173 / 278
173. 過ぎてゆく時間は思い出になる -5-
しおりを挟む
.
いったい何があったのかと胡蝶は訝しんだ。
貴之はみふゆの寝姿が映るモニターから目を離さず黙ったまま、予定を変えた理由をついに口にしなかった。
どうやら貴之は何も言う気はないらしい。
胡蝶は探るのを諦めて、予定の変更に気がかりがあるのを示した。
「だったらこれから京司朗を呼んで顔合わせだけでもしたらどうかしら?」
「今日これからか?」
「明日いきなり会わせて行動をとるのはどうかと思いますわ。せめてワンクッション欲しいですわね。京司朗をどの程度認知してるか知りたいですし。もしまるきり記憶にないなら、みふゆちゃんにとってわずかでもいいですから“知っている人”という安心感が欲しいですわ。そのほうが明日、行動をとりやすいのではないかしら?」
「そう・・だな・・・」
貴之は懐から携帯電話を出し京司朗に連絡をとった。
急遽呼び出された京司朗は、着物からカジュアルなスーツに着替え、三上を伴い、桐島の運転する車で惣領家を出た。
京司朗はフランスから帰国した体でみふゆの病室を訪問する段取りだ。
『お前のことは何も覚えてねえかもしれん。あいつの心はいま八歳なんだ』
電話の向こうで貴之が言った。
━━━八歳か。
くちづけた日も、彼女の記憶からは消えてしまっただろう。
築きかけた世界の時間は崩れてしまった。
━━━崩れたならまた積みあげていけばいい。そばにいて、一緒に時間を重ねて生きていけたらそれでいい。
貴之からもたらされたみふゆの現在の状態は、京司朗にとって決してよいものではない。
それでも京司朗の心は穏やかだった。
みふゆの人生のすべてが欲しいと願った心は変わらず、京司朗は前へ進むことしか考えていなかった。
目を覚ましたみふゆは、ベッドのオーバーテーブルに置かれた栄養補助食の小さなお菓子を食べていた。
胡蝶がココアを入れてくれ、これから京司朗が訪ねてくることをみふゆに告げた。
「きょうしろう・・?」
「そうよ。フランスから帰ってきたのよ」
「フランスに行く前にお前の見舞いに来てくれた。覚えてねぇか?」
貴之の問いに、みふゆはしばらく考えて、「わかんない」と首を横に振った。
「会ってみたら思い出すかもしれないわね」
「うん・・」
みふゆは曖昧に返事をして、胡蝶に、
「ママ、フランスっておひめさまがでてくるマンガのくに?」
と訊いた。
「━━━━ママ?!」
みふゆの口から突然飛び出した『ママ』という呼び名。
仰天したのは貴之だ。目をひんむいている。
「あら、どうかしまして?」
「何が“どうかしまして?”だ!!」
貴之はコーヒーに伸ばしかけた手を止め、みふゆの両肩をつかんだ。
「みふゆ、お前の母親は礼夏だぞ!お前を産んだひとだ!わかってるか?!」
「うん。わかってるよ。だからママだよ」
「何?」
意味がわからない。
「おかあさんはね、『ママ』ってよぶとおこるから『おかあさん』ってしかよべなかったけど、みふゆは『ママ』ってよんでみたかったの。そしたら胡蝶せんせいがね、かわりに『ママ』ってよんでもいいのよっていってくれたの」
「・・・・・」
貴之は何も言えなかった。
ようは礼夏を『ママ』と呼びたかったが、呼ばせてもらえなかったので、代わりに胡蝶を『ママ』と呼んで、望みを叶えた・・ということらしい。
ハッキリしていることは、胡蝶は貴之がいないときに、みふゆから過去を聞き出して、『ママ』と呼ぶように誘導したのだ。
胡蝶が微笑んでいる。
油断も隙もねえ女だな、と貴之は思った。
「ママってよんじゃだめ?」
みふゆの表情がしょぼーん(´・ω・`)となっている。
「・・い、いや、まあ、そのー、お、お前がそう呼びたいならまあそれでも・・」
貴之がムニャムニャとごまかしに入ったところで、懐の携帯電話が鳴った。京司朗が病院に着いた知らせだった。
貴之は専用駐車場で京司朗を出迎え、明日の予定を幾つか話し合った。話し合ったといっても貴之が決めた事柄に対して京司朗が返事をするだけだった。
洪水で沈んだ堀内花壇の駅前支店は閉店のままだが、消毒その他のかたづけは済んでおり、明日、社長の堀内が鍵を開けに来る。
「堀内にも会わせるんですか?」
「明日の朝の状態をみてから決める。あと胡蝶が後ろの車に乗ってついてくる」
話してるあいだに貴之と京司朗は病室の前まできていた。貴之がIDカードでドアの解錠をした。警備員が解錠の確認をし、モニターフォンで室内に声をかけてからドアを開けた。
みふゆと胡蝶の笑い声がする。
久しぶり聞くみふゆの声だ。
京司朗はみふゆの明るい声を直に耳にして、気持ちが柔らかに満たされていくのを感じていた。
いったい何があったのかと胡蝶は訝しんだ。
貴之はみふゆの寝姿が映るモニターから目を離さず黙ったまま、予定を変えた理由をついに口にしなかった。
どうやら貴之は何も言う気はないらしい。
胡蝶は探るのを諦めて、予定の変更に気がかりがあるのを示した。
「だったらこれから京司朗を呼んで顔合わせだけでもしたらどうかしら?」
「今日これからか?」
「明日いきなり会わせて行動をとるのはどうかと思いますわ。せめてワンクッション欲しいですわね。京司朗をどの程度認知してるか知りたいですし。もしまるきり記憶にないなら、みふゆちゃんにとってわずかでもいいですから“知っている人”という安心感が欲しいですわ。そのほうが明日、行動をとりやすいのではないかしら?」
