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麗からの連絡のあと、会うと返事はしたものの本当に会うべきか迷っていた。
どうせ謝ると言ったのだって口だけだろうし、彼女の真意は他にあるような気がして気が進まなかった。
「どうしようかなぁ」
再来週の土曜日ならば空いているが、貴重な休みの昼間から動く気はしない。ならば午後からとなるが、東雲さんはそれで了承するか不明だ。
「でもあっちから謝りたいって言ってきてるしな、それくらい妥協してもらわないと」
夕方前にカフェかそこらでちょっと会って話して、解散したら早めの夕飯を食べて帰る。そして次の日は気の済むまで寝てから起きて、ダラダラと過ごす。その予定でいきたい。
「土曜日の午後四時に駅付近で待ち合わせってことでいいか」
そう連絡を入れようとして思い出した。俺は東雲さんの連絡先を聞いていない。
「また麗経由か」
本心を言えば、これ以上麗を関わらせたくなかった。
俺と東雲さんの問題ということもあるが、東雲さんが俺を利用して麗と近づくことを避けたかった。
麗に、東雲さんと仕事以外のことで話したりして欲しくなかった。
そう思ったとき俺の心臓のあたりがチクリと痛んだ。
この間も同じような痛みを感じたが、別にどこも悪くなんかない。
「……嫉妬? 俺が麗に?」
意味が分からない。
なんで嫉妬しなくてはいけないんだ。容姿や頭脳に嫉妬している自覚はあるが、なんで東雲さんと話すことに嫉妬するんだ。
別に東雲さんのことは好きでもなんでもない。むしろ嫌いな部類に入る。
「きっと気のせい。この痛みはきっと気のせい」
そう自分に言い聞かせ、スマホを取り出し麗に連絡を取った。今の時間ならたぶん風俗の方の出勤時間だろう。
『東雲さんに、再来週の土曜日の午後四時に駅前のカフェで待ち合わせって伝えておいて。都合が悪いなら早めに連絡くださいってことも』
メッセージを送って、俺は大きく溜息をついた。
「麗は二人で会うことを、なんとも思わないのかな」
元々は俺がセカンド童貞を捨てたいと言ったのがきっかけだけど、このまま東雲さんと付き合うことを望んでいるのだろうか。
麗と二人でホテルにいたときの、あの雰囲気は理性のタガが外れただけのことだった?
「麗がそれでいいと思うなら俺は別に……」
約束を取り付けた土曜日、気の進まない俺は時間よりも早く行くことはしなかった。
駅ビルで単行本を一冊買い、ピッタリぐらいの時間にカフェに入った。
「東雲さんは……」
やっぱりというか、見渡すが彼女らしい人影は見当たらない。麗が相手じゃないから早く来る必要がないということなんだろう。
少し待って来なければ帰ればいいだけだし、と買ったホットカフェオレを飲みながら東雲さんを待つことにした。
単行本を読みながらカフェオレを啜る。
しばらくそうやって時間を過ごしていると、向かいの席に誰かが座った。
顔を上げるとストレートの髪を横で結び、真っ赤なVネックセーターに黒いパンツを穿いた、真っ赤なルージュをひいた女性。表情は不機嫌そのものだ。
「あ、あの、待ち合わせをしているので相席は……」
「……」
「あの……って、あれ? 東雲さん?」
「見ればわかるでしょ。あんた人の顔も覚えていられないの?」
フンッと鼻息を吐くと東雲さんはじっと俺を睨みつけた。
「東雲さん?」
「気の利かない男ね。普通なにも持たないで座ったのに気づいたら、自分から『なにがいい? なに買ってくる?』って聞くもんでしょ!」
「へ? ご、ごめん。なににする?」
