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136. 愛する自覚
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『わたし、若頭と何か約束してませんでしたか?』
四度目にみふゆが繰り返した時。
「みふゆちゃん、ベッドに戻りましょう。疲れたでしょう?」
車椅子で幾度かもぞもぞと座り直すみふゆの動きを見て、胡蝶が声をかけた。
みふゆは「はい」と返事をし、ゆっくりと車椅子をベッドに近づけた。京司朗が手を貸そうとしたが、胡蝶は首を横に振って、みふゆ自身にさせるように促した。
みふゆはベッドの高さが車椅子の高さと同等か確認した。車椅子のひじ掛けを跳ね上げ、ベッド柵につかまって立ち上がった。窓の外の晴れた空が瞳に写る。遠くには海が見える。白い雲がほのかに染まっている。
━━━━雲が・・染まっている・・・
染まった雲を心に留めて、みふゆはベッドに腰かけた。ベッド上についた両手に力を込めて後ろに下がると、足を片方ずつベッドにあげた。
「自力で立てるしここまで動けるんだから、明日は歩きます」
誰に答えたわけでもなく、みふゆは言った。
「判断するのは医者の仕事よ。許可が出るまで歩いてはいけないわ」
胡蝶がみふゆの側にきて、諭すように話した。
みふゆは一度胡蝶に顔を向け、すぐにうつむいた。小声で「・・いつ・・歩いてもいいですか・・歩く練習しないと・・・」と独り言のように言った。
「仕事もずっと休んでるし・・きっとりんちゃんがお花の手入れを一人で頑張ってるんです・・。大変なんです。お花の手入れ・・。パックを一度ほどいて、一本一本から枯れた葉っぱや腐った部分を取り除いてキレイにして、パックを作りかえるんです。入荷したお花はいっせいに悪くなるから・・二人でやっても追いつかないのに・・・・」
堀内花壇の駅前支店はまだ休業中だ。みふゆは知らないのだ。
みふゆには洪水の記憶自体がない。堀内花壇の支店が水に沈んだことも覚えていない。
貴之も胡蝶も、誰も、洪水が起きたことは教えていなかった。
「もう少し体力をつけないとね。全てはそれからよ」
静かに答えた胡蝶に、みふゆはうつむいたままだ。
「クビになるかも・・・たくさん休むことになると・・・」
「大丈夫よ。堀内社長には事情を話してあるからそんなに簡単にクビになったりしないわ」
「そうでしょうか・・・」
「そうよ」
みふゆは病室の窓の外に視線を移した。
「だって・・・いつ普通に戻れるかわからないのに・・・」
「今車椅子なのは仕方ないわ。体力がもう少しつけば」胡蝶が言いかけたのを、みふゆは外をみつめたまま「違うんです」と遮った。
「足のことじゃなくて・・・わたし、・・わかってるんです・・・」
窓の外の町並みは、傾きかけた太陽が、あらゆる場所に影を作り出していた。
「何を?」
胡蝶にはみふゆの表情は読み取れなかった。問われても、みふゆは胡蝶のほうを向かなかった。誰のほうも向かなかった。窓の外の景色から目を離さなかった。
「わたし・・自分がおかしいって・・わかってるんです・・」
「どこもおかしくねえぞ。みふゆ」
貴之が内心焦って、みふゆに近づいた。
みふゆは貴之にも振り向かなかった。
「・・組長先生、太陽はもう傾いているんです」
「太陽?」
貴之は窓の外を見た。
「若頭が来たのはわたしがお昼ごはんを終えてまもなくでした。わたし、若頭に真っ先に約束のことを聞いたはずなんです。なのにわたしはついさっきも若頭に『約束をしてないか』って聞きました。おかしいです。・・外の景色は夕陽に染まってる・・。若頭が来てから何時間もたってるんですよね・・?なのにどうしていま来たばかりのように感じるの!?こんなにも時間がたっているのにわからない!・・・わたし・・、何度も何度も・・同じ事を聞いてるんじゃないんですか・・?」
「みふゆ、それは・・」
「・・・ごめんなさい・・わたし、迷惑ばかりかけて・・」
みふゆは小さく呟いた。
「何度繰り返してもいい」
静寂の病室に響いた声は京司朗だった。
「何度繰り返してもいいんだ。君が繰り返すなら、俺も繰り返して答える。何度でも答える。だから心配しなくていい」
「でも・・わたし・・このまま・・・」
━━━━━ずっとこのままだとしたら
涙声のみふゆの唇が震えた。
「たとえ何日続いても、何ヵ月続いても、君が繰り返す限り俺は君の側にいて、君の問いかけに俺は必ず答える」
何日でも、何ヵ月でも、何年でも、
たとえ一生かかっても。
