Ωの皇妃

永峯 祥司

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第1部

家族

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 建物に入った瞬間、視線が集中する。
 ぐるりと工場こうばの中を見渡せば、端の方で作業をしていたらしいガスリが会釈をした。口元には笑みが浮かんでいる。言葉はないが、経過報告はそれで充分だった。上手く行っているという事だ。
 それに、今の彼の表情は数日前より随分柔らかい。という事は──

「皇妃様!」

 モスグリーンの髪の娘が顔を輝かせて駆け寄ってくる。

「今日は何かやらせてもらえたか」

 そう尋ねれば、アリシャは「はい!」と元気よく答えた。

「アムア石の冷却工程をさせて頂きました!」
「そうか」

 誇らし気に言う彼女を微笑ましく思いながら頷く。親子関係も修復されつつあるようだ。

 と、ここでアリシャが小さな来客に気付いた。

「皇妃様、その子は……」

 目をぱちりと瞬かせてリューシの背後を指す。その先には、1度に大勢から視線を受けたのが恥ずかしかったのだろう、リューシの軍服の裾を掴んで身を隠す少女がいた。

「ああ、彼女は客だ」

 リューシがそっと前に押し出せば、少女は頬を薔薇色に染めながら優雅に一礼した。

「はじめまして。メリア・フォンドともうします」

 鈴が鳴るような声で舌足らずに、しかししっかりした口調で挨拶をする。上質な生地を使ったドレスに幼いながら洗練された所作。育ちの良さが一目瞭然の少女──工場とは無縁の存在を、アリシャら職人一同は唖然として見つめた。

「ええと……」
「どっかの貴族様のご息女……か?」
「でも何で……」

 戸惑った様子でメリアを見たりこちらを見たりする彼らに、リューシは内心苦笑する。皇妃であり第1部隊隊長である自分が出向いている方が驚愕されるべき事象であるというのに、職人達の驚きは少女一点に注がれている。恐らく最初の訪問からは3日程続けて様子を伺っていた為だろう。慣れとは恐ろしいものだ。
 しかし、裏を返せばこれは良い兆候でもある。始めは萎縮していた彼らだったが、3日目にはテンポよく会話を繋げられるようになった。それから数日の間隔があるが、今も最初程の緊迫した雰囲気はない。もう少し慣れが進めば、彼らから直接に率直な意見を聞けるようになるだろう。それまでは進捗状況の確認を兼ねてもう暫く足繁く通ってみるつもりだ。

「今日は彼女にアムア石の加工を見せてやって欲しい」

 そう頼むと、ガスリらは困惑の色を深めた。リューシがわざわざ連れて来る辺り、ただの見学者でない事はわかっている。しかし、どういう意図なのかがわからない。
 リューシが説明しようと口を開きかけた時、ざわつく職人達の中から、ガスリが進み出る。

「そのご令嬢に、俺らの仕事を見せて差し上げりゃあいいんですね」
「そうだ」

 頷けば、ガスリはお安いご用だという風に歯を見せた。弟子達の間を歩いて真っ直ぐに作業場へ向かい、メリアに手招きする。
 窺うように見上げてくるメリアに頷き、リューシはとことこと駆けて行く彼女の後に続いた。その周りをぐるりと半円を作るように弟子達が囲む。半円の端にいるアリシャは興味津々といった様子で3人の挙動を注視している。

「いいかい、これがアムア石──これから加工するもんだ」

 ガスリが持ち上げてみせた黒い塊に、メリアのヘーゼルがぱちりと瞬く。「こんな石が何に変わるの?」とでも言いた気だ。

「こいつを──」

 炉の蓋が開けられると、赤く燃える炎が顔を出す。メリアがひゅっと息を吸い込む音がする。パニック症状の前兆だ。が、リューシは腕を組んで見つめるだけで、何もしない。

「この中に入れて、熱を加える」

 長い棒のような固定器具の先に付けたアムア石を炉の中に入れ、数秒間熱する。すると黒の縁が溶けだし、ぐにゃりとうねり始める。
 炎の中で群青に輝きだしたそれに、メリアは食い入るように見入った。彼女の視界に“火”はなく、ただただ美しい群青のうねりをそのヘーゼルに映している。今しがた起こしかけたパニック症状が現れる気配はない。