「ホットコーヒー、ブラックのトールで。ザッハトルテもつけて」
「ちょっと待っててね」
言われて俺は、慌てて席を立ってカウンターへ向かった。
実のところ、いきなり別人のような東雲さんに気をとられていて、なにも買っていないのに気づいてはいなかった。
この女王様は誰? 本当に東雲さん? 服装やメイクもさながら、キャラも違うんですけど? 頭の中はそのことでいっぱいだったし。
しかしこのことで、先日の東雲さんは養殖ブリの仮の姿だったんだと実感した。
ホントによくあそこまで化けれたと感心する。女性は化けるというが、中身まで化けなくてもいいと思うのは俺だけだろうか。
「麗にこの東雲さんを見せてやりたいよ」
そして幻滅させたい。東雲さんの本性はこんなだったと幻滅させて嫌ってもらいたい。
モヤモヤとした気持ちが渦を巻く。
「今は麗のことより、東雲さんのことをさっさと済ませよう」
モヤモヤした気持ちも嫌だけど、東雲さんと話しているのが苦痛だ。早く済ませて早く帰ろう。
東雲さんに頼まれたコーヒーとザッハトルテを買って、東雲さんの待っている席へと戻った。
「遅い!」
「ご、ごめん」
「ふんっ!」
テーブルに置かれたコーヒーを奪うように取ると、東雲さんはひと口啜った。
当然コーヒー代を払うなんて言葉も素振りもない。
「で、なんか言うことあるでしょ」
「え? ああ。謝りたいって連絡もらったけど、気にしなくていいよ。うっかりっていうのは……」
「違うでしょ! わざわざ来てあげたんだから、『ありがとう』とか『ご足労いただきまして』とかお礼があってもいいでしょう!?」
「いや、謝りたいからって麗経由で連絡してきたのは東雲さんのほうでしょ。俺が来てもらったことに頭を下げるいわれはありませんよ」
「はぁ!? これだから底辺男は」
苛立たし気にザッハトルテにフォークを刺し、口へ放り込んだ。
予想していた甘さと違ったのか、東雲さんは顔を顰めコーヒーをゴクゴクと飲んでいく。
底辺と言われたが、俺は普通に大学も出ているし今の給料もかなりもらっている。借金もしていない。
なにを基準として底辺と言っているのか分からないが、心外でしかない。
ムッとしている俺をよそに、東雲さんは小馬鹿にするような顔で話を続けた。
「あれは口実よ、口実。七瀬さんと話す口実が欲しかったのと、あんたに釘を刺しておこうと思ってね」
「釘?」
「そ、これ以上七瀬さんと親しくしないで。あんたが平日の夜だろうが休日だろうがお構いなしに七瀬さんと約束するから、私がデートに誘っても縦に首を振ってくれないのよ!」
「麗が、俺と?」
俺の記憶が正しければ、麗と約束したのはデリヘルで間違って呼んだのを含めて片手で足りるくらいだった。
東雲さんがどのくらいの頻度で麗をデートに誘っているのかは定かでないが、平日の夜は間違いなく『お仕事』だ。
(引っ越し屋では夜の仕事のこと話していないんだ)
まぁ話すにしても度胸はいるだろう。同性愛者向け風俗勤務。通常の風俗勤務だってカミングアウトするには相当な勇気がいることだと思う。
「そ。だからあんたが七瀬さんとこれ以上親しくしなければ、私との時間を取ってくれるはずなの。はっきり言ってあんたが邪魔なの。七瀬さんの前から消えてくれない?」
「なに言って……。そもそも麗がプライベートな時間をどう使おうが、麗の勝手じゃないか!」
「勝手じゃないわ。あんたが七瀬さんを拘束しているせいで、こうなっているの! 七瀬さんはね! 本当は私のことが好きなの! それをあんたがいるから、あんたに遠慮して言えないの!」
いや、麗じゃなくて東雲さんが麗を好き、の間違いじゃ?
