Ωの皇妃

永峯 祥司

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第1部

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「何かお探しですか」

 キョロキョロと店内を見回す婦人に、店主はにこやかに声を掛けた。ええ、と婦人が頷く。

「アムア石の指輪はあるかしら」
「勿論。様々なものを取り揃えております」
「見せて頂けます?」
「ええ、じっくりご覧になってお選び下さい。──どうぞこちらへ」

 幾つもの指輪の入ったケースを出せば、婦人は真剣な様子で品定めを始めた。
 婦人の服装を観察し、店主は「金持ちらしいな」と予想する。高価なものを複数購入してくれるかも知れない。在庫はたくさんある。足りないという事はない。流石に買い占められるとなればすっからかんになってしまうが。

 このところの売れ筋は“アムア石”という鉱石を加工した装飾品だ。何でもルバルア帝国が最近輸出し出したそうで、まさに今人気に火が点き始めている。
 “宇宙の欠片”という異名を持つこの鉱石はとにかく美しい。深い群青に金銀の煌めきは眼の肥えた上流階級の紳士淑女にも目新しく、瞬く間に彼らを魅了した。最先端を売りにしているこの店の店主はいち早くそのにおいを嗅ぎ取り、周辺のどの宝飾店より迅速にアムア石製品を仕入れた。それが当たり、ここ1ヶ月はこぞって老若男女が商品を求めに来る。

「──これと、これを頂くわ」

 指輪を吟味していた婦人が2つの購入を宣言する。お買い上げありがとうございますと目一杯の笑顔を送り、店主は指輪用の小箱に商品を詰めた。

 目当てのものを手に入れて上機嫌の婦人を見送り、そういえば輸送業者がアムア石の輸出を奨励したのは皇妃様だと言っていたなと思い出す。確かルバルアの皇妃は世にも珍しいΩの男だったはず。異世界人の少女に皇后の座を奪われ皇妃の地位に納まったそうだが、それっきり噂は聞かない。問題が根深過ぎて噂にするのも憚られるのだろうか。この国にも面倒事はそれなりに色々とあるものの、向こうに比べれば可愛いものだ。

 まあ異国の皇妃の事など自分が気にしても仕方がないとあっさり思考を打ち切り、店主は商品の指輪を磨き始めた。


◇◇◇


 昼下がりの執務室で、リューシはまたしても頭を悩ませていた。

 新たな政策であるアムア石の輸出は、想像以上に上手く行っている。特に隣国のアトフォクリフ王国では爆発的な人気になりつつあると言う。生産の方が追い付かないと嬉しい悲鳴も聞く。
 採掘料と技術提供料として大量の物資をウラウロイ族に送って尚国の財政は潤っているし、皇帝がウィランドンから買い付ける宝飾品の金額も莫大である事に変わりはないがある程度落ち着いた。
 それはいい。大いに結構。

 リューシを悩ませる問題はそこではない。
 そこではないのだ。

「──ああ、くそっ!!」

 がしがしと黒髪を掻き回していれば、ソファで書類整理をするバルトリスが「素が出てんぞー」と茶化す。今日は月に一度の軍の休日の為、朝から手伝いに来ていた。執務室に入って来た途端、リューシの荒れ具合に驚いてあんぐり間抜け面を晒したのはご愛嬌だ。

「うるせぇ!」

 ドンッと勢いよく判をついて吼える。
 もう形振なりふり構っていられない程にリューシのストレスは蓄積されているのだ。“完全無欠の鉄仮面軍人リューシ・ラヴォル”は見る影もない。“口の悪い青年リューシ”がいるのみである。
 この姿を見ればノット達は卒倒するかも知れないなとバルトリスは苦笑する。しかしまあ、もう素を知るこいつの前なら何でもいいと本人が開き直っている為どうにも致しようがない。

 乱暴に処理済みの書類を机に叩き付け、リューシは叫んだ。

「あの女……っ、何で、俺に構おうとするんだ!!」

 皇后補佐なんて糞食らえだ、と。



 最近のミハネといったら、どういうわけかやたらにリューシを構いたがる。
 一昨日はクッキーを焼いたと言って謎の物体を持って来たし、その前はお茶をしようとしつこく誘ってきた。こちらは目を回す程の忙しさなのに、だ。お茶はどうにか断ったが、クッキーと言い張る謎の物体を食べるまで退かないのには閉口した。

 愛しの皇帝にでも構ってやればいいものを、なぜわざわざ自分にまとわりつくのかリューシには理解出来ない。だが、それ以上に皇后の仕事を押し付けているという自覚を持っていないのに腹が立つ。自分が菓子やらお花摘みやらをしている間、誰がその皺寄せを受けていると思っているのだ。
 ──いや、恐らく何も考えていないのだろう。皇后に仕事があるという事すら知らないかも知れない。

 このように毎日毎日与えられるストレスに、リューシは耐え続けていた。どうせ何を言おうが無駄だ。あの小娘がもたつきながらするより自分がした方がいい。そう割り切り、時たま鉄仮面に青筋を立てそうになりながらも心を無にして仕事に勤しんだ。