「そう・・だな・・・」
貴之は懐から携帯電話を出し京司朗に連絡をとった。
急遽呼び出された京司朗は、着物からカジュアルなスーツに着替え、三上を伴い、桐島の運転する車で惣領家を出た。
京司朗はフランスから帰国した体でみふゆの病室を訪問する段取りだ。
『お前のことは何も覚えてねえかもしれん。あいつの心はいま八歳なんだ』
電話の向こうで貴之が言った。
━━━八歳か。
くちづけた日も、彼女の記憶からは消えてしまっただろう。
築きかけた世界の時間は崩れてしまった。
━━━崩れたならまた積みあげていけばいい。そばにいて、一緒に時間を重ねて生きていけたらそれでいい。
貴之からもたらされたみふゆの現在の状態は、京司朗にとって決してよいものではない。
それでも京司朗の心は穏やかだった。
みふゆの人生のすべてが欲しいと願った心は変わらず、京司朗は前へ進むことしか考えていなかった。
目を覚ましたみふゆは、ベッドのオーバーテーブルに置かれた栄養補助食の小さなお菓子を食べていた。
胡蝶がココアを入れてくれ、これから京司朗が訪ねてくることをみふゆに告げた。
「きょうしろう・・?」
「そうよ。フランスから帰ってきたのよ」
「フランスに行く前にお前の見舞いに来てくれた。覚えてねぇか?」
貴之の問いに、みふゆはしばらく考えて、「わかんない」と首を横に振った。
「会ってみたら思い出すかもしれないわね」
「うん・・」
みふゆは曖昧に返事をして、胡蝶に、
「ママ、フランスっておひめさまがでてくるマンガのくに?」
と訊いた。
「━━━━ママ?!」
みふゆの口から突然飛び出した『ママ』という呼び名。
仰天したのは貴之だ。目をひんむいている。
「あら、どうかしまして?」
「何が“どうかしまして?”だ!!」
貴之はコーヒーに伸ばしかけた手を止め、みふゆの両肩をつかんだ。
「みふゆ、お前の母親は礼夏だぞ!お前を産んだひとだ!わかってるか?!」
「うん。わかってるよ。だからママだよ」
「何?」
意味がわからない。
「おかあさんはね、『ママ』ってよぶとおこるから『おかあさん』ってしかよべなかったけど、みふゆは『ママ』ってよんでみたかったの。そしたら胡蝶せんせいがね、かわりに『ママ』ってよんでもいいのよっていってくれたの」
「・・・・・」
貴之は何も言えなかった。
ようは礼夏を『ママ』と呼びたかったが、呼ばせてもらえなかったので、代わりに胡蝶を『ママ』と呼んで、望みを叶えた・・ということらしい。
ハッキリしていることは、胡蝶は貴之がいないときに、みふゆから過去を聞き出して、『ママ』と呼ぶように誘導したのだ。
胡蝶が微笑んでいる。
油断も隙もねえ女だな、と貴之は思った。
「ママってよんじゃだめ?」
みふゆの表情がしょぼーん(´・ω・`)となっている。
「・・い、いや、まあ、そのー、お、お前がそう呼びたいならまあそれでも・・」
貴之がムニャムニャとごまかしに入ったところで、懐の携帯電話が鳴った。京司朗が病院に着いた知らせだった。
貴之は専用駐車場で京司朗を出迎え、明日の予定を幾つか話し合った。話し合ったといっても貴之が決めた事柄に対して京司朗が返事をするだけだった。
洪水で沈んだ堀内花壇の駅前支店は閉店のままだが、消毒その他のかたづけは済んでおり、明日、社長の堀内が鍵を開けに来る。
「堀内にも会わせるんですか?」
「明日の朝の状態をみてから決める。あと胡蝶が後ろの車に乗ってついてくる」
話してるあいだに貴之と京司朗は病室の前まできていた。貴之がIDカードでドアの解錠をした。警備員が解錠の確認をし、モニターフォンで室内に声をかけてからドアを開けた。
みふゆと胡蝶の笑い声がする。
久しぶり聞くみふゆの声だ。
京司朗はみふゆの明るい声を直に耳にして、気持ちが柔らかに満たされていくのを感じていた。
10
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
『 ゆりかご 』
設楽理沙
ライト文芸
- - - - - 非公開予定でしたがもうしばらく公開します。- - - -
◉2025.7.2~……本文を少し見直ししています。
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
――――
「静かな夜のあとに」― 大人の再生を描く愛の物語
『静寂の夜を越えて、彼女はもう一度、愛を信じた――』
過去の痛み(不倫・別離)を“夜”として象徴し、
そのあとに芽吹く新しい愛を暗示。
[大人の再生と静かな愛]
“嵐のような過去を静かに受け入れて、その先にある光を見つめる”
読後に“しっとりとした再生”を感じていただければ――――。
――――
・・・・・・・・・・
芹 あさみ 36歳 専業主婦 娘: ゆみ 中学2年生 13才
芹 裕輔 39歳 会社経営 息子: 拓哉 小学2年生 8才
早乙女京平 28歳 会社員
(家庭の事情があり、ホストクラブでアルバイト)
浅野エリカ 35歳 看護師
浅野マイケル 40歳 会社員
❧イラストはAI生成画像自作
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