本当に麗が東雲んさんを好きならば、最初から俺に紹介なんかしないだろう。
「それって、東雲さんの思い込みじゃないの? 東雲さんが麗を好きってだけじゃ……」
「はぁ!?」
ギロリと睨んで声を上げる。カフェで出せるギリギリの音量だったのだけが救いだった。
ザッハトルテの刺さっていないフォークを俺に向け、抗議の言葉を吐く。
「私が、じゃなくて私も、よ! 私と七瀬さんは相思相愛なの! こんなパーフェクトなカップルはいないわ!」
「はぁ……」
呆れてそれしか言葉が出てこなかった。
見た目だけなら美男美女という括りで合うかもしれないが、中身は全然パーフェクトでない。
文武両道、御曹司の麗に対し、養殖ブリの東雲さん。こんな攻撃的で醜悪な性格の東雲さんは、麗に相応しい女性だなんて決して言えない。
「そ・れ・に! 七瀬さんってあの海外進出している××コーポレーションの御曹司なんでしょう!? 容姿端麗に加えお金持ち。こんな七瀬さんに相応しい女性なんて、私以外に存在しないわ!」
意訳すると『私は玉の輿に乗りたいの! 邪魔をするな!』かな。
どこで麗の父親の仕事を知ったのか分からないが、口ぶりから麗が親から縁を切られたことは知らないんだろう。
知ったら、どんな反応するのかな。
「これ以上私と七瀬さんの邪魔をするなら、ただじゃ済まないから」
「なにをすると言うんだ。東雲さんは俺の会社も連絡先も知らないだろう」
「やあね。直接でなくても、攻撃なんていくらでも出来るのよ。知り合いにちょっと叩いてもらって、セックスして、『無理矢理ホテルに連れ込まれて襲われた』って七瀬さんに涙ながらに訴えるとか?」
「!?」
ニヤリと東雲さんの顔が嗤う。嗤うというより、歪むという表現のほうが合っている気がする。
「そんなこと、麗が信じるわけがない」
「そう? じゃあ試してみようかしら。顔が少し腫れるのは嫌だけど、セックスは嫌いじゃないし。七瀬さんがどんな反応するか楽しみだわ」
「麗がそんな嘘を信じたりはしない!」
「勝手にそう思っていればいいわ」
フンッと鼻を鳴らすと、東雲さんは残ったコーヒーとザッハトルテを口の中に収め、スッっと立ち上がった。
「とにかく今後絶対に七瀬さんと連絡取らないで! 分かった!?」
それだけ言うとカップを片付けることもなく、バッグを持ち上げて立ち去って行った。
「絶対、麗はそんな嘘、信じない」
とは言ったものの、内心不安で仕方がなかった。
麗を信じてはいる。でもセカンド童貞をこじらせている俺が、女性に飢えていることは確かだ。叩かれた痕とセックスをした事実が分かれば、信じていてもその気持ちが揺らぐに決まっている。
「疑われて嫌われるよりは、好かれているまま別れたい」
そう思った俺は、麗からの連絡を次第に返さないようになっていた。
ラインも未読無視、電話も出ない。
そんなことを繰り返しているうちに、あっという間に一カ月が過ぎていた。
「おーっす梶原。相変わらずセカンド童貞してるかー?」
「……先輩、うちの部署内でそれ、大声で言わないでください。恥ずかしくて死にそうです」
「だって、セカンド童貞はセカンド童貞だろう。あれ? もしかしてこの二か月で卒業できたとか?」
「……出来てませんけど。それよりうちの部署になんの用です? 共同企画は終わったはずですが?」
「仕事は関係ないんだ。今度の金曜日空いてるか?」
「空いてますけど?」
俺がそう答えると先輩は当たり前だよな、と言わんばかりの満足気な笑顔で頷いた。
「なんですか、気持ち悪い」
「あ、ヒドイ梶原君。ボク、気持ち悪くなんかないもん」
ボクってキャラか! とうんざりしていると、ノリの悪い俺がつまらなかったのか本題に入ってくれた。
「ゴ、ゴホン! 金曜日、誕生日じゃないか。だからお祝いしてやろうと思ってな」
「えっ! 先輩、お祝いしていくれるんですか!? ありがとうございます! じゃあ気になってた駅前のフレンチ……」
「いつもの居酒屋でいいな。いやぁ、お前の誕生日、クリスマス直後だろう? お気に入りのキャバ嬢にクリスマスプレゼント買ったから、金なくてさ」
「……いつもの居酒屋で十分です」
祝ってくれるだけでもありがたいと思おう。
たとえそれが居酒屋だろうが高級フレンチだろうが、祝ってくれる気持ちに変わりはない。
