竜の紅石*缶詰

鳴澤うた

文字の大きさ
4 / 12

竜、陥落する

しおりを挟む
「降りる。退いてくれ」
  僕は呆然とするファルデルナに、冷たい口調で告げた。
  宮廷で会っていた彼女に戻っていて気が引けたが、彼女のためだと思い直す。
  ゆっくりと下がり、彼女は離れた。
 「吹雪が止んだら帰ってくれ」
  僕はそう言って、自ら扉を塞いだ物をどかした。
 「……でしょうか?」
  ファルデルナが、微かな声音で疑問を投げ掛ける。
  聞こえなくて僕は顔を彼女に向けた。今にも溢れそうな程に、涙が彼女の瞳を覆っている。
 「わた……くしでなく……『あの方』だったら受け入れていたのでしょうか……? 」
 「馬鹿馬鹿しい……!」
 『あの方』が誰のことを指しているのか、分かっている。
  初めて『恋』らしい想いだった。
  僕の隣にいて微笑んで欲しかった。
  独りよがりの恋。
  彼女は叔父を選んだ。赤ん坊の頃から五つまで育てた竜を。
  僕の暴走は、彼女の叔父に対する愛情を気付かせるに充分で──引き裂こうとすればするほど、二人の絆は深まった。
  敵わない、二人の思いに。
  叔父の彼女を守る力に。
  僕は非力だ──。
  國の力が僕の力ではない、僕自身は権力の座に胡座をかいていた非力な存在。
 「『あの人』が例え何万分の一の確率で来たとしても、僕は何もできやしない! こんな何も無い、何も見失った、不自由な! 僕は追い返すだけだ、貴女みたいに!」
 「『あの方』は帰るでしょう……きっと。愛する人が他にいるから……」
 「そうだ! ファルデルナ、貴女だって時が経てば新しい恋に──!」
 「わたくしは帰りません!」
  空気を裂いて、時が止まった気がした。それだけ彼女の意思を乗せた言葉は強かった。
  そんな強烈な言霊と裏腹に、彼女の頬には涙の跡を滴が何度も辿る。
 「ひ、左腕の代わりになるのがお嫌なら、せめて側にいさせてください……! 共に罪を被って欲しくないと言うなら、せめて罪を償い続ける日々の中をお手伝いさせて下さい! 何も出来ないなんて事はないんだと、何も無いなんて不自由なんて、また作り直せば良いんだと! 見失ったら探せば良いんだと── 一緒に!」
  ファルデルナの手が再び僕に触れた。
 「わたくしだって一度は見失いました……。だけど、その時にはわたくしに手を差し伸べてくれた両親がいました。皇妃様や陛下も、お便りで按じて下さいました。周囲にわたくしを思い、助けようとして下さいました。シルディス様、わたくしは今度は、そんな方と同じように貴方に手を差し伸べたいのです。愛しているから──貴方を……」
  何故?
  どうして、僕の頬を擦る?
  理由がようやく分かり、僕は笑った。
 「泣いて……いたのか、僕は」
  泣き笑いする僕に、ファルデルナは何度も口付けをしてくれていた。

  気付かされたことがある。
  ここに来て何通も届いた母と父からの手紙。
  僕は返事を書かなかったけど、ちゃんと読んでいた。
  ──自分で解決出来ないことは躊躇わないで相談しなさい。
  ──不自由はしていない? 良い痛み止めの薬を送りますよ。
  ──いつか心身ともに逞しくなった貴方に、会えることを楽しみにしています。
  この罪は一人で償わなくては──だから、誰にも手を伸ばしてはいけないと。
  そう思ってやってきた。
  ──どれだけの想いに支えられて生きてきたのか

 ──罪を科せる気はないけれど

「……側に……良いのか……? 僕の……光に……なって、くれるのか……?」
 「……は、い……!」
  柔らかな唇が僕の嗚咽を塞ぐ。
  久し振りの温もりは、ぽっかり空いていた身体の一部を瞬く間に埋めた。




