Ωの皇妃

永峯 祥司

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第1部

抱えるモノ

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「坊ちゃん、お客様がいらっしゃっておりますよ」

 自室のベッドに寝そべっていれば、ヤスミーがひょっこりと顔を出した。

「客?」

 またバルトリスかと思ったが、彼なら彼だと言うはずだ。万が一フォンド男爵だったとしても客とは言わないだろう。ここに訪ねて来る人間はそう多くない。他に誰がとなれば思いつかなかった。

「わかった。直ぐに行く」

 客間に通しておいてくれとヤスミーに言い付け、リューシは緩めていたシャツの上に軍服を着直した。


◇◇◇


 ソファに腰掛けている人物を、おやと意外に思う。栗色の豊かな髪の女性。あの色はつい最近見た。

「ロアンヌ嬢、」

 呼びかければ、淑やかに伏せられていたヘーゼルの瞳が向けられる。白い頬がふんわりと色付いた。

「皇妃様……突然、申し訳ありません」

 立ち上がり、優雅に一礼する。火事の時の煤にまみれ取り乱した彼女とは別人のようだ。
 清潔な栗色の髪は豊かに波打ち、血色のいい頬は若々しい。落ち着いた控え目な化粧は彼女の清楚さを引き立てている。美しい女性なのだろうとは思っていたが、予想を上回っていた。
 あの嫌味なフォンド男爵の妹とは思えないな、と少々失礼な考えが過る。

「いや、構わない。用件は」

 腰掛け直すよう促して尋ねると、ロアンヌは一度きゅっと薄紅色の唇を引き結んだ。息を吸い、芯のある声で言葉を紡ぎ始める。

「兄と娘の命を救って頂き、ありがとうございました。お父上のご厚意でこちらにお邪魔させて頂いているにも関わらずお礼に上がれませんでした事、ご容赦下さいませ」

 感心した。心労のあまり寝込んでしまってもおかしくないというのに、わざわざ礼を言いに来たのか。

「気にする事はない。貴女も色々大変だっただろう。息災のようで何よりだ」

 そう労えば、賢明な淑女はほっとしたように表情を緩めた。

 「実は、」とロアンヌは切り出した。

「お礼に伺ったのとは別に……相談をしたくて……」
「相談?」

 はい、と頷き、髪がふわりと揺れる。

「娘の──メリアの事で」

 桃色のリボンが頭にちらついた。元気そうだったが、あの少女がどうかしたのだろうか。目で先を促せば、ロアンヌは僅かに顔を曇らせて話し始めた。

「先日、あの子は皇妃様に髪を結って頂いたと喜んで帰って参りました。花束ももらって下さった。笑顔が素敵でお優しい、とても素敵な方だとはしゃいで話しておりました。ですから、皇妃様なら、と……そう思い、ご相談させて頂く事に致しました」

 ──笑顔が素敵でお優しい? この俺が?

 6歳の少女の人物評に引っ掛かりを覚える。鉄仮面だの冷血隊長だのと言われる自分は、到底お優しい等と評される人間ではない。戦場では人を殺すし、必要なら味方も切り捨てる。子供は大人以上に人の本質を見ると言うが、あの少女は自分のどこからそう感じたのだろうか。

 そんなリューシの疑問には気付かず、ロアンヌは続けた。

「あの子、火を怖がるんです」

 鈍器で強かに頭を殴りつけられた気がした。

「……火を?」
「ええ……火なら、何でも怖がってしまって……」

 マッチの火でも呼吸が出来ない程のパニックになってしまうのです、と。
 
 あの小さな少女が、死に直面して何ともないはずがなかったのだ。
 子供の脳は強く恐怖を記憶する。その時の場面自体は防衛本能で記憶から消してしまっても、脳には恐怖が刷り込まれている。理由はわからないがどうしても苦手なもの。あれは子供の頃に何か嫌な思い出がある場合が多い。
 あの無邪気な笑顔の下に、巨大な恐怖を抱えていたのか。なぜそこに考えが至らなかったのだろうとリューシは下唇を噛んだ。やはり、俺は優しくなどない。

「火が、怖いか……」

 リューシ自身、火には因縁とも呪縛とも言えるものを抱えている。あの火事では昔の記憶がフラッシュバックし、情けない事に過呼吸を起こした。バルトリスのお陰で治まったが、あのままでは危険な状態になっていただろう。パニックを起こすと言うメリアの心の傷はよくわかる。
 ただ、自分の場合は恐怖による刷り込みではない。恐怖以外の感情が渋滞してしまっている、と言えば近いだろうか。どう表現すべきか考えた事もなかったが、多分メリアのそれとは性質が違う。

