいた。そして、
「で、いれかわりで・・お嬢ちゃんが入院することになった」
と、言った。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※1 森永のウェブサイトで確認できる。
また、明治のウェブサイトでも実証研究の報告などがある。
※2 アトピー型の喘息の場合、チョコレートが発作を引き起こす要因になりうる。
森永ウェブサイト ココア リポート
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