 「ファ、ファルデ、ファルデルナ……ちょ、ちょっと、だからって、いきなり、こ、こんなことは……!」
 「いけません……?」
  意外だと言うように瞳を大きく開き、ポカンとしたファルデルナに僕は、
 「と、取り合えず、て、手を離して」
と、やんわりと告げた。
 「ここを攻めれば殿方達は陥落すると習いましたが……シルディス様を見るに痛々しいご様子……」
 「間違ってはいませんが……強く握っては痛い──って、そんな問題ではなくて!」
  僕は、はだけたガウンを手繰り寄せ、机から降りた。
 「ここで暮らすのは承諾しましたが、だからと言ってすぐに関係を結ぶのは早急だと思っています」
 「でも、既成事実を作ってしまえば、父も諦めて許すと思うんです」
 「そんな簡単に事が運ぶとは思えない。──とにかく、吹雪が止んだら貴女の父君に手紙を送りますから……今の事情と娘さんを貰います……と」
  ファルデルナの顔がたちまち明るくなり、嬉そうに抱き付いてきた。
 「嬉しい! わたくし、シルディス様の妻となるんですね!」
 「……あ、うん……」
  伯が許すとは思えないけど。父にも現状の手紙を送った方が良いかもな、と考えた。
  ──早急すぎたかな
 ぬか喜びをさせてしまったかも知れない、僕は無邪気に抱き付くファルデルナを見つめた。
  僕の視線に気付いた彼女が、背筋を伸ばし瞳を閉じた。
  軽い口付けを交わすとファルデルナは、
 「もう!」
と不満そうに、ますます身体を密着させる。
 「そんな子供騙しな口付けは、宮廷でさんざん頂いております。もっと大人の口付けを下さいまし!」
 「今夜はこれで我慢してくれ」
  何でこんなに積極的なんだ──厚手のガウンとはいえ、お互いそれ一枚だ。はだけたら直ぐに温もりが分かってしまう姿なのに。
  理性がもたなくなる。
  はっ、とあることに気付き慌てた。

  ──彼女、夜這いするつもりで来たんだ、確か

「もう部屋に戻りなさい!」
 「戻りません! わたくし達夫婦になるのでしょう!」
 「それは後!」
  嫌がるファルデルナを引きずって部屋から追い出そうとするが、片腕だけではなかなか大変だ。
 「酷いわ! 女の覚悟を無下にするなんて! 屈辱です!」
 「君の覚悟は充分伝わった! とにかく僕の理性の為にも、今夜は部屋に戻りなさい!」
 「──分かりました」
  パッと拒絶の力が無くなり、反動で身体がよろめいた僕をファルデルナは床に押し倒した。
  そのまま馬乗りし、彼女はニコリと笑った。
 「押して駄目なら引いてみろ──って、正解ですね」
  生成りの彼女のガウンがはだけた。
  輝くすべらかそうな上半に、小振りだが、つんと上向きの形良い胸が目の前に出現する。
 「ファ、ファルデルナ……!」
  久し振りに見た生の女性の身体は、一気に僕の身体を熱くするのに充分だった。
 「女がこんなにまでして求めているのに、応えてくださらないのは……侮辱と聞いております」
 「……誰から聞いたんです」
  嫌な予感がした。
  この女性至上主義思考は、どこかで聞いた覚えがあったからだ。
  ファルデルナは、僕の問いに答えることはしなかった。あの熱を帯びた眼差しで、僕のガウンの紐を外す。
 「いけない……!」
 「でも、ここはもう……」
  荒れていない手で撫でられ、血流が早くなる。
 「またこんなに……」
  ますます滾りだした物は、自然には治まらないまでになってしまった。

  ──ああもう! なるようになれ!

 「余裕がない、痛いかも知れないが次は優しくするから……」
  ファルデルナの白い腰を掴んだ。

  痛みを堪える声が、甘く切ない声となって僕の耳に落ちてくるのに一晩かかった。



 ***
  帝國、宮廷内──。
  イェルディスは息子からの初めての手紙を読み終え、額に手を当てた。
 「何て書いてあったの?」
  溜息と共に、手紙がシルヴィアに渡される。
 「あら……大胆ねえ、ファルデルナも」
  楽しそうに手紙を読み続けているシルヴィアにイェルディスは、
 「楽しんでいる内容ではないぞ……」
と、また溜息をついた。
  イェルディスは立ち上がり日射しが注ぐ窓に向かうと、外を眺めながら考えに更けはじめた。
 「シルディスはあの土地から離れられん。私が辺境伯に謝罪しに行かねばならぬか……」
  そうぼやいたイェルディスに、シルヴィアは、
 「わたくしが行きますわ。わたくしの父と伯は懇意ですし、伯の妹はわたくしの兄の妻ですから、まだ話がしやすいかと」
  微笑みながら立ち上がった。
 「すまんな……」
  申し訳なさそうに目尻を下げた夫に、シルヴィアは言った。
 「わたくし達の息子でしょう? ──本当、助言して良かったわ」
 「──? 何をだい?」
  シルヴィアの独り言にイェルディスは、何の話なのかと尋ねる。

  こっちの話よ、とシルヴィアはにっこり、と華やかに笑った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...