しかもキャバ嬢へのプレゼントでスカスカな財布で奢ってくれる……、いや、ひと言も『奢る』とは言われてないな。とりあえずそんな気持ちを、無下にはできない。
「金曜日、たぶん残業になると思いますが大丈夫ですか?」
「それはこっちも同じだ。部署は違えど同じブラック企業だ」
「ですね」
顔を見合わせ苦笑する。
「転職したいですねぇ」
「だよな。こんなご時世だから、転職もままならないけどな」
この話は金曜日に酒飲みながらだな、と先輩はカモフラージュに持ってきていた書類と見える雑紙の束を俺に渡し、部署から出ていった。
「ホント、先輩は優しいなぁ」
無神経な部分もあるけれど、何かと仕事もプライベートの相談も面倒見てくれる。
こんな風にあれこれしてくれるのって、先輩と麗くらいだ。
「麗、どうしてるかな」
最初のうちは未読無視していてもラインを送ってくれていたし、電話も夜中だけど一日一回はかけてきてくれていた。
それがパタッと止んだのは先週だった気がする。
年末で仕事が通常より忙しくなってきていて、日付感覚も鈍くなりかけていたから正確な日までは覚えていない。ただ、朝起きて着信ランプが着いていないことに寂しさを感じていたことだけは覚えていた。
「きっと麗は東雲さんと付き合うことになったんだ。だからもう、俺に連絡するのを止めたんだ」
そう思うしかない。思い込むしかない。じゃないと俺の気持ちが納得してくれなかった。
「忘れよう、麗のことは」
本当に偶然会えただけだし、突然会えなくなってもそれは必然というものだ。
忘れて、俺は俺の生活を送っていこう。
セカンド童貞のまま誕生日を迎えそうだが、それはそれでいい。女になったら女になったときに考えればいい。
「よーし! 飲んで忘れるぞー!」
嫌なことも、東雲さんのことも、麗のことも。全部飲んで忘れてしまおう。
パーっと飲んで、先輩と馬鹿な話をして笑いまくって、麗に再会する前の自分に戻ろう。
そう決意し、目の前に山積みになっている書類に意識を向けた。
さっさと片付けて飲みに行こう! そんな気合いを入れて取り組み始めた。
どうせ謝ると言ったのだって口だけだろうし、彼女の真意は他にあるような気がして気が進まなかった。
「どうしようかなぁ」
再来週の土曜日ならば空いているが、貴重な休みの昼間から動く気はしない。ならば午後からとなるが、東雲さんはそれで了承するか不明だ。
「でもあっちから謝りたいって言ってきてるしな、それくらい妥協してもらわないと」
夕方前にカフェかそこらでちょっと会って話して、解散したら早めの夕飯を食べて帰る。そして次の日は気の済むまで寝てから起きて、ダラダラと過ごす。その予定でいきたい。
「土曜日の午後四時に駅付近で待ち合わせってことでいいか」
そう連絡を入れようとして思い出した。俺は東雲さんの連絡先を聞いていない。
「また麗経由か」
本心を言えば、これ以上麗を関わらせたくなかった。
俺と東雲さんの問題ということもあるが、東雲さんが俺を利用して麗と近づくことを避けたかった。
麗に、東雲さんと仕事以外のことで話したりして欲しくなかった。
そう思ったとき俺の心臓のあたりがチクリと痛んだ。
この間も同じような痛みを感じたが、別にどこも悪くなんかない。
「……嫉妬? 俺が麗に?」
意味が分からない。
なんで嫉妬しなくてはいけないんだ。容姿や頭脳に嫉妬している自覚はあるが、なんで東雲さんと話すことに嫉妬するんだ。
別に東雲さんのことは好きでもなんでもない。むしろ嫌いな部類に入る。
「きっと気のせい。この痛みはきっと気のせい」
そう自分に言い聞かせ、スマホを取り出し麗に連絡を取った。今の時間ならたぶん風俗の方の出勤時間だろう。
『東雲さんに、再来週の土曜日の午後四時に駅前のカフェで待ち合わせって伝えておいて。都合が悪いなら早めに連絡くださいってことも』
メッセージを送って、俺は大きく溜息をついた。
「麗は二人で会うことを、なんとも思わないのかな」
元々は俺がセカンド童貞を捨てたいと言ったのがきっかけだけど、このまま東雲さんと付き合うことを望んでいるのだろうか。
麗と二人でホテルにいたときの、あの雰囲気は理性のタガが外れただけのことだった?