「火さえ見なければ日常生活に支障はないのか」
「ええ」

 なるほど、と頷く。
 日常生活に支障がないとなれば、メリアの苦しみは周囲に理解されにくいだろう。共に過ごす時間が長い家族でなければ気付けない。

「では、パニックになっていない時に変わった事はないか」

 そう尋ねれば、ロアンヌはええと首を縦に振った。

「ありませんわ」
「ない、か」

 愚問だったな、と自分に顔をしかめる。
 先日会ったメリアは確かに正常な精神状態だった。それだけ見ればパニックを起こすようにはとても思えない。自分の目で確認したはずだというのに、無駄な質問をしてしまった。
 
「お花やドレスを見ている時は何もおかしなところはありませんの」
「花やドレス?」
「綺麗なものを見ている時は、本当に以前と変わらないんです。にこにこ笑って楽しそうにしているんですけれど、火を見た途端に……」

 ──綺麗なもの?

 その時、リューシの脳内に閃きが走った。

「……そうか……」
「皇妃様?」

 訝るロアンヌの瞳を、リューシは正面から見返した。ヘーゼルを双黒が捉える。

「何とか、なるかも知れん」


◇◇◇


「──ねえ、どこにいくの?」

 リボンで結った栗色の髪をふわふわと揺らしながら小走りに歩く少女が軍服の男を見上げて尋ねる。

「行けばわかる」

 男は短く答え、歩く速度を落とした。

「あのね、おかあさまもどこにいくかおしえてくれなかったの。すてきなところにつれていってくれるっていってね、あとはなにもおしえてくれないの……」

 少女は不満気に言うが、男から何も反応がないと知ると、小さな手を差し出した。

「おててつないで」

 男はちらと少女を見下ろし、黙ってその柔らかい子供の手を取る。少女はパッと破顔して、にこにこと上機嫌でスキップを始めた。
 タタン、タタン、と少女が弾むリズムに合わせて繋いだ手が揺れる。少女に歩調を合わせて歩く男は前を見たままだが、心なしか表情は柔らかい。

「ねえ、おぼうしぬいで」

 スキップをしながら歌うように少女が言う。「なぜ」と男が尋ねた。少女は1度ぴょんと大きく跳ねて答える。

「もったいないもの」
「……もったいない?」

 うん、と少女が頷く。

「せっかくきれいなくろなのに、かくしてはもったいないわ」

 母親を真似ているのであろうませた口調に、男はフッと口元を緩めた。

「綺麗、か」

 繋いでいない方の手を頭に持っていき、軍帽を取る。現れた黒に少女の大きな目がキラキラと輝いた。

「やっぱり、かくさないほうがいいわ!」
「そうか」
「うん! わたし、こうひさまのおぐし大すき!」
「そうか」

 素っ気ない反応だが、少女は嬉しそうに跳び跳ねる。もう着くぞ、と男が目を細めた。


◇◇◇


 バルトリスは1人、夕陽の射し込む酒場のカウンターでグァリの瓶を空けていた。

 午後の訓練の後、リューシと飲もうとわざわざラヴォル邸の離れまで訪ねて行ったが、空振りだった。「坊ちゃんはお出掛けになられました」と申し訳なさそうにヤスミーに言われ、見事に肩透かしを食らった形だ。どういう風の吹き回しか、フォンドの姪っ子をどこかに連れて行ってやっているらしい。2、3時間は帰らないだろうという事だ。それだけの時間待つのも馬鹿馬鹿しいと思い、結局1人で酒場へ来る事にした。

 元々約束はしていなかったから仕方ないと言えば仕方ないのだが、今日は何となくサシで飲みたい気分だった。珍しく仕事中に全く顔を合わせなかったからかも知れない。不思議なものだ。1日姿を見なかっただけだというのに。恋人かよ、と鼻で笑ってみる。
 だが、やはり、「飲みに行こうぜ」と誘えば「またか」と呆れながらも付き合ってくれるような気がしていた。まさか留守だとは。
──でもそれは自分の都合だ。あいつにも予定があるだろう。そう独り納得し、また黄金色の酒を煽った。

「ロドス軍医長」

頭上から降ってきた声に顔を上げれば、軍帽を脱いだ若い兵士が見下ろしていた。

「ノットか」
「隣、いいですか」

 ああ、と頷けば、青年兵士はすとんと隣の椅子に腰を下ろす。ツンと硝煙のにおいが鼻を突いた。そういえば、こいつは射撃が上手いのだとリューシが言っていたなと思い出す。

「アドモルを1つ」

 注文するノットを横目に見、「飲まないのか」と尋ねる。“アドモル”は砂糖で煮詰めたレモン汁を炭酸水で割った清涼飲料だ。酒ではない。

「酒はあんまり得意じゃないんですよ」

 ぶっきらぼうに言う彼にふうん、と返し、「じゃあ、あいつと飲みに来たら驚くぞ」とからかうように言ってみる。

「あいつって?」
「お前の上司様」
「隊長ってそんなに飲めるんですか」
「ああ。凄いぞあれは」

 成人祝いに飲みに誘った時にグァリの瓶を5本空けた事を教えてやれば、えっと目を見開いた。

「間違っても飲み比べなんか吹っ掛けるなよ。俺は1回やって潰された」
「軍医長が?」
「おうよ。俺も一応は結構な酒豪で通ってんだがなぁ……あいつにはどうやっても敵わねぇや」

