Ωの皇妃

永峯 祥司

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第1部

アムア石の職人

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 カァン、カァンと何か硬い物を打ち付ける音が響く。

 噴き出す汗を拭いもせずに作業する男の周りには数人の見学者が集まっている。彼らが注視する先には、金槌で打ち付けられる青い物体。熱されたそれは深海のような群青に輝き、波が立つようにうねる。
 男は軟らかく溶けている高温のそれを金属の棒の先端で掬い上げ、飴菓子を作る要領でくるくると巻き上げた。その球状になったものを水の中に入れ、素早く引き揚げる。3回入れては出しを繰り返すと、粘度の高い物質だった群青は硬く固まり、輝きはさらに深く濃く変化する。それを棒から取り外し、氷水の中に放した。
 ややもすると男の手が氷水の中に入れられ、沈めていた球体を引き揚げた。その物体を目にした瞬間、見学者らの間でほうっとため息が漏れる。

 吸い込まれそうに深い群青は限りなく黒に近く、しかし、鮮やか。その鮮やかな色の内には金銀に静かに煌めくものが閉じ込められていた。宇宙の端を切り取ったかのような美しさは万人を惹き付け、魅了する。

 おほんと咳払いが聞こえ、見学者達がそちらに注意を向けた。全員が自分の方に意識を移した事を確認し、作業をする隣に立っていた学者風の男が手元の資料を参照しながら説明を始める。

「今諸君に見てもらったのが『アムア石』の加工工程だ。この通り、『アムア石』は熱すれば粘土のように軟らかくなるので、それを造形する。今回はわかり易く球状にしているが、他の形──大抵の形状には加工可能だ。尚、この雲母のように見える部分は『アムア石』を高温で熱したものを急激に冷却した場合に出来る。熱する時間、冷却する時間、空気の含ませ方。この3つの要素が揃わなければ美しい輝きは出せない。──以上だ」
 
 質問は? と見回せば、1人の若い男が手を挙げた。

「それって直ぐに出来るようになるものなのか?」
「工程自体は難しくはない。習えば直ぐに出来るだろう。だが、少しの誤差で使い物にならなくなる。その誤差をいかに生み出さず加工するかが──」

 そこまで言い、学者風の男はハッとして口を閉じた。その目は工場の出入口に向けられている。不審に思って振り向いた見学者達もあっと声を上げた。

「どうだ、『アムア石』の加工技術は再現出来そうか」

 ゆったりとした歩みで中心へ進むその男はダークブラウンの瞳で真っ直ぐに学者風の男を射抜き、問いかけた。圧倒的存在感を持つその黒に、ぞくりと震える。

「リューシ様……! い、いつこちらに……?」

 慌てて身なりを整える彼に、黒の男──リューシは表情を変えずに答えた。

「訓練が終わったんでな、様子を見に来た」

 マストネラに使われていたあの宝飾品は、アムア石という鉱物の加工品である。
 
 アムア石はアッサクルム山の特産物で、ムルソプト渓谷──ナルノロンに大量に埋蔵されている。それ自体の価値は無に等しいが、ひとたび特別な加工をすれば「宇宙の欠片」となり、美しく輝き始める。
 ウラウロイ族にとってそれは日常にありふれたものであり、宝だった。

 アムア石の加工職人は現在集落に僅か3人。50半ばの男のオヴィニと、その息子のウェニタとウェニト。20年程も前には50幾人もいたが、急激に進んだ職人の高齢化に技術継承が間に合わなかった。今ではオヴィニが鍛えたこの息子達が唯一の後継者である。彼らが「宇宙の欠片」の製造法を守っているのだ。

 普通なら余所者に教えるなど以ての外なのだが、今回はイェンらの事があった。長のイロトミは甥の過ちを謝罪すると共に、本来ウラウロイ族の掟で死罪になるものを許す対価としてアムア石の加工技術を伝える事を承諾した。
 そこで、リューシはルバルアいちと言われる腕を持つガスリという男をナルノロンに派遣した。通訳にはイェンが付き、オヴィニから直接指導を行うという事で話はまとまった。