「麗がそれでいいと思うなら俺は別に……」
約束を取り付けた土曜日、気の進まない俺は時間よりも早く行くことはしなかった。
駅ビルで単行本を一冊買い、ピッタリぐらいの時間にカフェに入った。
「東雲さんは……」
やっぱりというか、見渡すが彼女らしい人影は見当たらない。麗が相手じゃないから早く来る必要がないということなんだろう。
少し待って来なければ帰ればいいだけだし、と買ったホットカフェオレを飲みながら東雲さんを待つことにした。
単行本を読みながらカフェオレを啜る。
しばらくそうやって時間を過ごしていると、向かいの席に誰かが座った。
顔を上げるとストレートの髪を横で結び、真っ赤なVネックセーターに黒いパンツを穿いた、真っ赤なルージュをひいた女性。表情は不機嫌そのものだ。
「あ、あの、待ち合わせをしているので相席は……」
「……」
「あの……って、あれ? 東雲さん?」
「見ればわかるでしょ。あんた人の顔も覚えていられないの?」
フンッと鼻息を吐くと東雲さんはじっと俺を睨みつけた。
「東雲さん?」
「気の利かない男ね。普通なにも持たないで座ったのに気づいたら、自分から『なにがいい? なに買ってくる?』って聞くもんでしょ!」
「へ? ご、ごめん。なににする?」
「ホットコーヒー、ブラックのトールで。ザッハトルテもつけて」
「ちょっと待っててね」
言われて俺は、慌てて席を立ってカウンターへ向かった。
実のところ、いきなり別人のような東雲さんに気をとられていて、なにも買っていないのに気づいてはいなかった。
この女王様は誰? 本当に東雲さん? 服装やメイクもさながら、キャラも違うんですけど? 頭の中はそのことでいっぱいだったし。
しかしこのことで、先日の東雲さんは養殖ブリの仮の姿だったんだと実感した。
ホントによくあそこまで化けれたと感心する。女性は化けるというが、中身まで化けなくてもいいと思うのは俺だけだろうか。
「麗にこの東雲さんを見せてやりたいよ」
そして幻滅させたい。東雲さんの本性はこんなだったと幻滅させて嫌ってもらいたい。
モヤモヤとした気持ちが渦を巻く。
「今は麗のことより、東雲さんのことをさっさと済ませよう」
モヤモヤした気持ちも嫌だけど、東雲さんと話しているのが苦痛だ。早く済ませて早く帰ろう。
東雲さんに頼まれたコーヒーとザッハトルテを買って、東雲さんの待っている席へと戻った。
「遅い!」
「ご、ごめん」
「ふんっ!」
テーブルに置かれたコーヒーを奪うように取ると、東雲さんはひと口啜った。
当然コーヒー代を払うなんて言葉も素振りもない。
「で、なんか言うことあるでしょ」
「え? ああ。謝りたいって連絡もらったけど、気にしなくていいよ。うっかりっていうのは……」
「違うでしょ! わざわざ来てあげたんだから、『ありがとう』とか『ご足労いただきまして』とかお礼があってもいいでしょう!?」
「いや、謝りたいからって麗経由で連絡してきたのは東雲さんのほうでしょ。俺が来てもらったことに頭を下げるいわれはありませんよ」
「はぁ!? これだから底辺男は」
苛立たし気にザッハトルテにフォークを刺し、口へ放り込んだ。
予想していた甘さと違ったのか、東雲さんは顔を顰めコーヒーをゴクゴクと飲んでいく。
底辺と言われたが、俺は普通に大学も出ているし今の給料もかなりもらっている。借金もしていない。
なにを基準として底辺と言っているのか分からないが、心外でしかない。
ムッとしている俺をよそに、東雲さんは小馬鹿にするような顔で話を続けた。
「あれは口実よ、口実。七瀬さんと話す口実が欲しかったのと、あんたに釘を刺しておこうと思ってね」
「釘?」
「そ、これ以上七瀬さんと親しくしないで。あんたが平日の夜だろうが休日だろうがお構いなしに七瀬さんと約束するから、私がデートに誘っても縦に首を振ってくれないのよ!」
「麗が、俺と?」