「熱したら、形を作る」

 カァンと硬いもの同士がぶつかる。熱で溶かされたアムア石は金槌の下で潰れ、飴のように広がる。それを棒で巻き上げ、球状に整えてゆく。

「最後に冷水で冷やし固める」

 水槽に沈められたアムア石がジュワッと音を立てた。直ぐに掬い上げ、2、3度同じ作業を繰り返す。水から引き揚げられる度に輝きが深みを増す様はさながら宇宙の創造。最後に引き揚げられた時、群青の球体の中には金銀の星が輝いていた。

「お嬢さん、よく見てみな」

 ガスリの無骨な手から、柔らかい少女の手へ“宇宙の欠片”となったアムア石が移される。それは宝物を包むようにして少女の手の中に収まった。
 キラキラと煌めくヘーゼルの瞳いっぱいに群青が映り込む。

「きれい……」

 びっくりしたように呟くメリアに、リューシは“荒療治”が成功した事を確信した。

「メリア」

 床に膝を付き、目線を合わせる。

「綺麗だと思うか」
「うん」
「これは、火がなければ生み出せない。火は必要不可欠だ」
「ひつよー、ふかけつ?」
「そうだ。確かに火はものを滅ぼす。だが、美しいものも作り出せる──こんな風にな」

 幼い手の中にある“宇宙の欠片”にそっと触れる。ただの黒い塊だったものは、火に入って生まれ変わった。

「まだ、火が怖いか?」

 ううん、とメリアはかぶりを振った。ふわふわとリボンが揺れる。

「こわくない」

 そうか、とリューシは僅かに頬を緩めた。もう大丈夫だ。パニック症状が出る事はない。

 ──ロアンヌが「綺麗なものを見ている時は機嫌がいい」と言った時、はたと思いついたのだ。火が美しいものを生み出すと知れば恐怖心が消えるのではないか、と。

 そもそもメリアの火に対する拒否反応は、あの火災で「火=恐ろしいもの」という等式が成り立ってしまった事に原因がある。火の一面的な部分を脳に強く刻み込んだのだ。
 ならば、多面性を見せてやればいい。破壊ばかりでなく、創造も火の得意分野であると知れば恐怖を払拭出来る。
 その手段として浮かんだのがアムア石の加工だった。燃え盛る炎の中から、万人を魅了する宝石が生まれる。これ以上の演出はない。

 「火は危ない」のは事実。その事実をねじ曲げるのではなく、「使い方次第」という情報を足してやらねばならなかった。鮮烈な記憶に目立った色を加えるには、同じく鮮やかな色が必要だ。それは間違いなくアムア石の加工過程──その群青にある。
 炉で燃える火を見た途端に強い症状が出る可能性は極めて高かった。しかし、やってみる価値はある。そう判断し、メリアを工場に連れて来たのだった。

 きゅっと大切そうにアムア石を握り締めるメリアの頭を軽く撫で、リューシはガスリに向き直った。

「忙しいところ、わざわざすまなかった。礼を言う」
「いやいや、とんでもねぇ! 事情はよくわからねぇが、お役に立てたんなら本望でさあ」

 お安いご用だと豪快に笑う。その後ろからひょっこり顔を出し、あの、とアリシャが声を上げた。

「それ、ちょっと弄ってもいいでしょうか」


◇◇◇


 家路についたのは、すっかり日が沈んで辺りが薄闇に包まれ始めた頃だった。疲れて寝入ってしまったメリアを片腕に抱き、リューシはラヴォル邸本館を訪れた。

 久々に足を踏み入れる自宅に落ち着かなさを覚えながら、静かな廊下を歩く。たまにすれ違う使用人達から送られる好奇の視線を受け流すのも久し振りの事だ。粘着物質のように絡みつくそれに顔をしかめた。
 こうした目を向けられるのは、場所を選ばないのであれば回数を数えるときりがない。普段なら気にも留めないのだが、「本館で」というシチュエーションが一層不快感を引き立てていた。