 ガスリは凄まじい速さでノウハウを吸収した。父親から朝夕指導を受けていたウェニタとウェニトでさえ、納得のいくものを作れるようになるまで3年かかったというのに、彼は僅か1か月でものにしてみせたのだ。これにはオヴィニも驚愕し、彼を息子達と並ぶアムア石加工の継承者として認めた。

 帰還したガスリが持ち帰ったアムア石は、鉱物学者によって徹底的に分析された。これでガスリの身につけた加工技術も感覚的なものから論理的なものになり、複数人に短期で基礎的な技術を教え込む事が可能となった。

 その加工工程をガスリが実演し、講義を開いている最中にリューシが現れた。それが今の状況である。

 突然の皇妃の登場に緊張感が高まる中、その皇妃──リューシは1人の“変わり種”を見つけた。

 男ばかりの中の紅一点。肩程までのモスグリーンの髪を無造作に縛り、その少女は熱心にメモを取りながら講義を受けていた。
 今、男達から少し離れた場所に立つ彼女は、つい先程までアムア石を見つめていた瞳をリューシに向けている。勝ち気そうな琥珀色の瞳だ。

 ──女の宝飾加工職人……?

 ルバルアでは火を扱う工芸品は男が作る。特に女が作ってはいけないという法律はないのだが、昔からの慣習である。火の神が女だから嫉妬してしまうだとか何とか、そんな迷信染みた理由だったような気がする。もっとも、神託があるようなファンタジックな世界ではあながち迷信でもないのかも知れないが。
 ともかく女性がこの場にいるというのは極めて例外的であり、リューシの興味を引いた。

「その娘は」

 誰に尋ねるともなく問うと、他が答える前に少女が声を上げた。

「アリシャ・ガスリです! 父の技術を学ぶ為、ここで見学させて頂いています!」
「ガスリの娘か」
「はいっ」

 興奮から頬を上気させて元気よく返事をするアリシャから目を移せば、父親のガスリは気不味そうにごま塩頭を掻いた。

「女が来る所じゃねぇって言ったんですが、どうにも聞き分けなくって……申し訳ありません」
「父さん!!」

 縮こまる彼にアリシャが咎めるように叫ぶ。そんな親子の周囲の男達は何を言うでもなく、アリシャだけを冷めた目で見ている。
 なるほどな、とリューシは心中で頷いた。やはり、彼女の存在は歓迎されていないのだ。この分ではいくら才能があっても爪弾き者だろう。

「皇妃様! あたしは、工芸家になりたいんです」
「おい、アリシャ……!」

 ガスリが止めるのも構わず、アリシャはつかつかとリューシに歩み寄った。下から見上げ、強い視線をぶつけてくる。

「この気持ちは絶対に譲れません。あたしは、工芸家になります」

 きっぱりとした口調で言い切るその姿が、“彼女”に重なる。
 女だからと言われた時、いつも“彼女”は毅然として反論していた。そして、必ず言葉通りの結果を残した。“彼女”の瞳もまた、この少女のような勝ち気な輝きを持っていた。

 思わずふっと口元が緩むと、アリシャの目が琥珀色が零れそうに見開かれた。大人に近付こうと背伸びをしているが、こうした表情は年相応だ。

「俺は悪いとは言っていない」
「じゃあ……」
「思うようにやればいい」

 パッとあどけなさの残る少女の顔が輝く。リューシはその琥珀色を見据え、低く言った。

「──覚悟があるなら、古いものを壊せ」

 破壊して更地になった所に、お前の思うものを建ててみろ。一から自分で造り上げる覚悟を持て。
 全ては口にしない。彼女が理解するには、この一言だけで充分だ。語り過ぎてはいけない。

「──っ!! は、はい!」

 力強く頷くアリシャが、リューシには眩しく見えた。
 自分はもう、そんな風にひたむきな追いかけ方は出来ない。夢の追いかけ方はとうの昔に忘れてしまった。だから“彼女”にも、アリシャにも惹かれたのかも知れない。
 ただ、“彼女”は成熟した大人の女性だった。真っ直ぐに走りながらも周りを見る余裕を持っていた。少し感情的になる事もあるが、冷静な判断を下す彼女には幾度となく助けられた。アリシャもいつか、そんな女性に成長するだろう。
 密かに、リューシは少女の将来性を期待した。