俺の記憶が正しければ、麗と約束したのはデリヘルで間違って呼んだのを含めて片手で足りるくらいだった。
東雲さんがどのくらいの頻度で麗をデートに誘っているのかは定かでないが、平日の夜は間違いなく『お仕事』だ。
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「そ。だからあんたが七瀬さんとこれ以上親しくしなければ、私との時間を取ってくれるはずなの。はっきり言ってあんたが邪魔なの。七瀬さんの前から消えてくれない?」
「なに言って……。そもそも麗がプライベートな時間をどう使おうが、麗の勝手じゃないか!」
「勝手じゃないわ。あんたが七瀬さんを拘束しているせいで、こうなっているの! 七瀬さんはね! 本当は私のことが好きなの! それをあんたがいるから、あんたに遠慮して言えないの!」
いや、麗じゃなくて東雲さんが麗を好き、の間違いじゃ?
本当に麗が東雲んさんを好きならば、最初から俺に紹介なんかしないだろう。
「それって、東雲さんの思い込みじゃないの? 東雲さんが麗を好きってだけじゃ……」
「はぁ!?」
ギロリと睨んで声を上げる。カフェで出せるギリギリの音量だったのだけが救いだった。
ザッハトルテの刺さっていないフォークを俺に向け、抗議の言葉を吐く。
「私が、じゃなくて私も、よ! 私と七瀬さんは相思相愛なの! こんなパーフェクトなカップルはいないわ!」
「はぁ……」
呆れてそれしか言葉が出てこなかった。
見た目だけなら美男美女という括りで合うかもしれないが、中身は全然パーフェクトでない。
文武両道、御曹司の麗に対し、養殖ブリの東雲さん。こんな攻撃的で醜悪な性格の東雲さんは、麗に相応しい女性だなんて決して言えない。
「そ・れ・に! 七瀬さんってあの海外進出している××コーポレーションの御曹司なんでしょう!? 容姿端麗に加えお金持ち。こんな七瀬さんに相応しい女性なんて、私以外に存在しないわ!」
意訳すると『私は玉の輿に乗りたいの! 邪魔をするな!』かな。
どこで麗の父親の仕事を知ったのか分からないが、口ぶりから麗が親から縁を切られたことは知らないんだろう。
知ったら、どんな反応するのかな。
「これ以上私と七瀬さんの邪魔をするなら、ただじゃ済まないから」
「なにをすると言うんだ。東雲さんは俺の会社も連絡先も知らないだろう」
「やあね。直接でなくても、攻撃なんていくらでも出来るのよ。知り合いにちょっと叩いてもらって、セックスして、『無理矢理ホテルに連れ込まれて襲われた』って七瀬さんに涙ながらに訴えるとか?」
「!?」
ニヤリと東雲さんの顔が嗤う。嗤うというより、歪むという表現のほうが合っている気がする。
「そんなこと、麗が信じるわけがない」
「そう? じゃあ試してみようかしら。顔が少し腫れるのは嫌だけど、セックスは嫌いじゃないし。七瀬さんがどんな反応するか楽しみだわ」
「麗がそんな嘘を信じたりはしない!」
「勝手にそう思っていればいいわ」
フンッと鼻を鳴らすと、東雲さんは残ったコーヒーとザッハトルテを口の中に収め、スッっと立ち上がった。
「とにかく今後絶対に七瀬さんと連絡取らないで! 分かった!?」
それだけ言うとカップを片付けることもなく、バッグを持ち上げて立ち去って行った。
「絶対、麗はそんな嘘、信じない」
とは言ったものの、内心不安で仕方がなかった。
麗を信じてはいる。でもセカンド童貞をこじらせている俺が、女性に飢えていることは確かだ。叩かれた痕とセックスをした事実が分かれば、信じていてもその気持ちが揺らぐに決まっている。
「疑われて嫌われるよりは、好かれているまま別れたい」
そう思った俺は、麗からの連絡を次第に返さないようになっていた。
ラインも未読無視、電話も出ない。
そんなことを繰り返しているうちに、あっという間に一カ月が過ぎていた。
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「空いてますけど?」