 突き当たりの部屋の扉をノックすると、女性の声で応答があった。直ぐに扉が開けられる。

「まあ、皇妃様」

 ふわりと柔らかい香水の匂いが鼻を掠めた。きっちりと着込んだ品のいいドレスは、日中彼女がメリアを連れて離れを訪れた際に見たものと同じだ。娘を送り届けに来る自分を出迎える為に部屋着に着替えず待っていたのだろう。
 すうすうと寝息を立てる娘を抱き取ると、ロアンヌはあら、と控え目に声を上げた。

「素敵なペンダント……」

 細い指先で触れるのは、メリアの胸元に光る宇宙の欠片。

「元はただの球体だったんだが、アムア石加工を一任している工芸家の一人娘が是非と言ってな……わざわざペンダントにしてくれた」
「まあ……」
「首に掛けてもらって、随分喜んでいた。美しいものを見る時のメリアは確かに生き生きしているな」

 では、とロアンヌのヘーゼルが期待に輝く。

「恐怖症は、治ったのですね?」
「ああ。恐らく」

 もう火を見ても怖がる事はないだろう。そう言えば、ロアンヌは目に涙を浮かべて眠る我が子を抱き締めた。

「皇妃様、本当にありがとうございました……! 何とお礼を言えばよいのか……」

 是非今度お礼をと言う彼女にいやと首を振り、リューシは微かに口角を上げた。

「俺はきっかけを与えたに過ぎない。疲れているだろうから、ゆっくり休ませてやれ」

 まだ言い足りない様子のロアンヌに見送られ、来た道を戻る。角を曲がる時ちらりと廊下の端が視界に入ったが、彼女はまだそこに立っていた。角を曲がり切ると同時に、扉を閉める音を耳が拾った。

 ロアンヌとメリア。
 理想的な母子だ。

 母が子に最大の愛を注ぎ、子もそれを理解している。先日、ロアンヌ本人から父親は既に他界しているのだと聞いた。だからここまで深い愛をメリアに注ぐのかと思ったが、彼女はそのつもりはないと言う。父親がいようがいまいがメリア個人に注ぐ愛は同じだと。メリア自身が己を「可哀想な子供」だと認識してはいけない。片親だからといって特別視する事があってはならない。だから誰より自分が不憫に思ってはいけないのだ、と。

 そうした事を紅茶を淹れながら話していたが、つくづく賢明な女性だと唸ったものだ。
 あれだけ賢い人に、あれだけ愛されるメリアは幸せだ。両親が揃っていて愛されない子供より、余程。確かに片親か否かは重要な事ではない。

 今世は考えるまでもない。前世の自分の両親はどうだったろうかと思い起こし、リューシは苦笑した。文字通り、苦い笑みだ。

 ──ああ、何も、覚えていない。

 いや、「何も」というのは語弊がある。顔はまだ写真の中で見たものをどうにか思い出せる。だが、それ以外は。声は。喋り方は。繋いだ手の温もりは。何一つ残っていない。

 人はその人の声から忘れて行くものらしい。前世の両親は小学生の時に死んだ。それから40年余り。朧気ながらも顔を覚えている方が奇跡だ。だが、それもじきに思い出せなくなる。

 中途半端な人間だ。“須賀隆志”なのか、“リューシ・ラヴォル”なのか、曖昧な境界線をずっと漂っている。
 あと何年、何十年後か先、両親と同じように“彼女”の事も消えて行くのだろうか。“須賀隆志”に自分を縛り付けようとする“彼女”は。
 これ程鮮明な呪縛が消えるとは考えられないが、人間の脳は当てにならない。アナログなデータはどこかで歪んで、朽ちて、そうして、やっと“須賀隆志”は死んだ事になるのだ。その時にようやく“リューシ・ラヴォル”になる。