 で? とノットの顔を見る。

「え?」
「何か言いたい事あんだろ、お前」

 そうじゃなきゃ俺の隣になんて座らねぇだろと言ってやれば、ノットはばつの悪そうな顔をしてアドモルを喉に流し込んだ。
 図星か。にやりとしてバルトリスもグァリを煽る。

「当ててやろうか」
「……間違えたら、何か奢って下さいよ」
「おっ、いっちょまえに賭けか? んじゃ、当てたらグァリ一杯な」
「まだ飲むんですか」
「あと2、3杯は余裕だぜ?」

 少しの間の後、「いいですよ」と応じるノットを意地悪くニヤニヤと見つめる。
 第1部隊の兵士だろうが、リューシを頷かせる射撃の腕を持っていようが、まだ成人したばかりの青臭い餓鬼だ。言いたい事など、口に出さずとも顔に書いてある。

「リューシの事だろ」

 一言そう言えば、ノットはうっと声を詰まらせた。当たりだな、とバルトリスはからから笑う。グァリ一杯だ。

「特に接点もないお前が俺に声かけるっていったら、そのぐらいしかねぇかんな……それに、随分惚れ込んでるみてぇだしな?」

 酒の入っていないノットの頬にサッと赤みが差す。
 プライドの高い横暴な餓鬼だが、わかり易い事この上ない。きっと本人の前ではあからさまな態度を取っているのだろう。そう考えれば可愛気があるように思えなくもない。

「んで? あいつの何が知りたいんだ?」

 カウンターに頬杖をついて尋ねると、ノットは好戦的な目で見返してきた。おっ? と身構える。

「軍医長と隊長は、どういう関係なんですか」

 ぶふっと吹き出したバルトリスに、ノットは怪訝な表情をした。至って真面目な質問のどこに笑われる要素があったのかと困惑しているらしい。

「くくく……っ若いねぇ……」

 ああ、餓鬼だ。ホントに餓鬼だ。
 困惑するノットと対照に、バルトリスは面白くて仕方がない。

「俺とあいつはダチだ。あいつが入隊したばっかりの頃から色々と面倒見てやってたんだよ」

 まだ治まらない笑いを噛み殺しながら言えば、ノットは納得いかないというように眉をひそめる。そんな表情がまた面白く、せっかく殺した笑い声がまた漏れそうになる。

「俺には、それだけには見えない」

 敬語の外れた口調に、おやと思う。ははあ、こいつ、生意気にも男やってるな。

「お前にそう見えなくっても、実際そういう関係じゃねぇんだよ。俺らは」
「じゃあ、あんたは何とも思ってないのか」
「さあな……思ってたとして、皇妃様に手出しは出来ねぇだろうさ」

 それはお前だってそうだぜ? 
 そう言って薄く笑ってやれば、ノットは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。ころころと表情の変わる奴だ。主に不機嫌の方面でだが。

「ま、妙な事は考えねぇこったな。お前もまだ若いんだ。首が飛んじゃあ洒落にならんだろ」

 もっとも、皇帝陛下が彼を寝取られて怒るとは思えないが。それでも公になってしまえば国レベルの問題にはなるだろう。そうなる事を避ける為に彼は計2回の不貞行為を見過ごしている。だからバルトリスも敢えて沈黙するのだ。もし自分が告発すれば、Ωの彼をよく思っていない国民から被害者であるはずの彼に非難の声が上がるのは目に見えているし、最悪、彼自身が罰せられるだろう。それだけはどうしても避けなければならない。

 お前が何かすれば、あいつの抱え込むものがまた大きくなる。それは何が何でも許さない。
 そんな牽制も含めた視線を送れば、ノットはあの戦場の時を彷彿とさせる闘争心にギラついた目で返してきた。つくづく生意気な奴だ。

「グァリはまた今度でいいぜ」

 そう言い残し、席を立つ。
 お前みたいな餓鬼がどうこう出来るような男じゃねぇんだよ、あいつは。この俺ですら──

 でも、彼は、もしそういう事をしても、きっと自分を拒めないのだろう。また“処理”だと言って終わるのだろう。そう思えば、苦いものが胸に広がった。
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