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「なんですか、気持ち悪い」
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ボクってキャラか! とうんざりしていると、ノリの悪い俺がつまらなかったのか本題に入ってくれた。
「ゴ、ゴホン! 金曜日、誕生日じゃないか。だからお祝いしてやろうと思ってな」
「えっ! 先輩、お祝いしていくれるんですか!? ありがとうございます! じゃあ気になってた駅前のフレンチ……」
「いつもの居酒屋でいいな。いやぁ、お前の誕生日、クリスマス直後だろう? お気に入りのキャバ嬢にクリスマスプレゼント買ったから、金なくてさ」
「……いつもの居酒屋で十分です」
祝ってくれるだけでもありがたいと思おう。
たとえそれが居酒屋だろうが高級フレンチだろうが、祝ってくれる気持ちに変わりはない。
しかもキャバ嬢へのプレゼントでスカスカな財布で奢ってくれる……、いや、ひと言も『奢る』とは言われてないな。とりあえずそんな気持ちを、無下にはできない。
「金曜日、たぶん残業になると思いますが大丈夫ですか?」
「それはこっちも同じだ。部署は違えど同じブラック企業だ」
「ですね」
顔を見合わせ苦笑する。
「転職したいですねぇ」
「だよな。こんなご時世だから、転職もままならないけどな」
この話は金曜日に酒飲みながらだな、と先輩はカモフラージュに持ってきていた書類と見える雑紙の束を俺に渡し、部署から出ていった。
「ホント、先輩は優しいなぁ」
無神経な部分もあるけれど、何かと仕事もプライベートの相談も面倒見てくれる。
こんな風にあれこれしてくれるのって、先輩と麗くらいだ。
「麗、どうしてるかな」
最初のうちは未読無視していてもラインを送ってくれていたし、電話も夜中だけど一日一回はかけてきてくれていた。
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「きっと麗は東雲さんと付き合うことになったんだ。だからもう、俺に連絡するのを止めたんだ」
そう思うしかない。思い込むしかない。じゃないと俺の気持ちが納得してくれなかった。
「忘れよう、麗のことは」
本当に偶然会えただけだし、突然会えなくなってもそれは必然というものだ。
忘れて、俺は俺の生活を送っていこう。
セカンド童貞のまま誕生日を迎えそうだが、それはそれでいい。女になったら女になったときに考えればいい。
「よーし! 飲んで忘れるぞー!」
嫌なことも、東雲さんのことも、麗のことも。全部飲んで忘れてしまおう。
パーっと飲んで、先輩と馬鹿な話をして笑いまくって、麗に再会する前の自分に戻ろう。
そう決意し、目の前に山積みになっている書類に意識を向けた。
さっさと片付けて飲みに行こう! そんな気合いを入れて取り組み始めた。
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翠に恋人が出来た時に気持ちも告げずに、接触を一切絶ちながらも、好みのタイプを観察しながら自分磨きに勤しんでいたが、実際は好みのタイプとは正反対の風貌へと自ら進んでいた。
実は翠も幼い頃の女の子の様な可愛い楓に心を惹かれていたのだった。
楓がΩだと信じていた翠は、自分の本当のバース性がβだと気づかれるのを恐れ、楓とは正反対の相手と付き合っていたのだった。
楓がその事を知った時に、翠に対して粘着系の溺愛が始まるとは、この頃の翠は微塵も考えてはいなかった。
※作者の個人的な解釈が含まれています。
※Rシーンがある回はタイトルに☆が付きます。
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