 果たしてそれは、歓迎すべき事か否か。

 答えの見つからない問いにまた苦笑が漏れる。ああ、ここでも俺は半端者だ。

 もう一度角を曲がろうと体の向きを変えたその時、誰かと鉢合わせる格好になって足を止めた。すまない、と言い掛けて絶句する。なぜ、こんなタイミングで。

「これは珍しい。出来損ないの黒が本館に来るとはな」

 あからさまな侮蔑にぐっと眉間に皺が寄りそうになる。最悪だ。一番たちの悪い相手に見つかった。

「お変わりないようで──兄上」

 アディロス・ラヴォル。
 ラヴォル家三男で、リューシの兄。2次性別は勿論αだ。

 長男と次男も大概だが、リューシはとりわけこの2つ上の兄に辟易していた。
 上の2人はリューシをいないものとして扱い、たまに会うとゴミを見るような目を向けるだけなのだが、年が近いせいか、アディロスはこうしてちょっかいをかけてくる。
 加えて彼はαの割にそこまで優秀でない上に兄弟内唯一の妾腹だ。幼い頃から劣等感を持ち続けていた。そんな彼にとって“劣等種”であるΩの弟は格好の鬱憤の捌け口だったのだろう。子供の頃から時たまリューシを見ては喜んで苛めに来ていた。精神年齢はとっくに成人男性であったリューシはあしらうのに随分苦労したものだ。そういう事情があって、アディロスは兄弟の内で最も苦手だった。

 近頃は第1隊長の仕事と皇后補佐の仕事の板挟みで、ヤスミーが待つ離れの方にもあまり帰れていない。ましてや本館になど寄り付きもしなかった。メリアを送りに来なければ、このまま数年は足を踏み入れなかっただろう。そんな稀な日に出会ったのが、この兄だ。不運としか言いようがない。

「お前が皇后になるという話だったから売られもせずラヴォルに留まっていられたというのに、まさか側室に落ちぶれるとはなあ?」

 嘲笑を含んだ物言いは勘に障る。さっさと切り上げたいが、あからさまに避ける素振りを見せても余計に絡まれるだけだ。余計な事は言わない方がいい。チッと舌打ちしたくなるのをこらえ、黙って身なりだけは一流の兄を見据える。

「は、だんまりか。相変わらずつまらん奴だ」

 お前の為に面白くしてやる義務はないだろうがと心中で吐き捨てる。黙っていれば黙っていたでうるさい餓鬼だ。肉体の年齢では兄だが、リューシにしてみれば前世今世合わせると息子でもおかしくない。
 
 誰かを見下す事でしか己の存在を肯定出来ない、哀れな子供。

「所詮お前は“予備”だ。せいぜい捨てられんように媚びるんだな」

 そのまま右から左に聞き流していれば、散々嫌味を並べ立てて満足したのか、アディロスは最大の侮蔑を込めた捨て台詞を残して去って行った。

 ああ、ようやくお子様のサンドバッグから解放された。難儀な事だ。

  小さくため息をつき、また廊下を歩き始める。足は自然と早まった。これ以上身内に会いたくない。


 ──どこにいるのかわからない神もたまには願いを聞いてくれるのだろうか。外に出るまで使用人にすら会わなかった。まあこれが人の人生を弄ぶ罪滅ぼしだと言われても困るが。

 本館と離れに連絡通路はない。リューシが生まれた時、父親が隣の土地を買い上げ完全に独立した建物を建てたのだ。隔離したいならどこかの部屋に軟禁でもしておけば良さそうなものだが、同じ建物にいる事すら気に食わないらしい。
 憎い子供に最も金をかけている矛盾が滑稽だと思う。だが、父親にしてみれば皮肉でもあるのだろう。「お前は金をかけてでも遠ざけなければならない忌み子だ」という。

 実子を憎むのもそう難しい事ではないのだ。“家族”というのは、元は他人の集まり。血の繋がりは世間が思う程強いものではない。
 顔も見た事のない子供より20年育てた養子の方が可愛いだろうし、生まれて直ぐに別れた親より20年間ずっと寄り添ってくれた養父や養母の方に愛着があるだろう。
 果たして、顔を見た事のない子供や生まれて直ぐに別れた親は家族と言えるだろうか。

 要は共に過ごした時間だ。時間が“家族”を作る。何よりヤスミーがいい例だ。彼女は博愛主義者でも何でもない、普通のβの女性だ。当然Ωに偏見はあっただろうし、乳母の役は押し付けられたものだっただろう。彼女にとっては貧乏くじを引いたようなものだ。
 それでも、今は「坊っちゃん」と呼んで優しい笑みを向けてくれる。例えそれが同情から来るものだったとしても、リューシに母同然に接してくれているのは事実。家族は誰かと尋ねられれば、それはラヴォル家の誰でもなく、ヤスミーだろう。

 そこまで考え、ふっと現皇帝の顔が思い浮かぶ。

 違うな、と首を振った。
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