京司朗は己の心の行き先を、今、はっきりと自覚していた。
『わたし、若頭と何か約束してませんでしたか?』
四度目にみふゆが繰り返した時。
「みふゆちゃん、ベッドに戻りましょう。疲れたでしょう?」
車椅子で幾度かもぞもぞと座り直すみふゆの動きを見て、胡蝶が声をかけた。
みふゆは「はい」と返事をし、ゆっくりと車椅子をベッドに近づけた。京司朗が手を貸そうとしたが、胡蝶は首を横に振って、みふゆ自身にさせるように促した。
みふゆはベッドの高さが車椅子の高さと同等か確認した。車椅子のひじ掛けを跳ね上げ、ベッド柵につかまって立ち上がった。窓の外の晴れた空が瞳に写る。遠くには海が見える。白い雲がほのかに染まっている。
━━━━雲が・・染まっている・・・
染まった雲を心に留めて、みふゆはベッドに腰かけた。ベッド上についた両手に力を込めて後ろに下がると、足を片方ずつベッドにあげた。
「自力で立てるしここまで動けるんだから、明日は歩きます」
誰に答えたわけでもなく、みふゆは言った。
「判断するのは医者の仕事よ。許可が出るまで歩いてはいけないわ」
胡蝶がみふゆの側にきて、諭すように話した。
みふゆは一度胡蝶に顔を向け、すぐにうつむいた。小声で「・・いつ・・歩いてもいいですか・・歩く練習しないと・・・」と独り言のように言った。
「仕事もずっと休んでるし・・きっとりんちゃんがお花の手入れを一人で頑張ってるんです・・。大変なんです。お花の手入れ・・。パックを一度ほどいて、一本一本から枯れた葉っぱや腐った部分を取り除いてキレイにして、パックを作りかえるんです。入荷したお花はいっせいに悪くなるから・・二人でやっても追いつかないのに・・・・」
堀内花壇の駅前支店はまだ休業中だ。みふゆは知らないのだ。
みふゆには洪水の記憶自体がない。堀内花壇の支店が水に沈んだことも覚えていない。
貴之も胡蝶も、誰も、洪水が起きたことは教えていなかった。
「もう少し体力をつけないとね。全てはそれからよ」
静かに答えた胡蝶に、みふゆはうつむいたままだ。
「クビになるかも・・・たくさん休むことになると・・・」
「大丈夫よ。堀内社長には事情を話してあるからそんなに簡単にクビになったりしないわ」
「そうでしょうか・・・」
「そうよ」
みふゆは病室の窓の外に視線を移した。
「だって・・・いつ普通に戻れるかわからないのに・・・」
「今車椅子なのは仕方ないわ。体力がもう少しつけば」胡蝶が言いかけたのを、みふゆは外をみつめたまま「違うんです」と遮った。
「足のことじゃなくて・・・わたし、・・わかってるんです・・・」
窓の外の町並みは、傾きかけた太陽が、あらゆる場所に影を作り出していた。
「何を?」
胡蝶にはみふゆの表情は読み取れなかった。問われても、みふゆは胡蝶のほうを向かなかった。誰のほうも向かなかった。窓の外の景色から目を離さなかった。
「わたし・・自分がおかしいって・・わかってるんです・・」
「どこもおかしくねえぞ。みふゆ」
貴之が内心焦って、みふゆに近づいた。
みふゆは貴之にも振り向かなかった。
「・・組長先生、太陽はもう傾いているんです」
「太陽?」
貴之は窓の外を見た。
「若頭が来たのはわたしがお昼ごはんを終えてまもなくでした。わたし、若頭に真っ先に約束のことを聞いたはずなんです。なのにわたしはついさっきも若頭に『約束をしてないか』って聞きました。おかしいです。・・外の景色は夕陽に染まってる・・。若頭が来てから何時間もたってるんですよね・・?なのにどうしていま来たばかりのように感じるの!?こんなにも時間がたっているのにわからない!・・・わたし・・、何度も何度も・・同じ事を聞いてるんじゃないんですか・・?」
「みふゆ、それは・・」
「・・・ごめんなさい・・わたし、迷惑ばかりかけて・・」
みふゆは小さく呟いた。
「何度繰り返してもいい」
静寂の病室に響いた声は京司朗だった。
「何度繰り返してもいいんだ。君が繰り返すなら、俺も繰り返して答える。何度でも答える。だから心配しなくていい」
「でも・・わたし・・このまま・・・」
━━━━━ずっとこのままだとしたら
涙声のみふゆの唇が震えた。
「たとえ何日続いても、何ヵ月続いても、君が繰り返す限り俺は君の側にいて、君の問いかけに俺は必ず答える」
何日でも、何ヵ月でも、何年でも、
たとえ一生かかっても。
京司朗は己の心の行き先を、今、はっきりと自覚していた。
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