 しかし、昨日の午後。
 とうとうリューシの堪忍袋という堪忍袋の緒が鈍い音を立てて切れた。

 執務室にケーキだという塊を持ち込み、あの皇后陛下はこう言ったのだ。

『最近凄く忙しそうだよね。これ食べて元気出して!』

 と。



「~~~っ、誰のせいで……っ!!」

 ぐしゃりとサインしたばかりの書類を握り潰す友人を、バルトリスはどうどうと宥める。これでも飲んで落ち着けと紅茶を渡してやれば、乱雑にカップの縁を掴んで一気に飲み干した。今淹れたばかりなのにと呆れながら空のティーカップを回収する。

 この男がここまで荒れているのは未だかつて見た試しがない。あのミリス総督にすら、冷笑と嫌味だけで相手をしていたのだ。
 そんな彼が、恐らく最も親しい友人である自分にすらあまり見せない素をさらけ出し、悪言の限りを尽くしている。他の者はそうは思わないだろうが、「こりゃあかなり弱ってるな」とバルトリスは思うのである。

 しかしな……とぐしゃぐしゃになった紙を伸ばしながら自分を咎める。
 リューシをここまで追い込んでいる皇后──ミハネに腹が立つのは勿論だが、彼が自分にだけ弱みを見せているというのはちょっとした優越感である。不謹慎だが、思い切り素の彼を見る事が出来て得した気分だ。そこだけなら皇后陛下に感謝申し上げてもいい。
 だが、あくまでそこだけだ。

「休憩した方がいいな。根詰め過ぎだ」

 頭をポンポンと軽く撫でて提案すれば、リューシは「子供扱いするんじゃねぇ」としかめっ面をしながらもペンを置いた。
 今は何を置いてでも気分転換が必要だろう。紅茶をがぶ飲みするのは休憩とは言えない。

「ちっと外に出るか」


◇◇◇


 がやがやと騒がしい人混みの中、何を見るでもなく歩く。屋台から漂う鳥の串焼の匂いが香ばしい。目の前をぬいぐるみを持った小さな女の子が走った。メリアと同い年くらいだろうか。

 バルトリスに連れられ、リューシは久々に街に出た。
 彼の薦めで今はフード付きのローブを着用している為、周りが騒ぐ事もない。誰からも好奇や侮蔑の目を向けられないのが新鮮だ。一般人の中に溶け込んでいる自分に不思議な感じがする。少々暑いのは問題だが、悪くない。

「ほれ、食ってみろよ」

 美味いぞ、と自分も1本齧り付きながら串焼を手渡される。さっきの匂いにまんまと釣られたものらしい。いつの間に買ったんだと呆れながら受け取った。

「こういうのもたまには悪くねぇだろ」
「……ああ」

 つい今しがた自分が思っていた事を言われ、少し驚きながら頷く。
 
「気分転換にはなるな。誰の視線も感じないというのは新鮮だ」

 もうひとつの思っていた事を口にしてみれば、バルトリスは困ったような顔をしてからぐりぐりと頭を撫でてきた。何をするんだと抗議しようとした時、彼が言う。

「俺が見てる」

 ──ああ、また。またそんな事を言う。

 思いの外真剣な声に一瞬でも動揺した自分が憎らしい。一体、何だというんだ。

「……そういう事を言ってるんじゃない」

 誤魔化すしかない自分は何なのだろう。

 いや、そもそも──


 俺は何を誤魔化そうとした?


◇◇◇


 ひとしきり街を歩き、そろそろ帰ろうかという時、リューシはふっとある人物を思い出した。

「バルトリス、少し寄りたい所がある」
「ん? いいぜ」

 お前がわざわざ行きたがる所って何だと首を傾げるバルトリスを連れ、路地に入る。何度も右折左折を繰り返す複雑な道順だが、不思議と迷わず脚は動いた。
 後ろからついてくる悪友はこんな路地裏に何の用があるのかという顔をしている。普通に考えれば、この埃っぽい裏道に大したものがあるとは思わない。

 暫く進めば、煉瓦造りの2階建ての建物の前に出た。崩れそうな外観は相変わらずだ。

「うわ……何だこのボロ……」

 呟くバルトリスに「入るぞ」と声を掛ければ、えっと目を見開く。

「ここか? お前の寄りたい所って……」
「そうだ。さっさと入るぞ」

 戸惑う彼に先立って内開きの戸を押す。内と外の空間が繋がった瞬間、あの独特のにおいが流れ出して来る。背後でうっと息を詰めてバルトリスが鼻を押さえた。このどぎついにおいも相変わらずだなとリューシも眉をひそめて奥に進む。
 狭い通路を窮屈そうに進みながら、バルトリスは棚の“ガラクタ”に興味津々だ。

「ん……!? 『劇薬』!?」

 ある地点で素っ頓狂な声を上げた彼に、「気にするな。店主の趣味だ」と言っておく。そういえば初めてここを訪れた自分も同じ所で止まったのだと思い返した。
 ようやくガラクタの間に店の奥が見えると、ゆらゆらと紫煙が漂って来る。その元を辿った先にいる人物が「おやおや」と声を発した。コン、とパイプを机の角に打ち付ける。

「……あんた、また来たのかね」
「久し振りだな──ナドッカ」
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