 それから進捗状況を確認して一通りの職人から話を聞き、もう講義が終わって解散しようかという時、1人の男を呼び止めた。

「ガスリ」

 彼は驚いてつんのめるようにして足を止める。何を言われるのかと警戒する怯えのようなものが見えた。どうしてこうも俺が話しかける奴は皆萎縮するんだと心中でぼやきながら、リューシは腕組みをして言った。

「少し残れ。話がある」


◇◇◇


「俺がΩである事は知っているな」
「え、ええまあ……」

 ガスリはリューシの問いかけに歯切れ悪く答えた。
 リューシ自身は気にしていないのだが、ある程度良心的なルバルア国民の間ではリューシに2次性別の話はタブーとされている。まさか本人がΩ性の事を口にするとは思わなかったのだろう。
 そんな彼の反応を内心苦笑しつつ、リューシは言葉を続けた。

「Ωで軍人になったのは俺が初めてだ。入隊出来るはずがないと言われてきたが、Ωが軍に入隊してはいけないという法はない。だから俺はこうして軍に身を置いている。誰が何を言おうが、基本的に2次性別を理由に俺を除隊する事は出来ない」

 一呼吸置き、ガスリから視線を外す。

「工芸家も同じだ。女が工芸家になってはいけないという法はない。彼女が──貴方の娘が工芸家になる事を止める権利は誰も持っていない」

 そうだろう、と視線を戻せば、彼は苦々しい表情を見せた。

「それは……」
「わかっている、だろう?」
「え?」

 親は子の心配をするものだ。

 そう言えば、ガスリは目を丸くした。顔かたちも目の色も違うが、先程のアリシャの表情に似ている。やはり親子なのだと、リューシは妙に納得した。

 恐らく、彼はこれから自分の娘が直面するであろう現実を憂いているのだ。
 女が工芸家になる場合、他の工芸家からかなりの反発がある。それはガスリの講義に集まった工芸家達のアリシャを見る目からも明らかだ。更に言えば、彼女がルバルアいちの工芸家と言われるガスリの娘である事も追い討ちをかけて軋轢を生ずる要因になり得る。苦しい思いをするのは目に見えていた。
 しかし、まだ大人でないアリシャは夢まで一直線の道しか見えていない。脇から入る横槍や、傍らにある崖には気付かないのだ。だから、大人であり、親であるガスリは心配になる。口も出したくなるし、見守っているだけでは気が気でない。親の心子知らずとはよく言ったもので、それがアリシャには「頑固親父」としか映らないのだ。

「口出ししたくなるのもわかるが、な」

 可愛い子には旅をさせよと言うだろうと言いかけ、こちらの世界にそんなことわざはあっただろうかと口をつぐむ。こういう事を言い慣れていないせいで直ぐに代わりの言葉が見つからず、そこで途切れてしまった。どう続けるべきかと思案していれば、ガスリが神妙な面持ちで頷く。

「そうか……なるほどな……俺もうるさく言い過ぎちまってたかも知れねぇ」

 ああ、とリューシは感心した。言葉足らずな自分の言わんとする事を汲み取ったか、と。彼自身が口下手だからこそわかるのかも知れない。
 じっと皺が刻まれ始めている顔を見つめていると、ガスリは「俺はよ、」と切り出した。

「あいつが工芸家になりてぇって言ってんのは嬉しいんだ。親バカかも知れねぇけど、覚えもいいし、筋もいい。だけど、あいつは……あいつが選んだ道は、なりてぇって言ってなれる程、楽じゃねぇ。だから……どうしても、色々言っちまうんです」

 あいつが男なら、と。

 リューシは組んでいた腕を下ろし、軍服のズボンのポケットに両手を突っ込んだ。それは違う、と呟くように言う。

「意味のない仮定をすべきではない」

 自分がαかβだったら。
 黒髪に生まれなければ。
 転生なんかしなければ。

 ──あの時、“彼女”を救えていれば。

 何度考えたか。

 何度考えて、何度行き場のない怒りや憎しみを内に閉じ込めたか。

 ちょっとした拍子で漏れ出てしまいそうなそれを、何度縛り付けたか。

 繰り返しのうちに気付いた。
 仮定に意味はないのだと。
 惨めになるだけだと。

「今を受け入れろ」

 俺は、そうしなければ生きられない。
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